いかづち天龍虹渡る

「おはよう、千代。朝から元気やな」

「あっ、瀬良。聞いて聞いて! この郷に、水路を作るんよ!」

「水路?」

急な話に瀬良が驚いているところへ、昨日の千臣の思い付きと、今、水凪が請け負ってくれたことを知らせる。瀬良もこの土地の水の縁の無さを嘆いていたから、とても喜んでくれた。

「そりゃあいい案やん! 水凪様もお迎えできて、水路も引けたら、この郷に怖いものはないんやないか?」

そう言って、あははと笑う。千代もそうやねと笑った。あんなに怖いと思っていた神様のお迎えが、こんなに千代を、郷を、未来に向けて動かしてくれるなんて思ってもみなかった。嬉しい。千代に未来を見せてくれた水凪を尊敬する。やっぱり神様は凄い。瀬良の興奮が千代に伝染し、千代も興奮状態にいた。

畑に向かう道すがら、二人ではしゃいでいると、これから農作業の郷の人たちに次々と声を掛けられる。

「水路を?」

「水凪様が?」

「こりゃ凄い!」

みんなが口々にそう言い、水凪の温情を喜んでくれる。

「水凪様を郷にお迎え出来て良かったなあ!」

「千代が居ってくれたからや」

千代はそう言われて、生まれて初めて、自分の背負った運命によって、人の為に何か出来たのだと実感した。千代は水凪に感謝せずにはいられなかった。

(水凪様、ありがとうございます……)

祈りに載せて、水凪に届ける。神社に向かった村人たちが次々に水凪に感謝をしているのを見て、千代は湧き上がる喜びに胸を震わせた。




千代は、郷の為に水路の提案をしてくれた千臣をかいがいしく世話した。千臣も若いこともあって傷の治り方も順調で、今日は千代に持ってこさせた木の枝を使って杖づくりをしていた。器用なもので、刀で枝を割り、紐で部材を括り付ける手さばきが慣れている。きっと旅の途中で何度も作って来たのだろうなと思わせた。

「器用ですね。やはり旅の途中に磨かれた腕ですか?」

「そうだな、何でも必要になるからな」

そう言いながら、手の触れる部分を小刀で丁寧に磨いている。よく使いこまれたものだ。その柄の部分に千代の目が留まった。龍の模様が彫られていたのだ。

「凄く細かい模様ですね。これも千臣さんが彫られたのですか?」

千代が小刀の柄を見ていることに気付いた千臣が、それは都で買ったものだ、と言った。

「都で! 都では皆さんどんな暮らしをしてはるんですか? ここは街道からも外れとるし、山にも囲まれとって、都のことを知ることが出来へんのです」

目を輝かせて千臣に話を請うと、千臣は笑って都の話をしてくれた。自分で田畑を耕さなくても衣食が賄えること。荷ではなく人が乗る牛車があること。折々の祭りが多くの見物客を前に盛大に行われることなど。

千臣の話もどれもこれもが、千代にとって未知の世界だった。それで? それで? と次を促す千代に、千臣は苦笑した。

「話を聞いたら都に行きたくなるんじゃないか?」

くすくすと笑う千臣に、千代は笑って言った。

「私には、この地で巫女としての務めがありますので」

千代が巫女になることを喜んでくれた村人たちの為にも、良い巫女になりたい。だから、この村を出ようとは思わない。そう言うと、千臣が、千代はいい子だな、と千代の頭を撫でた。……大きくて厚みがあって、あたたかい手のひらに驚いてしまう。祖母の手は勿論、瀬良の手もやせていてとてもこんな厚みはない。どんな村人とも違う男性の手の感触を、千代は初めて知った。
やがて杖を作り終えると、千臣は肩で息を吐いた。傷が治りきっていないのに、無理をしたから、疲れたのかもしれない。

「千臣さん、薬を塗りましょうか」

千代は千臣に問い、薬を用意した。薬草をすりつぶした汁と新しい綺麗な手拭いを持った千代が千臣の横に座ると、千臣は着物の上をはだけた。旅をするからだろうか、しっかりと鍛え上げられた身体には程よく筋肉がついており瀬楽の体もあまりまじまじと見たことがなかった千代には、ちょっと刺激が強すぎる。

