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鈴虫のささやかな音色と、夜だというのにやかましい蝉の騒音に包まれた小さな公園には街灯が一本だけポツンとあり、虫がばちばちと突進しては嫌な羽音を立てている。周りには民家と空き家が数件存在するのみで、人通りなどは一切ない。
希は黙って僕の後ろをついてくる。彼女には作戦を話していないが、どうやら完全に僕に頼ることに決めたようだ。足取りはいつもより力強く見える。
正直、僕は彼女と一緒に公園に赴く必要は無い。もう、僕ができることはやりきったのだから。ただ、予想が正しければ、僕がその場にいることで回避できることがある。
「ねぇ、さっきコンビニで何を買ったの?」
「ん? ああ、ちょっとね。使うことが無いといいけど」
「そろそろ、少しくらい説明してくれてもいいんだよ? なんだかんだ言って、やっぱりちょっとだけ怖いからさ」
「実は僕と君が行ってもできることは無いんだよね。待つしか無いというか、なるようにしかならないから」
「えっ……やっぱり不安になってきた。やっぱり、怖いかも」
事実ではあるのだが、どうやら彼女は僕がどうにかすると思っていたようだ。
どうにかするのは僕では無い。あくまで僕は傍観者。この件に関しては、当事者で解決するしか無いのだ。まあ、少しは口出しをするのだけれど。
腰が引けたのか、彼女は距離を縮め、僕の背中に隠れるように斜め後ろについた。
公園が近づくにつれて、ベンチに人影があることが分かった。絶妙に街灯が照らしてない位置にいるため、姿までははっきりと見えず、ぼんやりと輪郭が見えるだけだ。
彼女もそれに気が付いたようで、悲鳴にも似た詰まり声を上げ、僕の服の裾をつまんで恐る恐る歩を進めた。
人影はこちらに気が付いたようで、ベンチから腰を上げる。
僕は歩みを止める。
ゆっくりと人影がこちらに進んできて、やがて街灯がその姿を照らした。
「えっ!?」
彼女の口から驚きの声が漏れる。
僕は人影の姿を見て、小さく安堵の息を吐いた。
色素の薄いセミロングの髪に整った顔立ちで、彼女と同じ制服に身を包んでいる人影の正体は、僕の予想通りの人であった。
「春華……!?」
図書館から出るなり、怪訝そうに僕に視線を向ける彼女。
「あの、びしょ濡れですけど、傘差さずにきたんですか?」
「あー、急いでたからね」
相変わらず、外は土砂降りだ。
彼女は首を傾げる。
「それより、清水さんに話したいことがある。一ヶ月前のことだ」
刹那、彼女は表情を一変させる。うつむき、唇を噛みしめ、両手で震える自分の身体を抱きしめた。
「辛いことを思い出させてしまって、申し訳ないと思う。でも、どうしても――」
「帰ってくださいッ!」
彼女は声高に僕の言葉を遮った。
「それは、できない」
「嫌です! 何も話したくありません! あなたがどこでその話を知ったのか知りませんが、私から話すことはありません!」
瞳に涙を溜めて睨みつけてくる彼女。
「この話が、あなたにとってどれだけ辛いのかは理解してい――」
「理解できてないからッ! あなたは来ているんでしょ! どうして……みんな私を苦しめるの? ふざけないでよ! これ以上、私を私の夢から遠ざけないで!」
彼女の気持ちは痛いほど分かる。それでも――
「夢と希のどっちが大事なんだよ!」
「えっ……?」
彼女が顔をあげる。
「いいか、言い方はきついかもしれないけど、希は清水さん、あなたの事件のせいで苦しんでいるんだ! あなたの知らないところでね」
「それって、どういう……」
「一ヶ月前のことは希に聞いて全て知っている。強姦されそうになったことも、相手に大怪我させてしまったことを隠蔽していることも」
彼女はまた俯いた。よほど隠蔽していることが後ろめたいのだろう。
「隠蔽しているという事実を利用して、須藤は希に自分と付き合うように脅迫している」
「脅迫って、そんな、希は何も関係ないのに……」
「事件に直接関係なくとも、希は清水さんの夢のために自分を犠牲にしようとしている。このままだと、清水さんがされそうになったことを、希は今夜にでもされてしまうんだぞ! 清水さんは、それでも夢を取るのか! 親友と自分の夢、どっちが大事なんだ!」
彼女はよろめく。頭を手で抱え、目をきつく閉じる。
「私は……」
「今夜二十一時、学校前の公園に須藤は希を呼び出してる。いい加減、返事を聞かせろってね」
「そんなの、ダメに決まってるじゃん! だって、だって――希は私の親友なんだよ?」
「じゃあ、清水さんは自分が何をするべきか、分かるよね? ずるい言い方でごめん。僕にはこれくらいしかできることがないんだ」
彼女は灰色の空を見上げ、すっと一筋の涙を流した。
「ううん……。このままじゃ、私また後悔することになってた。たぶん、一生拭えない後悔を。伝えてくれてありがとう、えっと――」
「あぁ、名前ね。んー、今日だけは希の彼氏ってことになってるから、彼氏さんとでも呼んでおいてもらえるかな」