『今日も来てくれてありがとう!また来週、チャルジャヨ。』
「ほんと!今日の配信も良かったぁ!」
 ベッドに寝転びながら、余韻に浸る。この春JKになった関口希帆(せきぐちきほ)はあるVチューバーにハマっている。「日韓ハーフ男子Vチューバー レイタ」、彼氏シチュのASMRやゲーム実況、歌ってみた投稿をやっている、個人Vチューバーである。
 特にヲタクでない希帆が「レイタ」にハマっているのには理由がある。希帆は極度の声フェチだった。「レイタ」のやや低めの優しい甘い声が希帆の心を射った。定期生配信は欠かさず見て、不定期の「歌ってみた」などはエンドレスリピートで聞いている。飽き知らずに沼っていた。

 次の日の昼休み、希帆たちはある話題で盛り上がっていた。
「一組の美濃部くん、バッッカ、イケメンだった!ファンクラブ案件だって!」
「それを言ったら二組の野口くんだって、スポーツマンって感じで良きだよ!」
「いやいや、三組の鈴木くんは学年トップですよぉ?!インテリも良きだから!」
 JKといったら、イケメンや彼氏とやらに目がない。入学早々、探偵の如く調べ、バーゲンセール並の男子の取り合いが始まった。
「そう?よくわからんなぁ……」
かといって、希帆は彼らに興味を示さなかった。単に声が好きでないからだ。
「希帆が好きなのは声だもんねぇ。」
「いた?好みの声の男子!」
「今んとこいなぁい。」
 特に希帆の隣の席の男子は無口で、かつ帰国子女らしく日本語が苦手とのこと。まして、隣女子だ。まず話さないだろう。希帆的に見た目もない。黒縁のぶ厚いメガネと重い前髪、いかにも陰キャだ。まぁ、クラスメイトとして仲良くしたいとは思っているが、あくまでその程度である。

 その日の放課後のこと。
「関口さん。入学前課題、今日提出だが。」
 声をかけてきたのは、その隣の男子だ。確か名前は……と思い出そうとしたが上手くいかない。
「イ……っごめん!何くんだっけ?」
「ギジョク、イギジョク。」
 ギジョクは端的に答えた。彼は日韓ハーフで、小中は韓国で過ごしている。
「というか、そんな場合じゃないよね!ごめんね。はい、課題!集めてくれてありがとう!」
「別に」
 希帆の課題を回収すると、足早に去っていった。
(え、話しかけられて思ったけど……声がめちゃくちゃ良いな!おいっ!くっそ好みで死んだわ。どっか「レイタ」に声が似てて……まぁ好みなんだしそりゃそうか。つーか日本語ペラペラじゃねぁか!え、めっちゃいいなぁ……)
 希帆の頭はフル回転していた。この時少しでも、もっと話してみたい、と思ってしまった。

 ある日のこと、急遽国語の授業から数学に変わってしまった。無論、希帆は持ってきてない。こういうときばかりは置き勉しとくべきだった、と後悔する。
「せんせー、今日教科書ないですよ!」
「ギジョクに見せてもらうんだな」
「はぁい……」
 ギジョクに事情を説明すると、彼は何も言わず頷いて机をつなげた。
「だいぶありがたい!」
「別に」
 ギジョクは頭が良いようでスラスラと問題を解いていく。まぁ希帆は……想像にお任せする。
「じゃぁ……ここの問題、関口」
(え、まだ解き終わってな……)
「三」
 ギジョクは耳元で小さく呟いた。
「さ、三!」
「そう、正解だ」
 ほっと肩を撫で下ろした。

「ありがとぉ!」
「別に……何も」
 ギジョクは無口だ。でも、希帆から見て、隠しているようにも見えた。極力声を出さずに、出すときは小さく。まるで誰にも知られたくない、みたいに。
「あー……もしかして、話すの嫌い?声嫌いだったりする?」
「っ!なんで……」
「いや、なんとなく?あんまり話したがらないし。そうかなって」
 ギジョクは俯いてしまった。
「嫌だろう……こんな……無駄に低くて、暗い声なんて……」
 歯を食いしばる音。赤くなるほど握られた拳は、怒りを含んでいるようにも見える。相当コンプレックスなようだ、が。
「……そう?私はそう思わないけどなぁ」
「え、?」
「だって、まぁ個人的なんだけど、推しの声にめっちゃ似ててさ!『レイタ』っていうんだけど、低くて安心する声なんだよ。だからね?私、ギジョクの声結構好きだよ!」
 時計を見ればもう五時。電車の時間もあって、希帆は急いで教室を出た。

