作品制作に入ってから、あっという間に催花の嫁入り当日がやって来た。

「なんか、緊張してきた。」

 催花の住んでいる屋敷に到着した茜は、風呂敷に包んだ荷物を胸に抱いて不安げに呟く。そんな茜の様子に、斎は「なんでだよ。」と少し呆れたような表情をする。

 婚礼行事という事もあって、今日に限っては斎はいつもの紺色の着流しでは無く、質感の良い漆黒の着流しを着ていた。つい数日前までは、作品制作に必死で身だしなみに気を遣うことも無かったけれど、今の斎は全身を小綺麗に整えておりその美形な容姿に拍車が掛かっている。

 茜も幽世に来た時に着ていた制服を着ているが、あの強烈な鬼のお面はいつもと変わらずに着けている。人間とバレないようにする為には、仕方が無い事だと分かってるが、こんな婚礼行事の場所でも恐ろしい鬼の面を着けているのはちょっと恥ずかしい。

 催花の住んでいる屋敷前には、婚礼の話を聞いた妖たちが一目花嫁を見ようと集まって来ていた。幽世の嫁入りがどんなものか茜はあまり良く分からないが、催花の住んでいる屋敷から婚家である玄天の屋敷まで花嫁行列となって歩くらしい。

 青かった空はだいぶ日が落ちて、茜色に染まっている。翠いわく、狐の嫁入りには必ず雨が降ると言うが、今の所は雨が降りそうな空模様ではなかった。

「斎殿、茜様!来てくれたのですね!」

「翠さん!」

 黒い袴を着た翠が屋敷の中から、フサフサとした尻尾を揺らして駆け寄って来る。

「斎殿、茜様。本当に素晴らしい絵を描いてくださり、ありがとうございます。」

「仕事の出来を見届けんのは当たり前だろ。な?」

 そう聞いてきた斎に、茜も強く頷いた。

「勿論!それに私達も、催花さんと玄天さんの結婚をお祝いしたくて!」

「ありがとうございます!もう暫くしたら姉上も来ますので、屋敷に上がってください。」

 翠に案内されて、斎と茜は催花の住む屋敷に足を踏み入れる。翠の話によると、催花は花嫁衣装の着付けに時間が掛かっているらしい。なんだか慣れない状況に緊張しながらも、案内された座敷で暫くの間待っていれば、不意にスッと静かに襖が開けられた。

「本日は御足労頂き、ありがとうございます。」

 開けられた襖の向こうには、綿帽子を被り白無垢姿で三つ指を突く催花が居た。伏せられた長い睫毛が影を落とし、ゆっくりと顔を上げた催花の薄い桃色の瞳としっかりと目が合う。

「綺麗」

 そう無意識に口から零れてしまう程に、白無垢を着た催花は美しかった。光沢感のある花模様の刺繍がされた豪華な白無垢は、白い毛並みを持つ催花に良く似合っている。まるで真っ白な花が咲いているように、清らかで神秘的な姿だ。

 思わず見惚れてしまっていれば、赤い紅をさした催花の唇がにっこりと微笑む。

「斎殿、茜様。素敵な和傘を本当に感謝します。」

 そう言うと、催花は再び茜と斎に深く頭を下げる。そんな催花に対して、斎は瞳を細めて「あぁ、翠からの依頼だからな。」と穏やかな口調で応えた。

 茜は座敷に翠と催花しか居ないことを確認してから、着けていた鬼の面を丁寧に外して催花に告げる。

「催花さん、ご結婚おめでとうございます。」

「茜様、ありがとうございます。」

 優しげに微笑む催花に釣られて、茜も自然と笑顔になった。茜は大事に持ってきていた風呂敷包んだそれを、催花に差し出す。

「これ、私からのお祝いです。受け取ってください!」

 茜が差し出したものを、不思議そうに受け取った催花は律儀に「中を見ても良いですか?」と茜に聞いてきた。

「はい、どうぞ!」

 茜の元気の良い声に、催花は白く細い指先で丁寧に風呂敷を開けていく。

「これって…!」

 風呂敷の中から出てきたのは、額に入れられた一枚の絵だった。絵の中には、仲睦まじい様子で寄り添う玄天と催花が居る。

「あの時に似顔絵を描けなかったので、この機会にぜひ私が描きたいなって思いまして…」

 似顔絵の屋台を出してから、すぐに目標であった十両が集まったため、あれから結局二人の似顔絵は描けずにいた。それに二人の結婚の準備も忙しいらしく、なかなか会うことも難しかった。

