「おい、リオル、下を見てみろ」

 別部隊の竜車が飛んでいるらしい。覗いてみると、黒いワイバーンが左右に揺れつつ飛んでいる。

「うわ、あれって大丈夫なの?」
「中は大揺れだろうな」

 ワイバーンが悪いわけではなく、操縦する魔法師の魔法が上手くいっていないので、あのように大きく揺れているらしい。

「あの様子じゃ、重力制御もできていないな」
「じゃあ、中にいる人たちは?」
「右に、左にと大揺れだろう」
「うわあ……」
「しかしまあ、あれは訓練用の車体で、体を固定する装備が座席にあるだろうから、三半規管が弱くなければ平気だろう」
「そ、そっか」

 私があれに乗っていたら、胃の中のものをすべて出していたかもしれない。
 アドルフがこの竜車に誘ってくれて、心から感謝した。

「それはそうと、訓練用って?」
「これは竜車を操縦する魔法師の訓練の一環だ」
「そうだったんだ!」

 ちなみに、私たちが乗っているのは教官の竜車らしい。普段は貴賓相手の飛行もしているようで、安定しているわけである。

「教官だから、わかりやすいように白いワイバーンなの?」
「そうなんだろうな」

 なんというか、いろいろ腑に落ちた。

「おかしいと思っていたよ。魔法学校の生徒の移動に、貴賓用の竜車を出すなんて」
「一応、校長に許可は取っている」

 生徒にも乗車前に伝えているらしい。拒否した生徒は魔法生物学の先生の使い魔である翼のある白馬、ペガサスに乗って行くようになっているのだとか。

「ペガサスは飛んでいないな。拒否した生徒は見当たらないようだ」
「みんな、怖いもの知らずだ」
「嬉々として乗っていたと思うがな」

 そういえばと思いだす。数年前にガーデンパーティの見世物として、馬術ショーが行われた。そのさい、馬が暴れて大騒ぎになったのだ。
 女性陣の多くは眉を顰めていたが、男性の大半はいいぞ、もっとやれと盛り上がっていた。きっと予想外のトラブルを前にしたら、逆にワクワクしてしまうのだろう。
 この辺の感覚は、人それぞれなのだろうが。

「リオル、下の竜車、安定してきたぞ」
「あ、本当だ」

 アドルフと顔を見合わせ、笑ってしまった。
 ひととおり竜車を堪能したあとは、各々持参していたノートの交換を行う。
 今回は独自に行った試験対策ノートの貸し借りをしたのだ。
 アドルフは私と目の付け所がまったく異なる。ここをこう勉強するのか、という新しい発見があった。
 悔しい気持ちになったものの、アドルフも同じことを思っていたらしい。

「今回の試験対策は自信があったのだが、たくさん抜けがあったようだ」
「僕も、同じく」

 真剣にノートを読んでいる間に、グリンゼルに到着した。

 ◇◇◇

 国内有数の美しい景色があるという観光地、湖水地方グリンゼル。
 教師が冬用の外套を用意しておくように、と注意したわけを身をもって実感する。
 王都よりも北寄りにあるからか、風が冷たく肌寒い。
 ただ、湖は見にくるだけの価値がある。
 水面には美しい紅葉が映し出されていた。けれども少し風が吹いただけで波紋が生まれ、その景色は消えてしまうのだ。なんて儚く、美しいものなのか。
 隣に立つアドルフも、同じことを思っていたようだ。

「驚いた。湖というのは、このように美しいのだな」
「そうだね」

 しばし見とれていたようだが、他の竜車が到着すると踵を返す。

「引率の教師陣が到着したようだ。次の指示を待とう」
「わかった」

 三時間ぶりの再会を果たしたクラスメイトたちは、出発前よりも興奮していた。
 空を飛ぶ竜車の旅は、彼らにとって大きな刺激だったらしい。
 中でも、ランハートが乗っていた竜車は特に揺れていたようだ。

「なんかもう、すごかったんだよ。このまま空に放り出されるかと思った!」
「よく、訓練生の竜車に乗ったよね」
「だって、竜車なんて、二度と乗れないかもしれないだろう?」
「たしかに、それはそうかもしれないけれど」

