「ど、どうして春華がここにいるの!?」
清水さんは希の呼びかけには答えずに俯いている。
希は今の状況が飲み込めていないようで、清水さんと僕の顔の間に視線を行き来させている。
「来てくれたんだね、清水さん」
「えっ? 幽霊くんと春華いつのまに知り合ったの!?」
「ちゃんと話したのは今日だけど」
「それって、この件を話したの……?」
僕は無言を貫いた。もちろん、肯定を意味する方法として。
「もー! 幽霊くんの馬鹿! アホ! 何が僕に任せてよ! 春華に知られたら、何の意味もないじゃん!」
「馬鹿は希だよ!」
俯いていた清水さんが声を張り上げた。
突然馬鹿呼ばわりされた希は驚いたようで、目を丸くしている。
「おやおや騒がしいと思ったら、彼氏くんはともかく、清水さんまでいるじゃないか」
暗闇から嫌悪に満ちた声が聞こえて来た。二人の大きな声が飛び交っていた小さな公園は一変して静寂に戻る。
ゆっくりと須藤が姿を表した。相変わらず、手は鉛筆の炭で黒くなったままだ。
「この周りには一応、民家もあるんだ。静かにしなさい」
まるで教師のような台詞を吐く須藤は清水さんに焦点を合わせ、腕を組む。
「それで、僕が用のあるのは水上さんだけなんだが。清水さんと彼氏くんは親御さんが心配するから、早く家に帰りなさい。何なら、タクシーを呼んであげようかい?」
「私は、須藤先生にお話があります!」
清水さんが一歩前に出る。
須藤は侮蔑にも似た表情を浮かべて僕らの前を通り過ぎる。すれ違いざまに希に視線を送ると、彼女はまたしても僕の背に身を隠した。須藤は呆れたようにため息をつくと、そのまま清水さん尻目にベンチに深く腰をかける。
「仕方ない。話は聞いてあげるから、その代わり、すぐに帰るんだよ? 先生はこれから忙しいんだ」
この男はどこまで教師面をするつもりなのだろうか。
「今すぐ、希に謝ってください」
「どうしてだい? 謝るようなことはした覚えは無いよ」
「付き合うように脅迫しているじゃないですか!」
「それは正当な対価を要求しているだけだから、どこにも謝る要素は無いと思うよ」
須藤の一切悪びれた様子の見えない態度に、清水さんは思わず言葉を失った。かくいう僕も唖然として何も発せなかった。これまで汚い大人は山程見て来たが、この男はそんな大人たちとも一線を画している。
「そもそも、今のこの状況は清水さん、全て君のせいだよ。彼女は君のために自分を差し出す覚悟でこの場所に来たはずだよ。君の将来を守るためにね。それなのに君がのこのこと出て来たら、彼女の覚悟は水の泡じゃないか」
清水さんは爪が深くめり込んでしまうほど強く拳を握っている。それが怒りなのか、悲しみなのか、無力感のせいなのかは分からない。しかし、彼女はそれこそ覚悟を持ってここに来たのだ。
「そんな覚悟、希は持つ必要はない。私、警察に行って全部話して来ます。それで、この件は終わりです」
須藤は眉を一つ動かした。
清水さんが警察に事件の全貌を話せば、須藤は希を脅す材料が無くなる。つまり、この件は自然と終わりを迎えるのだ。
「そんなことをすれば、君は志望校には受からないと思うよ?」
「それは駄目!」
希が僕の背から飛び出し、声を上げる。
「春華は何も悪くない! だから、警察は駄目だよ。私、春華のためなら我慢できるよ?」
希は清水さんを一瞥し、優しい笑みを浮かべた。
親友だからこそ、我慢しようとする。
親友だからこそ、将来を犠牲にしようとする。
一瞬、脳裏に彼羽が浮かんだ。僕がどちらの立場でも、きっと同じような選択をするのだろう。
お互いに思い合っているからこそ、相談できないし、自己を犠牲にしようとするのだ。
「自分の夢と親友のどっちが大事かなんて、考えるまでもないよ。大丈夫。たったの一年遅れるだけだよ」
「春華……」
須藤は大きく舌打ちをする。目尻はつり上がり、とても不機嫌そうだ。
「そういうことなので、希のことは諦めてください。須藤先生」
清水さんは毅然とした態度で言い放った。
須藤はしきりに揺らしていた足を止め、少し考えた後に
「あー、はいはい。もう警察にでも何でも行くがいいさ。元々、僕にはノーリスクハイリターンな件だったんだ。水上さんのことはまたの機会にするよ」
気だるそうに汚れた手で煙草に火をつける須藤。
どうやら彼はひとまず、希を脅すことは諦めたようだ。しかし、その口ぶりから察するに、彼はまた希を狙うだろう――今回のように作為的に。
そろそろ、僕も仕掛けるとしよう。
「警察に御用になるのは須藤先生――あなたですよね?」
街灯に虫がぶつかり、激しく火花を散らして地面に落下した。