気づけば星藍先輩のことばかりを考えるようになっていた。

無理して平気なふりをしている不安定な人。
放っておけないという気持ちもあるけれど、それだけじゃない。

俺がもっと星藍先輩と話をしてみたい。
もっと知りたい。

日に日にそう思う気持ちが強くなっていった。



***



放課後、図書室に星藍先輩がいなかったので気になって三年生のクラスの方を見に行くと、星藍先輩が女子生徒たちに話しかけられていた。

「ペン入れまでしてくれないかな! お願い!」
「それでね、実は期限が明日までで……」

また都合よく扱われているみたいだ。
諦めたように目を伏せた先輩が受け入れそうで、俺は気づけば足を一歩踏み出していた。


「すみません、今日予定あるんで星藍先輩はできないです」

振り返った星藍先輩が驚いた様子で俺を見た。

「先輩、行こ」
星藍先輩の腕を引っ張って、俺は廊下を進んでいく。

「一条くん、ごめんね。今日勉強教える日だったのに遅刻しちゃって」
むしろ俺がでしゃぱって星藍先輩を困らせたかもしれない。

「それにさっきのも……」
「先輩が断れなさそうだったんで、断る理由を作っちゃいました。勝手にすみません」
「……ありがとう」

星藍先輩の声が微かに震えていた。きっとずっと耐えていたのだろう。

「今日は勉強じゃなくて、他のことしません?」
「え、他のこと?」
「たまには息抜きも必要じゃないっすか」

腕を掴んでいた手を離して、今度は星藍先輩の手をしっかり握る。
すると、星藍先輩は握り返してくれた。


***


「ここで息抜きするの?」
洞窟になっている滑り台がある公園に到着すると、星藍先輩が辺りを見回す。


「秘密基地みたいでここお気に入りなんですよねー」
洞窟の中に入ると、一条くんは私の膝に自分のコートをかけてくれる。

「寒くないの?」
「俺は平気です。結構暑がりなんで」

それより星藍先輩の方が心配だ。寒さで頬や鼻が真っ赤になっていた。
自動販売機で購入した温かいお茶を星藍先輩が湯たんぽのようにして両手で抱える。その仕草がかわいくて、頬が緩んだ。

ブレザーのポケットから取り出したおしるこの缶が、かじかんだ手を一気に温めていく。プルタブに指を引っ掛けて、蓋を開ける。ひとくち飲むと、甘ったるいあんこの味が口の中に広がる。

「おしるこ好きなの?」
「つぶあんが好きなんです。飲んでみます? あ、でも俺の飲みかけは嫌か」

手を引っ込めようとしたけれど、星藍先輩が手を伸ばしてきた。

「ひと口もらっていい?」
「どうぞ〜」

おしるこをひとくち飲んだ星藍先輩は、何故か泣きそうな顔になった。

「ありがとう。美味しかった」

なにか言いたそうにしているのに、ぐっと飲み込んだように星藍先輩は無理して笑う。
俺の前でくらい素でいてもいいのに。


「星藍先輩は言いたいことを飲み込む癖がありますよね」
「え?……そうかな」
「もうちょい感情を表に出してもいいんじゃないかなーって、俺は思います」

誰の前でも完璧ないい人でいる必要なんてない。


「もっと自分を大切にしてください。それに気を許せる友達の前でなら、ちょっとくらいわがまま言ってもいいんじゃないっすか」

ニッと笑うと、俺は人差し指を自分に向ける。


「たとえば、俺とか」
「……一条くんは委員会の後輩だよ」

突き放すような言葉だった。簡単には心を許してくれないみたいだ。
それでもそこが星藍先輩らしいとも思った。

「来年から勉強頑張ってね」
「……俺、先輩と同じ学年だったらよかったのにな」

そしたら星藍先輩がいない中学生活を過ごさずに済むのに。

「星藍先輩って、志望校どこですか?」
「内緒」
「えー、なんで教えてくれないんすか。俺、来年受けたいのに」
「一条くんが追いかけてくるなら、なおさら教えない」

前髪をくしゃりと掻いて、俺はため息を吐いた。
どうしようもなく馬鹿馬鹿しくて、虚しくて、嬉しくて、報われない。


「じゃあ、連絡先教えてください」

せめてそれだけでも教えて欲しかった。


「俺、このまま星藍先輩と疎遠になりたくないです」

星藍先輩をじっと見つめる。けれど、すぐに目を逸らされてしまった。

「こっち見て」

視線を上げた先輩と、再び目が合う。
自然とお互いの距離が近づくと、鼻先が触れ合って白い息が重なる。

今にも唇が触れそうな距離だった。

「星藍先輩は、俺のことどう思っていますか」
「……私のどこがいいの」

俺の質問はさらりとかわされてしまった。

「放って置けないところですかね」
「それっていいところなの?」
「星藍先輩って、器用に見えて本当は不器用で目が離せないんですよ。だから……」

気持ちを伝えるのは恥ずかしいけれど、タイミングは今しかない。

「隣にいたいって思ったんです」

俺の言葉に星藍先輩は泣きそうになった。
けれどすぐにぐっと下唇を噛み締めて、口角を上げる。

「私のこと、忘れた方がいいよ」
「酷いこと言いますね。そう言えば俺が諦めるって思ったんですか」
「……幻滅していいよ」
「別に幻滅しようと俺の気持ちは変わんないんで」

一度好きになってしまえば、簡単に諦めることなんてできない。


「俺は自分と同じ量の想いを星藍先輩に求めてないですよ」
「恋なんて一過性だから、この気持ちもいつか消える」

震えた声は、まるで縋るようだった。


「先輩は嘘つきだ」

生き方が下手な、嘘つき。
上手く生きているつもりでも、全然楽な方法じゃない。むしろ自分を苦しめている。


「なんでそんなに自分に自信がないんですか」
「私は自分の心にすら嘘をついて、周りに合わせて感情を綺麗に作って、理想の自分のふりをしてるから……だから誰にも本当の私なんて好きになってもらえない」
「俺は偽っている先輩だとしても、そこも好きだから。今以上に本音を知っても、そう簡単に嫌いになんてなれないし」

納得いかない表情の星藍先輩に、俺は苦笑する。もう少し肩の力を抜いたらいいのに。


「好きって、そんな美化されたものじゃなくていいと思うんすよね。絶対的なものじゃなくても、たぶん好きかもくらいの感情だって、いいじゃないっすか。先輩は完璧を求めすぎです」
「でも……」

これだけ言っても俺の言葉を受け入れられないらしい。むしろ自分のダメなところを必死に探しているように見える。


「面倒臭いですよね、先輩って」

優しくて澄んだ声も、泣きそうに笑う顔も、大人ぶって平気なフリをするところも、全部嫌いで全部好きだ。

好きになんてなりたくなかった。

振り向いてなんてくれないし、報われない恋をしつづけている人を好きになるなんて、苦しいだけだ。
だけど俺はやっぱり、諦め悪くて望んでしまう。



「それなのに好きなの?」
「だから好きなんですよ」

星藍先輩は手を握る力を強くしてきた。
なんだか先輩が泣いている気がして、隣を見ることを躊躇う。

好かれたいくせに、好かれることが苦手なこの人にどんな言葉を尽くしていけばいいのかわからない。
だけど、傍にいたかった。


忘れていいなんて、言わないでほしい。
先輩にとっては一過性のものだとしても、俺にとっては忘れたくない日々だった。


たとえ、先輩が俺の前から去って行ってしまうとしても。