「おい。ん。」
 廊下に響くドスの効いた低い声。ギラギラと光る瞳はいかにも獲物を狙っているようで、筋骨隆々を表すにふさわしい体格をしている。
「あ、ありがとうございますぅぅぅ!!!!」
 ペンを拾ってもらった女子生徒は逃げるように去っていった。


 綾野百合<ゆり>はサークル活動から今帰ってきた。が、どうも部屋の鍵が開いている。そーっと開けてみると、玄関に大きな灰色の狼らしい犬が寝ているではないか。無論、彼女は犬を飼っていない。だが、驚きもしない。
「岳斗<がくと>ぉ、ただいまぁ。」
 ピクっと耳が動くと、すっと起き上がる犬。
「おかえり、百合。待ってた。」
 と思えば、ガタイのいい男へ変身した。それは、あの廊下で女子に逃げられていた男だ。
「廊下の件聞いたよぉ。岳斗が女子いじめてたってw」
「断じて違う。俺はただペンを拾っただけなのに。」
「あはは!知ってるよ。岳斗はめちゃ優しいからねぇ。」
 この男、月神岳斗は至って優しい。ただ見た目が狼男らしく厳つく、口下手なだけなのだ。
 岳斗はケモ耳を垂れさせ、モフモフの尻尾も床を引きずるように下がっている。強がる口ぶりとは反対に相当堪えてるようだ。耳と尻尾は正直である。
「ほら、おいで?」
 岳斗はそっと抱きついて、尻尾を振る。
「よしよし。いい子いい子。」
 この二人は小等部からの仲だが、岳斗が学校で百合に話しかけることは歳が上がる度減っていった。

『ゆり様ぁ、あんなやつといっしょにいちゃダメですよ。』
『あんなやつ?がくとのこと?』
『ゆり様がけがれてしまいますよ!』
『なんでそんなこというの?がくとをわるくいわないで!』
 次の日から百合は「落ちこぼれのフェアリー」と囁かれることになった。それは岳斗の耳にも入っていた。だから、避けた。

 それでもこうして一緒にいるのは、百合も岳斗もお互いが大好きだからだ。

『百合の旦那さん、岳斗がいいなぁ……』
『え、?』
 百合への縁談が多くなってきた頃、彼女がボソッ呟いた。
『あはは!だめ?』
 首を傾げて、微笑んでくる。百合は確信犯だ。そんな顔されて、断れるわけなかろう。

「岳斗、今日泊まってく?」
「いいか?」
「いいよぉ。明日講義ないしぃ……?」
「うぅ……///」
 本当に毎度毎度百合には負ける。
「一緒にお風呂入ろぉ?」
「分かった。」

 甘々なカップルも大学生活では他人同然に関わらない。

「ちょっと!敷地内にポイ捨てって!」
「あぁ?!ポイ捨てじゃねぇ!ゴミ箱に投げたら入んなかっただけだ!」
「それだってポイ捨てよ!」
 大学内、百合が男子生徒達と口論している。彼女の性格上、非行は見逃せない。
「ちゃんと捨てなさいよ!」
「うるせぇ!!」
「キャッ……!」
 突き飛ばされ、尻もちをつく。同時に足を捻ってしまい、立てない。
「隙ありぃぃ!!」
  斬撃系の攻撃魔法だ。気付いた時にはもう遅い。
「うっ!」
「っ?!がくと……?」
 百合を覆うように岳斗が抱きしめる。斬撃は岳斗の背中に傷を刻んだ。
「邪魔だぁ!」
「くっ……!あ゛ぁ!」
 何度も何度も切り刻むように攻撃してくるが、痛みに悶えても庇うのをやめようとしない。
「岳斗ぉ、やめて。お願い……!」
「やめねぇよ。大切な人傷つけられて、こっちはキレてんだよぉ!」
 輩を鋭く睨み、自慢の牙を見せつける。
「きょ、今日はこれくらいにしといてやる!」
「お、覚えとけよ!」
 威嚇程度で逃げていく腰抜け。所詮その程度だったようだ。
「百合、だいじ」
「百合様に触るな!」
 急に岳斗が突き飛ばされ、床に倒れる。
「岳斗!」
「百合様、ご無事ですか!?」
「はっ……」
「足をひねられてますよね?僕が養護室に」
 背中から血をダラダラ垂らす岳斗をよそに、百合を心配する生徒たち。百合は怒りをおぼえ、男子の手を払う。
「私に触るな!!」
 痛めた足を無理に動かし、四つん這いで岳斗に近づく。
「岳斗、岳斗……!」
「痛ってぇ……ん?百合……?怪我ねぇか?足やってるよな?」
「それより……怪我、」
「もう血止まってっから大丈夫だ。」
 ゆっくり体を起こす岳斗。そっと百合の頭を撫でた。
「岳斗……」
「怖かったろ?泣いていいからな。」
「……ぅぅ……ひっひっ……うわぁぁぁん……こわがったぁ……!うぅぅ……うわあぁぁん……!」
 一同はギョッとする。正義のヒーロー、百合が泣いてるのだ。そんなの勝手なイメージにすぎず、百合は元々泣き虫だ。ただ、人前では強がってるだけである。
 そっと抱きしめたと思えば、立ち上がり姫抱きし養護室へ向かった。

「岳斗の傷いたそぉ……」
「まぁ?もうそんなに痛くない。狼男は硬ぇから。傷もそんな深くねぇし。」
「でも、やっぱり薬塗ってあげる。」
 ボロボロのシャツを脱ぎ上裸になる。あまり背中を見ないが、よく筋肉の付いた大きな背中をしている。
「滲みるかも。」
「あぁ。」
 早く治るように百合自身の魔力も少し混ぜて薬を塗っていく。
「ありがとう、岳斗。助けてくれて。」
「別に、百合がやられてんの見てらんなかったから。」
「ぅふふ!大好きだよ、岳斗。」
「ぅ……///俺も……好き……だ……///」
「岳斗顔真っ赤!」

 次の日から岳斗を悪く言う奴らはいなくなった。