それでも背中と腕の傷に薬草の汁を塗って包帯を変えると、薬草が染みるのか、千臣がふう、とため息を吐いた。脚の傷は腕の傷より深いので、余計に染みるらしい。

「……痛みますか?」

「ああ、そうだな。まだちょっと」

口許は微笑うが、眉が寄せられていて、痛そうだ。何故か千代も心臓がずきずきと痛くなってくる。それを見た千臣が笑った。

「ははは。千代が怪我をしたわけではないだろう」

「そうなんですけど……」

でも、痛いものは痛いのだ。すると千臣が、千代は巫女だからかな、と言った。

「え……」

「巫女は人の気持ちに寄り添うのが仕事だろう。だから、俺が痛いのを見て、気持ちが伝わってしまうのではないか?」

そう……、なのだろうか……。でも今まで、こんなことはなかった。瀬楽が怪我をした時だって、痛そうだな、とは思ったけど、こんな風に心臓がずきずきと痛むことはなかった。

(……そう言えば子供の頃、誰か……、そう、誰かが怪我をして泣いとった時は、こんな風に心臓がずきずきしたんやったわ……。あれは……、誰だったんやろう……)

物思いにふけった千代に千臣は、そうか、と言って微笑んだ。……まるで千代が千臣の痛みを分かる理由を分かっているみたいな、深い笑み。
「……千臣さんは、不思議な方ですね」

「? そうか?」

そうです、と千代は答えた。

「まるで何もかもを分かってはるみたいな……、神様みたいです。今回の水路ことも、元はといえば千臣さんのご提案やし」

「しかし水凪殿の力がなければ敵わない術(すべ)だろう?」

「それはそうなんですけど……、郷の人たちは兎に角神様をお迎えできただけで喜んでいたので、神さまのお力を拝借することまで頭が回っていませんでした。それだけ郷にとっては念願のご降臨なのですが、ご降臨頂いたことだけで頭がいっぱいになってしもうてた。そう思うと、千臣さんは郷の人じゃあらへんから冷静なご意見を言って頂けたんやと思います」

ホンマにありがとうございます。

千代の言葉に、役に立てたようで良かった、と千臣が安心したように微笑んだ。

見ず知らずの土地で、怪我を負った所為で旅先の知らない家に逗留しなければいけなかった心細さは、千代には分からない。頼る者が自分一人というのは、かなり心細いのではないかと思う。その中で、千代の言葉にこの郷での居場所を見つけてくれたのなら嬉しい。それとも旅をする時点で、そういう弱い心は持ち合わせてないのだろうか。

「千臣さん、祖母に旅の目的を聞かれたときに、求められる土地で、求められることをする為に旅してるっていうてはったやないですか。今回のことも、そうなんですか?」

「まあ、そうだな。郷の人たちはそもそも水路を作ることを諦めてたから、水凪殿が居るのに治水の案が出てこなかったわけだ。長年水に困っていたところに龍神が居りてきて、喜びに沸いてばかりのような気がした。神は願われなければ益をもたらさない。千代も神に祈るのだろう? 願いが届けられるから、神はその力を発揮する。神の行いの源は人の願いだ」

そうなのか。神さまは何でもしてくれる存在かと思ったら、そうではなかったのだ。では、千代が神降ろしで人生を失うことを恐れたから、水凪は千代に乗り移らなかったのだろうか。幼い頃から何度も絶望した神さまのお迎え。それがこんなにとんとん拍子にいいことずくめで進むなんて、去年の千代に教えたらどれだけびっくりすることだろう。水凪の降臨以来、千代の胸のつかえがどんどん取れていく。千代に未来をくれた、とても慈悲深い神さまに対して抱いていた誤解を、千代はそっと吐露した。
「……水凪様には言えへんのですが、実は私、神さまをお迎えすることを、とても怖いことやと思ってたんです。子供の頃に祖母が口寄せをしてるのを見て、神さまを郷にずっとお迎えした状態にするために、私の体を乗っ取るんやと思うてたんです。……今考えたら、水凪様にとても申し訳ない誤解をしてたんですね……。水凪様は私の不安を知って、私の体を使う以外の方法で、郷を潤してくださろうとしてはる……。あんなこと考えとったんが、ホンマに罰当たりやったと思います……」

