戦場の様に荒れ果てた院内。
東北沿岸を震源に発生した地震。その規模は、はかりえない災害をもたらせた。
耐震構造にも関わらず僕等がいたオペ室も激しい揺れを感じた。
即座に患者にドレープをかけしがみつけるところに必死にしがみついた。
数分間の揺れ、一時的に収まった時
「みんな大丈夫か」その声と共にオペ室の電源が全て切れた。
光源が非常灯に即座に変わりオレンジ色の淡い光の中、各々が返事を返す。
再びまた激しい揺れが僕らを襲った。
内科医の第一助手の医師が
「この状況ではオペ続行は無理です。インオペしましょう」
患者の状態を確かめながら笹山医師に言う。
「もう少しすれば自家発電に切り替わる。もう結紮もしている今からインオペをすればこの患者は助からない」
「しかし……」
「杉村、近場でいい院内の状況を確認して来い」
「はい」返事と共にオペ室を出、いつもと変わらない院内の状況と比べ物にならない惨事に息をのんだ。
拡声器で叫ぶ声が聞こえる
多分向こうも大変な事になっているんだろう。深追いはせずオペ室に戻ろうとした時「杉村」と呼ぶ声がした。
外科の医局部長の声だった。
「第1オペ室の状況は……」
「全スタッフ及び患者共に怪我等は在りません」
「そうか」
オペ室に戻ると、一部散乱した跡が残る中いつもと変わらない光が戻っていた。
「杉村状況は……」
僕が口を開く前に医局部長が告げる。
「現在院内の被害状況は確認できていない。ただ、非常事態であることは間違いない。コード10が発令された。笹山先生そちらの状況は」
「肝臓の一部に転移がありました。その部位をこれから切除します」
「出来るのか?この状況で」
「やります。やらなければこの患者は命を落とします」
笹山医師のその言葉には迷いも恐怖も感じさせなかった。ただ今ある命を繋ぐ、その事に集中していた。
もうすでに彼女の手は動いている。
僕は散乱した器具をかたずけ、二人の医師の指示を受けこの身を動かした。
カチッと最後のステープラーの音がして
「終了だ。バイタルは?」
「安定しています」
「そうか、解った。状況が確認できない、患者は一時ここにとどめておいた方がいいだろう。済まないが管理を頼む」
麻酔科の医師と看護師にそう告げ
「杉村行くぞ、どれだけの怪我人が押し寄せているかわからない」
グローブを脱ぎ捨てオペ室を出た。
どれだけの惨事が僕らを待ち受けているのだろう
湧き上がる不安が恐怖を呼んだ。
実際病院の施設自体の被害はさほど深刻なものではなかった。電源も自家発電と消防の発電車との連携で停電が回復するまでの間、機器管理を必要とする患者への影響は少なかった。
だが、押し寄せるように来る怪我人の数に僕は圧倒された。
ロビーに押し寄せる人。
トリアージ、重症患者と軽症患者を色分けした札でより分ける。もう外科だろうが内科だろうが関係はなかった。動ける医師と看護師が休む暇もなく動き続けた。
むろんまともに寝る時間などこの3日間僕らにはなかった。
ようやく落ち着きを感じたのは地震発生から5日目の頃だった。
その間余震は続いた。その度に患者、そして僕ら職員も恐怖を感じた。
みんなが、この病院だけではないだろう。すべての人たちが疲れ果てていた。
でも看護師たちはそんな疲れを表に出すことなく患者へ向かい、その姿を見せる事で安心感を培わせた。
歩実香がもし生きていて、看護師の仕事を続けていれば、きっと彼女たちの様に患者に安心感とそして処置を怠らず行っていたに違いない。
歩実香、お前はやっぱりすごいよ。
僕の中で生き続ける歩実香にそっと語った。
だが、僕を襲う過酷な現状はこの後始まった。
5日後僕と外科の笹山先生は震災の被害がひどかった宮城へと向かった。
この病院の医師にも現地への応援要請があったからだ。
真っ先に名乗りを上げたのは笹山先生だったらしい。そして僕を指名した。
実際、研修医の身で災害地への派遣などありえないが、誰も名乗りを上げる医師はいなかった。それに乗じ笹山医師がごり押しの様に僕を推薦したらしい。
この病院からは常駐する医師の確保を踏まえ……単なる理由付けだろうが。
僕ら二人だけが派遣医師として現地へ向かった。
隣県の福島では原子力発電所が崩壊し放射能汚染が広く拡散した。
もしかしたら、その放射能も僕らの派遣される地域に押し寄せるかもしれない。見えない恐怖が襲い掛かる。
しかしその恐怖はまったく違うものに変わる。
災害現地の状況は……言葉では表現が出来ない
悲惨な状況?