「現世ではウェルカムボードと言って、結婚式場に来てくれた方のために看板を飾ったりするんです。可愛い絵とか文章とか、二人の似顔絵を描いたウェルカムボードもよくあるんですよ。」

 あの時、茜がスマートフォンで二人の写真を撮ったのは、以前親戚の結婚式に参加した時に似顔絵が描かれたウェルカムボードを見たことを思い出したからだ。似顔絵を描いて、茜なりにこの二人の結婚を祝福したいと思った。

 斎が和傘に絵を描いている間に、茜も密かに二人の似顔絵を制作していたのだ。斎のように絵が動くわけでも無いけれど、水彩色鉛筆を使って丁寧に描き上げた二人の似顔絵。それは今の茜の持っているもの全てを、この絵に込めたと胸を張れる自信作だ。

 絵の中の二人は、緩く瞳を細めて笑い合っている。スマートフォンで写真を撮った時のような二人の溢れ出る幸福感を、絵の中でちゃんと表現しようと意識して描いた。耳や尻尾のフサフサとした質感も、水彩色鉛筆で一本一本の毛並みを描き忠実に再現出来ている。水彩色鉛筆で描かれた優しいタッチの絵は、玄天と催花が持つ穏やかな雰囲気にピッタリだった。

「凄い…!本当に嬉しいです!茜様、ありがとうございます!この絵、大切にさせて頂きます。」

「はい!催花さん、どうか玄天さんと末永くお幸せに。」

 茜の言葉に、催花の薄い桃色の瞳が少しだけ揺れる。それをぎゅっと耐えるように目を閉じてから、心の底から嬉しそうに微笑む催花の姿に茜は何処か報われたような気がした。突然やって来てしまった幽世で斎の元で絵を描いて、今まで感じた事の無い気持ちをたくさん味わっている。

「じゃあ、俺たちは外で晴れ姿を待ってるぜ。」

 斎の一言に茜も頷き、立ち上がる。襖を開けて、座敷を出て行く斎に茜も続いた。襖を閉めようと振り返った視線の先では、翠と催花が泣き笑いのような笑顔で見つめ合っていた。








 斎と茜が座敷から出て行く姿を横目に、催花は翠に向き合った。

「翠、ありがとうね。こんなに素敵な結婚を迎えられて、私は本当に幸せよ。」

「姉上っ…、」

 催花の言葉に翠はグッと眉間に皺を作り、瞳が揺れてしまうのを何とか耐える。深い新緑のような翠の瞳は光を含んで、催花には一層眩しく見えた。

「また、いつでも会いに来るわよ。」

 化粧を施し紅く色付いた唇は、優しく声を零す。翠とよく似た顔立ちで、薄い桃色の瞳を弧を描くように細めた催花の表情は、昔から変わらなくて翠はなんだか切ない気持ちになった。

 両親が亡くなってから、ずっと二人きりで生きてきた唯一無二の存在だ。世界の誰よりも幸せになって欲しい。だからこそ、斎に無理を言ってまで傘の絵を頼んだのだ。斎の描く絵は姉の晴れ舞台に、一番相応しいものだと翠には分かっていた。

「いつでも、姉上をお待ちしています。どうかお幸せに。」

 翠はこれまでの感謝を込めて、深く深く頭を下げる。これから、また新たな一歩を踏み出す催花の行く末が、どうか幸せなものでありますようにと強く願った。









 屋敷の前には、もう何人もの妖たちが集まっていた。皆、花嫁が出て来るのを今か今かと待っているのだ。催花は此処から大通りを通って、玄天の屋敷まで行くらしい。玄天の屋敷には旦那様も居るようで、斎の絵が描かれた和傘を持った催花を見たら、きっと物凄く喜ばれるだろうと翠が言っていた。

 暫くすると黒い袴を来た何人かの狐の妖たちが、屋敷の門から出て来た。狐の妖たちは列になってゆっくりと足を進める。

 その列の中心で、まるで蕾が花を咲かせるように一本の和傘が丁寧に開かれた。それは斎が絵を描いた和傘だと、茜は一目見ただけで分かった。その開かれた和傘の下に、白無垢姿の催花が居る。

 彩雨紙の質感を生かした綺麗な白に、映える色とりどりの淡い花々。苦労して手に入れた水彩絵の具を使って、描き上げた花たちは和傘の中で儚げに美しく咲き誇っていた。

 薄紅色を滲ませた桜の花が優美に咲き、背景に滲ませた色で浮かび上がった白く細やかな雪柳、薄い花弁を豪華に重ねた大輪の牡丹。春を思わせる花々が、綺麗に花を咲かせている。

