―ここは、人ならざるものが住む魔法の世界 (よう)

 昼前十時。街の広場の時計台に青年が一人、誰かを待つように立っていた。ミディアム―肩少し下―ほどの髪をポニーテールに結っている。髪色は上質なカトラリーを思わせる艷やかな銀、瞳は夏の濃い青空か、または凛と静かに咲くヒスイカズラの鮮やかな蒼か、加えて気持ち程度のレモンのような淡い明るい黄が入っている。切れ長の目は冷たく、背丈は一七五センチ程度の細身。容姿端麗そんな青年はじっとスマホを見て立っていた。
「ねぇ、もしかして一人?お姉さんたちとカフェでもどう?」
「……」
 いわゆる逆ナンである。青年は無視を突き通した。
「えぇ……無視はひどいんじゃない?」
「……彼女、待っとるんでぇ」
 語尾が少し伸びる―京都弁のような―話し方をした。
「まだ来てないんでしょう?良いじゃな……ヒィッ!」
 細長く冷徹は瞳孔が女を射抜く。怖くなったのか女たちは足早に去っていった。
弓弦(ゆづる)!ごめんね、待ったよね?こんな寒いのに……ほんとにごめん」
瀬玲奈(せれな)ぁ♡謝らんといて?そんな待っとらんよぉ」
 弓弦と呼ばれた青年は一瞬にして狐の耳と七つの尾を出してみせる。耳を立てたまま五つの尾で彼女―瀬玲奈を包み込む。冷酷な瞳は甘い瞳に変わり、先程の誰も寄せ付けない雰囲気はどこにもない。
 青年の名は狐月(こげつ)弓弦。高等部一年。妖狐一族の本家、狐月家当主の甥であり、次期当主候補の一人だ。
 隣の少女―ラベンダー色の外ハネボブと柳色の澄んだ瞳をもつ―は綾野(あやの)瀬玲奈。中等部三年。妖最強の種族、フェアリー。その一族にして最大勢力をもつ本家綾野家の令嬢だ。といっても瀬玲奈自身は、前当主の妹の末娘の末娘の娘であり……要は強い権力を持っていない。加えて三つ子生まれで魔力をほとんど持っていない―双子や三つ子は個々の魔力に偏りがでやすい―

 そんな違いすぎる二人の出会いは偶然だった。

「一個下のフェアリー三つ子の末、魔法ほとんど使えないらしいぜ」
 当時弓弦は中等部二年である。
「別に興味ないのぉ……」
 弓弦は淡白な男だ。誰も信頼せず、浅く広く渡り歩く奴。当然女気はなく、心配した両親が見合いを組む始末だ。
「ほらあれだ!確か名前は……瀬玲奈だったっけ?」
「ふぅん……っ?!」
 ほんの一瞬友人の指先に目がいった。廊下には瀬玲奈の姿があった。ここは名門魔法学校だ。魔力が少ないだけ不利で目立つ。それなのに……彼女は気にしない素振りで兄であろう男と話していた。小柄だが凛としていて、目を引く魅力があった。他人にこれ程興味を引かれたのはこれが初めてだった。
 弓弦は思う。取られたくない。自分のものにしたい。その一心だった。
 偶然の出会いから、同じ部活動という奇跡。彼女を知れば知るほど愛が深まるばかりで、いつの間にか弓弦は底なし沼にはまっていた。
 弓弦越えの淡白さで頭脳明晰、底に秘める情熱と愛嬌。魔法技術も一級品で、少ない魔力をどう扱うか、見物だったがそれどころでない。細密すぎる魔力操作で余分な力を使っていない。必要最低限、その一言に尽きる。軽々と格上を倒した時、腐ってもフェアリーかと納得した。
 もっとも、彼女の武器は「他動物との共感覚」だ。何かと言うと、要は動物に懐かれやすい。ベンチに座っている瀬玲奈の頭と肩に小鳥が5匹何食わぬ顔で乗ってて、彼女がそのまま居眠りしたかと思えば膝の上に兎、足元に犬、その他……皆寝ていた。学園を襲ってきた野良の飛龍でさえ手なずけて、今ではペットの一員だ。
 ほんと……ほんとにその飛龍、キヨラは弓弦に敵対意識が強く、常日頃バチバチしている。瀬玲奈には甘々なのに……

