七月が終わり、八月に突入した。
その頃には文芸部の作業は終わっていたけど、今度はクラスでの文化祭の作業に入らないといけなくなっていた。週に二日、作業日を決めて、どちらか一方来れる方に来て作業するのが決まりだ。
夏休みはそんなかんじでまったり作業を進めて、九月に一気に最終仕上げに入り、十月初旬の文化祭を迎えるらしい。
その日も、クラスでの作業は和気あいあいとしていた。ちなみに文芸部の部室とはちがい、教室にはクーラーがあるので快適だ。
「わ、すごい似合う!」
「ほんとだ! ぴったり!」
その日、美織が仕上げ途中のお化け衣装を試着すると、教室は活気に包まれた。いかにもというイメージの真っ白な浴衣に、三角のついた鉢巻を巻いた美織は、不服そうに真ん中に立ってる。
「こんな格好似合うとか言われても、うれしくないんだけど」
とかいいつつ、さりげなく鏡で髪を乱れさせ、自ら幽霊っぽさを演出している。そんな美織のわかりにくいノリのよさを、私はもう知っていた。
「ちょっと、真菜! あんた今、笑ったでしょ。今から代わってもいいんだからね! 前に真菜、お化け役代わろうかって言ってたじゃない」
代わってもいいではなく、代わってもらう人を探すというニュアンスを伝えたことはあるけど、美織は勘違いしてるみたい。
「代ろうか、とは言ってないよ……!」
慌てて否定したけど、「ええ、水田がお化け役?」とざわついている周りには、私の声など全然聞こえていない様子だ。
すると斉木くんが、ガハハと笑いながら言った。
「水田ちっこいから、女幽霊って言うより、妖怪みたいになりそうだな!」
とたんに教室は笑いに包まれた。背後にいた杏が私の頭を撫でながら、「ええ~、ぜったいかわいいよ。怖くなさそうだけど」と面白半分に言う。
みんなやいのやいのと好き勝手なことを言って、結局その話は流れてしまった。
日々、こんなやりとりの繰り返し。ときにからかい合い、ときに言い合いになりながら、なんとなく作業が進んでいく。でもそんな空気感が、クラスがひとつになっていることを教えてくれる。そして自分が、その中にいることも。
小道具係の作業を手伝いながら、ふと充実感が胸を駆け巡った。
美織と杏と気まずくなり、夏葉とも仲良くなかった頃は、この教室にいるだけで、息がつまって死んでいるみたいだった。
こんな風に、いるだけで胸が和むような場所になるとは思ってもいなかった。
教室の隅で、音響係からの質問を受けている桜人に目をやる。皆を上手に采配し、的確に、でも嫌味なく指示を出す桜人は、今ではすっかり皆に頼りにされている。ある意味、ちょっとズレているところがある増村先生より一目置かれていた。
同年代とはいえ、なんだかお兄さん的なポジションにいる。
「水田さん」
桜人を見ながら物思いにふけっていると、声を掛けられ、我に返る。
茶色の巻き髪を今日はポニーテールにしている浦部さんが、茶封筒を片手に立っていた。
「これ。大道具の材料の買い出し行ったから、レシートとお釣り」
「ありがとう。ちょっと待ってね、確認するから」
文化祭の出し物の会計は、私が担ってる。買い出しに行く前に見積もりを出してもらい。少し多めの額を渡す。そして、御釣りとレシートを貰うという流れだ。お金は先生が管理しているので、都度先生を探してお金を貰ったり返したりしないといけないのが、けっこう大変だったりする。
「うん、ぴったり。ありがとう」
確認を終え、顔を上げると、浦部さんはなぜか私ではなく、いまだ音響係と話し込んでいる桜人を見ていた。
「最近聞いたんだけど、水田さんも、小瀬川くんも、同じ文芸部だったんだね。ていうか文芸部なんてあったこと、全然知らなかった」
桜人を見つめたまま、浦部さんが言う。そして、咎めるような視線を私に向けた。
「小瀬川くんのこと、好きなの?」
ストレートに問われ、たじろいだ。
彼は私にとっては特別だけど、それを好きという言葉で片付けてしまっていいのか迷う。
好きという感情は、幅広い。
ちょっといいなと思う程度から、桜人が教えてくれた“君がため”の和歌のような、壮大な恋心まで。浦部さんは、どのレベルの“好き”の話をしているのだろう?