静かに静かに語った千代の言葉を、千臣は黙って聞いていてくれた。話し終わると、そうだったのか、と一言相槌を打ち、こう訊ねた。

「そもそも千代は、何故自分が神を迎える人間に選ばれたのか、知っているのか? 龍神もやみくもに自分を迎える相手を選ぶわけではないだろう。君が神に選ばれる人間たる所以が分かっていれば、そんな恐ろしい思いはしなくて済んだのではないか?」

確かにそうだ。自分の人生が十八の継承の儀で途切れると思っていた頃、何故、何度も生まれ来る和泉の神社の巫女のうち、自分でなければいけなかったのかと辛く思っていた。何故、自分なのかと、辛い夜を送ってきた。しかし祖母からは千代が生まれるときに賜ったというご神託の内容以外、教えられていない。

「十八年前、旱(ひでり)の梅雨と凶作の秋から半年後の春、雷鳴と共に私が生まれたそうです。その時に祖母に神さまからのご神託があり、生まれた子供……私ですね、は『神様を迎える子』なのだと言って、消えたそうです。もともとこの郷には古い歌が伝わっていて、それが龍神様のことを歌った歌だったので、私がお迎えする神様というのは龍神さまだとみんなが信じたんです」

千代が言うと千臣はそうか、と言って黙った。

「……千臣さん?」

「あ、いや、それだけでは理由は推し量れないな。歌と言うのは?」

「あ、はい。龍神様にお届けするときに歌う歌で、この郷と神様の関係を描いた内容だとか……」

この話は祖母からの受け売りだ。千代は抑揚を付けながら、歌を述べあげた。

かみおりたちこううあり
めぐみのあめはりゅうとともにき
いかづちささりて
むかえさすはおつるみこ
へきてんにえんこうかがやきりゅういっつい
りゅうはこしかたにかえらん
わかつかみむかえみこのそうじょうにて
さとおりたちてこううあり
へきてんもおなじに
 


聞き終わった千臣は腕を組んだ。

「ふむ」

「意味も分からず歌うてるんですけど……。なんか分かりますか?」

千代の問いに、千臣は頷いた。

「俺は分かるが、千代が分からなければ意味がない。まず、歌を文字に書き起こした方が良い」

文字? 文字だって? 文字なんてもの、殿上人ならともかく、こんな片田舎の農村の人間で知ってる人なんていないことを、千臣は知らないのだろうか。千臣が当たり前に知っていることを知らないという事実を恥ずかしく思いながらも、千代は口を継いだ。

「文字? でも私、文字は読めへんし、書いたこともあらへんです……。郷の人だって誰一人として文字は知らへんし、おばあさまやって知らへんですよ……?」

恥ずかしさから俯き、荒れた指先をもじもじと動かした。

「では、これから覚えるのはどうだ。俺が居る間は看病の礼として教えてやれる。紙や筆がなくても、地面に書けばいい。覚える気さえあれば、俺は教えてやる」

新しいことを、覚える。

それは千代にとって描けなかった未来を指し示した明るい光のようなものだった。無知ゆえに怯えて暮らしてきたという指摘が本当なら、文字を覚えることで今まで知らなかったことを知ることが出来るようになるかもしれない。千代の胸は踊り、目は輝いた。知りたい。知らなかったことを、知りたい。

どうにも抗えないその欲求に、千代は素直に屈した。

「教えて……、ください……っ。頑張ります……っ」

千代の表情に、千臣はやわらかく微笑んだ。

「目が生きたな。千代は本来、そういう人間なのだろうな、羨ましい」

言葉の最後にやや視線を俯け、ぽそりと呟かれたそれを、千代は聞き取れなかった。

「千臣さん? 何て言わはりました?」

「いや、何でもない。では、先ず水凪殿の承諾を得てくることからだな。水凪殿は随分君に執心しているようだから、もしかすると反対されるかもしれない」

ふふ、とからかうように笑う千臣にはどこにも憂いた様子はない。聞き間違いだったかなにかなのだろうと見当をつけて、千代は千臣に必ず承諾を得てくる、と約束した。

「文字?」

千代は離れを辞した後、直ぐに水凪に文字を習いたいと頼みに行った。水凪は目を丸くして驚いた後、眉間にしわを寄せた。

「千代……。俺はあいつの看病に尽力せよとは言ったが、あいつと慣れ合うことは許していなかった筈だ。お前は俺の嫁になるんだ。許嫁が他の男と親しくしたら、いくら神の俺でも嫉妬するのは分かるだろう?」