悲惨なと言う言葉ではあまりにも甘すぎる状態だった。
3月、宮城の地では今年はまだ雪がちらついていた。
夜は極寒の中暖を取る事が専決されていた。ライフラインは寸断されたまま。すでに発生から1週間が過ぎようとしていたが、医療物資及び食糧の調達も拡散しすぎてどうなっているのかすら把握できない。
病院に押し寄せる人の波ではなかった。
その場から動くことが出来ない人が大半だったからだ。
救護施設や救護場所に集められた怪我をした人々。その人達すべてに手を差し伸べることは不可能な状態だった。
そして……毎日の様にある区画に搬送され、検死される遺体。
僕らが移動し向かう先々には現実にまだ、その瓦礫に埋まり留まる人がいる事を、その情景を目にする、そして、その事を口に出す事は出来ない。
最も過酷でその現状を身をもって感じたのは、ある検死医の言葉だった。
「検死確認が追い付かない。出来ればもっと、詳しく亡くなった方を調べてあげたい」
だがそれは僕らも同じ状態だった。
一人に対するその症状を観察する時間などないのだ。
今は安定しているが実際はもう危険な状態にある患者は大勢いたと思う。
そんな中、笹山先生は丹念に患者一人一人を見て回った。一人でも多くの患者を診て助けたかったと彼女は言う。
人の死を目の前にしてその死の数を図りえない人の死と言う現実をその身で受け止めななければいけなかった。
心が麻痺をする。
精神が崩壊し、今自分が何をすべきかさえも解らなくなる状態に陥る。
歩実香が亡くなった時、僕は悲しみと言う感情に救われた。
今、僕はその感情に救われる事は無い。
そしてそれは笹山先生も同じであり、この災害を受けた人々にも言えるのかもしれない。
底知れぬ悔しさと、襲い掛かる恐怖。
今、ここから逃げ出すことは出来ない。
1週間の予定の派遣はおよそ1か月に及んだ。
東京に戻ったころ、桜はすでに散っていた。
2年間の臨床研修は定められた基準がある。
その基準をクリアしなければ臨床研修、いわゆる初期研修の終了は認めてもらえない。
この病院では前期の中盤からその指定医療科目の研修に入る。
そして残りの期間は指導医の元自分が進むべく診療科への道へ進めるよう設定されている。
僕はあと一つの研修を残すだけになっていた。
だがそれは、特例的な事でもあった。災害による地方への医師不足。その当時災害地での医療活動を支援することが優先項目とされた。
臨床研修医であれその対象は例外ではない。
たとえその場が変わろうともその定める臨床研修を修了すれば後期研修へ向かう事が出来る。
その年の夏をまじかにした季節。
僕は……長年暮らし、想い出が詰まったこの大きな街を出た。
歩実香と出会い、そして共に過ごしたこの東京から離れた。
それには笹山先生も関係していた。
災害地から戻った僕ら二人は、平常を取り戻したこの病院の中で日常を取り戻し何事もなく業務に研修に向かい始めていた。
だが笹山先生は、彼女はこの病院から姿を消した。
ある日、笹山先生から呼び出されあの屋上へ向かった。
「お、早いな。やっぱり私の呼び出しは相変わらずダッシュなんだな杉村」
「そうですよ、笹山先生ですからね。呼び出されたらすぐに行かないと怒られますからね」
「ははは。相変わらずだな杉村は……」
「で、どうしたんですか?」
「ん、何ちょっとお前に報告と助言をな」
報告と助言……
「まずは報告からだ。私は今月でこの病院を辞める」
「……え、本当ですか」
「ああ、本当だ」
「どうして、どうしてこの病院を辞めるんですか。また外科に戻って来いって言ってたじゃないですか」
「すまんな杉村。もうこの病院では私の居場所がなくなった。それにやりたいことがあってな」
「笹山先生やりたい事って何ですか?」
「私のやりたいことか……お前とあの災害地へ行って私は思ったんだよ。
籠の中の鳥だった事をな」
東北沿岸を震源に発生した地震。その規模は、はかりえない災害をもたらせた。
耐震構造にも関わらず僕等がいたオペ室も激しい揺れを感じた。
即座に患者にドレープをかけしがみつけるところに必死にしがみついた。
数分間の揺れ、一時的に収まった時
