「大きなお屋敷……」
葉月(八月)になり、私は架瑚さまの実家の笹潟家の本邸にやって来た。
(やっぱり本家だから人がいっぱいいる……)
「藍、こっち」
「! はい!」
架瑚さまに案内され、私は本家に入る前の検査に入った。暗殺を阻止するためだとか。さすが本家だと思わされる。
「あれが若様の婚約者……?」
「初々しい娘だな」
「時都の家の出よね? 罪人の……」
嫌な過去は変わらない。だけどーー
「藍」
「? ……っ!」
架瑚さまの顔が近づいたかと思えば、一瞬にして私の唇が塞がれた。
口付けをされていると気づくのに三秒、されている場所が人目の多い本家だと思い出すのに五秒、計八秒ほどの時間を有した。
「あ、あの、かこさ……〜〜っ」
再び架瑚さまから深い口付けをされる。まるで、周囲に見せつけているかのように感じられた。
長いキスが終わり、架瑚さまは私から離れる。そして、強く抱きしめた。
「大丈夫だよ。藍」
「架瑚さま……?」
「藍のことは、俺が守るから」
「……っ!」
架瑚さまがいると思うだけで前を向いて頑張れるのだと、強く在ることができるのだと、今の私は知っている。
だからきっと大丈夫だと思える。
(綟さまと夕夜さまは今頃どうしてるのかな……?)
今回お二人は架瑚さまから休暇をもらい、美琴家の屋敷へ行っている。
『私たちがいない間、若の藍様への溺愛は日々増すかと思われますが、どうか周りを信じて助けを呼んでくださいね』
『架瑚と距離をおきたい時は嘘でもいいから嫌いとか怖いとか言え。そうしたらあいつも冷静になるはずだ』
お二人は美琴家へ行く最後まで心配していた(主に架瑚さまからの愛を)。
助けを呼ぶようなことは起きないと思う(起きないと信じたい)が、もしもの時は言われた通りにしようと心に誓った。
するとーー
「あー! 架瑚ー!」
「っ……」
(だれ……?)
ふんわりとした茶色の髪。
なめらかな曲線を描いた肢体。
柔らかな雰囲気。
背丈は架瑚さまより少し下ぐらいで、ふっと笑った時の笑顔から優しそうな人だと感じる。
(この笑顔、どこかで……)
そう考えていると、その人は架瑚さまに抱きついた。
「ひさしぶりー! 元気にしてた?」
「……相変わらず元気そうですね」
「あら、そう? 健康なのって幸せよね。私は恵まれてるわ」
「でしょうね」
(な、なんだか温度差があるような……)
それにしても綺麗な人だ。
架瑚さまとはどのような関係なのだろう。
そう思っていると、架瑚さまに抱きついていた人はパッと離れて、今度は私に抱きついた。
「ずっと会いたかったの〜! 時都藍ちゃんよね? 初めまして! 会えて嬉しいわ〜」
「えっ、えっと……」
「藍が困ってるから離れてくれ、姉さん」
「でも未来の義妹がこんなに可愛いんだよ!? 抱きしめたいと思うのは普通のことじゃない」
「藍が可愛くてずっと抱きしめたくなる気持ちはわかるけど、一旦離れてくれ」
「はぁい……」
突然の抱擁から解放され、ほっと息をつく。
「ごめん、藍。まさか姉さんがこんなに興奮するとは思ってなくて……。この人は俺の姉さん」
「架瑚の姉の未亜です」
思っていた人よりも優しそうな人で、一気に緊張がほぐれた。
「あの仏頂面の架瑚を人にしたって有名だから、ずーっと会いたかったの」
「人にした……?」
「感情の起伏が薄いから心がないんじゃないかって疑惑が出てたんだよね。ま、デマだけど」
「感情の起伏が薄い? 心がない??」
(私の知ってる架瑚さまと違う……。昔の架瑚さまはどういう人だったんだろう)
うーんうーんと考えていると、未亜さんは私に尋ねた。
「ねぇ藍ちゃん。藍ちゃんの知る架瑚って、どんな人?」
「え? えっと……まず、優しいです。わからないことがあったら、すぐに教えてくれます。丁寧に教えてくださるのでとてもありがたいです」
お屋敷に来たばかりの頃、迷子になったところを助けてもらったことがある。その後、お屋敷の地図(架瑚さま自作)をもらった。
