十月初旬。文化祭本番当日。

「何コレ、めちゃくちゃ怖かったんだけど!」
「あの女ユーレイしつこい! 泣くかと思った」
「急にコンニャクが大量にぶつかってきたの、マジでびびったんだけど!」

私たちのクラスのお化け屋敷は、大盛況だった。

空き教室と、理科室を繋いだロングコースで、うちの高校の文化祭史上もっとも凝ったお化け屋敷と言われた。

コースの前半は、日本の墓場がイメージされている。ドロンドロンというお決まりの音響のもと、ダンボールで精巧に作られたお墓が並び、壁から突然出てくる手やコンニャクに驚かされながら、美織が扮する女ユーレイをはじめとしたお化けたちに次々襲われる。

次は、理科室。不協和音を奏でるピアノの旋律が流れる中、ブルーライトに照らされた骸骨やホルマリン漬けの瓶の中を、時折爆音に驚かされながら恐々進む。そして最後に、人体模型に扮したクラスの男子が急に動き出し、悲鳴をかっさらう。

私も一度、夏葉と一緒に入ったけど、どこで何がでてくるか分かっていながら、すごく怖かった。ユーレイの美織と化け猫の杏も執拗に襲ってくるし、本気で逃げ出したくなったほどだ。

「みんなお疲れ! 増村先生から差し入れだぞ~!」

文化祭が終わって、ようやく片付けが一段落した頃、コンビニのビニール袋を抱えたクラスの男子たちが、テンション高く教室に入ってきた。

ビニール袋の中には、ペットボトルに入ったジュースやお菓子が大量に入っている。

「打ち上げだ~!」

お調子者の斉木くんの号令で、皆好きなところに座って、今日のことを話しながらお菓子を食べジュースを飲む。こんな時間に、教室で堂々とこんなにお菓子を食べるなんて、特別な感じがしてわくわくした。

「カンパーイ!」

女子たち数人で、ジュースの入った紙コップを合わせた。

「今日の主役は、やっぱ美織だよね。あの気合の入った演技! 子どもが来ても、容赦ないんだもん」

「当たり前じゃない。子どもだからって、世の中の怖いことから目を背けさせてどうするのよ」

杏の言葉に、美織が鼻高々に答えている。

「杏の猫娘も可愛かったよ」

夏葉が言うと、杏は照れたように笑う。

「やっぱり? 夏葉の音響も最高だった。あのドロドロいうやつ、どこから持ってきたのよ」

「ネット検索して、フリーの曲の中からダウンロードしたの。いろんな効果音があったよ。真菜もありがとう。真菜いなかったら、ここまで纏まんなかったと思う」

ふいに話題に上げられ、「そうかな?」と頭を掻いた。

「うん。裏方的な仕事が、一番大変だもんね。特に増村先生の許可取る系のやつは。あの先生、どこにいるか分かんないんだもん」

「そんなことないよ。だいたい喫煙所にいるし」

「マジで? だからあんなタバコ臭いんだ」

美織の嫌悪感溢れる顔に、どっと笑いが起こる。

教室を見渡せば、どこもかしこも満足そうな笑顔が溢れてて、がんばってよかったと心から思った。

これが、“青春の一ページ”というものなのかもしれない。まるで他人事のような、増村先生のその口癖が苦手だったけど、今は先生の言っていたことがなんとなく分かる気がした。

達成感に満ちた、夕暮れの教室の雰囲気。

再来年にはバラバラの道を行く私たちの心がひとつになった、今しか味わえない、尊い時間。

この瞬間を、心に刻んでいたいと強く思う。

皆で楽しく話し込んで、ふと時計を見ると、五時を過ぎていた。

十月に入ってから、日が暮れるのも少しずつ早くなってきていて、窓の外はもう薄暗くなっている。

「そうだ、部室行かなきゃ」

思い出した私は、立ち上がる。クラスのことが落ち着いたら文集を取りに来るよう、川島部長に言われていたのだった。

毎年文化祭に合わせて製作される文集は、図書室と、教員全員に配布される。余ったものの中から部員が各々一冊ずつ持ち帰り、残りは部室で保管するらしい。私と桜人は文化祭実行委員で忙しいだろうからと気を遣ってくれて、製本と印刷は川島部長と田辺くんがやってくれた。だから、私はまだ完成したものを見ていない。

「真菜、どこか行くの?」

「文芸部の部室。取りに行くものがあるの」

「そう。気を付けて行ってきてね」

夏葉に別れを告げてから、教室を出た。

「川島部長、まだいるかな……」

旧校舎の中にある部室棟を、文芸部の部室目指してひとりで歩く。新校舎の方から、楽しげな笑い声やはしゃぐ声が、遠く聞こえた。対照的にこちらは閑散としていて、薄暗い廊下に、上靴の音がやたら響いている。

部室は開いてたけど、無人だった。

長テーブルの上に、今年の冊子が数冊山積みになっている。

「出来てる……」

新緑の色に似た、若草色の冊子をひとつ手に取った。今年の年号の下には、『県立T高校文芸部』と印字されている。

出来立ての文集からは、新しい紙の匂いがした。初々しい香りと手触りに、気持ちが昂る。この中に自分の作品も入っているのだと思うと、よりいっそう心が弾んだ。

パラリと、指先を切ってしまいそうなほど真新しい髪のページを捲った。

まずは、川島部長のミステリー小説だ。

「なっが……」

全体の七割以上を占めているそれは、立ち読みでは終わりそうにない文量だった。予想以上の長さに怖気づき、帰ってからじっくり読もうと、パラパラと先にページを進めた。

続いて、田辺くんの作品たち。なんだか小難しそうな随筆と詩と短編だった。

「ふふ。田辺くんっぽい」

次のページを開いて、ドキリとする。そこに載っていたのは、私が夏休みに書いたあのエッセイだった。

自分の中に眠っていた唯一無二の思い出が、こうして文印字されているのを見ると、不思議な気がした。誰かがこれを読むのかと思うと、恥ずかしいけどうれしい。

指先で、自分で紡いだ文字を辿る。

思いは、言葉は、こうして外に放つことができるのだと、改めて胸が震えた。

これを読んだ誰かが、また新しい思いを抱く。それはまた別の思いとなって、他の誰かの目に届くかもしれない。文字が生み出す、永遠の連鎖だ。それはとても壮大で、尊いことのような気がした。

「あれ……?」

私のエッセイが終わった次のページは、背表紙になっていた。

桜人のは?と違和感を覚えながらページを捲ると、わずか半ページに、短い詩があった。

昨年と同じく、名前もタイトルもない。

だけど、それが桜人の作品だということは、すぐに分かった。