ヴァイグブルグ伯爵家が抱える借金を返済し、財を築いたリオルの意見を、父は無視できないというわけである。
 そんなわけで、私は晴れて魔法学校に通えることとなった。

 ただ、男装がバレたら一大事である。当時の私は十七歳となり、少年と誤魔化すのはいささか無理があった。
 体には凹凸があり、声変わりもしない。魔法学校の制服をただ着ただけでは、女にしか見えないのだ。
 どうしようかと悩む私に、リオルがある魔法薬のレシピを教えてくれた。
 それは、声変わりの飴玉。
 材料は〝カエルの声帯〟に、〝魔石砂糖〟のふたつ。どちらも魔法学校の売店で販売している、手に入りやすい材料だ。
 この声変わりの飴玉を舐めると、八時間ほど声が男性のものに変化するらしい。
 リオルの指導で、私は声変わりの飴玉の作り方を習得する。
 男装については、魔法での解決は今の私では難しいと言われてしまった。
 なんでも姿形を偽る魔法は、高い技術とたくさんの魔力を必要とするらしい。国家魔法師である父ですら、できないようだ。

「姉上は上背があるから、体の補正で男に見えるかもしれないよ」
「たしかに」

 私の身長はリオルよりも高く、五フィート八インチ(百七十センチ)あった。
 社交界デビューのときは、背が高すぎるなんて陰口を叩かれていたけれど、男装時はそれが役に立つ。

 ただ、胸に布を巻いてみたものの、苦しくて勉強どころではない。
 続けていたら慣れるかと思ったが、そんなことはなかった。
 無理した結果、倒れてしまう。医者から胸に布を巻く行為は禁じられてしまった。
 どうすればいいものか……。
 思い詰めている様子だった私を、事情を知るふたつ年上の従姉、ルミが連れ出してくれた。

「魔法学校に通うようになったら、外出もままならないのでしょう? リオニーさん、今日はお出かけしましょう」
「え、ええ」

 ルミと共に向かった先は、貴族令嬢の間で流行っている、女性のみが所属する劇団の舞台。
 そこでは男性にしか見えない劇団員が、活き活きと演技していた。苦しそうな様子は一切なかったのだ。
 これだ! と思い、後日、女性だけの劇団員を招き、男装時の服の着こなしを習った。
 彼女らは独自で開発した補整下着を使っていて、それを譲ってくれた。
 引き換えに、私は声変わりの飴玉を提供したわけである。
 ちなみに使い方は私とは真逆だ。男性の声に近づくようにお酒を飲んだり、煙草を吸ったりして女性の高い声がでにくい人たちが、たまには可愛らしく歌いたいという、なんとも乙女チックな使い方だったのだ。

 そんなわけで、入学前に男装を習得した。ルミも大絶賛の、完璧な男装が完成したのである。
 頑張ったのはそれだけではない。
 入学前に行われる試験も重要であった。
 なんと、上位三名には個室が与えられるのである。
 男装する以上、絶対に個室がほしい。見知らぬ男子生徒との同室なんてごめんだ。
 そう思い、必死になって勉強したのである。
 寝る間を惜しみ、時にはリオルに指導を頼みつつ、私は試験に挑んだ。
 結果――私は首席だったのだ。
 父も試験結果には大変満足したようで、これから先も首位をキープするようにと言っていた。
 入学式の日、紅葉の並木道を歩く私を、誰も見咎めたりはしなかった。私を女だと、認識していなかったのだ。
 私は意気揚々と全生徒の前に立ち、新入生の代表挨拶を読み切る。
 そんな私に、親の敵を見るような猛烈な視線を向ける者がいたのだ。 

 艶のある黒髪に、生意気そうな色合いが滲む青の瞳を持つ男子生徒――アドルフ・フォン・ロンリンギアである。
 まさか私が女だとばれたのではないのか、と不安になったが、それは杞憂だった。
 隣に座っていた男子生徒が、こっそり教えてくれた。
 なんでも彼は首席を取るつもりで試験に挑んだようだが、まさかの次席だったのだ。
 それが悔しくて睨んでいたのだろう。
 入学式が終わったあと、彼は取り巻きを大勢引き連れながら物申しにやってくる。