 透明感のある淡く上品な色合いは、まるで花嫁の白無垢を引き立たせているようだった。催花の持つ清らかな美しさを消さないように、繊細に描かれた斎の芸術は見事に花を咲かす。

 和傘の下を奥ゆかしく歩く白無垢の花嫁の姿に、周囲に居た妖たちからも感嘆の声が聞こえて来る。それは、ずっと見ていたい程に美しい光景だった。

「こりゃ、たまげたな。」

 不意に隣から聞こえて来た声に顔を上げれば、ギョロリとした三つの目と目が合った。

「唐々さん!」

 どうやら、和傘を作った傘職人の唐々も、催花の花嫁行列を見に来ていたようだ。茜の反応に唐々は三つ目を細めて、軽く手を上げて挨拶をしてくれた。

「よっ!」

 モジャモジャに生やした髭の下で、大きな口がにっこりと口角を上げる。彫刻のように深い皺の寄った顔に、三つの目。最初に会った時は恐ろしく感じたその風貌も、今では優しげに笑っている表情にしか見えない。唐々は太い筋肉質な腕を組み、和傘を見ながら満足げに頷いた。

「半妖の絵師殿の絵で、俺の傘が生き生きしてるぜ。」 

 そう言った唐々の視線の先、美しい和傘の下で催花は穏やかに微笑みながら歩いていく。斎もその光景を、優しい眼差しで見ながら言った。

「唐々の和傘が良いものだったから、あの絵が描けたんだ。礼を言う。」

 その斎の言葉を聞いて、唐々はゴツゴツとした手の斎に向かって差し出す。

「お互いに良い仕事をしたな。アンタに絵を描いてもらって良かったぜ。半妖の絵師殿!」

 そんな唐々に斎は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに瞳を柔らげて唐々の差し出した手をギュッと握った。

「あぁ、俺の方こそ!」

 翠から依頼の話を聞いた時は、誰かと関わることを強く拒絶していた斎。そんな斎が、こんな風に自然な笑顔で握手を交わすようになるなんて、あの頃は思いもしなかった。唐々と対面した時でさえ、何処か素っ気ないような対応をしていたのに。

 目の前の光景に少し感動を受けていれば、今度は背後から「あっ!居た居た!半妖の絵師!」と聞き覚えのある声が聞こえて来た。

「画材店の…!」

 その声に振り返れば、以前水彩絵の具を買いに出向いた画材店の三毛猫と爺さん猫が居た。三毛猫と爺さん猫は、斎を見つけると興奮したように詰め寄って来る。

「あの和傘の絵!やっぱり、半妖の絵師の絵だろ?あんな発色の絵はアンタしか描けないと思ってさ!」

 そう言う三毛猫は興奮をそのままに、斎の肩をペシペシと叩きながら言う。そんな三毛猫に続くように、「全く良い絵じゃないか!つい見惚れちまったぜ!」と爺さん猫も長い眉に隠れた瞳を輝かせて言った。

「あの絵の具のお陰で、完成した絵なんだ。買い取らせてくれた事に感謝する。」

 斎が穏やかな表情でそう告げると、三毛猫と爺さん猫はお互いに顔を見合わてクスクスと笑った。

「やっぱり、良い画材ってのは良い描き手に渡るべきだな!」

 ホホホッと呑気に笑う爺さん猫を、三毛猫は「最初は十五両も請求したクセに。」と少し呆れたような表情で見ていた。

 こうやって斎の絵を通して繋がっていく妖たちに、茜はまた深く刺激を受ける。今日、茜の描いた似顔絵は催花と玄天に繋がった。絵を描く時いつも一人だった茜は、絵を描くことで誰かと繋がる事もあるのだと幽世に来てから知った。そして、その事がとても嬉しくて幸せな事なんだと気付いたのだ。

 斎と妖たちを見ながらそんな事を考えていれば、ポツリと茜の頬に雫が落ちた。ポツリ、ポツリと空からいくつかの雫が落ちてきて、次第にそれは幾千もの糸のようになって地上に振り注ぐ。

 突然降ってきた雨に思わず空を見上げれば、夕暮れの空は綺麗な茜色に染まっていて、雨雲は一つも見当たらない。何処から吹かれて来たのか、天気雨は夕日の光を含んでキラキラと宝石のように落ちてきた。

 狐の嫁入りは雨が降る。翠が言っていたことは、この雨の事だろう。雨の中でも、和傘をさして花嫁行列は続いている。見物人の妖たちはそれぞれ持って来ていた和傘をさしたり、建物の軒下に駆け込んだりしながらも歩いていく花嫁を見続けていた。