「は、はい……」

水凪の指摘はごもっともだった。神に仕える巫女の身として、注力する先が別に出来るのはよくないことなのかもしれない。でも、今、千代の心には、知らなかったことへの好奇心が渦巻いていた。どうしても文字を習いたい。習って、水凪がこの地に降り立つべく定められた理由も知りたい。千代は懇願するように口を開いた。

「水凪様が、私をお求めになる理由が知りたいのです。神さまを迎えるよう定められた、その理由が知りたいのです」

ひたと水凪を見つめる千代の目にも、水凪の表情は冴えない。

「そのような理由、明確にあるだろうが。お前に水の気配を感じ取る力があるだろう? その力は水の神である龍神(おれ)に通じる力だ。つまり俺とお前は呼応し合っている。神(おれ)を迎えるのに、これ以上の相手が居るか?」

水凪の言うことに心当たりは沢山あった。水凪に触れられているときに、足の裏から水が伝ってくるような感覚を覚えていたのだ。あれは水凪と自分が呼び合っているからなのか。他の郷の人が水凪と触れ合っても何も感じていないようだったから、この感覚を有する限り、水凪は千代を求めるという訳なのか。

「そう……、です、か……」

湖底から湧きだした知識への好奇という水泡が、湖面に出てパチンと割れた。千代の意欲は行き場を失って、揺れる湖面に行方を預けていた。項垂れ、肩を落とした千代を、水凪が気まずげに見ている。少しの沈黙が耐えられなかったのは、水凪だったらしい。

「あああ、仕方ない! 特別に許してやる!」

大きな声に、千代がパッと顔を上げる。水凪の許可が下りたことに目を輝かせていたら、水凪が、ただし! と、千代の鼻の頭に人差し指をピッと向けた。

「絶対にあいつになびくな。お前は俺の嫁だ。俺と夫婦(めおと)になり、この地を潤すのが、お前の役目だ。それを重々忘れるな」

「は、はい! それは勿論です!」

「それと!」

まだ何かあるらしい。黙って次の言葉を待つ。

「お前が文字を習うのはお前の自己満足だが、郷に水を引くことは郷の者の悲願。水路の完成までは、習うことは許さない」

「分かりました。千臣さんの傷も、まだ完全に癒えておりませんし、全て収まってからという事ですね」

そういうことだ、と言う水凪に改めて謝意を述べ、頭を下げる。

(許可下りましたよ、千臣さん)

千代は唇を引き上げて、込み上げてくる嬉しさをかみしめた。



今日のお務めと農作業を終えてしまって、千代は千臣に村の案内を買って出た。千臣の傷は大分癒えてきたが、まだ旅に出るには傷は治りきっていない。多分もう少し治癒には掛かるだろうし、その為にここに留まるのなら、村のことも知っていた方が良いだろうと思ったのだ。

それは助かる、と言って、千臣は自分で作った杖を突きながらゆっくりと千代の後を追って歩いてきた。千代も千臣を気遣ってゆっくりと歩いた。二人は社務所からすぐ裏の泉の脇の桜の大木まで来ると、千代は北の方角の山の向こうを指差した。この泉から村はずれの山が良く見えるのだ。

「あの山の向こう側に千臣さんの通って来た今の街道がありますね。千臣さんはあの山を夜に越えてこの郷にいらっしゃった」

千臣がここへ来た道筋をなぞるように、千代は指を山から村の中心を沿ってこの神社まで指し示して見せた。泉の脇には立ち枯れた桜の大木がどしんとそこに根付いていて、枝ぶりは見事だが、皐月の今、葉の一枚も茂らせていないのは、奇妙なものだった。

「そして、この、泉の脇にある桜の大木が渇きの大桜と言って、伝説では雨の季節に花を咲かせたことがあるという桜です。その時期にこの桜が咲くと、郷には梅雨は空梅雨になり、夏に干ばつが来ると言われています」

