明日からお盆休みに突入する日、クラスの作業は、予定通り落ち着いた。お盆明けからは集まりがないから、次にクラスのみんなと会うのは九月になる。
「おつかれ!」
その日、私と夏葉は、学校帰りにコンビニでアイスを買って、近くの公園のベンチでカンパイをした。私はいちごのかき氷アイスで、夏葉はソーダアイス。
住宅地の真ん中にある、ジャングルジムとシーソーとブランコだけのこの公園には、うだるような暑さのせいか、今は人っ子ひとりいない。だけど私たちがいるベンチは、伸びたクヌギの木が枝葉を広げているおかげで、ちょうど陰になっていて涼しかった。
アイスにかぶりつけば、冷気が頭を涼やかにしてくれる。作業もいったん終了したし、クヌギの枝葉越しに見える青空のように、気分も晴れやかだ。
「頑張ったあとのアイスは、最高においしいね」
笑顔を浮かべれば、夏葉は「うん、ほんとさいこう」とうれしそうに答えてくれた。
「真菜、変わったよね」
急にじっとりと見つめられ、そんなことを言われた。
「そうかな」
「うん、変わった。そんなふうに笑えるなんて、知らなかった。クラスのみんなとも打ち解けてるし」
「うん……。そうかも」
自分でも、それは実感している。桜人のおかげだ。
逃げるな。言うべきことは言え。
桜人にガツンと言われなかったら、美織と杏とは仲直りできてなかったし、わたしはいまだ、重苦しい学校生活を送っていたに違いない。
彼の存在が、怖いほど私を変えていく。
シャリ、シャリ。
私と夏葉がアイスを食べる音だけが、蝉の声に混ざり、閑散とした公園に鳴り響いた。暑さのせいで、まだ食べ終わりそうにないのに、アイスはどんどん溶けていく。
「そういえば真菜、部活、いつまで続けるの?」
高二の秋頃から、本格的に受験勉強に入るため、部活をやめる人が続出する。いつまで部活を続けるか? というのは、このところ、クラスの中でもちらほら話題に上がっていた。
「このまま、卒業まで続けるよ。文系だし、そもそもまったく大変じゃないし」
わずか四名の、ユーレイ部員でも許されるような部活だ。
「そっか。私も文系だけど、夏休み前にやめた」
「え、そうなの?」
夏葉は、美術部所属だったはず。うん、とうなずくと「受験勉強に本腰入れることにしたんだ」と夏葉は笑った。
「へえ……。難しいところ、目指してるの?」
文系なら、高三まで続ける人も珍しくはない。それをあえて二年の夏前にやめてしまうということは、受験勉強が大変な大学を狙っているのだろう。
「医学部に入りたいの。子供の頃から、ずっと医者になりたいって思ってたから」
そう言って、夏葉は空を見上げる。
凛と背を伸ばした水鳥のようなその姿を、私はすごく、きれいだと思った。
「そうだったんだ。頑張ってね、応援してる。夏葉ならできるよ」
心からそう思った。すると夏葉は照れたように笑って、「真菜は?」と問い返してくる。
「真菜は、卒業後、どうするの?」
「私? 私は就職する」
これは、ずっと決めていたことだった。
母子家庭の我が家では、進学するより、就職する方がよほど助かるからだ。
川島部長や田辺くん、そして夏葉みたいに夢もないし、それが妥当だろう。
だけどなぜか、そう答えたとき、胸の奥がモヤモヤとした。
夏葉の凛とした美しさに触発されたかのように、文芸部の文集のためにエッセイを書いた夜を思い出していた。桜人の詩の熱情を思い出していたら、何かが身体に入り込んできたみたいに、秘めた思いを、心の声を、文字にして原稿用紙に刻んでいた。心が躍るような、全身の血が脈打つような、他では味わえない快感。
あのとき、気づいたんだ。わたしは、文章を綴ることが好きなんだって。
私の胸の内には、数多くの想いが眠っている。言葉で言い表すのは苦手だから、それを文字として紡いで、翼を与えて、放ってあげたい。
ちゃんと読みなよって川島部長に勧められて読んだ、日本文学全集。他にも田辺くんが勧めてくれた、フランス文学やドイツ文学の名著。
そして桜人が好きな“君がため”の和歌。彼の紡いだ詩。
文学は、今しか抱けない思いを、紙に留めてくれる。
誰に読まれるわけでもなく、いずれは塵となって消えたとしても、そこに生きた意味がある気がした。
「そっか。卒業してからも、絶対に会おうね。……って、まだ先の話だけど」
呆然としていると、夏葉の声が降ってきた。
我に返った私は、慌てて、「うん」と夏葉に笑顔を返す。
「それにしても、暑いね……」
うまく笑えただろうか。心配になり、誤魔化すようにアイスの最後のひと口を口に放り込んだ。すっかり溶けていたそれは、瞬く間に液体になって消えてしまった。
