「渡辺さ~ん」
本棚の影から、ひょこっと顔が飛び出て来た。
さっきの返却カウンターにいた、男子生徒だ。
「僕、上がるから。戸締りよろしくね」
「はい」
男子生徒の顔は、出た時と同じような動きで引っ込んだ。
オレは、無機質に返事をする渡辺を見やった。
渡辺は、図書室の壁掛時計を確認していたかと思うと、オレとおもむろに目を合わせて来た。
オレは情けないことに、とっさに身構えてしまった。
「どのくらい進んだ?」
「は?」
「仕事のことよ!」
渡辺はオレの間の抜けた答えに、明らかな苛立ちを見せた。オレの手から作業表を奪い取ると、高速でそれを見直していく。
机にそれを乱暴にそろえると、仕事遅いわねー! と嫌みったらしい溜め息をついた。
オレに反撃の機会を与える間もなく、渡辺は素早く席を立ち上がると、窓のカギをチェックしながら、オレにもう今日は帰っていいから、明日また来て頂戴と、そっけなく命令して来た。
オレは、渡辺のその高慢ちきな物言いや、横柄な態度に、今日、何度目かの腹立たしさを覚えたが、ここで言い返せば、さらに奈落に落ちることは分かっていたので、ぐっと堪えて、足早に図書室を後にした。
今日は厄日なのだ、なにをやってもダメなのだ……と自分に言い聞かせて。
***
オレは教室からカバンを取ってきて、とっとと帰ろうと、焦って廊下を走っていた。 が、後もう少しというところで、昇降口にて佐々木に捕まった。
理科室のゴミが捨ててなかったぞー、おまえ、今日、理科室の掃除当番だったろうー! と、こう来やがった。
それは、てめーがオレを、職員室に呼びつけたせいだ! という主張はやっぱり通らず、あいつらゴミ捨てぐらいやっとけよと、心の中で猥談仲間たちを呪った。
***
それから焼却炉に向かったせいで、近場の体育館の戸締りにつき合わされ、再び昇降口に辿り着いた時は、六時を回っていた。
今の時期はまだこの時間でも、なんとか外がまだ明るいことが、唯一の救いだと思っていた。……が。
ひぐらしの鳴き声が、響き渡る校庭……
オレのほんの数十メートル先を、あの渡辺が歩いていたのだ。
暗ければ、気が付かなかったかもしれない。
途端にまだ闇色に染まらない、中途半端な空が恨めしく思えて来る。
ムラムラと、渡辺の横柄な態度が頭に蘇った。
今や“渡辺”は、オレの中で負の記号になりつつある。
渡辺に追いついたりするのが嫌だったので、しばらくオレは、昇降口でカバンを抱えてじっとしてた。
渡辺は、どんどん遠のいていく。
オレはこのとき、妙な違和感を覚えた。
その正体の答えが出る前に、渡辺は視界から消えていた。
つづく
本棚の影から、ひょこっと顔が飛び出て来た。
さっきの返却カウンターにいた、男子生徒だ。
「僕、上がるから。戸締りよろしくね」
「はい」
男子生徒の顔は、出た時と同じような動きで引っ込んだ。
オレは、無機質に返事をする渡辺を見やった。
渡辺は、図書室の壁掛時計を確認していたかと思うと、オレとおもむろに目を合わせて来た。
オレは情けないことに、とっさに身構えてしまった。
「どのくらい進んだ?」
「は?」
「仕事のことよ!」
渡辺はオレの間の抜けた答えに、明らかな苛立ちを見せた。オレの手から作業表を奪い取ると、高速でそれを見直していく。
机にそれを乱暴にそろえると、仕事遅いわねー! と嫌みったらしい溜め息をついた。
オレに反撃の機会を与える間もなく、渡辺は素早く席を立ち上がると、窓のカギをチェックしながら、オレにもう今日は帰っていいから、明日また来て頂戴と、そっけなく命令して来た。
オレは、渡辺のその高慢ちきな物言いや、横柄な態度に、今日、何度目かの腹立たしさを覚えたが、ここで言い返せば、さらに奈落に落ちることは分かっていたので、ぐっと堪えて、足早に図書室を後にした。
今日は厄日なのだ、なにをやってもダメなのだ……と自分に言い聞かせて。
***
オレは教室からカバンを取ってきて、とっとと帰ろうと、焦って廊下を走っていた。 が、後もう少しというところで、昇降口にて佐々木に捕まった。
理科室のゴミが捨ててなかったぞー、おまえ、今日、理科室の掃除当番だったろうー! と、こう来やがった。
それは、てめーがオレを、職員室に呼びつけたせいだ! という主張はやっぱり通らず、あいつらゴミ捨てぐらいやっとけよと、心の中で猥談仲間たちを呪った。
***
それから焼却炉に向かったせいで、近場の体育館の戸締りにつき合わされ、再び昇降口に辿り着いた時は、六時を回っていた。
今の時期はまだこの時間でも、なんとか外がまだ明るいことが、唯一の救いだと思っていた。……が。
ひぐらしの鳴き声が、響き渡る校庭……
オレのほんの数十メートル先を、あの渡辺が歩いていたのだ。
暗ければ、気が付かなかったかもしれない。
途端にまだ闇色に染まらない、中途半端な空が恨めしく思えて来る。
ムラムラと、渡辺の横柄な態度が頭に蘇った。
今や“渡辺”は、オレの中で負の記号になりつつある。
渡辺に追いついたりするのが嫌だったので、しばらくオレは、昇降口でカバンを抱えてじっとしてた。
渡辺は、どんどん遠のいていく。
オレはこのとき、妙な違和感を覚えた。
その正体の答えが出る前に、渡辺は視界から消えていた。
つづく