近頃、瑠璃帝の後宮の侍女たちを悩ませている怪異がある。
 草木も静まる宵の刻、瑠璃帝をお招きして宴が開かれる最中、それは起こる。
「あっ……」
 宴席で舞を披露する妃の衣が、ふいに解けるのだ。
 はらりと垣間見える肌、さらされた手足がなまめかしい。ただ、いくら遊興の宴といってもそこは皇帝陛下のおわす席である。
 臣下たちも侍女たちも慌てて駆け寄り、当の妃も顔を赤くして謝罪する。
「陛下の御前で……申し訳ございません!」
 瑠璃帝は別段動揺する様子はなく、下がって衣を整えるようにとだけ命じる。
 宴の最中の小さな事件とはいえ、こんなことが先月から三度続けざまに起こっている。
 何者かが妃の衣装の糸を切っているのだろうが、それが誰かがわからない。衣装を扱う侍女たちは、今日こそ後宮を追い出されてしまうのだろうかと怯えていた。
 さすがに三度となると、臣下たちも瑠璃帝の気分を害するのではと恐れた。ある日、優秀な瑠璃帝の臣下の一人が瑠璃帝に進言した。
「先般の糸切り事件ですが、疑わしきを中心に据えてはいかがでしょうか」
 瑠璃帝は涼し気な目を細めてうなずく。
「考えがあるなら聞こう」
「次の宴で、平凡妃に舞を披露させるのです」
 瑠璃帝はそれを聞いて少し遠い目をした。臣下の気持ちはわからなくもないが、大いに疑われている平凡妃がいささか哀れな心地がした。
「平凡妃の衣も解けたら、彼の女人が犯人ではないということか」
「は。もし解けぬときは罰しましょう」
 果たして罰まで必要だろうかと瑠璃帝は思ったが、宴のたびに衣装が解けても困ったものだった。瑠璃帝は渋々、次の宴で平凡妃に舞を披露するようにと命を下した。
 いつも通り職務熱心な臣下たちのはからいにより、三日の後には次の宴が開かれた。
 月がほのかに輝き、草木が静かに鳴っているおだやかな夕べだった。
 瑠璃帝が現れたときには、妃たちは既に宴席に集い、侍女たちが給仕に控えていた。
 瑠璃帝が列席者を見やると、平凡妃は最前列で緊張感なく座っていた。今日もあまり特徴のない小豆色の衣で、髪は舞のために結ってはいるが、その変化にさしたる色気は感じられなかった。
 臣下たちの中には衣が解けるという怪異を期待している者もいた。ところが今日は平凡妃が舞うと聞いて、なんだか気落ちした様子の者もいた。
 自分はいつになく期待しているが。瑠璃帝はそう思った自分が破廉恥な気がして、小さくかぶりを振った。
「……始めてくれ」
 なぜかばつが悪そうに宣言した瑠璃帝を、臣下がちらと見上げた。
 合図を受けて、平凡妃はすすっと裾さばきも色気なく進み出ると、舞い始めた。
 ひらりと袖が宙をかき、ふわりと裾はたなびき、意外にも平凡妃の舞はそこそこ上手だった。瑠璃帝はふむとその舞を見て、傍らの臣下に声をかける。
「清廉ではないか」
「色気はございませんが」
 間髪入れずに臣下が答えたので、瑠璃帝は顔をしかめて言い返す。
「女人は色気だけが取り柄ではない。見よ、案外に……」
 そのときだった。平凡妃の肩口の紐がはらりと解けた。
「衣が……!」
 ある意味ここしばらく臣下たちの待望の瞬間だったが、次の瞬間には彼らは奇怪なものを目にする。
「……見え、ない?」
 平凡妃の衣は確かに解けた。しかしその下にあるはずの下着も肌も見えず、まったく同じ小豆色の衣が現れただけだった。
 袖はひらりはためき、裾はふわりと膨らむ。臣下たちの中から声が上がる。
「あ、また……!」
 平凡妃の衣はつと解ける。ただしその下には変わらず小豆色の衣がある。
 脱いでも脱いでも現れる衣。それが三度、四度と繰り返されるうち、瑠璃帝はこれも彼の女人の妖術なのだと気づいた。
 舞は終わり、平凡妃はそつなく一礼する。そのとき、皇帝は何かお褒めの言葉を与える決まりになっていた。
 実に清廉な舞であった、などと言えばよいところを、瑠璃帝は思わず違う言葉を告げていた。
「……平凡に終わってほっとしている」
 瑠璃帝が心からの安堵とともに告げると、平凡妃はほっこりと微笑みかえした。
 その日から、ぱたりと衣の糸切り事件は途切れた。
 後日、妃たちが自らの衣を切って皇帝の目を引こうとしていたことがわかったが、その頃から皇帝は平凡妃に特別なお言葉を与えるようになったのだった。