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「どう? 似合ってる?」

 わざわざ家まで迎えに来た彼女は、淡い黄色に朱色の濃淡が刻まれた浴衣を身に纏い、歩きづらそうな下駄をカランと鳴らした。今日は一段とテンションが高いようだ。
 髪を丁寧に結い、薄くではあるが化粧も施しているようだ。田舎の学生は普段化粧などあまりしない。学校は化粧なんて禁止だし、休みの日に外出するとして化粧をするのはクラスのやんちゃな女子くらいだ。
 この前、東京に行った時にはすれ違う学生のほとんどが化粧をしていて、まるで異次元にでも飛ばされてしまったような気分を味わった。田舎民の都会カルチャーショックという奴だろう。

「あのね、まだ昼間の三時ですよ? 花火まで五時間もあるよ」

 僕は浴衣などの類は着ずに普段着で彼女を迎えた。毎年のことなので、彼女も特に何を言うこともない。女性だけが張り切って浴衣を着るというのは、まあ学生の内ならよくあることなのではないだろうか。都会の事情は知らないけど、田舎ではごく普通のことだ。

「いいじゃん、いいじゃん。出店とかならもうやってるし」

「まあ、別にいいか。特にやることがあるわけでもないし」

 財布と家の鍵だけ持ち、玄関を出た。照り付ける日差しに汗が一気に噴き出す。

「っていうか、感想だよ。似合ってるかどうか聞いたんだけど!」

 彼羽は頬を膨らませて浴衣を再度見せつけるように、くるりと一回転した。
 正直、めちゃくちゃ可愛い。化粧は好きではないが、やっぱり好きな人がしていると一段と良さが引き立って見える。しかし、思春期真っただ中の僕にそんなことをまっすぐに言えるはずもなく――

「いいんじゃない」

 精一杯、譲歩して出たセリフがこれだ。高校生には、好きな女子を素直に褒めるなんて純粋さは持ち合わせていないのだから、許してほしい。

「後味悪い回答だねぇ。内心ではもっと褒めてくれているということで、許しましょう」

 その通りです。

 僕と彼羽は、まだ陽の高いうちから既に賑わいを見せているアーケード街を練り歩く。様々な出店が陳列し、食欲を刺激する様々な匂いに祭りの気配を確かに感じた。

「うひゃー。今年はやけに人が多いね」

「そういえば、テレビでこの前ここが紹介されてたから、そのせいかもね」

 僕は不意にある出店の横を通った時、彼女の手を取って引いた。

「ん? どしたの、ヨッくん」

 特に返事をするわけでもなく、出店の見た目怖いおじさんに「これ一つ」と言って金を払う。

「おー。さすがヨッくん。私のことよくわかってるねー!」

 僕はずらりと並ぶ赤い飴細工を施した果実を一つ手に取る。

「りんご飴、毎年最初に買ってるじゃん」

「うっかり見落としてた。あはは」

 彼羽にりんご飴を渡し、おじさんからお釣りを受け取る。

「坊主たち、デートかい? 楽しめよ!」

 怖いおじさんあるあるなのだが、実は優しい。

「はーい! おじさん、ありがとう!」

 彼羽はわざとらしく僕の手を取って、出店を後にした。

「なんで、否定しなかったの? ヨッくんなら、そんなんじゃないです、みたいなこと言いそうだけど」

 彼羽がりんご飴をちまちま舐めながら訪ねる。

「否定したって、意味ないでしょ。ああいうのって」

「確かに、それは一理あるね」

 しかし、それは見知らぬおじさんだったからに過ぎない。
 目の前の人混みから、高校の友人が姿を見せた。僕と彼羽はその瞬間、握っていた手を放し、互いに一歩だけ外側に距離を取る。

 どうやら、向こう二人も僕たちに気が付いたようだ。若干、恥ずかしそうにしながらも手を軽く上げてきたので、真似して返す。

「やあ、山浦に田中さん」

「お、おーヨッちゃんに彼羽さん。来てたんだ。って、二人はもちろん来るわな」

「いやぁ、二人はお熱いねぇ」

 彼羽の発言に田中さんが赤面してうつむいた。山浦もぎこちない苦笑いで困り切っている。

「おい、やめろ。微妙な空気になっただろうが」

「えー、だって二人でお祭りに行くって、もうそういう関係ですっていってるようなもんじゃん」

「俺らは違うんだから、山浦たちだってそうだとは限らないだろ」

「あ、そっか。確かに」

「二人は変わらず仲がいいな」

 僕と彼羽のやり取りを見ていた山浦は、少しだけ田中さんを気にしながら言った。

「んー……。まぁね」

 そのあと、たわいもない話を少しして、二人と別れた。後姿を見ると、やはり二人の距離はまだ遠かった。

「あの様子だと、まだ告白してなさそうだよね」

「してないだろうなぁ」

 おもむろに彼羽がずっと舐め続けていたりんご飴を渡してきた。

「飽きた」

「でしょうね」

 これも、毎年のことだ。彼女はりんご飴を必ずと言って良いほど買うくせに、表面の飴細工を半分ほど舐め続けると、主役にも思えるリンゴには一切手を付けずに僕に渡すのだ。
 僕はりんご飴を少し見つめる。そして、毎年のごとく何とも言えない気持ちになる。
 間接キスがどうとか、そういう歳ではもう無い。現に好きでもない女子だろうが、好きな女子だろうが飲み物の回し飲みなどは日常茶飯事だ。しかし、飴の間接キスというのは、さすがに意識してしまうものがある。
 
