せっかく止んだ雨が、再びポツポツと降り出した。
緑に囲まれた公園は青臭く包まれ、不気味な気配がさらに濃くなる。
「何を言っているんだい君は。僕が警察の世話になるだって? この件に関しては警察に言っても無駄だよ」
須藤は呆れたように首を振る。
清水さんと希も怪訝そうにこちらを見る。しかし、僕は特に臆することもなく、言葉を続けた。
「違いますよ。あなたには心当たりがあるはずです」
「心当たり? そんなものは一切ないね。僕はただのしがない美術教師で、警察とは無縁の代物だよ」
あくまでもシラを切るつもりだろうが、僕はさらに核心に踏み込む。
「今日、市民病院に行きました」
須藤が息を飲むのを僕は見逃さなかった。
「病院に行った目的は、清水さんが怪我をさせてしまったという男性のお見舞いです」
見舞いという体のいい言葉を使ったが、実際は犯罪者に見舞う気持ちなんてほんの少しも無く、ただ一方的に話を聞きに行ったに過ぎない。
「清水さん、あなたは襲って来た男性の一人を石で殴ってしまい、大怪我をさせてしまった。それで間違いないよね?」
彼女はひどく罪悪感を抱えた面持ちで、しばし思い返すように黙り込んだ。
「た、多分。でも、あの時は無我夢中で正直、あまり覚えていないの。大怪我をさせてしまったっていうのは須藤先生から聞いたけど……」
「それ、間違ってるよ」
須藤の表情が固まる。
「えっ……?」
「そもそもおかしいんだよ。犯人は複数人で襲った。その際、清水さんの腕や足を拘束しないはずがない」
「そういえば……。確かに押さえつけられてたかも……?」
「つまり、清水さんは自分が腕を振り回していたと勘違いしていただけで、実際は手首をバタつかせてたに過ぎない。それに、実際に看護師さんに怪我の内容を聞いたけど、怪我した人は腰を刃物のようなもので刺されて運ばれて来たらしい」
回りくどく説明していても、話が長引くだけだ。本題に入ろう。
「清水さんを襲った人に怪我を負わせたのは須藤先生。あなたですね?」
いつの間にか須藤の表情から余裕は見られなくなり、憎悪に満ちた面で僕を睨みつけていた。
地面に乱暴に投げ捨てられた煙草を勢いよく踏みつぶし、須藤はようやく腰を上げる。
「一体、何を根拠に僕だと言ってるんだい? 僕はたまたまあの場所を通りかかっただけだ。言いがかりも甚だしいね」
「いいや、あなたがやった。なぜなら、あなたはあの場所で、あの時間に清水さんが襲われると知っていたからだ。知っていたって表現は少し違うな……。だって、あの強姦未遂の首謀者は須藤。お前なんだもんな」
清水さんと希は目を大きく見開き、顔を見合わせた。
須藤は無言だが、その額に青筋が浮かび上がった。つりあがる口角を必死に押さえているのか、それとも奥歯でも必死に食いしばっているのか、頬のあたりがピクピクと痙攣している。
「入院している男に、今から警察に行く、ただし本当のことを話してくれれば、警察には行かないってカマをかけたら、簡単にゲロってくれたよ。俺らは雇われた身で、あの女子高生には一切興味は無かったってね」
「あのチンピラ野郎……」
隠すことを諦めたのか、須藤はぼそっと怒りを零す。
ただ強姦するだけでは警察に行かれてしまうことは明白だ。そこで、強姦未遂という形にして、さらに意図的に怪我人を出すことで、清水さんに罪悪感を抱かせ、警察に行かせないようにしたのだろう。
「先生、本当なんですか? 先生が、私を襲うように仕向けたんですか!?」
清水さんが苦しそうに言葉を振り絞る。その様子を見て、須藤は心底めんどくさそうにため息をつく。そして、ゆっくりと視線を巡らし、僕ら三人を舐め回すように見た後――
「そうだよ」
驚くほど柔らかな口調で、不気味なほくそ笑みを浮かべる。
僕の身体ではありえない鳥肌が立った気がした。
「でも、清水さんが目的じゃないよ。あくまでも、最初から僕の獲物は希だけだ。希を僕のものにするために清水さんを利用したに過ぎない」
ぽろっと確かに音が聞こえた。すっと清水さんの頬に雫が伝う。
ずっと黙り込んでいた希が、ゆっくりと須藤に向かって歩き出した。
僕は焦った。
まさか、希が動くとは予想していなかった。彼女は既に須藤の目の前に迫っていた。
「行くな! そいつは――」
――パシンッ!
乾いた音が湿った空気を震わせた。
勢いよく振り抜いた希の平手が須藤の頬を捉えていた。しかし、それと同時に須藤の手が希の肩に伸びる。
「きゃっ!」
息が荒く、焦点すら定かで無い須藤に強烈な寒気を覚える。
須藤はきっと、持っている。だから、本気で焦った。
駆け出す。
つんのめりそうになりながら、必死に手を伸ばして、細い肢体を抱え込もうとする須藤から希を引き剥がした。
彼女は乱暴に体勢を崩し、転倒する。
彼女と僕の位置が入れ替わり、須藤を眼前に捉える。僕の目が捉えた須藤の表情は、予想通りでほんの少し予想外でもあった。
彼は不気味に笑っていた。
希を見て――ではなく、僕を見て。
須藤の腕が首に巻きつき、身体の軽い僕はまんまと須藤に身体の自由を奪われる。
「✳︎✳︎✳︎君!」
希の悲鳴にも似た叫びがやけに遠く聞こえ、この身体で、初めての恐怖を感じた。
暗闇に浮かんだ尖ったシルエット。街灯の明かりが反射し、不気味に煌めく。
首筋に刃が添えられていた。
「動くなッ!」
須藤が声を張り上げる。
「動けば、こいつも病院送りだ!」
荒げる息が頬を撫でる。
「やめて……。駄目ッ!」
「やめてほしいなら、さっさと僕の物になれよのぞみぃッ!」
もはや別人だ。完全に我を忘れている。
一瞬、恐怖を感じはしたものの、僕はいたって冷静だった。むしろ、安堵している節さえある。
なんとなく、分かっていた。須藤が凶器を所持していることは予想がついていた。だからこそ、希が須藤に掴まれた刹那、頭が真っ白になった。
でも、よかった。
彼女が大粒の涙をこぼしながら僕を見ている。強まる雨脚が、その涙を綺麗に流して行く。
本当によかった。彼女が傷つかなくて。
僕は微笑み、須藤の腕を掴む。不便な身体で思いっきり力を入れなければ、須藤の腕は動かない。
全体重を乗せ、須藤の腕を下げる。
「あ……ぁ……だ……め」
ふと、見上げると須藤の恐怖で引きつった表情が見えた。僕が何をしようとしているのか、想像がついたのだろう。その表情を見て、僕は意地悪く笑ってやった。
「だめぇぇぇぇぇぇええッッ!」
須藤の腕ごと、勢いよくナイフを自分の腹に突き立てる。
制服にじんわりと赤が滲んだ。