(僕の声が好き……?そんなこと初めて言われた……というか、あんな無垢に「好き」って……)
「反則すぎるだろ……」
 ギジョクは声が原因でいじめられていた。人と話すのは好きだ。ギジョクの声を聞いて驚くような、いや落胆するような顔を見たくなくて、低い声を揶揄われるのも嫌で、必然的に声を出さないようになっていった。そう始まったら止まらず、孤独を貫き無関心に生きてきた。
 見かねた両親が日本の高校に行かないか、と提案してきて今に至る。姉に勧められて、高校生の傍ら活動者もしている。リスナーからの温かいコメントが、ギジョクの心を癒やした。
 高校では極力話さないようにしていた。母親が日本人なので、日本語に関しては問題ない。話せないのでは無い、話さないだけなのだ。
 実際の所、希帆に話しかけるのは怖かった。またあの頃のように……そう思ったら身震いした。でも、そんなことはなかった。声に驚くどころか、「好き」と言った。声が好きと言われただけなのに、自分を認めてもらえた気がして嬉しかった。
 心のどこかの本当の自分が、希帆と話したい、と叫んでいる。

 次の日の朝、希帆は特別嬉しかった。
「お、おはよう……」
「っ!?おはよう、ギジョクくん!」
 ギジョクから挨拶してくれたのだ。単純に嬉しかった。無口な彼が自分にだけ挨拶をしてくれる。なんとなく優越感があった。
 その流れで希帆はギジョクと暫く話していた。
「今日の体育何か知ってる?」
「バレー……って聞いたけど」
「げっ、!それほんと?私バレー苦手なんだよねぇ」
「スポーツ、苦手なのか?」
「まぁ、球技がちょっとね。中学は吹奏楽部で、ユーフォニアムやってたし、運動やってこなかったから」
「ユーフォニアム……関口さんは低音が好きなんだな」
 ギジョクにそう指摘され、確かにと納得した。ユーフォも音に惹かれて始めたし、きっと間違いない。
「なーんか、低い音って安心するんだよねぇ。お父さんもそうだったからかなぁ?」
「お父さん?」
「そ。私のお父さん、私が小学生の時に事故で死んじゃったんだけど……お父さんも低くて温かくて、安心する声だったの。」
 無意識に父親を求めていたのかもしれない、と自分で思った。私を呼ぶあの低い声が脳に張り付いて剥がれない。
「お父さん……」
「……希帆、さん。」
「え、?」
 ギジョクが急に名前を呼んだ。
「あ、えっと、嫌だったか?」
「全然いいけど……」
「良かった……少しでも寂しい気持ちも消えるんじゃないか、と思って」
 だって似てるんだろう?と言いつつほんのり笑った。
「なんか、もっと話したいなぁ……」
「じゃあ……今日の放課後一緒に帰らないか?」
「え?!でも、ギジョクくんいつも車じゃ……」
「方向は同じだし、電車で帰れないこともないから。なんなら毎週火曜日は一緒に帰る日なんて……ダメか?」
(その声でダメ?は反則すぎる!)
「イッショニカエル……」
 ギジョクが声を出して笑った。楽しそうな顔をしてる気がした。

 その日から決まって火曜日はギジョクと帰るようになった。
「なんだぁ?カップルかぁ?!」
「違うから!やめてよ!」
 揶揄されることもあったが気にしなかった。楽しかったし、何より寂しくない。