「あと、意外と甘い物が好きです」
これは二人でお出かけした時に知ったことだ。
「架瑚さまはかっこいいです。でも、ちょっとかわいいなって思います」
「え、藍……!?」
「待って藍ちゃん。それ、本当に架瑚?」
「……? はい。架瑚さまです」
むしら感情の起伏が薄いとか、心がないとか、そっちの方が架瑚さまのことではないと思う。架瑚さまは寂しがり屋になったかと思えば、急に甘やかしてくる時がある。
もっと架瑚さまへの耐性をつけなければと思わされる。
「他にもいっぱい架瑚さまの素敵なところはあります」
「藍、ちょっと一回やめて。なんか嫌な予感がし……」
「いつもは頼りがいのある強い姿なのですが、熱が出た時は少し弱々しい姿で……。庇護欲と言うのでしょうか。どこかこう、守りたくな……んっ、んんっ」
すると架瑚さまが背後に回り、手で口を塞いだ。そして私の耳の近くで小さくささやく。
「ちょっと黙ろうか」
「っ……」
この一連の出来事を見ていた未亜さんは笑い出した。
「ふっ、ふふっ……あははっ!」
「なに笑ってるんですか、姉さん」
「いや、だって……やば。涙出てきた」
(わ、私なにか失礼なことを……!?)
困惑していると、架瑚さまが「平気だよ」と言ってくれた。
「ほんと面白いわ〜」
「やめてもらえます?」
「やですー。逆に笑うななんて無理無理。まず藍ちゃんの言う架瑚の人物像がおかしなことになってて、それを聞いてる架瑚の様子がおかしなことになってるんだよ? 半年ちょっとで随分と面白いことになってるね、架瑚」
「〜〜っ」
架瑚さまがさらに強く抱きしめた。
恥ずかしがっている、のかな。
こういう架瑚さまはあまり見たことがない。
「ま、立ち話もなんだし、こっちおいで。部屋は用意してあるから。案内するよ」
「! ありがとうございます。未亜さん」
「お義姉さんでいいよ、藍ちゃん」
「えっと、じゃあ……未亜お義姉さん、って呼んでもいいですか?」
「〜〜! 架瑚、聞いた? 未亜お義姉さんだって。私の(未来の)義妹がかわいすぎる……っ」
「当然です。あと、言っておきますが俺の婚約者です」
何故か喜ぶ未亜お義姉さんと、自慢げな架瑚さま。やっぱりちょっと似てる気がする。
部屋に案内され、荷物を置く。今日から一週間ほど泊まる予定だ。
「この辺には親族や関係者以外は来ないことになってるから、安心して大丈夫よ。……あぁ、でも色んな意味で気をつけてね。特に夜には」
「夜……?」
(お化けでも出るのかな……?)
そう軽く考えていたのだがーー。
「私はある程度理解のある大人だけど、そうじゃない人もいるから気をつけなさいよ? 架瑚。うるさい重鎮の連中どもからの苦情の対応が面倒なことぐらい、わかってるわよね?」
「……別に、周りの目を気にしなきゃいけないことをするわけじゃないので、心配は不要ですよ」
「そんなこと言ってるけど、どうなのよ? 我慢するのも結構つらいんじゃないの? 素の時点で衝動に駆られてもおかしくないでしょ」
「……俺以外の野郎は排除するので大丈夫です。それと、藍は見た目も中身も純粋無垢なのでこの手の話はしないでくださいね?」
「だよね〜。りょーかい」
(何を話してるんだろ……。小さくて聞こえない)
一人部屋にしては大きな部屋だ。布団を二つ、三つくらい余裕で敷けそうなぐらい大きい。さすが本邸。いつものお屋敷も大きいが、大きいは大きいでも規模が違う。
「あ。そうだ。架瑚、伝言! お父様とお母様から、『いつでもおいで』だってよ。じゃ、またあとでね藍ちゃん!」
「あっ、はい。またあとで……!」
未亜お義姉さんとの挨拶を終え、架瑚さまを見ると、架瑚さまの表情が少し険しくなっていることに気づいた。
(未亜お義姉さんがお父様とお母様って言ったから、かな)
架瑚さまのお父様とお母様は、現笹潟家当主の翁真様と菊枝様だ。いったいどんな人なのだろうか。
そして、私は架瑚さまの婚約者として認められるだろうか。