千代が説明すると、千臣は桜を見上げて笑った。

「この木は生きているのか? 生きているとしても、桜なのだったら花は春にしか咲かないだろう?」

まったくもって同意の言葉に、千代も微笑んだ。

「ずっと、この場所で立ち枯れたこの状態のままなのです。春は勿論、梅雨にも夏にも、花はおろか、葉っぱも茂ったところを見たことがありません」

「では、この木は寿命を迎えたのではないか?」

「そうかもしれません。それでもこの郷は雨が少ない村なんで、昔語りのようにみんなで桜の機嫌を窺っとるんです」

千代の表現に、千臣はふは、と笑った。切れ長の目が月のように細められて、やわらかな曲線を描く。やさし気な表情に千代が見惚れると、千臣がどうした、と問うてきた。

「千臣さんは、水凪様と同じくらい色男やなと思て」

隻眼であることを差し引いても、千臣の容姿は整っていた。目鼻立ちは言うに及ばず、鍛えられた体躯も、艶やかな長い髪も。そしてやさしい外見の水凪に比べて、一見冷ややかに見えそうなその外見を、微笑んだ目元と甘い声が裏切っている。この人に甘い言葉を吐かれたら、璃子を始め、村の娘は簡単に悩殺されるだろうなと思うのだ。千代の言葉に千臣が笑った。
「はは。こんなくたびれた旅のものを持ちあげても、なにも出ないぞ」

「そっ、そう言う事ではなく……」

千臣を一目見た璃子の入れあげようも凄かったし、傷が癒えて村を歩くようになればあっという間に娘たちに囲まれるだろう。水路の発案の件を見ても、村人に対して協力的なところも好印象だ。

それに、千代のことを神様と郷を『結ぶ』者として見る村人が多い中、千臣は千代が自我を持つことを許してくれているような気がする。村人ではないからなのだろうが、『橋渡し』としてしか自分を見られなかった千代の弱いところを、千臣は救ってくれた。自然と口許が緩む。

「どうした。なにか面白いことでも言ってしまったか」

「あ、そう言うわけではないんですが」

慌ててさらに村の中を案内しようと歩を進めると、璃子とその友達たちに出会った。璃子は千代とその隣にいる千臣を見比べて、ふうん、という顔をした。

「なんだ、千代も油売ってるんやない」

そう言われてしまうと、そうとしか言えない。千代の仕事は巫女のお務めだから、際限がない。

「そ、……そういう、わけ、……じゃ……」

ない、と言い切れないところが、千代の弱い所だ。特に、きつい物言いには言い返す勇気がない。其処へ千臣が助け舟を出した。

「千代は今日も一日ちゃんと働いていたよ。きちんと仕事は終わらせているんだ」

千臣の言葉が向かった璃子はぱっと表情(かお)を変えて、千臣に笑顔でこう言った。

「千臣さん。千代のお守りは退屈でしょう。私たちと一緒にいらっしゃいませんか? 今から友達同士で歌を詠むんです」

「ほう、風流なことだ」

「千臣さんの都の話を聞いて、皆でやってみようということになって」

成程、今まで村にそんな風習なかったと思ったら、璃子たちが新しく始めた遊びだったのだ。楽しそうな話に羨ましく思っていると、再度璃子が千臣を誘った。

「ですから、ご一緒に如何です?」

しかし、千臣は簡単に璃子の誘いを短く断った。

「いや、遠慮しておこう」

「どうして? そんなに千代と一緒が良いの?」

明らかに不満そうな表情と声。きつく睨む視線が千代に来た。……身がぎゅっと縮むようだ。

「そうだな、千代と居ると居心地が良いんだ。千代の人となりがそう思わせるんだろうな」

まるで自分たちを侮蔑されたかのように、璃子たちの顔に憤りが露わになった。

「そ……、そうね。千代は神様をお迎えするんやから、当然でしょうね」

言外に千代の千臣を慕う心を蔑んで、璃子たちは去って行った。

(……そう、やわ……。私は、水凪様に、お仕えする身やもん……)

嵐が過ぎ去ったような村の一本道で、独り沈む千代はぼんやりと去って行った璃子たちの方を見ていた。

「……行こうか?」

千臣が促してくれなかったら、ずっとそこに立ち尽くしていただろう。千代の歩みを促してくれる千臣のことを、千代はやさしいと感じた。