―俺があいつを殺した―

 後悔に暮れる少年が講堂にいた。ただその後悔を見せることはなかった。
「和也!次、魔法薬学の実験だって!」
「おぅ!了解!」
 滅紫の髪を揺らし、右に深紫と左に若草の瞳を持つ端正な顔立ちをしている。両耳にバチバチにピアスをしているが、他の生徒に信頼を置かれているようだ。彼は綾野和也。フェアリー本家の血統の下っ端、と言っても十二分に力を持つ。この学園の高等部の生徒会副会長で、だいぶパンチのきいた見た目をしているが根はいたって真面目である。

「あ、月雫。」
「……ん?あ……和也先輩。」
 魔法薬学実験室に行く途中、少女に会った。月光の如く輝く銀髪を下ろし、鮮血を思わせる真紅の瞳を持つ、なんとも神秘的な少女だった。彼女の名は黒城月雫、ヴァンパイア本家の子女だ。学年は和也の二つ下。
「最近調子は?どうだ?」
「……何も変わりませんから……それじゃあ。」
 和也の友人が月雫の兄だったのもあって知り合った二人だが、誰よりも和也は彼女を気にかけている。それを月雫は分かっていて避けている。
「……月雫…………」

 月雫は和也が殺した。


 月雫はいわゆるツンデレという部類の可愛らしい少女だった。和也には特別懐いていて、和也もそれを嫌がるどころか一層可愛がった。悩みを相談するにも勉強を教えるにも月雫が来て、和也にするのだ。敬愛と寵愛が入り混じった愛情が二人の間にはあった。

 亀裂が入ったのは和也が高等部一年の時だ。棟が分かれて彼女に会う機会が減っていた。会うにしてもすれ違う時に少しだけ、それだけだった。悩みは言うまでもなく、楽しかったことさえ話せない。そんな日が続いた。

 この時和也は気づいていない。月雫にストーカーがついていたことを。

『かずやせんぱいっ!せんぱいっ!たすけて、!いやだぁ……!たすけて……!!せんぱいっ!』
「……月雫、!」
 進級して三ヶ月、凍てつく寒さが目立つ冬の事だった。月雫がストーカーに誘拐された。動機は月雫との婚約と多額の結納金。用意できないならば殺す、といった声明だった。犯人から電話でリアルタイムで彼女を映された。
 泣き叫ぶ月雫の姿に心が締め付けられる。彼女が素直に言葉を漏らすのだ。恐怖に怯えている証拠としては十分だった。体を拘束され、腕から血を抜かれている。
 もしこのまま血を抜かれ続けたら……彼女はヴァンパイアだ。貧血になれば、本能的な吸血行動に襲われる。そうなってしまえば人の生死を顧みず吸血する、いわば暴走だ。それでもなお抜かれ続けたら、待っているのは死だ。
『いやだ!ぬかないでっ!いたい!いたいよぉっ!せんぱいっ!やだ!しにたくないっ!だしてっ!たすけてっ!せんぱい!』
「……月雫っ!安心しろ!必ず助けに行くから!」
 そうはいっても和也とて子供。一人でどうにかできるものではなかった。先生や魔法局が動いているのを見ていることしか出来なかった。

 誘拐から一二時間、時間切れだった。
『せん……ぱい……わ、たし……いや、だ……』
「月雫……?」
 魔法局が居場所を突き止めたのとほぼ同じ時期だった。でも、間に合わなかった。
『ガルルル……!!』
「……月雫、!しっかりしろ!月雫!正気になれ!」
 極度の貧血による本能的な吸血行動。それが頭角を現し始めたのだ。突き止めた場所に移動中も声をかけ続けたが、彼女に届くことはなかった。むしろ、暴走は止まることを知らない。挙句の果てには拘束を破り暴れ始める。まさに獣だった。

 着いた頃にはもう遅い。
「月雫……!っ……、!」
「あ、……あぁぁ……うそ……いやぁぁぁあああ!!」
月雫は極度の吸血によって、犯人を殺してしまった。犯人の遺体と血塗れの口、自分の本能に恐怖した。月雫は鋭い牙で自分の肉を切り裂き始めた。精神が錯乱していた。
「月雫!やめろ!月雫!」
「いやだ!いやだぁ!こんな……わたしっ!」
「っ、!」
 和也は首の後ろをトンと一突き。月雫を気絶させた。

 目覚めた月雫は以前のような愛嬌を無くしていた。自分が人を殺めてしまったことが心的外傷になってしまったのだ。そして何よりも、吸血行動を拒絶するようになってしまった。しかし、それでは生きていけない。病院で軽い麻酔による入眠後輸血という形で生きることになった。
「……るな……ごめん、おれの……せいで……たすけるって……言ったのに……」
 この時である。和也は、何も出来なかった自分が月雫を殺したのだ、と思うようになったのは。そして決めたのだ。生涯かけて月雫を守ると。


 それから月日が経った今、絶賛避けられている。理由はさっぱりだが、気が気でならない。もしかしたら自分の事などもうなんとも思っていないのかもしれない、そう思っても気になってしまうのだ。
 和也はもうずっと…………


