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「説明、するよ」
夜が更け、布団に入る希に声をかけた。部屋の電気は消され、窓から差し込む月明かりが、僕と彼女のかける布団をぼんやりと照らした。
青白く光る腕を見て、まるで幽霊みたいだと面白くもない冗談を心の中で呟く。
「……うん」
長い沈黙を彼女の一言が破った。
結局、海辺での一件の後、彼女とまっすぐに帰路につき、いつも通り彼女が夕飯を作り、それを同じ卓を囲んで食べ、二人で洗い物をする。そして、彼女は風呂に早めに入り、その間僕は窓の外をぼーっと眺める。
特に変わらない彼女の家での日常を広げたのだが、僕は常に心ここに在らずで、ずっと、先ほどのシーンがループして脳内を駆け巡っていた。十年経った彼羽は、外見こそ大人びていたものの、彼女という存在は昔と何も変わっていなかった。
僕のそんな様子を見て、希もどこか気分を暗くしたように会話を無理に繋げようとはしなかった。布団に入ったのも、いつもよりも随分と早い。
きっと、先ほどの出来事がなければ、彼女はデートの感想をいつも以上の口数で喋り倒していたはずだ。完全に気を使わせてしまった。もしかしたら、気分を悪くすらしてしまったかもしれない。
だから、僕は語ることにした。いや、彼女にただ聞いて欲しかっただけなのかもしれない。
「僕と彼羽は幼馴染で、小さかった頃からずっと二人で育った。子供っぽくおままごととか、ちょっとやんちゃして夜の学校に忍び込んだりもしたかな……。もちろん、こんな田舎だから中学も高校も一緒で、毎日一緒に登校して、下校して、休みの日は互いの家を行き来するような関係だった」
言葉を切った。彼女が布団からのっそりと身を起こして、律儀に正座をして僕をしっかりと見つめたからだ。
本当に彼女は尊敬に値するほどに空気を読める人間だ。八方美人? そんなんじゃない。ちゃんと僕と向き合ってくれている。
「仲が良すぎたんだよ。きっと……。気がついたら、僕は彼羽を好きになっていたんだ。そして、自惚れとかじゃなく、はっきりと分かっていた。彼羽が僕を好いてくれていることも。でも、付き合うとかはなかった。思春期ってやつだね。互いに決定づけることは言わない。奥手同士だったからさ。それで――」
「……それで?」
「えっと、僕の病気が発覚した時にさ、彼羽には幸せになって欲しくて、わざと大喧嘩したんだ。くだらない理由で、嫌ってもらおうと思った。どう考えても理不尽すぎるいちゃもんだったから、今思うと笑えてくるけど。でも、彼女はずっと僕の病室に来ようとしたんだ。きっと、わざと嫌われようとしたってバレてたんだと思う。それでも、僕はやっぱり拒み続けた。会いたくて、胸が張り裂けそうだったのに、どうしても彼女を病室には入れなかった」
簡潔に、支離滅裂にも思えるくらいに肝心の感情を隠して話した。それでも、目の前の彼女はゆっくりと瞬き、小さく頷く。
「どうして、なんて聞くべきじゃないよね。なんとなく、分かるよ」
月明かりに照らされた彼女はとても美しかった。凛とした表情で僕をじっと見つめる。風が吹いていないのに、腰まである長い黒髪がなびいたように見えた。
彼女の手が、僕の頬に伸びる。思わず、心臓が高鳴った。
触れた手は温度を感じないはずの僕でも分かるくらいの確かな温もりがあり、冷たくなった頬にじんわりと熱を這わせる。
「それで、今日会ってみてどうだった? って、聞いてもいいかな」
言葉を選んだ彼女に対して、僕は迷うことなく答えた。
彼女には隠すことはやめよう。それが、真剣に僕を見てくれている彼女へ為すべき対応だ。
「不思議と、何も感じなかったよ。もちろん、懐かしくて、愛おしかったけど恋愛? ってなるとそういう感情は全く湧かなかったんだ」
「そっか」
「……うん」
「綺麗な人だったな。大人の女性って感じ」
「そういう問題じゃないよ」
「分かってるよ」
拙い会話だ。互いに次に語るべきことが分からないから。
どうしたい? と聞かれたら、きっと返答に詰まってしまう。でも、彼女はやっぱり空気を読むから、そんなことは尋ねない。
「私ね――」
彼女が少しだけ俯いて、視線を僕から外した。
「小さい頃に、死にかけたことがあるんだ」
突然の告白に、僕は言葉を失った。視線が揺れる。
「まあ、そんなに詳しく話すようなことじゃないんだけど、それこそ余命宣告もされたよ。でも、ゆうれ――君にこんなことを話すべきではないのかもしれないけど、私は生きた。顔も知らない人に助けてもらった。……命をもらったの」
口が開いたまま閉じなかった。冷たい何かが背筋をツーっと這った。
そんな様子を見て、顔を上げた彼女は軽く声を立てて微笑んだ。
「ちゃんと話してくれたからね、私もお返し! これで隠しっこは無しだね!」
まるで楽しい会話をした後のような嫣然とした笑顔を彼女は作った。僕もつられて笑った。本当に、彼女には敵わない。
「君って、本当に空気読めるよね」
「そうでしょー!? 惚れた? 惚れちゃった?」
「はいはい、惚れた、惚れた」
「当然なのです! なんたって、私はモテるからね!」
そんなことを言いつつ、若干照れたようにえへへーと笑いながら布団に潜る彼女。
僕は窓の外に目を向ける。
結局、彼女は何も言わなかった。これからどうするべきなのか、明日のことも、その先のことも、道を示すことはなかった。それが、正しいからだ。
僕自身が決めなければいけない。
――二十二日。
不意に脳裏に数字が浮かんだのであった。