その日からオレは「渡辺明日奈」になり、渡辺明日奈は「相葉悠一」になった。

 なにをバカなことをと、思われるかもしれないが、当のオレだって信じられない。
 
 渡辺は妊娠をカミングアウトし、周りは大騒ぎになった。
 
 やった理由として渡辺は、オレの本心を代弁するかのように「ただ、したかったから」とあっけらかんと答えた。
 
 当然、相葉悠一になった渡辺に非難は集中し、渡辺明日奈になったオレは、哀れみの対象だった。

 この問題はしばらく周囲を騒がせ、学校にいられなくなった渡辺は、オレの親ともども、遠くに引っ越して行った。
 
 渡辺になったオレはというと、当然お腹の子供は堕ろすことになった。

 渡辺の体はすでに妊娠十九週目に入っており、中絶手術を受けられるのは、妊娠二十二週未満らしいので相当やばかった。

 だけど初期妊娠の中絶手術とは別の方法で、母体にはかなり負担がかかるとかなんとか、病院の先生にだいぶ脅された。

 挙句、渡辺の母親は妊娠が分かったときから、泣き通しで、どうしてこんなことにと、その取り乱しっぷりは、とても見ていられなかった。

 それがオレのせいだと思うと、なんともやりきれない気持ちになったが、病院に入院してからは、することなすことすべてが初体験、死にたくなるようなことばかりで、それどころではなくなった。

 こんなことを当たり前にやってのける、世の中の女どもは、本当にすごいと思った。

 でも、オレがなんとか自殺しないですんだのは、女が平気でやっていることを、男のオレができないなんてこと認めたくなかったし、渡辺や渡辺の両親に対する罪悪感から、死ぬことが出来なかった。

 もしここでオレが死んだら、渡辺の体も死ぬことになり、オレは人を殺したも同然だ。

 渡辺本人の代わりに、あの屈辱的な手術を受けたことは、オレなりのせめてもの償いだった。
 
***
 
 あのときの中絶手術がきっかけで、渡辺の体は、妊娠出来なくなってしまった。

 元男のオレにしてみれば、どうでもいいことだったが、渡辺の母親はそれを知ると、ますますおかしくなり、その後、妖しげな宗教に入団し、仏間に置いた何百万もする金ピカな像を毎日拝んでいる。

 悪いことは重なるもので、渡辺の父親がリストラされ、それに伴いオレは高校を中退したが、今ではそんなオレも夜の街ではそれなりに稼いでいる。

 女はすごい。サラリーマンなんかじゃ稼げないような金を、一夜で稼いでしまう。

 元男のオレには、男の気持ちがよく分かる。そのせいなのか、オレは男受けが良かった。

 始めは、男を相手にすることに抵抗があったが、男と言っても体は女だからか、次第に体の関係には慣れていった。ただ、男を好きになることはなかった。

 
 昔も今も、不思議に思うことがある。

 渡辺はどうして「願い叶えの本」にあんな願いを願ったのだろうか?

 もっと別な、効率的で、平和的な別の道が開ける願いが、あったんじゃないだろうか?

 まだ学校にいたとき、オレの代わりに非難され続けた、渡辺の姿が目に浮かぶ。
 
 そんな生活を送っていたころ、その答えはやってきた。
 
***
 
 届いたのは、相葉悠一になった渡辺明日奈からの一通の手紙。中には手紙と一枚の写真が入っていた。

『相葉悠一様
 お元気ですか? 久しぶりですね。私が転校してもう随分経ちますが、私も貴方のご両親も元気です。始めのころはだいぶ戸惑いましたが、うまくやっています。それからこのあいだ、結婚しました。幸せです。もう二度と会うこともないでしょうが、貴方もどうかお元気で。さようなら。         渡辺明日奈』
 
 ……。

 ……。
 
 結婚……?


 オレは同封されていた写真を見て、愕然とした。
 
 
 その写真には、相葉悠一になった渡辺の横に、城内百花が写っていた。

 一体どういうことだ? オレは混乱する頭の中を、必死で整理しようとした。

 色々な疑問が浮かんだが、その前にもっと考えることがある。
 
 写真に写る、オレになった渡辺の微笑みを見て、オレは突然理解した。


 こんなに……こんなに恐ろしく、そして満ち足りた笑顔は、見たことがない。

 
 ――彼女は復讐したのだ。

 オレや、城内や、城内の彼氏や、大人や、男や、女や、モラル……自分を取り巻くすべてのものに。

 復讐を成し遂げた彼女は、本当に幸せそうだった。
 人間が本当に幸せを感じられるのは、自分のすべての欲望を、世界に認めさせたときに違いない。

 
 ――彼女は勝ったのだ。

 その微笑みを携えた瞳は、すべてを見下す、神の眼差しだった。

 
つづく