「みんな大丈夫か」その声と共にオペ室の電源が全て切れた。
光源が非常灯に即座に変わりオレンジ色の淡い光の中、各々が返事を返す。
再びまた激しい揺れが僕らを襲った。
内科医の第一助手の医師が
「この状況ではオペ続行は無理です。インオペしましょう」
患者の状態を確かめながら笹山医師に言う。
「もう少しすれば自家発電に切り替わる。もう結紮もしている今からインオペをすればこの患者は助からない」
「しかし……」
「杉村、近場でいい院内の状況を確認して来い」
「はい」返事と共にオペ室を出、いつもと変わらない院内の状況と比べ物にならない惨事に息をのんだ。
拡声器で叫ぶ声が聞こえる
多分向こうも大変な事になっているんだろう。深追いはせずオペ室に戻ろうとした時「杉村」と呼ぶ声がした。
外科の医局部長の声だった。
「第1オペ室の状況は……」
「全スタッフ及び患者共に怪我等は在りません」
「そうか」
オペ室に戻ると、一部散乱した跡が残る中いつもと変わらない光が戻っていた。
「杉村状況は……」
僕が口を開く前に医局部長が告げる。
「現在院内の被害状況は確認できていない。ただ、非常事態であることは間違いない。コード10が発令された。笹山先生そちらの状況は」
「肝臓の一部に転移がありました。その部位をこれから切除します」
「出来るのか?この状況で」
「やります。やらなければこの患者は命を落とします」
笹山医師のその言葉には迷いも恐怖も感じさせなかった。ただ今ある命を繋ぐ、その事に集中していた。
もうすでに彼女の手は動いている。
僕は散乱した器具をかたずけ、二人の医師の指示を受けこの身を動かした。
カチッと最後のステープラーの音がして
「終了だ。バイタルは?」
「安定しています」
「そうか、解った。状況が確認できない、患者は一時ここにとどめておいた方がいいだろう。済まないが管理を頼む」
麻酔科の医師と看護師にそう告げ
「杉村行くぞ、どれだけの怪我人が押し寄せているかわからない」
グローブを脱ぎ捨てオペ室を出た。
どれだけの惨事が僕らを待ち受けているのだろう
湧き上がる不安が恐怖を呼んだ。
実際病院の施設自体の被害はさほど深刻なものではなかった。電源も自家発電と消防の発電車との連携で停電が回復するまでの間、機器管理を必要とする患者への影響は少なかった。
だが、押し寄せるように来る怪我人の数に僕は圧倒された。
ロビーに押し寄せる人。
トリアージ、重症患者と軽症患者を色分けした札でより分ける。もう外科だろうが内科だろうが関係はなかった。動ける医師と看護師が休む暇もなく動き続けた。
むろんまともに寝る時間などこの3日間僕らにはなかった。
ようやく落ち着きを感じたのは地震発生から5日目の頃だった。
その間余震は続いた。その度に患者、そして僕ら職員も恐怖を感じた。
みんなが、この病院だけではないだろう。すべての人たちが疲れ果てていた。
でも看護師たちはそんな疲れを表に出すことなく患者へ向かい、その姿を見せる事で安心感を培わせた。
歩実香がもし生きていて、看護師の仕事を続けていれば、きっと彼女たちの様に患者に安心感とそして処置を怠らず行っていたに違いない。
歩実香、お前はやっぱりすごいよ。
僕の中で生き続ける歩実香にそっと語った。
だが、僕を襲う過酷な現状はこの後始まった。
5日後僕と外科の笹山先生は震災の被害がひどかった宮城へと向かった。
この病院の医師にも現地への応援要請があったからだ。
真っ先に名乗りを上げたのは笹山先生だったらしい。そして僕を指名した。
実際、研修医の身で災害地への派遣などありえないが、誰も名乗りを上げる医師はいなかった。それに乗じ笹山医師がごり押しの様に僕を推薦したらしい。
この病院からは常駐する医師の確保を踏まえ……単なる理由付けだろうが。
僕ら二人だけが派遣医師として現地へ向かった。
隣県の福島では原子力発電所が崩壊し放射能汚染が広く拡散した。
もしかしたら、その放射能も僕らの派遣される地域に押し寄せるかもしれない。見えない恐怖が襲い掛かる。
しかしその恐怖はまったく違うものに変わる。
災害現地の状況は……言葉では表現が出来ない
悲惨な状況?