「髪巻いとるの、可愛えぇなぁ♡」
「分かった、分かったから。離してぇ」
 耳と尾をしまうと、すぐまた瀬玲奈に抱きつく弓弦。
「さっきと何も変わってないから……」
「変わっとぉ。久しぶりやから、瀬玲奈を会えて嬉しいんやわぁ」
 テストと模試が近くしばらく勉学に忙しく会えていなかった。学園内にいるとしても広大な敷地に棟も離れてしまうとどうも会えない。(幼稚部から大学部まで同じ敷地にあるが一つ一つ棟になって離れている)たまたま休日が重なった久しぶりのデート。浮き足立っているのは弓弦だけじゃない。
「瀬玲奈は嬉しくないんけぇ?」
「…………そうとは、言ってないじゃない……」
 そっと顔を逸らし頬を染める瀬玲奈。こんな顔誰も見たことない、と思うと弓弦の独占欲が疼く。
「ほら、早く行くよ!」
「照れてる瀬玲奈も可愛ぇなぁ♡」
「照れてないから!もう!」


 こんな平和な日が続くわけはない。


 バタバタと廊下を走る音、止むと同時にドアが乱雑に開けられた。
「弓弦!」
「なんけぇ?騒がしい」
「呑気な場合か!瀬玲奈ちゃんが裏庭で!」
「っ……?!」
 らしくもなく走り出した。校舎を抜け中央庭園を抜けて、裏庭には男三人にフラフラとおぼつかない様子の少女一人。
「瀬玲奈!」
 力なく倒れ込む彼女を間一髪受け止める。
「ゆ……づる……」
「もう大丈夫やからな」
 瀬玲奈はゆっくり目を閉じる。体や顔には無数の傷が目立った。彼女は魔力が少ない故に、消費効率の悪い(要は多くの魔力を使う)治癒魔法や防御魔法をできる限り使わない。その結果が今だろう。
 相手も相手だ。黒い制服……孤児舎の生徒だろう。孤児舎は治安が良くない。魔法技術も荒く、乱雑で不規則極まりない彼らの魔法を避けられなかったのだろう。
「…………お前らがやったんねぇ……?」
「はっ!魔力もねぇ癖にこいつから絡んできやがったんだ!勝てねぇって分かってんのによぉ?!」
 そんなことない。きっと彼らに傷一つないのは、彼女が手加減したからだ。もし本気ならばこの輩程度瞬殺だろう。しかしそうしないのは、彼女は優しいから。
「どうつっかかってきたかは知らんがぁ……俺はぁ、容赦せんよ」
 瞳孔は細長く、狐耳と尾を生やし、完全な臨戦態勢だ。
「逃げるなら今のうちよぉ?」
「チッ!くそ!」
 輩は踵を返し寮に戻るよう走る。が、
「……っ!動けない!」
 前に前に走るよう力を入れているのに、動けない所か後ろに引きずられる。
「本当に逃げれる思たら大間違いやなぁ?」
 クククッ、と特徴的な妖狐の微笑みに輩は肝が冷える。
「落とし前つけてもらいましょうかぁ」
 牙を見せるようにニヤリと粘着質な笑い。彼はもとより許す気はない。彼、実に妖麗。


「ん、……」
「瀬玲奈、分かるかぇ?」
「ゆ……づる……私……」
「気にせんでえぇよ。片付けといたからぁ」
 まだまだ意識がはっきりしない彼女の手をゆっくり握った。白く小さい手はひんやりと冷たく、心配になった。
「怖かったやんなぁ。もう大丈夫やから、もういっぺん寝な?俺はここにおるよ」
「ん……弓弦……?」
「なんや?」
「ありがとう……好き」
 薄く笑みを零してまた眠りにつく。
「…………反則やろ……♡」
 すやすや眠る彼女の横で、熱がしばらく冷めなかったのは、彼だけが知る秘密である。