 ギジョクのことも分かってきた。彼は決して無口ではない。本当は話すのが好きで、心優しい青年だった。日本語は母親から自主的に習ったらしい。ネイティブ並の発音は彼の努力の賜物だった。
「すごいなぁ。私も韓国語勉強しようかな」
「韓国語?なんで?」
「推しが日韓ハーフなんだぁ。いつも配信で『アンニョン』とか『チャルジャヨ』って言うの」
「アンニョンは軽い挨拶、『やあ』とか、『またね』なんて意味もある。チャルジャヨは『おやすみ』だな」
 ネットで調べてはいたが、ネイティブに教えてもらうとより信頼できる。
「ギジョクくんが良ければだけど、韓国語教えてくれない?」
「その前に英語を勉強したほうが良い」
「うっ……」
「が、支障をきたさない程度なら……いい」
 優しく微笑む彼の隣がとても温かい。希帆はいつの間にか恋に落ちていた。凍りつく冬が春に移り変わるように、あまりに自然だった。ゆえに、希帆は気づいていない。
「やったぁ!ありがとう、ギジョクくん!」
「別に……大したことは……」
 ただ、それはあくまで希帆は、である。ギジョクは違った。ギジョクは恋心を自覚している。自分を認めてくれる希帆のそばで、彼女を守りたい。ギジョクにとって希帆は誰よりも大切な人になっていた。

 しかし、その気持ちを伝えるつもりはなかった。もちろん、彼なりの事情がある。
「ただいま。父さん、母さん」
「おかえり、ギジョク」
「おかえりなさい、玲汰(れいた)。夕飯できてるわよ」
「ありがとう、母さん」
 イギジョク、またの名を神城(かみしろ)玲汰。季帆が言っている「Vチューバー レイタ」がギジョクであることは、案外すぐ分かった。
 希帆はよく「レイタ」の話をする。その話と自分の配信が一致するのだ。名前も配信の内容も、声すら似てると言われて、イコールにならないわけが無い。
「学校どう?」
「今日は希帆さんと帰ってきて、今度韓国語を教える事になったんだ。」
「あらまぁ!玲汰やるじゃない!」
 息子の恋に興奮する母親を他所に、父親は厳しい顔をしていた。
「そろそろ、よく考えなさい。俺たちと韓国に戻るのか、ここに1人残るのか。お前が二年になる頃には俺たちは戻るからな」
「っ……!はい」
 恋を自覚しながら、前に進まないのには理由がある。
 一つは、希帆が「レイタ」のリスナーであること。配信者が一リスナーと繋がるのは少々抵抗がある。それに、希帆が好きなのはあくまで「Vチューバー レイタ」であり、ギジョクではない。
 もう一つは、韓国に戻るかもしれないということ。父親の仕事の関係でギジョクが高二になる時には、両親は韓国に戻る。それに着いていけば、ギジョクは韓国に戻ることになる。勿論、日本に残る選択もできるが、そうなれば一人暮らしを強いられる。学業と私生活、両立させる自信がギジョクには無かった。最悪一人暮らしの姉の所に転がり込んでもいいが、出来ればしたくない。
 このどうしようもない足枷がギジョクを縛った。

 こういう時ばかりは時間が早く、瞬く間に一週間、一ヶ月と過ぎていく。季節はまた寒々とした冬に戻った。
 この頃には希帆も恋心を自覚したが、最近彼から避けられている、そう感じていた。一緒に帰るのだって、予定云々と断られるとこも多くなった。だんだん疎遠になる感じが、ひんやりと冷たくて寂しい。

 こんなヘタレなことはいけない、なんてギジョクは分かっている。でも、「もし」を考えれば怖くなって仕方ないのだ。
 もし、正体を明かして落胆されたら?もし、韓国に戻る選択をしたら?もし、またあの時のような環境に置かれたら?もし、また独りになったら……?
 苦く痛い記憶がフラッシュバックする。
(もう……あんなの、耐えられない……)
 ギジョクはベッドの中でグルグルと考えていた。希帆のことが好きだからこそ、恐怖に怯えた。
 だからって前に進まないのは子供だ。言わなくちゃいけないのだ。
「よし!」
 気合い入れに自分の頬を思い切り叩いた。


「希帆さん……!」
「ふぇ!?どどどうしたの……?」
 心臓の音が外にまで聞こえてしまいそうだった。
「こ、今度の土曜日、どこか出かけませんか?!」
 勢いよく言いすぎて、中々の声量で言ってしまった。視線がギジョクに集まる。
 痛い……怖い……北極の海のような、冷たく重い海水の中みたいな。こんなの……溺れてしまう……
「……ほんとぉ!どこ行く?なにしよっかぁ?」
 希帆はまったく気にしていない。実際視線が集まったのは一瞬かつ一部である。
「本当に良いのか?」
「だって私行きたかったし!全然いいに決まってるよ!」
 ギジョクはこんなに温かい言葉を知らない。
「あ、ありがとう……」
 気恥ずかしくて、顔が急に熱くなって手で隠した。
 その日の帰り、土曜に市街にある大型ショッピングセンターに行くことにした。