 ある日の昼休み、日陰に座り込んでる人影を見た。
「ん?誰か……っ!?月雫、!?」
「せ、せんぱ……」
 咄嗟に立った彼女はフラフラとまたしゃがみこむ。
「おい、大丈夫か?!」
「そんな大事じゃ……」
「でもフラフラしてるし、保健室行くか?」
 首を横に振る月雫。肌が赤くなっているあたり、しばらく日向にいたのだろう。顔はどこか青く、体調が良くないのが見て取れた。
「ちっと我慢しろよ?」
「え、?キャッ///!」
 和也は月雫を姫抱きした。
「まって!重いから!」
「重くねぇよ。むしろ怖いくらい軽いし。ちゃんと食ってんのか?」
「…………」
 深いため息をついた。大人しくなった彼女を冷房の効いた自室に連れ込む。
「先輩、授業は、!」
「いい。お前の方が心配だし。予習はしてあるから、レポート出せばどうにかなるだろ。」
 肩まである髪をハーフアップにしてキッチンで何か作り始めた和也。少ししていい匂いが漂い無性に腹が空く。
「ほら食べられるだけ食べな。」
 テーブルにはレバニラ炒めとアサリの酒蒸しと白米。
「これ今作ったんですか?!」
「まさか、作ったのはレバニラだけ。酒蒸しと白米は昨日の残りだ。」
 家庭料理でごめんな、といって頭を撫でてくる。月雫自身、あまり家庭料理を口にしたことはなかった。恐る恐る一口。
「!!美味しい……」
「お!?口に合ってよかったわ」
 箸が止まらない。無邪気に頬張る月雫から笑みが零れる。

「ご馳走様でした。」
「お粗末さま。ふふっ!」
「な、なんですか、?」
「いや、飯食ってる月雫可愛いなぁって。」
 包み隠さない言葉に頬を赤くした。
「そ、そうゆうのは好きな子に言ってください!!」
「あははっ!そーだな。」
 月雫は少し悲しくなった。それはつまり和也には意中の相手がいるということになるからだ。いや、それでいいのだ。月雫はそのために和也を避けてきたのだ。

 あの事件以来和也は過度に月雫を心配するようになった。月雫は考えたのだ、このままでは和也の人生を潰すことと同じだ、と。そんなことあってはいけないのだ。
 和也は三つ子の生まれで、魔力の偏りを一番強く受けた。妹瀬玲奈の分の魔力をもつ、つまり二人分の莫大な魔力を持つのが和也だった。加えてフェアリーだ。一人分でも他とは比べものにならないのに、フェアリー二人分となれば最強だ。
 月雫は和也が大好きだ。だから、彼には幸せになって欲しかった。自分以外の誰かと。

「最近はどう?高等部楽しい?」
「……先輩には関係ないでしょう。」
 突き放すような言い方。心が傷んで仕方ないが、それすら仕方ないのだ。
「……関係あるよ。」
 和也は月雫の手を握った。
「月雫は俺なんてなんとも思ってないかもしれないけど、俺にとっちゃ大切な後輩なんだよ。」
 ほんのり冷たくて二回りも小さい手だ。
「お前……病院行ってねえだろ。貧血、バレバレだからな?」
「う、……先輩はなんでもお見通しですね……」
「気になって燿夜《かぐや》に聞いちゃうからな。」
 燿夜とは月雫の兄で、和也の幼なじみでもある。
「まだ怖いか?」
「…………うん。」
「そうか。」
 握る手が頭へ来る。包み込む大きな手は温かくて安心する。
「でも、怖くても飲まなくちゃ。」
 ヴァンパイアは体内での造血が苦手だ。だから、吸血し体内に血を取り込む。

 和也はシャツのボタンを一つ二つ三つと外し、左肩を出した。
「先輩、何して……?!」
「貧血辛そうなの、見てらんない。」
 もし自分が貧血で不調になるかもしれない、なんてリスクを全く考えてないのだ。
「で、でも……私……」
「関係ない。俺は月雫を助けたいだけなんだ。ごめん、勝手だな。でも、お願い。」
 俺の勝手な罪滅ぼしに付き合って。和也はそう言った。
「先輩…………ほんとにいいの?死んじゃうかもしれないのに。」
「はははっ!大丈夫だって。そんな簡単に俺が死ぬわけねぇだろ。」
 無邪気で幼い笑顔だった。月雫にとってそれがなんだか凄く心強かった。

 対面で和也の上に乗る。和也はそっと月雫の後頭部に手を置く。
「痛いですよ?」
「うん。」
「力抜いてくださいね。」
「分かった。」
 長い髪を避け、肌を舐めてみる。
「っふふ。くすぐったい……」
「こら、力入れない!……噛みますよ。」
「ごめんて。いいよ。」
  一度、深呼吸した。肌に牙を当てた。
「いただきます……」
「っ……!」
皮膚を穿つのは相当の痛みを伴う。ただ少しすればその痛みにも慣れてくる。血を飲まれてる感覚もある。月雫はやはり貧血が酷いのか和也を離さまいと抱き必死になって血を吸っていた。
「……ぷはっ」
「ふぅ……お疲れ様。」
 少し疲れた顔をしているが和也はちゃんと生きている。また、頭を撫でてくれた。月雫は甘えるように和也に寄りかかった。
「跡……ついちゃった……」
 虚ろな目で噛み跡を眺めた。ズキズキ痛むのはさておき、その姿がやはり可愛かった。
「いいじゃん。なんか独占欲の印みたい。」
 月雫は何か嬉しそうな顔をしたが、すぐ不安げになる。

