それから先輩が図書室を訪れることはなかった。
連絡先も聞いていなかったし、志望校も知らないので卒業したら本当に関係が途絶える。
だけど三年生の教室へ足を運ぶこともしなかった。
たぶん、連絡先を聞いてもあの人は教えてくれない気がしたから。追いかけてしまえば、逃げてしまう人に手を伸ばしても、振り払われてしまうだけだ。
そして迎えた卒業式の日。
大勢の卒業生の中から、俺はすぐに星藍先輩を見つけることができた。
泣いている女子に優しく声をかけている彼女は、こんなときでさえも周りのことばかり見ている。
いつかあの人が壊れてしまいそうで怖い。
だけど、手を差し伸べても彼女は俺の手を取ることはない。
諦めなくてはいけないとわかっている。
それなのに、卒業式の後に俺は図書室へ訪れてしまった。
十二月から会うことはなくなったけれど、俺は何度も通っていた。
あの人にとっては一瞬の思い出のようなもので、もう俺のことを気にかけてすらいないかもしれない。
せめて三年の教室へ行って、卒業おめでとうございますくらい言おうかとも思ったけれど、やめた。
今あったら未練がましく引きずってしまいそうだ。
これでいい。
お別れも言わず、さよならをした方がきっといつか想いを風化してくれるはず。
図書室のドアを開けると、誰かとぶつかりそうになり咄嗟に後ずさる。
「わ、すんません」
胸に花をつけた女子生徒がちょうど入ってこようとしたところだったようで、花についた白いリボンに書いてある名前を見て目を見張る。
おずおずと視線をあげると、見知った顔がおかしそうに笑いかけてきた。
「やっぱりここにいると思った」
目の前には星藍先輩。あまりにも突然のことに、俺は目を見開いて硬直する。
まさかもう一度会えるとは思っていなかった。
「なんで……」
「最後だから会いたいなと思って」
淡い期待なんて、すぐに打ち砕いてくる。
最後って、そんな言葉を言ってくるなんて相変わらず残酷だ。
だけどそれなら俺も、こんなときくらいは諦め悪く食らいついてみよう。
「先輩、好きです」
呆れられて拒絶されても、伝えないよりはずっといい。
「だから、それください」
星藍先輩の胸元についている花を指差す。
それは生徒一人ひとりに贈られた名前付きのもので、第二ボタン的な役割をしているらしく好きな人のを貰いに行く女子が結構いるらしい。
「こんなの欲しいなんて、よくわからないよね。一条くんって」
「好きな人のものだから欲しいんですよ」
そんなことを言いながらも星藍先輩は、ピンを外して俺に花をくれた。
「私は一条くんが思っているような人じゃないよ。人あたりよくしているだけで、ひどいことだって心の中で何度も言ってる」
「俺もそんなもんっすよ」
「……そうかな。私たちは違うと思うけど」
「先輩はそうやって、自分と周りは違うってずっと捻くれてたらいいですよ」
誰だって、ひどいことくらい心の中で考える。周りの人の顔色を見ながらうまく振る舞うことだってある。
心の内側を全て晒すのが怖くても、それでも少しだけ寄り掛かれる存在が必要なんだ。
「先輩は最後まで結局大事なことは、なにひとつ教えてくれない」
どこの高校へ行くのかも、連絡先も、本当の気持ちも。
それなのに完全には俺を突き放さない。
「だって私のことを教えたら、一条くんは追ってくるでしょ」
「迷惑ってことですか」
「ううん、そうじゃないの。ただ一条くんには私に振り回されず、自分のしたいことをしてほしい」
なら、どうして会いにきたんだと言いたくなる気持ちを抑える。
手を伸ばせる距離にいるのに、この人は掴ませてくれない。
こんなふうに、最後まで俺の気持ちを翻弄していく。
「でもまたいつか出会えたら……そのときはお茶でもしよっか」
「お茶って……」
そんなのまるでできるものなら探してみろとでも言われている気分だ。
だけどこの人なら、本当に俺が探すことができたらお茶をしてくれるだろう。
「それじゃあ、不満?」
「連絡先もつけてください」
「欲張り」
くしゃりとさせたあどけない顔で星藍先輩が笑った。
拒否をしないということは、そのときは教えてくれるのかもしれない。
「一条くん、最後にひとつだけ」
俺の目をまっすぐに見つめると、星藍先輩が泣き出しそうな表情で口元を緩める。
「私を見つけてくれて、ありがとう」
そして、瞬きをすると一筋の涙を流した。
でもそれを俺は拭うこともできなくて、呆然と泣き顔を見ていることしかできなかった。
ハンカチで涙を拭うと、星藍先輩は俺を置き去りにして「さよなら」と言って背を向けて歩いていく。
掴めそうで掴めない、ずるい人だった。
俺の傍に寄ってくるくせに本心を見せてくれない。
だけど、そんな先輩が好きだった。
もらった卒業祝いの花のブローチのリボンには、常磐星藍という文字。
白いリボンのに黒い何かが滲んでいる。
ひっくり返すと、裏側には黒いペンで文字が書かれていた。
『たぶん、好き』
END