 典型的なストーリーあるあるなのか……希帆は当日寝坊した。予定より三十分、髪も可愛くしたかったのに、簡単に巻いて縛ることしかできなかった。
『寝坊しちゃった!遅刻するかも……』
『大丈夫。ゆっくり来て。』
 ギジョクは本当に優しい。爆速でメイクして、お気に入りのワンピースを着る。
「あら?気合入ってる?」
「今日友達と遊んでくる!」
「おっ!楽しんできなさい!」
「いってきます!」

 集合時間二十分遅れで、希帆はショッピングセンターに着いた。
「ギジョクくん……!遅くなってごめんね!待ったよね、ほんとごめん!」
「大丈夫。そんなに待ってないから」
 そんなわけ無い、と思いつつ遅刻を負い目に、ギジョクを見た。明らかにいつもと違う彼にドギマギする。艶のある黒髪をセンターパートにして、眼鏡からコンタクトに、なにより私服がおしゃれだ。
「映画館行こう?」
「そ、そうだね!行こっか!」
 希帆が見たかったのはミステリー映画。好きな作家のシリーズがまた映画化されたのだ。
「ほんとに良いの?ギジョクくんが見たいのは?」
「特にないから、希帆さんが見たいものでいい。」
 といいつつ入ったものの、始まってしばらくふとギジョクを見ると微睡(まどろ)んでいる彼がいた。疲れているのか、はたまたつまらなかったのか。希帆は思いの外落ち込んだ。
「ギジョクく」
「ミアネ……」
「え?」
 ミアネは軽い謝罪、「ごめん」の意を持つ。ギジョクは申し訳無さそうな顔を少々赤らめた。
「実は今日が楽しみで、寝れてなくて……しかも寝坊するし、映画寝るし……カッコ悪」
 ギジョクは恥ずかしいのか、目を逸らした。なんだか可愛く見える。
「あはは!なんだ、よかったぁ。楽しみだったの、私だけじゃなかったんだ」
「当たり前だ!僕が誘ったんだから、楽しみにしてたに決まってる」
 ギジョクは希帆の明るさにまた惹かれた。このままの関係で、何も変わらない、このままで……そう思ってしまった。それでは前と変わらないのに。
 ギジョクは決心した。
「希帆さん。話したいことがあるんだ」
「え?」

  二人はカフェに入った。ドリンクと軽くスイーツを頼んで、一息つく。

「驚かないで聞いて欲しい……」
「うん」
「気まずくならないで……」
「ならないよ。約束ね」
 その言葉が何よりも心強かった。
「希帆さんが話してるVチューバー……僕なんだ……僕が、『レイタ』なんだ」
 言ってみるとやっぱり怖くなって、俯いてみる。
「あ……納得した。そっかぁ、だからかぁ……」
 希帆は驚くより納得していた。
「声そっくりだし、日韓ハーフだし。偶然だと思ったけど、今すごい納得しちゃった!」
「あ……」
 ギジョクは彼女を裏切る気持ちに心底冷えてしまった。彼女が好きなのは「レイタ」でギジョクでない。怖い……嫌われたくない……やっぱり言わないほうが……!
「ギジョクくん、全部言って?私、ちゃんと聞くから」
 希帆は至って一途だ。ギジョクの瞳を見つめた。
「希帆さん……」
「なぁに?」
 希帆は柔らかい笑みを浮かべた。
「好きです……希帆さん」
「え、……」
「恋愛的な意味で……好きです。でも、活動者が一ファンに恋愛意識を持つのは……ダメで……でも、僕……っ!」
 希帆は目を大きくしたまま、涙した。
「き、希帆さん?!」
「ご、ごめん……私……嬉しくて……!」
 震える唇を精一杯動かして、言葉を紡いだ。
「私も……ギジョクくん、好きだよ……!『レイタ』だからとか……そうゆうのじゃなくて……うん、ギジョクくんが好き……!」
 この時ギジョクは思う。恋愛に配信者とリスナーとか関係ない、ということ。
「あ……結構言ってみるものだね……」
 照れ隠しで頬を掻くギジョク。希帆は耳まで赤くしていた。
「あの……うん、これからもよろしく、希帆」
「ふぇっ!い、今のはずるい!ギジョクくんの声で呼び捨てしないででぇ!」
「あはは!じゃあ、いっぱい呼んでやる。なぁ?希帆」
「ほんとだめ!」
 希帆の必死の抵抗に笑うだけのギジョク。初々しいったらありゃしない。
 ギジョクはもう一つも決意した。
「……実は、高校二年の春に両親が帰国するんだ。僕は好きにしていいって言われてるけど、悩んでたんだ。でも、決めたよ。」
 あの何も見えていないような黒い沈んだ目ではない。未来を見る輝いた瞳が希帆を見た。