 教師陣が生徒に指示を出す。グリンゼルにいる間は、常に使い魔を使役していなければならないらしい。
 ランハートは一学年のときに召喚したカエルを胸に抱いていた。前に見たときは普通サイズのカエルだったが、今は小型犬くらいの大きさになっている。

「うわ、そのカエル、そんなに大きくなったんだ」
「可愛いだろう?」
「すごいけれど、可愛くはない」

 カエルにとって湖水地方の気候は過ごしやすいようで、ゲロゲロと元気よく鳴いていた。

「大きいと言えば、アドルフのもすごいな」
「ああ、あれね」

 アドルフが召喚したフェンリルは一回り以上成長していた。あの使い魔を連れていると、いつも以上に威圧感がある。

「リオル、お前のところのカツレツはちっこいままだな」
「カツレツじゃなくてチキンね」

 三年間で成長を見せる使い魔たちだが、チキンはそのままだった。大きくなってポケットに詰め込めなくなったら困るので、この先ずっとこのままでいてほしい。

 生徒が集まると、宿泊訓練についての説明が始まった。
 事前に現地で何をするのか、というのは知らされていない。内容によって、出席する、しないを決める生徒がいるからだという。
 参加は自由だが、個人個人の自主性を高める訓練でもあるため、スケジュールは現地で話すようだ。
 まず、一日目はレクリエーションを行う。
 なんでも、内容は毎年異なるらしい。去年の先輩は森に隠された魔法巻物(スクロール)を探し、発見したものは入手できる、というものだった。
 魔法巻物の中には貴重な転移魔法もあったようで、大いに盛り上がったらしい。
 今年はいったい何をするのか。ドキドキしながら教師の話に耳を傾ける。

「レクリエーションについて発表する。これから全員くじを引いて、ペアを作ってもらう。そのペアで森に行き、食材探しをしたあと調理。完成した料理を一口提出し、教師が食べて採点する。点数によって、特別な魔石を与える、というものだ」

 別の教師が盆に載った魔石を見せてくれた。
 炎の魔石に雷の魔石、光の魔石に闇の魔石――学生の身分では手に入らないであろう、稀少な魔石の数々であった。

 中でも、光の魔石は特に珍しい。めったに市場にも出ない、という話を耳にしていた。
 光の魔石は輝跡の魔法を使うさいの素材にもなる。
 ぜひとも欲しい。

「森には木の実、キノコ、ウサギやアナグマ、魚など、豊富な食材がある。持ち帰った食材は、一度提出するように。毒が含まれたものがないか、こちらで選別する。まあ、これまでの授業を真面目に聞いていたら、食べられるか、食べられないかくらいはわかるだろう。ちなみに、森はほどよく整備されていて、魔物は出現しない。けれども絶対とは言えない。気を抜かないように」

 森の中には毒を持つ植物や生き物がいるらしい。
 なんでも口にせず、動物とも触れ合わないようにと、教師は口を酸っぱくするように注意していた。
 それだけでは物足りないと思ったのか、生徒全員に解毒薬や血止めなどの薬が入ったパックが配られた。
 信用がないものである。

 そんなことはさておいて。食材探しと調理が課題らしいが、食材探しはさておき、調理は得意だ。
 養育院で子どもたちに出す料理を作っていたし、魔法学校では寮母の軽食作りを手伝ったこともある。
 他の生徒よりも、上手く作れる自信があった。
 問題は、ペアとなる生徒だ。
 なんでも三学年ごちゃまぜにくじを引くのではなく、クラスごとになっているらしい。
 ここで、教師から驚愕の事実を知らされる。

「今日、皆が宿泊するのは南の方向に見える小住宅(バンガロー)だが、組んだペアの者と泊まってもらう。夜、レポートもまとめやすいだろう」

 ひとり部屋でないだろうとは思っていたが、まさかふたりっきりで宿泊しないといけないなんて。
 なんとかペアになった生徒に話を付けて、別荘に行けたらいいのだが……。
 そんなことを考えているうちに、くじ引きが始まった。
 隣にいたランハートがぼやく。