「先輩にとって私は……ただ燿夜の妹で部活の後輩、ですか?」
 抑えきれなかった。どうしても和也が好きで好きでたまらない。こんなに自分のことを大事にしてる人を、誰が好きにならないか。
 なんだかとても心臓が早い。が、それは月雫だけじゃなかった。
「…………なわけねぇだろ。」
 和也は強く抱きしめた。
「先輩は私が本家直系だからこんなに、」
「違う」
「幼なじみの妹だから」
「違う!」
 ますます力は強くなっていく。
「さっきははぐらかしたからな、ごめんな。ちゃんと言うな。」
 腕がほどかれて、面と向かった。美しい二つの宝石が月雫を見つめた。
「俺にとって月雫は誰よりも大切な女の子だよ。でも、俺は……血統の下っ端で、月雫は」
「むっ……そうゆうの関係ないんじゃないんですか!うじうじしてる人、好きじゃないです!」
 呆気を取られる和也。ほんのり笑って、頭を撫でていた手を頬に持ってくる。温かいのが気持ちいのか、月雫は彼の手に少し頬ずりし蕩けた。
「っ〜〜!お前……マジで可愛いな。」
「え、///!」
「大好きだよ。マジでほんと大好き。」
 ぼろぼろと零れる本音に頬を赤くした。
「どこが?」
 気になって聞いてしまった。これで即答で「顔」と帰ってきた暁には殴ってやろう、と思っていた。
「全部。」
「ん、?」
「全部大好き。俺見つけたら走ってくるのとか、そのくせ素直じゃねぇとか反則だし。月雫、結構初心だよな。部活の着替えしてる時入ってきてさ、半裸見て顔が真っ赤で速攻逃げたもんな。可愛いかよ。見た目も好みだし……背高くてスタイルいいし、スカートから出てる足がさ、生白くってちょっと肉ついてて…………すげぇそそる。」
 人差し指でスーッと足を撫でられる。そのまま腰にきて背中を通る。反ってる腰をトントンと叩いた。
「ひゃぁっ♡っ〜///」
「ははっ!可愛い。」
「先輩ばっかりずるい……」
 恥ずかしさも相まって頬をプクっと膨らませる。軽くポコポコと胸を叩く。
「……私も先輩のこと、好きです。罪滅ぼしとか言わないで。そんなつもりで名前呼んだんじゃないのに……」
「月雫……」
「私は!和也先輩が最初に来てくれるって信じて、実際そうだったじゃないですか。部隊とか兄よりも早く、先輩は来てくれた。その前の過程がどうであれ、私は嬉しかったんです。」
 月雫は和也の首に手を回した。
「先輩、私家事も何も出来ないけどいい?」
「さすが箱入り娘だな。……いいぜ?養ってやる。」
「やったぁ!」
 月雫は幼稚に笑った。そんな笑顔は久しぶりだった。しばらくの片思いが終わった日だった。


 それからしばらくしたある日。
「か、和也先輩?!」
「おぅ、月雫。」
 最後に会ってから三日しか経っていないが、和也は相当変わっていた。イメチェンなのか、肩まで伸ばしていた髪は耳上まで短く切られていて、隠れていた右目が顕になっていた。あんなに沢山付いていたピアスも、耳たぶに一つ地味なものが付いているだけだった。香水も付いておらず、まるで別人だ。
「どうしたんですか!」
「いや、その……イメチェンというか。月雫の両親によく見られたいし。」
「そうは言っても、両親と知り合いですよね?」
「まぁ、うん。でもこれは……俺なりのケジメかな。どう?似合う?」
 和也は恥ずかしそうに頭を搔いた。
「……似合ってます。けど、香水は……つけて欲しいです……」
「香水?あぁ、あれか。なに、あの匂い好き?」
「っ///!べ、別に好きじゃないですよ。先輩が好きで使ってるみたいだから、止めちゃうの勿体無いと思っただけで。」
 あの月雫だ。素直じゃないあたり、本当に可愛いと思う。和也は少し乱暴に頭を撫でる。
「もう!なんですか!」
「ははっ、可愛いなぁってよ。じゃ、授業行くわ。」
「あ……はい。」
 もう時間だ。次いつ会えるか分からないと思うと寂しくなった。
「……俺、今日の放課後部屋にいっから。」
「え、!?」
 それだけ言って行ってしまった。あの言葉は、部屋に来てもいいということだろうか。考えるだけ顔が赤くなる一方だった。綾野和也はズルい男だ。ズルい男にハマった末路である。