「お前も、早く入れよ。」

「え!?」

 持ってきていた和傘を素早く開いた斎は、茜に「ん!」と和傘を突き出して中入るように促した。大きめの和傘は二人で入っても余裕がありそうだが、それはつまり相合傘というやつになってしまうのではないか。

 目をパチパチと瞬きしながら、突然の事に茜は戸惑う。学校生活でも、カップルが相合傘をして仲睦まじく帰っているのを見たことがある。しかし、まさか自分がそんな状況に遭遇するとは思ってもいなかった。

 なんというか、気恥ずかしく感じて情けなく戸惑っていれば、痺れを切らした斎が「濡れるから早くしろ!」と茜を無理矢理に傘の中に入れた。確かに暫く雨の中で突っ立ていたため、少し濡れてしまった制服が冷たい。

 お互いの肩が触れ合ってしまう程に、斎との距離が近くてなんだか緊張する。茜は無意識に頬が熱を持つのを感じた。和傘を持つ斎の手は、青黒く鱗が貼り付いたような異形の形をしている。この右手が、たくさんの作品を生み出して来たのだと思うととても愛おしく感じた。

「…お前が、居てくれて良かった。」

 和傘に当たって軽く弾けた雨音が、心地良く響く空間で斎がポツリと呟いた。

「え?」

 雨音に紛れて聞こえた声に、茜は思わず花嫁行列を眺める斎の横顔を見上げる。

「この依頼が成功出来たのも、あの絵を描くことが出来たのもお前のお陰だ。だから、ありがとな。」

 斎の穏やかな声は和傘を叩く雨のように、茜の心を優しく叩く。不意に向けられた斎の真っ直ぐな眼差しに、茜は一瞬呼吸を忘れた。 澄み渡った夜空のような瞳は美しくて、その瞳に映る自分の姿になんとも言えない気持ちになる。周囲の騒がしい声も聞こえないくらいに、トクリ、トクリと心臓を鳴らす音だけが五月蝿く聞こえた。

「わ、私も!斎に出会えて良かったって思ってるよ!」

 無意識に飛び出た声は、情けなく裏返った。じわじわと湧き上がる恥ずかしさに顔を赤く染めるも、斎は茜の言葉にクシャリと瞳を細めて「そうかよ。」と笑う。幽世に来たばかりの時には見られなかったその自然な表情に、斎との距離があの頃よりも近付いている気がして嬉しい。

 夕焼けに照らされて輝く雨のせいか、茜の見ている世界はいつもよりも綺麗に見えた。気恥ずかしくて和傘の外へ飛び出してしまいたいような、ずっとこのまま斎と二人で居たいようなちぐはぐな感情の中で催花の花嫁行列を眺める。少しずつ遠くなっていく白無垢姿の催花を見送ていれば、不意に雨にうたれた和傘が不自然に揺れたような気がした。

 和傘は次々に雫を受けて、波紋が広がる水面よう揺れる。淡い光が和傘から零れ始めたその光景に、茜は思わず目を見開いた。

「斎!あれって…!」

「あぁ…!」

 隣に居た斎を勢い良く確認すれば、斎も信じられないとでも言うように澄み渡った瞳を見開いていた。その視線の先、雨を打たれた花々の絵が、和傘の中からゆっくりと飛び出して花を咲かせ始めたのだ。

 確か、斎の話によると果物や鳥などの小さなものは、絵の中から飛び出したことはあっても、植物はまだ絵の中から飛び出たことは無いらしい。和傘にしとしとと降りゆく雨は、斎が描いた花々に早く咲けと開花を促すように触れていく。それは春先に、花々をせきたてるように降る催花雨のようで。

 雨に促されてか、花々は次から次へと和傘から飛び出して花を揺らす。降りゆく雨に、溶けるように滲む花々のコントラストが美しい。その神秘的な様子に、見物人の妖たちからは歓声の声が上がった。

「まぁ!なんて美しいの!」

「素敵な花嫁ね!綺麗だわ!」

 彼方此方から上がるうっとりとした妖たちの声に、斎と茜は思わず顔を見合わせた。白無垢姿の催花に、憧れの視線が四方八方から向けられている。予想していなかった演出に、斎と茜は笑い合った。翠から受けた依頼は、大成功だとお互いに胸を張って言えるだろう。

 和傘の上で咲く花々は雨にうたれて、時折その淡い花弁を散らしていく。その様子は和傘と言うよりも、まるで花傘のようだった。輝く雨粒を花弁に宿して一層華やかになった傘の下で、催花は幸せそうに微笑んだ。その姿は少し離れていても分かるくらいに、眩しくて美しい光景だった。