時は流れ、瑠璃帝の後宮でも桃の花が咲く頃になった。
朝から宝珠宮には数々の祝いの品が届いていた。それというのも、今日は平凡妃が正妃として瑠璃帝に娶られる日なのだった。
平凡妃は宮をうろうろとしながらぼやく。
「私が一番驚いています。ええ、たぶん夢ですよ。明日になったら消えています」
「凡妃様、しっかりなさってください。恋は時に一瞬で距離を詰めてくるものです」
平凡妃はいつもとは逆でシーファになだめられていた。
「陛下から愛のお言葉があったのでしょう?」
シーファにそう言われると、平凡妃はかぁっと赤くなった。シーファは心の中で、純真な方だとほっこりする。
シーファはしっかり者らしく、主人に対しても言うべきことはきちんと言う。
「陛下は後宮の姫君方を順次ご実家に帰し始めていらっしゃいますし、心を決めて後宮の主になられませ」
前の婚儀の日と違って、今日の平凡妃はわかりやすくそわそわしていた。シーファはそんな平凡妃に笑って、贈り物を片付けたり人の手配をしたり、忙しく働く。
風の中に花が香る夜、瑠璃帝は平凡妃の元に渡ってきた。
平凡妃は瑠璃帝の前で膝をついて頭を垂れる。
「……えっ」
そんな平凡妃をひょいと抱き上げると、瑠璃帝は彼女を横抱きにして椅子に掛けた。
瑠璃帝はしっかりと平凡妃を腕の中に収めて言った。
「私は結構我慢強い方だと思っているが。それでもこの半年は長かったぞ」
瑠璃帝は息をついて愚痴らしいことを口にする。
「そなたを正妃に迎えるために、臣下たちへの根回しやら、公主のご機嫌取りやら、何よりそなたがはいと言ってくれそうな贈り物を、一から考え直したのだからな」
「面目ない」
平凡妃は遠い目をしながら詫びる。
「根が庶民的な小娘でございます。宝石だの衣装だのは、正直いただいても身に着けるのが気恥ずかしくて」
「後宮を乗っ取ったそなたが何を言う」
瑠璃帝はじろりと彼女をにらんで言う。
「天人の里まで行って取り返してきた妃だ。今更どこへもやらぬぞ」
「近い近い」
まだうろたえている平凡妃に息が触れるような距離でみつめて、瑠璃帝はささやく。
「……そろそろ目を閉じよ。言葉では伝えきれぬことを、伝える時間だ」
平凡妃はごくんと息を呑んで、そろそろと目を閉じた。
瑠璃帝は平凡妃と唇を合わせようとして、彼はぽつりと名前を呼ぶ。
「平凡妃」
瑠璃帝は一度黙って、もう一度彼女を呼ぶ。
「平凡妃。……浮いておるぞ」
平凡妃は顔を真っ赤にしながら目を開く。
「あれ?」
彼女はぷかぷかと浮遊している自分を見て首を傾げる。
「妖術は使えなくなったのでは……」
「使っておるではないか」
瑠璃帝は平凡妃の手をつかんで引き戻しながら言う。
「姉上か豊穣の女神かはわからぬが、そなたの妖術が大いに私の心を乱して喜んでおられた。たぶんしばらくそなたに力を与えたままなのだろう」
平凡妃は一瞬黙って、おもむろにつぶやく。
「未通娘の間だけかも……」
「試してみるか?」
「えっ……わぁ!」
平凡妃は仰向けに倒されて悲鳴を上げる。
瑠璃帝は少し意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「そなたが浮く力も失せるくらいに励んでみせるか。覚悟せよ」
その夜、瑠璃帝と平凡妃の距離がどれほど近くなったかは、天人も知らないところだった。
ただその一月後も、一年後も、十年後も、二人はとぼけた妖術でわいのわいのと仲睦まじく過ごしていく。
天上のように華やいだ後宮はまもなく消えるが、天人に似た子どもたちが笑い遊ぶ後宮ができあがるのは、もう少し先の話。