悶々と頭の中で考えてばかりで、いっこうに答えようとしない私を、浦部さんは苛立ったように見ていた。
「私は好き」
はっきりと、浦部さんが言う。
「……どういう好きなの?」
素朴な疑問を投げかけると、浦部さんは露骨に嫌そうな顔をした。
彼女になりたいっていう意味よ。一緒に登下校したいし、どっか出かけたりもしたい。隣を歩いていて欲しい」
「………」
彼女になりたい。そんな感情を、今まで一度も誰かに抱いたことがなくて、私は固まってしまった。
「だって小瀬川くんみたいな人、タイプだし」
言い残すと、浦部さんは、私の前からさっさといなくなってしまった。
ふと、寂しくなった。
桜人は、素っ気ないようでいて、すごく優しい。バイトのときは、高校生とは思えないくらい接客が上手で……。でも実は文学少年で、和歌が好きで、ものすごく照れ屋だ。そんなこと、浦部さんは知らないだろう。
でも、私だって、彼のことを完全に知っているわけではない。
たとえば、高校に入ってから、イメージがガラッと変わってしまったっという夏葉の話。
そして、タイトルのない詩からにじみ出る、悲しくなるほどに深い“君”への想い。
彼には相変わらず、どこか一線を引いたところがある。
彼はその心の奥底で、何を想い、生きているんだろう。
その頃には文芸部の作業は終わっていたけど、今度はクラスでの文化祭の作業に入らないといけなくなっていた。週に二日、作業日を決めて、どちらか一方来れる方に来て作業するのが決まりだ。
夏休みはそんなかんじでまったり作業を進めて、九月に一気に最終仕上げに入り、十月初旬の文化祭を迎えるらしい。
その日も、クラスでの作業は和気あいあいとしていた。ちなみに文芸部の部室とはちがい、教室にはクーラーがあるので快適だ。
「わ、すごい似合う!」
「ほんとだ! ぴったり!」
その日、美織が仕上げ途中のお化け衣装を試着すると、教室は活気に包まれた。いかにもというイメージの真っ白な浴衣に、三角のついた鉢巻を巻いた美織は、不服そうに真ん中に立ってる。
「こんな格好似合うとか言われても、うれしくないんだけど」
とかいいつつ、さりげなく鏡で髪を乱れさせ、自ら幽霊っぽさを演出している。そんな美織のわかりにくいノリのよさを、私はもう知っていた。
「ちょっと、真菜! あんた今、笑ったでしょ。今から代わってもいいんだからね! 前に真菜、お化け役代わろうかって言ってたじゃない」
代わってもいいではなく、代わってもらう人を探すというニュアンスを伝えたことはあるけど、美織は勘違いしてるみたい。
「代ろうか、とは言ってないよ……!」
慌てて否定したけど、「ええ、水田がお化け役?」とざわついている周りには、私の声など全然聞こえていない様子だ。
すると斉木くんが、ガハハと笑いながら言った。
「水田ちっこいから、女幽霊って言うより、妖怪みたいになりそうだな!」
とたんに教室は笑いに包まれた。背後にいた杏が私の頭を撫でながら、「ええ~、ぜったいかわいいよ。怖くなさそうだけど」と面白半分に言う。
みんなやいのやいのと好き勝手なことを言って、結局その話は流れてしまった。
日々、こんなやりとりの繰り返し。ときにからかい合い、ときに言い合いになりながら、なんとなく作業が進んでいく。でもそんな空気感が、クラスがひとつになっていることを教えてくれる。そして自分が、その中にいることも。
小道具係の作業を手伝いながら、ふと充実感が胸を駆け巡った。
美織と杏と気まずくなり、夏葉とも仲良くなかった頃は、この教室にいるだけで、息がつまって死んでいるみたいだった。
こんな風に、いるだけで胸が和むような場所になるとは思ってもいなかった。
教室の隅で、音響係からの質問を受けている桜人に目をやる。皆を上手に采配し、的確に、でも嫌味なく指示を出す桜人は、今ではすっかり皆に頼りにされている。ある意味、ちょっとズレているところがある増村先生より一目置かれていた。
同年代とはいえ、なんだかお兄さん的なポジションにいる。
「水田さん」
桜人を見ながら物思いにふけっていると、声を掛けられ、我に返る。
茶色の巻き髪を今日はポニーテールにしている浦部さんが、茶封筒を片手に立っていた。
「これ。大道具の材料の買い出し行ったから、レシートとお釣り」
「ありがとう。ちょっと待ってね、確認するから」
文化祭の出し物の会計は、私が担ってる。買い出しに行く前に見積もりを出してもらい。少し多めの額を渡す。そして、御釣りとレシートを貰うという流れだ。お金は先生が管理しているので、都度先生を探してお金を貰ったり返したりしないといけないのが、けっこう大変だったりする。
「うん、ぴったり。ありがとう」
確認を終え、顔を上げると、浦部さんはなぜか私ではなく、いまだ音響係と話し込んでいる桜人を見ていた。
「最近聞いたんだけど、水田さんも、小瀬川くんも、同じ文芸部だったんだね。ていうか文芸部なんてあったこと、全然知らなかった」
桜人を見つめたまま、浦部さんが言う。そして、咎めるような視線を私に向けた。
「小瀬川くんのこと、好きなの?」
ストレートに問われ、たじろいだ。
彼は私にとっては特別だけど、それを好きという言葉で片付けてしまっていいのか迷う。
好きという感情は、幅広い。
ちょっといいなと思う程度から、桜人が教えてくれた“君がため”の和歌のような、壮大な恋心まで。浦部さんは、どのレベルの“好き”の話をしているのだろう?
悶々と頭の中で考えてばかりで、いっこうに答えようとしない私を、浦部さんは苛立ったように見ていた。
「私は好き」
はっきりと、浦部さんが言う。
「……どういう好きなの?」
素朴な疑問を投げかけると、浦部さんは露骨に嫌そうな顔をした。
彼女になりたいっていう意味よ。一緒に登下校したいし、どっか出かけたりもしたい。隣を歩いていて欲しい」
「………」
彼女になりたい。そんな感情を、今まで一度も誰かに抱いたことがなくて、私は固まってしまった。
「だって小瀬川くんみたいな人、タイプだし」
言い残すと、浦部さんは、私の前からさっさといなくなってしまった。
ふと、寂しくなった。
桜人は、素っ気ないようでいて、すごく優しい。バイトのときは、高校生とは思えないくらい接客が上手で……。でも実は文学少年で、和歌が好きで、ものすごく照れ屋だ。そんなこと、浦部さんは知らないだろう。
でも、私だって、彼のことを完全に知っているわけではない。
たとえば、高校に入ってから、イメージがガラッと変わってしまったっという夏葉の話。
そして、タイトルのない詩からにじみ出る、悲しくなるほどに深い“君”への想い。
彼には相変わらず、どこか一線を引いたところがある。
彼はその心の奥底で、何を想い、生きているんだろう。