「ねえ、知ってる?」

「……あのウワサこと?」

「そうそう」

「学校内のどこかにある……」

「不思議な本……」

「選ばれた者にしか、見つけられない……」

「信じる者にしか、開けない……」

「『恋』の願いが叶う、不思議な本――」

「それが、ある場所はね? 『アナタノの場所』――」

「……そして、試される……」

「なにをおいても、『その人』を愛しているのか――」

***
 
 あの涙を見たときから、彼女はいつも、私の世界の中心にいた――

 決してそれは変わることのない、真実。

 これから先も、ずっと、ずっと――

 ――そう思っていた。

***

 私は再び、その重たい扉を開いた。

 ――再び?

 身に覚えがないのに、心の奥でもう一人の私がこう叫んでいる――

 幸せだった。幸せになれたと思った。

 ――救われたと思ってた。

 なのに――

 目の前に荘厳な雰囲気の、大きく不思議な広間が広がっていた。まるでヴェルサイユ宮殿の内部のようだ。

 天井は奥まで大変高く、星空を思わせる美しい天井画が描かれている。天井の梁は黄金色に装飾されていて、まばゆいばかりのクリスタル製と思われる、星を集めたようなシャンデリアがぶら下がっていた。

 壁面にはアーチ状の額に囲われた、荘厳な絵画が飾られている。

 その絵画には、美しく花々や、ヒツジや双子の子供、ライオンや一角獣やタマゴのお化け、そして白い騎士と赤い騎士、黄色いチョッキを着たカエルのなどが、描かれていた。まるで絵本でも見ているようだ。

 中でも私の目を引いたのは、中央の奥に飾られていた「黒と白の二匹の猫の絵」だ。

 この絵……知ってる。
 
 たしか……文芸部の部室に飾ってあったのと同じものだ。

 どうして同じ絵が、ここに?

 私がそう思案していると、急に頭が重たくなった。
 
 その重さに耐えられず、私の首はグニャっと曲がる。
 
 王冠は黒い猫に変化し、私から飛び降りた。

 そして私の頭にあった王冠が、猫の姿になり、私にこう問いかけてくる。

「さあ、本を『開く』? 『開かない』?」

 ……。

 ……開く。

 ……開くわ。

 何度この場面をやり直したって、私はそう答える。そういう人間だったはずだ。

 ……なのに。

 次の言葉が続かない。

 どうして私は、ここに“戻って”きてしまったんだろう? 本を“開く”ことが私の幸せ――

 ――戻って、来た?
 
 
 ……これ以外の方法では、自分が救われることはないと分かっているのに、私はもうどうしても、本を開けなかった。
 

「……ワ……」
「……ナ……」
「……ワタ……」
「……ワタナベ!」
 
 頭の中で今度はもっとハッキリと、私を呼ぶ声が聞こえた。

 ――あの声だ。

 私は声の主を確認しようと、辺りを見渡した。

 ――どこにいるの?

 私が視線をずらす度に、広間は濃い霧で覆われていき、次第に辺りは真っ白になって行った。

***
 
「ワタナベ! 渡辺! 渡辺、しっかりしろ!」
「……!?」
 
 ……。

 そこには、相葉君の顔があった。

 どうやってここに?

 いや……。
 ここは……
 “あの世界”ではない。

 私はゆっくり周りを見渡した。
 よく見知った場所……学校の図書室だ。

「ほっ……良かった。死んじゃってるのかと、思ったぞ!」

 死……?
 
 背中にザラザラした感触が広がっている。
 図書室の床の絨毯だ。
 私なんで、こんなところで横たわってるの?
 
 さっきまで……たしか……
 
 手にうっすら固い感触を感じたかと思うと、その瞬間、頭の中に声が流れ込んできた。

『貸し出し期間は二週間。願いが叶えられるのは、“()()()()()()()”だ……』

 あの……猫の声だった。
 私の手には、あの赤い本が収まっていた。


つづく