 そんな僕の心を見透かしたように、彼女がもの言いたげな目で僕を見る。

「なんか、エロいこと考えてたでしょ」

「そんなわけないでしょ。一体、お前のどこに発情しろというんですかね」

「これでも一応、乙女なんですけど」

「性別は、ね」

 僕は会話をぶった切るようにりんご飴にかぶりついた。それからは目に止まった出店で食い物を買ったり、射的や金魚すくいなどをして時間が過ぎるのを待つ。

「ヨーヨーなんて取っちゃって、邪魔にならない?」

「ヨーヨーすくいはヨーヨーを取る工程を楽しむものだから、確かに邪魔だわな。あげようか?」

 右手にわたがし、左手にかき氷を持つ彼羽は少しだけ悩み、目をそらした。

「んー、いらない」

「だよねぇ」

 ヨーヨーを手のひらで弾きながら、どうしたもんかと考えながらだらだらと歩く。

「やーッ! わたがしさん食べるの!」

 出店もあらかた回る尽くしただろう時、通りすがりの女の子の半分涙混じりの声が聞こえて来た。小学校低学年とか、それくらいだろうか。ピンクの可愛らしい浴衣に身を包み、父親であろう男性の服の裾を引っ張っている。

「お医者さんがダメって言ってただろ。ほら、あまり暴れるとまた病院に返されちゃうぞ!」

「わーたーがーしー! むーっ!」

 困り果てる男性。少し痩せ型で、顔にはたくさんのシワが入っているが、見るからに優しそうな目をしている。
 不意に彼羽と目が合う。どうやら彼女もあの親子を見ていたようだ。彼羽の視線がスーッと右手に持ったわたがしに吸い込まれる。そして、案の定、親子の元へと歩いて行き、少女に声をかける。
 
「わたがしさん食べたいの?」

 急に声をかけられ、少しだけ驚いたのかそれまで大きな声で駄々をこねていた少女は、彼羽を見て小さく頷いた。

「じゃあ、これをあげましょう」

 彼羽が右手のわたがしを差し出そうとして、男性のやせ細った手に遮られる。

「すいません。せっかくのご好意ですが、この子はちょっとした病気を患ってまして、これは食べられないんですよ」

「あっ……そうなんですか。すいません。事情も知らずに」

「いえいえ、声をかけていただいてありがとうございます」

 少し後ろで彼羽と男性のやり取りを眺めていた僕は、父親の腰にしがみつく少女がこちらを見ていることに気が付いた。
 バシバシとヨーヨーを弾いていた手が止まる。
 あぁ、なるほど。

「お嬢さん、お嬢さん。このヨーヨーをあげるね。わたがしみたいに食べちゃダメだよ?」

 全く、柄じゃないことをしてしまった。
 多少の羞恥心を感じながら、ヨーヨーを少女に差し出す。
 少女の表情が晴れる。

「いいの!? ありがとうお兄ちゃん!」

 照れ臭くも、少女の笑顔に軽い笑みで返す。

「珍しいじゃん。普段はあんなことしないでしょ?」

 父親に手を引かれながら、ヨーヨーを持つ手でこちらに手を振ってくる少女を見送る。

「別に、気まぐれだよ」

「そういうところ、嫌いじゃないよ?」

 彼羽がわたがしを差し出す。

「そりゃ、どーも」

 口に入れたわたがしは、甘い香りを口中に残してすぐに消え去った。


 すっかり空が暗闇に染まり、僕と彼羽は花火の場所取りのために、海辺の公園に早めにやってきた。まだ花火まで一時間半ほどあるため、悠々と場所の確保ができた。
 二人そろって芝生の上に寝転がり、まばらにちりばめられた星を眺める。

「早すぎたかなぁ」

「いや、もう出店も回りつくしたし、ちょうどいいでしょ」

 彼羽は少し退屈そうに両手を夜空に掲げ、ぶらぶらと左右上下に動かす。そして、会話が尽きたと判断し、例のごとく仕掛けてきた。

「山浦くん、告白できたかなぁ」

 あくまで自然に彼女は聞いてきた。

「さあね。花火終わった後かもしれないし。あ、いやそれはないか。告白するとしたら、花火の最中なのかな。分からないけど」

「それってあれだよね。花火の音で告白が聞き取れなくて、された側が聞き返しちゃうやつ」

「ドラマの見すぎでしょ。花火の音で声がかき消されるとかリアルじゃないから」

「それもそうだ」

 もう、この流れで告っちゃおうかなぁと思った。でも、やめておいた。正確には踏み出せなかった。

「あと少しで花火始まるし、飲み物買ってくるよ」

「ほーい」

 僕は立ち上がり、入れ替わるように彼羽が二人分の場所取りの意を示すためか、両手を広げて大の字になった。

「何それ、なんかダサい」

「あっ、そんなこというと、帰ってきたときには知らない誰かが私の隣にいるからね」

「はいはい、そうですね。そのままでお願いします」

 そんなよくわからない会話に思わず苦笑しながら、人混みをかき分ける。
 戻ったら、本当に告っちゃうか。いや、いけるだろ。九割くらいの確率でいけるよな、うん。
 訳の分からない意気込みを心の中でしながら、僕は人の流れに逆らって公園を出た。

 刹那、胸が裂けるような痛みが走った。
 次いで襲う殴られているような激痛に思わず立ち止まる。すぐに息ができなくなり、視界が揺らぎだす。自分の呼吸と嗚咽が脳内に響き渡り、何度もこだまする。
 周りの喧噪が徐々に遠のく。

 パニックになる脳裏に一瞬、彼羽の顔が浮かんだ。

 プツンと視界が暗転し、暗闇が訪れた。