朝から宝珠宮には数々の祝いの品が届いていた。それというのも、今日は平凡妃が正妃として瑠璃帝に娶られる日なのだった。
平凡妃は宮をうろうろとしながらぼやく。
「私が一番驚いています。ええ、たぶん夢ですよ。明日になったら消えています」
「凡妃様、しっかりなさってください。恋は時に一瞬で距離を詰めてくるものです」
平凡妃はいつもとは逆でシーファになだめられていた。
「陛下から愛のお言葉があったのでしょう?」
シーファにそう言われると、平凡妃はかぁっと赤くなった。シーファは心の中で、純真な方だとほっこりする。
シーファはしっかり者らしく、主人に対しても言うべきことはきちんと言う。
「陛下は後宮の姫君方を順次ご実家に帰し始めていらっしゃいますし、心を決めて後宮の主になられませ」
前の婚儀の日と違って、今日の平凡妃はわかりやすくそわそわしていた。シーファはそんな平凡妃に笑って、贈り物を片付けたり人の手配をしたり、忙しく働く。
風の中に花が香る夜、瑠璃帝は平凡妃の元に渡ってきた。
平凡妃は瑠璃帝の前で膝をついて頭を垂れる。
「……えっ」
そんな平凡妃をひょいと抱き上げると、瑠璃帝は彼女を横抱きにして椅子に掛けた。
瑠璃帝はしっかりと平凡妃を腕の中に収めて言った。
「私は結構我慢強い方だと思っているが。それでもこの半年は長かったぞ」
瑠璃帝は息をついて愚痴らしいことを口にする。
「そなたを正妃に迎えるために、臣下たちへの根回しやら、公主のご機嫌取りやら、何よりそなたがはいと言ってくれそうな贈り物を、一から考え直したのだからな」
「面目ない」
平凡妃は遠い目をしながら詫びる。
「根が庶民的な小娘でございます。宝石だの衣装だのは、正直いただいても身に着けるのが気恥ずかしくて」
「後宮を乗っ取ったそなたが何を言う」
瑠璃帝はじろりと彼女をにらんで言う。
「天人の里まで行って取り返してきた妃だ。今更どこへもやらぬぞ」
「近い近い」
まだうろたえている平凡妃に息が触れるような距離でみつめて、瑠璃帝はささやく。
「……そろそろ目を閉じよ。言葉では伝えきれぬことを、伝える時間だ」
平凡妃はごくんと息を呑んで、そろそろと目を閉じた。
瑠璃帝は平凡妃と唇を合わせようとして、彼はぽつりと名前を呼ぶ。
「平凡妃」
瑠璃帝は一度黙って、もう一度彼女を呼ぶ。
「平凡妃。……浮いておるぞ」
平凡妃は顔を真っ赤にしながら目を開く。
「あれ?」
彼女はぷかぷかと浮遊している自分を見て首を傾げる。
「妖術は使えなくなったのでは……」
「使っておるではないか」
瑠璃帝は平凡妃の手をつかんで引き戻しながら言う。
「姉上か豊穣の女神かはわからぬが、そなたの妖術が大いに私の心を乱して喜んでおられた。たぶんしばらくそなたに力を与えたままなのだろう」
平凡妃は一瞬黙って、おもむろにつぶやく。
「未通娘の間だけかも……」
「試してみるか?」
「えっ……わぁ!」
平凡妃は仰向けに倒されて悲鳴を上げる。
瑠璃帝は少し意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「そなたが浮く力も失せるくらいに励んでみせるか。覚悟せよ」
その夜、瑠璃帝と平凡妃の距離がどれほど近くなったかは、天人も知らないところだった。
ただその一月後も、一年後も、十年後も、二人はとぼけた妖術でわいのわいのと仲睦まじく過ごしていく。
天上のように華やいだ後宮はまもなく消えるが、天人に似た子どもたちが笑い遊ぶ後宮ができあがるのは、もう少し先の話。