悲惨なと言う言葉ではあまりにも甘すぎる状態だった。
3月、宮城の地では今年はまだ雪がちらついていた。
夜は極寒の中暖を取る事が専決されていた。ライフラインは寸断されたまま。すでに発生から1週間が過ぎようとしていたが、医療物資及び食糧の調達も拡散しすぎてどうなっているのかすら把握できない。
病院に押し寄せる人の波ではなかった。
その場から動くことが出来ない人が大半だったからだ。
救護施設や救護場所に集められた怪我をした人々。その人達すべてに手を差し伸べることは不可能な状態だった。
そして……毎日の様にある区画に搬送され、検死される遺体。
僕らが移動し向かう先々には現実にまだ、その瓦礫に埋まり留まる人がいる事を、その情景を目にする、そして、その事を口に出す事は出来ない。
最も過酷でその現状を身をもって感じたのは、ある検死医の言葉だった。
「検死確認が追い付かない。出来ればもっと、詳しく亡くなった方を調べてあげたい」
だがそれは僕らも同じ状態だった。
一人に対するその症状を観察する時間などないのだ。
今は安定しているが実際はもう危険な状態にある患者は大勢いたと思う。
そんな中、笹山先生は丹念に患者一人一人を見て回った。一人でも多くの患者を診て助けたかったと彼女は言う。
人の死を目の前にしてその死の数を図りえない人の死と言う現実をその身で受け止めななければいけなかった。
心が麻痺をする。
精神が崩壊し、今自分が何をすべきかさえも解らなくなる状態に陥る。
歩実香が亡くなった時、僕は悲しみと言う感情に救われた。
今、僕はその感情に救われる事は無い。
そしてそれは笹山先生も同じであり、この災害を受けた人々にも言えるのかもしれない。
底知れぬ悔しさと、襲い掛かる恐怖。
今、ここから逃げ出すことは出来ない。
1週間の予定の派遣はおよそ1か月に及んだ。
東京に戻ったころ、桜はすでに散っていた。
2年間の臨床研修は定められた基準がある。
その基準をクリアしなければ臨床研修、いわゆる初期研修の終了は認めてもらえない。
この病院では前期の中盤からその指定医療科目の研修に入る。
そして残りの期間は指導医の元自分が進むべく診療科への道へ進めるよう設定されている。
僕はあと一つの研修を残すだけになっていた。
だがそれは、特例的な事でもあった。災害による地方への医師不足。その当時災害地での医療活動を支援することが優先項目とされた。
臨床研修医であれその対象は例外ではない。
たとえその場が変わろうともその定める臨床研修を修了すれば後期研修へ向かう事が出来る。
その年の夏をまじかにした季節。
僕は……長年暮らし、想い出が詰まったこの大きな街を出た。
歩実香と出会い、そして共に過ごしたこの東京から離れた。
それには笹山先生も関係していた。
災害地から戻った僕ら二人は、平常を取り戻したこの病院の中で日常を取り戻し何事もなく業務に研修に向かい始めていた。
だが笹山先生は、彼女はこの病院から姿を消した。
ある日、笹山先生から呼び出されあの屋上へ向かった。
「お、早いな。やっぱり私の呼び出しは相変わらずダッシュなんだな杉村」
「そうですよ、笹山先生ですからね。呼び出されたらすぐに行かないと怒られますからね」
「ははは。相変わらずだな杉村は……」
「で、どうしたんですか?」
「ん、何ちょっとお前に報告と助言をな」
報告と助言……
「まずは報告からだ。私は今月でこの病院を辞める」
「……え、本当ですか」
「ああ、本当だ」
「どうして、どうしてこの病院を辞めるんですか。また外科に戻って来いって言ってたじゃないですか」
「すまんな杉村。もうこの病院では私の居場所がなくなった。それにやりたいことがあってな」
「笹山先生やりたい事って何ですか?」
「私のやりたいことか……お前とあの災害地へ行って私は思ったんだよ。
籠の中の鳥だった事をな」