「ねえ、知ってる?」

「……あのウワサこと?」

「そうそう」

「学校内のどこかにある……」

「不思議な本……」

「選ばれた者にしか、見つけられない……」

「信じる者にしか、開けない……」

「『恋』の願いが叶う、不思議な本――」

***

【九月四日(木曜日)】
 
「あれ?」

 オレは突然、不思議な感覚に襲われた。

 いつもあるところに、あるものがない……。

 その日の放課後、図書室に行ったが渡辺明日奈の姿はなかった。
 しばらく待ってみたが、渡辺は現れなかった。
 学校には来ていたのに、どうしたのか?

 ……。

 いや。今日は図書室に、渡辺は現れない気がする。

 ……そんなことを思う自分が、もう一人自分の中にいるようで、オレはふるふると頭を振った。

 ……なんだそれ?
 九月の残暑で、頭がやられたか?
 
 オレは、カウンター係の図書委員に渡辺の所在を聞いてみたが、彼女の居場所は分からない。
 棚整理についても、渡辺が担当責任者なので、渡辺がいないと手が付けられないというのだ。

 ずさんなシステム……。
 まあ、あの佐々木が顧問の委員会だ。
 いい加減なところも頷ける。

 ……。

 なんだか前にも、こんなことがあったような気がする。

 ――既視感……デジャヴってやつ?
 
***
 
 一旦オレは教室に戻り、一番後ろの渡辺の席を確認した。渡辺のカバンはまだ机に掛けてあった。
 
***
 
 オレは少し心配になって、保健室に行ってみたが渡辺はいなかった。

 ……。

 冗談じゃない。
 今日来ないのなら、昨日のうちに言っといてくれりゃいいのに。

 それとも……急用だろうか?
 オレは腹が立っているのに、同時に透けるような寂しさを感じた。

 ……寂しさ?
 なんで寂しさなんか、感じるんだろう?
  
***
 
 もう一度、図書室に戻っていなかったら帰ろう。

 ……。

 “もう一度”?

 なにやってるんだろう、オレ。
 
 手伝いなんかしないでいいなら、しないに越したことないのに。

 ……笑える。

 なのに足は、自然に図書室に向かうのだ。
 
***

 たまたま昇降口を通り過ぎたとき、オレは見知った姿を見掛けた。
 
 あ……あの胸は……

 ――城内百花。

 城内は焦りながら、上履きからテニスシューズに履き替えている。
 スコートからは、日に焼けた柔らそうな脚が伸びていた。
 
 城内……、城内ならもしかして、知ってるかもしれない。
 
「城内」
「え? ……えーと、相葉クン? なあに?」
 
 城内はきょとんと、オレを見上げて来た。城内は女子の中でも、大分背が低い方だ。

「……あのさ、渡辺知らない?」
「え? 明日奈ちゃん? 知ってるよ。当たり前じゃない」
「どこにいるのかな?」
「……今?」
「そう」
「う~ん。それは分からない」
「え、でも今、知ってるって」
「明日奈ちゃんのことは、知ってるよ!」
「……」
 
 会話が噛み合ってない……。
 
 そうだ……城内ってこういうやつだった。
 ボケボケっとしてるっていうか、見た目通りというか。

 渡辺と全然タイプ違うよな。なんで仲が良いんだろう? いや、案外タイプの違う同士の方が、女子の友情は芽生えるのかもしれない。分からん世界だ。
 
「知らないならいいや。引きとめてゴメン」
「明日奈ちゃんに、何か用?」

 城内は不信そうに、短めの眉を潜めた。
 顔が丸いせいか、まったく怖くない。
 むしろ愛嬌がある。オレは思わず噴出しそうになった。
 
「相葉クンって、明日奈ちゃんと仲良かったの?」
「いや、別に仲良くないよ。ただ、オレ今さ、遅刻の罰当番やらされてて、渡辺から指示してもらわないと、当番クリア出来ないんだよ」
「へ~。遅刻の罰かあ。相葉クンってそんなに遅刻してたっけ? 先生もヒドイよね~。大変だね~」


 ……。

『じゃ、いいじゃない。だいたい遅刻するのが悪いのよ。一学期中で遅刻しないで来た日って……入学式のときくらいじゃない? あれもギリギリだったし……』

 オレは突然、彼女に言われた言葉を思い出した。

 ……なんで今、あのときのことを思い出すんだろう?

「相葉クン?」
「……あ、えっと……そう。ホントひどいだろ。遅刻ぐらいでさ……」
「でも、明日奈ちゃんはもっと大変じゃない? そんな相葉クンの罰に、付き合ってあげてるわけでしょ?」

 ……。

「……渡辺の仕事、手伝ってやってるのはオレの方だし」
「本当かな? 明日奈ちゃんの足、引っ張ってるんじゃないの?」

 そう指摘されて、オレの心はざわめいた。そんなことない……はず。少しくらいは、渡辺の役に立っていると思いたかった。

「……そんなこと……ねーよ」
「ホント~? あんまり信用出来ないけど、明日奈ちゃんが、それで助かるならいいや! 相葉クン、頑張ってね!」

 城内はポヨンポヨンと、あまり緊張感もなく、急がなくっちゃ~と、昇降口をくぐり、校庭の方に駆けて行った。

 
 頑張れ……という言葉は嫌いだ。

 でもそれは、発する相手によるのかもしれない。そう思った。

 そう気付けて、ほんの一週間前のオレだったら、城内のエールが純粋に嬉しかっただろう。

 だけど……

 心に引っ掛かったなにかが、純粋に喜ぶことを妨げている。

 ……なぜだか、渡辺の顔が頭に浮かんでいた。


つづく