「おつかれ!」
その日、私と夏葉は、学校帰りにコンビニでアイスを買って、近くの公園のベンチでカンパイをした。私はいちごのかき氷アイスで、夏葉はソーダアイス。
住宅地の真ん中にある、ジャングルジムとシーソーとブランコだけのこの公園には、うだるような暑さのせいか、今は人っ子ひとりいない。だけど私たちがいるベンチは、伸びたクヌギの木が枝葉を広げているおかげで、ちょうど陰になっていて涼しかった。
アイスにかぶりつけば、冷気が頭を涼やかにしてくれる。作業もいったん終了したし、クヌギの枝葉越しに見える青空のように、気分も晴れやかだ。
「頑張ったあとのアイスは、最高においしいね」
笑顔を浮かべれば、夏葉は「うん、ほんとさいこう」とうれしそうに答えてくれた。
「真菜、変わったよね」
急にじっとりと見つめられ、そんなことを言われた。
「そうかな」
「うん、変わった。そんなふうに笑えるなんて、知らなかった。クラスのみんなとも打ち解けてるし」
「うん……。そうかも」
自分でも、それは実感している。桜人のおかげだ。
逃げるな。言うべきことは言え。
桜人にガツンと言われなかったら、美織と杏とは仲直りできてなかったし、わたしはいまだ、重苦しい学校生活を送っていたに違いない。
彼の存在が、怖いほど私を変えていく。
シャリ、シャリ。
私と夏葉がアイスを食べる音だけが、蝉の声に混ざり、閑散とした公園に鳴り響いた。暑さのせいで、まだ食べ終わりそうにないのに、アイスはどんどん溶けていく。
「そういえば真菜、部活、いつまで続けるの?」
高二の秋頃から、本格的に受験勉強に入るため、部活をやめる人が続出する。いつまで部活を続けるか? というのは、このところ、クラスの中でもちらほら話題に上がっていた。
「このまま、卒業まで続けるよ。文系だし、そもそもまったく大変じゃないし」
わずか四名の、ユーレイ部員でも許されるような部活だ。
「そっか。私も文系だけど、夏休み前にやめた」
「え、そうなの?」
夏葉は、美術部所属だったはず。うん、とうなずくと「受験勉強に本腰入れることにしたんだ」と夏葉は笑った。
「へえ……。難しいところ、目指してるの?」
文系なら、高三まで続ける人も珍しくはない。それをあえて二年の夏前にやめてしまうということは、受験勉強が大変な大学を狙っているのだろう。
「医学部に入りたいの。子供の頃から、ずっと医者になりたいって思ってたから」
そう言って、夏葉は空を見上げる。
凛と背を伸ばした水鳥のようなその姿を、私はすごく、きれいだと思った。
「そうだったんだ。頑張ってね、応援してる。夏葉ならできるよ」
心からそう思った。すると夏葉は照れたように笑って、「真菜は?」と問い返してくる。
「真菜は、卒業後、どうするの?」
「私? 私は就職する」
これは、ずっと決めていたことだった。
母子家庭の我が家では、進学するより、就職する方がよほど助かるからだ。
川島部長や田辺くん、そして夏葉みたいに夢もないし、それが妥当だろう。
だけどなぜか、そう答えたとき、胸の奥がモヤモヤとした。
夏葉の凛とした美しさに触発されたかのように、文芸部の文集のためにエッセイを書いた夜を思い出していた。桜人の詩の熱情を思い出していたら、何かが身体に入り込んできたみたいに、秘めた思いを、心の声を、文字にして原稿用紙に刻んでいた。心が躍るような、全身の血が脈打つような、他では味わえない快感。
あのとき、気づいたんだ。わたしは、文章を綴ることが好きなんだって。
私の胸の内には、数多くの想いが眠っている。言葉で言い表すのは苦手だから、それを文字として紡いで、翼を与えて、放ってあげたい。
ちゃんと読みなよって川島部長に勧められて読んだ、日本文学全集。他にも田辺くんが勧めてくれた、フランス文学やドイツ文学の名著。
そして桜人が好きな“君がため”の和歌。彼の紡いだ詩。
文学は、今しか抱けない思いを、紙に留めてくれる。
誰に読まれるわけでもなく、いずれは塵となって消えたとしても、そこに生きた意味がある気がした。
「そっか。卒業してからも、絶対に会おうね。……って、まだ先の話だけど」
呆然としていると、夏葉の声が降ってきた。
我に返った私は、慌てて、「うん」と夏葉に笑顔を返す。
「それにしても、暑いね……」
うまく笑えただろうか。心配になり、誤魔化すようにアイスの最後のひと口を口に放り込んだ。すっかり溶けていたそれは、瞬く間に液体になって消えてしまった。