*

「どうやら、しっかりと話が付いたみたいだね」

 居候先の玄関を開けた瞬間、その言葉が飛び込んできて、ぼんやりとしていた僕は心の内を見透かされたようで、少しだけ驚いた。

「よく分かったね」

「そりゃ、伊達に一緒に住んでませんって」

「まだ一週間経ってないけどね」

 靴を脱ぎ、床先に足を付きかけたその時、僕はふと思い出したように足を止め、希をチラリと見た。

「……ただいま」

 彼女は待っていたようにエプロン姿でにへらと笑った。

「うん、おかえり!」

 彼女はすでに夕食の支度をしてくれていたようで、僕が帰ってきて間もなく卓に食器が並べられた。もちろん、僕は汚れ一つつかない手を律義に洗い、それを手伝う。

 卓を囲み、料理に箸を付けながら、大雑把に今日の出来事を彼女に向けて語る。案外、重たい雰囲気になるかと思われたが、彼女は意外にも淡泊に、そして時折談笑を交えながら、僕の会話に耳を向けてくれた。
 重たい雰囲気を僕が嫌ったからだろう。僕の態度次第では、彼女は真剣に話を聞いて寄り添ってくれたはずだ。

「それで、告白したんでしょ? 返事は貰ったの?」

 相変わらず、口に何かを入れたまま喋る癖は治らないようだ。もちろん、注意すらしていないから突然治ったら、それはそれでおかしな話だが。

「うん。分かりきった回答だったけどね」

 僕はつい先ほどの会話に思いを馳せる。


「私は、やっぱりヨッくんのことが好き。昔も、今も。でも、前に進まなきゃ。だから、過去の告白は過去の私がOKを出すけど、今の私がOKを出すことはできないの」

 彼羽は名残惜しそうに僕を見つめた。
 何とも複雑な気持ちだ。好きだと伝えられ、フラれる。でも、それでいいのだ。この結果が、僕の望んだ最良の結果なのだから。

「そっか。でも、ガサツでド天然なお前を貰ってくれる人がいるといいな!」

「あー、失礼だねー。それは、レディに言ってはいけないセリフだわー。心配されなくても大丈夫ですよ。私、こう見えて結構モテるんだから!」

「そりゃ、よかったですな」

 彼羽と僕は照らし合わせたように同時に笑った。それこそ、昔の二人のように何かを気にすることもなく、本能のままに笑った。
 不意に公園の裏手から、部活帰りの中学生がゾロゾロと下山してくる様子が見えた。

「おっと、もうそんな時間か。帰ろっか、ヨッくん」

「そうだね。こんな時間の公園で大人の女性と高校生がいたら、どことなく犯罪チックな臭いがプンプンだからね」


 思案を討ち止め、僕は希に目を向けなおす。彼女は口に箸をつけたまま、わざとらしくジーっと僕を見ていた。

「今、さては過去の女を思いだしていたね」

 それはまるで恋人の浮気を疑う女性のような口ぶり。もちろん、冗談でやっているのだろうけど、なんだか妙に型にはまっていた。

「あれ、まだ恋人ごっこ続いてたんだっけ?」

「ひーどーい。ごっこって言わないで。確かに仮の一日恋人だったけど、ごっこはダメ。何か、遊ばれた気分!」

「いや、女心分からなすぎるよ」

 湯気の立つ味噌汁を一口、そそる。冷え切った身体がじんわりと温かくなっていくのを感じた。

「冗談は置いておいて、仮にも一緒に住んでいる男の子に彼女が出来たりしたら、やっぱり気を遣うわけじゃない。ほら、夜帰ってこなかったら、あー今頃どこかのホテルでラブラブイチャイチャしてるんだろうなぁ、とか」

「女子高生がおっさんみたいなこと言うなよ。ってか、食事中」

「おっと、いけない、いけない。女友達のノリで話してしまったね」

「そんなこと話すのかよ……」

 さらりと話題が堅苦しいものから、どうでもいいような雑談にすり替わる。これも、彼女なりの配慮なのだろうか。とはいえ、先ほどの発言の前半部分は彼女の本心だろう。
 そりゃ、彼女いるのに他の女と同棲って意味わからないもんな。
 そもそも、なぜ彼女は見ず知らずの僕の世話をわざわざしてくれるのだろうか。そして、僕もなぜ孤独を好いていたのに、のこのこと彼女の提示した恩恵にすがっているのか。
 でも、それを彼女に聞いても、自分自身に問いただしても、出てくる答えはきっと、なんとなくの一言に尽きるのだろう。 

 不思議で(いびつ)な関係。

「そうだ。申し訳ないんだけど、私、明日から二日間旅行に行っちゃうから、留守番よろしくね」

「いや、留守番っておかしいだろ。いいよ、僕は学校に一度戻るから」

「――ダメッ!!」

 突然の張り詰めた声に思わず気圧される。
 その一言は、緊張を見せながらもどことなく焦っているような、そんな口調だった。
 彼女は両手をテーブルについて、身を乗り出す形で下を向いている。
 本当に突然の出来事過ぎて、僕には何が何だかよく分からなかった。

 一瞬、静寂が部屋中を漂う。

「それは、ダメ……」

 いつもの陽気な口ぶりから一変。彼女の口から洩れる言葉はどこか震えていて、今にも泣きだしてしまいそうな声であった。
 空気の読める彼女の発言だからこそ、この状況がどうしても僕には理解できない。

「ど、どうして?」

「今日だって、本当はすごく怖かった。もしかしたら、幽霊くんは二度と帰ってこないんじゃないかって思った。だって、よく言うじゃん? 幽霊は未練がなくなると、成仏して消えてしまうって。今まで成仏って、すっきりとしてて、綺麗なものだと思ってた。けど、実際はそうじゃない。残された私は、やっぱり心に何か大きなものが残って未練になる。もし、幽霊くんが彼羽さんと意を交わすことで成仏しちゃったら、私はきっととても悲しいし、たくさん未練が残ると思う。もう、私と幽霊くんは友達なんだよ? 幽霊くんには八月三十日までしっかりと私の前に居てほしい。帰ってきたときに幽霊くんが居なかったら、きっと私はすごく、すっごく不安になっちゃうと思うから」

 絞りだすように彼女は言い切った。息をつく暇もないくらい、早口で、感情を込めて。

「……分かったよ。ちゃんと、留守番してる。大丈夫。僕は夏が終わるまでは絶対に消えないはずだから」

 彼女の本心を聞いた僕の胸の内には、少しの充実感と大きなうしろめたさが渦巻いていた。

「それは、私だってちゃんと分かってるよ……」

 彼女は涙をこらえるように目をきつくつぶって、振り絞るように呟いた。