 デートの帰り、ギジョクの家に寄ることになった。
「ただいま」
「お邪魔します……」
「おかえり、っえ!あら!お父さん!玲汰が女の子連れてきましたよ!」
 コーヒーか何か分からないが、飲み物を吹く音が聞こえた。リビングから静かに来る男性。
「ギジョク……お前……」
「前から言ってた子、今日告白して……付き合うことになったんだ」
「はじめまして、関口希帆です」
「あらあら!やるじゃないの、玲汰!希帆ちゃん、よろしくねぇ。今日夕飯食べていく?」
 明るく友好的な母親と思慮深そうな父親だ。ギジョクはその間のような性格だろう。「レイタ」もとい玲汰はギジョクの日本名のようだ。
 希帆は夕飯を共にすることにした。
「母さん、父さん。僕やっぱり日本に残ろうと思う」
「それは……希帆さんがいるからか?」
 厳しい口調でギジョクに問う。
「それもある……けど、何よりいい経験になると思ったんだ。僕だっていつまでも子供じゃいられない。学業と家事と、大変だとは思うけど経験しとくに越したことはないと思ったんだ」
 ギジョクは希帆の方を見る。彼が何を考えているか悟ってしまい、顔を赤くする希帆。
「そうか……まぁ、韓国に行くのも二ヶ月だけだけどな。」
「は、?」
 しばらく沈黙が続き、誰もが固まった。
「聞いてないわよ!そうだったの?!」
「言ってなかったか?」
 何も言わず呆れ顔のギジョクが溜め息をつく。生真面目そうなのは見た目だけで、抜けてるところがあるのが父親だった。
「じゃあ一人暮らしも二ヶ月か……なんだ、良かった」
 突っ張っていた頬が和む。
「ギジョクも大人になったな」
「うぅ……」
 夕飯を食べ終えて、女子たちの恋バナに花を咲かせて、時刻はもう八時になろうとしていた。
「そろそろ……」
「そうねぇ。玲汰、駅まで送ってきてあげて」
「分かった。」
 もう帰りなのかと思うと寂しいが仕方ない。

 隣を歩くギジョクの手がスッと触れた。希帆の手の甲から平に、指を絡めてくる。漫ろな気持ちが我慢できなかった。
「うぅ……もう!手繋ぎたいならそう言ってよ!」
「あはは!ごめん、つい希帆の反応が可愛くて。あはは!」
「ギジョクくんばっかりずるい……」
 希帆は頬を膨らませる。でも、二人の手は指を絡ませたまま繋がっていた。

「送ってくれてありがとう。」
「ううん、これくらいさせてほしい。本当は家まで送りたいけど……今日は我慢する」
 掲示板の時刻に近づいていく。
「このまま時間が止まってしまえば良いのに……」
「え、?」
 本当に小さい、雑踏に紛れた一つの声だった。
「なんて言ったの?」
「あ、いや……その……」
 ギジョクは顔を赤らめた。手を口の前に持ってきて、顔を隠す。
「あはは!私も一緒だ。でも、帰んなきゃ。明日の配信楽しみにしてるからね!アンニョン!」
 ギジョクは彼女の笑顔に惚れた。眩しいくらいの太陽が月を照らす。
「うん、アンニョン!」

―隣の席の日韓男子は私の推しの配信者でした。―