「おい、お前!」
「何?」

 いつも弟がしているみたいに、気だるげな感じで言葉を返す。
 その態度がよくなかったのか、彼の瞳は一気につり上がった。

「首席になったからといって、調子に乗るんじゃないぞ」
「は?」
「そのうち、足を掬ってやるからな」

 堂々たる態度で宣言し、アドルフは取り巻きを引き連れて去っていく。
 これが彼との出会いだが、このときの私は負け犬の遠吠えとしか思っていなかった。

 ◇◇◇

 婚約者として私の前に現れたアドルフは、ごくごく普通の紳士だった。
 もしかしたら取り巻きと一緒に現れて、|嫁ぎ(いき)遅れがいると笑いにくると思っていたのに。
 本当に私と結婚するつもりのようだ。それも、愛する女性と共に生きるためなのだろうが。
 自分ひとりでは抱えきれないので、ルミを呼んで話を聞いてもらう。
 さすがのルミも、驚いている様子だった。

「愛人のために結婚って、ロンリンギア公爵家のご子息はそんな酷いことをなさるお方なの?」

 私は深々と頷く。そして、これまで誰にも言っていなかったアドルフとの因縁について語り始めた。
 それは、魔法学校の入学式にまで遡る。  
 
 ◇◇◇

 アダマント魔法学校はひと学年九十名しか入学できない狭き門である。
 寮は家柄によって分けられており、同じような生活基準の者達が集まって暮らしている。
 貴族や地主を親に持つ、アッパークラス出身の者たちが集められるのは〝アロガンツ寮〟。
 聖職者や法律家、軍の士官、商人などを親に持つ、アッパーミドルクラス出身の者たちが集められるのは〝ギーア寮〟。
 労働者階級の者たちを親に持つ、ロウワーミドルクラス出身の者たちが集められた〝トレークハイト寮〟。
 以上、みっつに別れているのだ。
 なんでも以前までは全部で七つの寮があったようだが、魔法使いの人口減少と共に減っていったらしい。

 クラスは家柄、成績に関係なく構成される。
 そのため、同じクラスに成績優秀者である特待生(スカラー)、親が学費を支払う自費生(コモナー)と、学校側が学費を支援する奨学生(バーサリー)が並んで魔法を学ぶのだ。

 私は親が貴族のため、寮はアロガンツ。学費も問題なく支払ったようで自費生だが、成績優秀者として特待生となった。
 特待生は特別なガウンが贈られ、制服の上からの着用が許されている。その特待生は学年でふたりだけ。
 ガウンが着られるというのは魔法学校の生徒にとって、大変な名誉だと聞いていた。

 首席なので、個室が与えられた。
 部屋は三階で、魔石昇降機はない古い建物だ。そのため、階段を使って駆け上がらないといけない。入学までに体力作りをしていたものの、三階に上がりきったときには息が乱れる。
 けれども部屋は角部屋で、窓は二カ所あった。そこから覗く魔法学校の景色は悪くない。
 敷地内は重厚な煉瓦の塀に囲まれており、堂々とした錬鉄(れんてつ)の門が生徒たちを迎える。魔法を学ぶ校舎は礼拝堂のような造りで、美しく厳かな雰囲気をかもしだしていた。
 芝生があおあおと茂った校庭に、生徒会を初めとする生徒の活動が行われるクラブハウス、立派な図書館などなど、魔法学校自慢の施設が並んでいる。
 中でも目を奪われるのは、半円状の水晶温室である。本物の水晶のような輝きを放ち、中では授業で使う薬草が育てられているのだ。
 うっとり見とれていると、隣の部屋からガタゴトと物音が聞こえた。
 一年間、生活を共にする生徒である。挨拶をするようにと、魔法学校の卒業生である父が話していた。
 さっそく、挨拶に向かう。
 扉を叩くと、「誰だ!」と偉そうな返事があった。隣の部屋の者だと答えると、扉がそっと開かれた。
 顔を覗かせたのは、アドルフ・フォン・ロンリンギア。
 同時にハッと驚くような反応をしてしまった。息を合わせるつもりはなかったのだが……。
 まさか、部屋割は成績順なのだろうか。ついていない。
 ずっと見つめ合っているわけにもいかないので、「一年間よろしく」とだけ言っておく。
 アドルフは私をジロリと睨むばかりであった。
 