「くじかー。自由にふたり組になれって言われたら、リオルを選ぶんだけどなー」

 私も、未来の魔法騎士さまと一緒だったら心強かったのだが。
 ランハートと共に、とぼとぼ歩きながらくじを引きにいった。
 ほとんどの生徒が引いたらしい。すでにペアになっている者たちもいる。
 先にランハートが引いた。ふたつ折りになった紙を開く。

「お、犬の絵が描いてあるな」
「だったら俺だ」

 クラスメイトのひとりが、犬が描かれた紙を掲げながら挙手する。
 奇跡が起きて、ランハートとペアになるという望みが潰えてしまった。
 続いて私の番だ。
 ランハート以外のクラスメイトで打ち解けている者なんていない。広く浅い付き合いをするばかりである。だから、誰であろうと一緒――なんて思考を一次停止させる。視界の端に、フェンリルと佇むアドルフが映った。まだペアが決まっていないようだった。
 アドルフは気まずい、アドルフとペアは嫌だ。
 なんて思いながらくじを引く。ハラハラしつつ、くじを開いた。

「猫の絵のひと、いる?」

 クラスメイトにそう問いかけたら、ひとりの男が手を挙げた。

「俺だ」

 アドルフだった。
 そうなるんじゃないかって、ほんの僅かだが思っていたのだ。
 なんてくじ運が悪い……。

 アドルフは私のもとへつかつか歩いてくると、肩をポンと叩きながら言った。

「リオル、よろしく頼む」
「まあ、うん、よろしく」

 意外や意外。アドルフは私とペアを組むことに、嫌悪感は抱いてそうにない。
 上手く利用できると思っているのかもしれないけれど。

 果たして、レクリエーションは彼と上手くいくのか。まったく想像できない。
 そもそも、彼は家で大人しくしているタイプにしか思えなかった。外で活発に活動する姿なんて、想像すらできない。
 大型の使い魔であるフェンリルがいるのは心強いが。
 チキンはフェンリルを前にしても、堂々たる態度でいた。

『ちゅり! 図体だけが大きい獣なんかに、負けないでちゅり!』

 その自信はどこからやってくるものなのか……。
 フェンリルはまったく相手にしていなかった。

 そんなことはさておいて。夜、アドルフと同室で過ごさなければならないというのが憂鬱だ。
 監督生である彼の目を盗んで別荘に行くことなど、不可能に近いだろう。
 今晩は眠れそうにない。

 ペアが組めた者には、森の地図が配布された。
 貴族の行楽のために作られた森のようで、食材がある場所がわかりやすく書かれていた。
 ウサギやアナグマなどは、狩猟区で獲れるらしい。内部には猟場管理人(ゲームキーパー)がいて、猟犬や猟銃なども貸してくれるという。
 森の中にいくつかチェックポイントが用意されていて、その場に教師がいるらしい。エリアごとにある食材を入手し、地図にスタンプを押して回って全部集めると、翌日の自由時間に使えるボート券が貰えるようだ。

「リオル、君はどういう作戦を考えている?」
「うーん、今のシーズンだったら、アナグマが絶品かな」

 秋に実る木の実やキノコをたっぷり食べたアナグマは、脂が乗っていておいしい。
 貴族は秋はウサギこそが絶品というが、個人的にはアナグマのほうが味がいいと思っている。

「アナグマか……」

 アドルフの顔が若干引きつっている。食べたことがないようで、どんな味か想像できないのだろう。

「そのアナグマはどう調理するんだ? そのまま焼くのか?」
「いや、けっこう脂っぽいから、教師陣の受けは悪いかも」

 若い教師であれば、焼いたものに香辛料をかけたものだけでも満足するだろう。
 しかしながら、教師陣の平均年齢は四十代後半くらいか。脂の多い肉は胃もたれするに違いない。

「キノコと煮込んで、スープにしたらさっぱり食べられるかも」
「なるほど。目当てはアナグマとキノコだな。その料理の作り方はわかるのか?」
「アナグマを解体してもらえたら、まあ、なんとか」
「わかった」

 アドルフは地図を目で追い、動線を考えているようだ。食材探しのリーダーを務めてくれるらしい。

「リオル、行くぞ!」
「はいはい」

 そんなわけで、アドルフと一緒にレクリエーションに挑む。