「お前、姉がいるのか?」

 突然私について聞かれ、胸が飛び出そうなくらい驚く。

「いるけれど、なんで?」
「結婚は?」
「していないけれど」
「婚約者は?」
「いない」

 そう答えた瞬間、アドルフは嘲り笑った。

「なんだ、嫁ぎ遅れか」

 私はまだ十七歳で、結婚適齢期である。もしかしたら、父が結婚話を持ってくる可能性だってあるのに。
 アドルフは一日に二回も、私の神経を逆なでてくれたのだった。

 ◇◇◇

 入学式の翌日は、クラス発表があった。寮の部屋に伝書鳩が振り分けが書かれた手紙を運んできてくれたのだ。
クラスは一学年の二組。クラスメイトと仲良くできるのか、ドキドキしながら身なりを整える。
 顔を洗い、歯を磨く。購買部で購入した洗髪剤は髪質に合わなかったからか、少し髪がごわついた。家で使っているものを送るように、メイドに手紙を書かなければならない。
 ボサボサの髪を梳り、ベルベットのリボンでひとつに纏める。
 寝間着を脱いで下着の上から補正下着を着用し、肌着を重ねる。その上にシャツを着込み、ズボンを穿いた。
 このズボンも最初は慣れなかったが、今ではドレスよりも楽だと思うくらいである。首に巻くタイは窮屈だが、腰回りを絞めるコルセットよりはマシだろう。
 ちなみにタイは寮ごとに異なり、アロガンツ寮は赤をベースにした縞模様が特徴である。
 ギーア寮は青、トレークハイト寮は黄色と、制服姿でもタイのカラーで寮が解るようになっているのだ。
 これは学校内で怪我をしたときや、トラブルに巻き込まれたさいに、周囲にいる者が対処できるような目印となるらしい。
 若い生徒というのは想定外の行動をしがちだという。そのため、寮ごとに管理したほうが色々と便利なのだろう。
 シャツの上にウエストコートを合わせ、ジャケットを着る。姿見で全身を確認したが、問題なかった。
 食堂は寮の一階にあり、三十人は座れそうな巨大なテーブルがいくつも鎮座している。
 用意されている料理を好きな量だけ取り分けて、それぞれ食べる形式だと聞いていた。
 料理は実家で食べていたものとそう変わらない。
 オートミールに魚の燻製、ソーセージにチーズ。飲み物はミルクのみ。朝食は基本的に火を使わないものが出される。
 食べられるだけの量を確保していたのだが、周囲の男子生徒は皿にチーズやソーセージを山盛りにしていた。育ち盛りなので、これくらいが普通なのだろう。

 食事に近い席を上級生が使い、食事に遠い席を下級生が使う。
 どの席に座ろうか迷っていたら、食堂の前方で腕組みしていた上級生が声をかけてくる。

「君、席はえり好みしていないで、空いている場所に座りたまえ」

 髪をオールバックにした、眼鏡をかけた上級生は腕章を付けていた。彼は各寮にひとりだけ配置される監督生(プリーフェクト)である。名前はたしか、エルンスト・フォン・マイと言っていたか。
 監督生は下級生を監督、指導する立場で、皆が集まる場でこうして周囲に厳しい目を配っているのだ。
 以前までは〝寮長〟という肩書きもあったようだが、生徒の減少とともになくなったらしい。
 そんな事情もあり、寮の頂点に立つのは監督生というわけだ。
 この監督生に目を付けられたら厄介である。すぐに返事をして、従順な態度を示しておく。

 近くの空いている席に座ろうとしたら、昨日入学式で話しかけてくれた男子生徒が手を振りながら声をかけてくれた。

「おい、首席、こっちの席に来いよ」

 赤い髪に垂れた目が特徴的だったので、しっかり顔を覚えていたのだ。

「首席じゃなくて、リオルだよ。リオル・フォン・ヴァイグブルグ」
「リオルか。俺はランハート。ランハート・フォン・レイダー。よろしく」

 レイダー家と言えば、魔法騎士を多く輩出している名家だ。仲良くしていて損はない相手である。
 ランハートと握手を交わしたところで、大勢の取り巻きを引きつれたアドルフがやってきた。
 特待生のガウンを、これでもかと見せつけるように翻している。

「まるで王様のパレードだな」

 ランハートの言葉に、深々と頷いてしまった。