『花火大会、行かない?』
そう、依世に誘われたのは春蘭祭の時だった。紡葉の休憩時間と依世がバックヤードに戻ってきたのが同じタイミングで、その時に誘われたのだ。
『ほら、私、引きこもりだからそういうの行ったことないの。屋台とかあるみたいで……。兄様や姉様は忙しかったから行ったことがなくて、だから、その……どう?』
紡葉にとっての依世は、同族だった。
幼少期に家族を二人同時に亡くした同族。
だけど少しだけ、依世の方が大人びて見えた。雰囲気のせいか、依世の性格のせいか、どちらにせよ、あまり話したことがなかった。
話したのは一度だけ。
紡葉が特別クラスに上がって、依世と顔合わせをした時だ。依世は『夢遊空想』で一人、退屈そうにしていた。
『あなたが真菰くん?』
『っ、あぁ』
少し返事が遅れた。
『俺は真菰紡葉。白椿さんであってる?』
『あってるわよ。白椿依世。それが私の名前』
白椿の花言葉は「完全なる美しさ」「申し分のない魅力」など。依世は「白椿」の名に相応しい人だ。紡葉はそう感じた。
藍が転入してからは今まで見せなかった依世の魅力を知った。若干のサボり癖。はっきりとした意志。見かけることが多くなった幸せそうな笑顔。
そんな依世に、紡葉は自然と惹かれた。
これといった革新的な変化ではない。ごく自然と、恋心が積もり積もったのだ。
『どうして私なんかのために兄様と姉様が死んだのか、わからないのよ……っ!!』
恋心を自覚したのは、依世がそう言った時だ。
守りたい。依世を、守りたい。
依世の涙を見たのはこの時が初めてで、同時に、守りたいと思う人なのだと知った。同族だからじゃない。依世だから。
こんな感情、昔の紡葉にはなかった。
「真菰くん」
「!」
現実に意識が戻る。
声のした方を振り返ると、依世が浴衣姿で現れた。白地に細い黒のラインの浴衣に赤い椿の浴衣だ。帯は黒。髪は結い上げられ、簪で留められている。
「ごめん。遅れた?」
「いや、今来たところだ」
「そっか。よかった」
依世はじっと紡葉を見つめる。
「……なにか付いてる? 俺」
「……真菰くん」
「なに?」
「コレ見て言うことないの?」
似合ってる。大人っぽい。愛らしい。新鮮で好き。依世にぴったり。
そんな言葉が出てきたが、言うべきではないと思っていたのだ。身分を考えればわかる。自分と依世が結ばれるはずがない。ただそばで支えられればそれでいい。
紡葉はそう思っていた。
だが、もし許されるのならば。
この一言を言いたかった。
「…………俺はすごく好き」
「……、……えっ、あっ、この浴衣の柄のこと?」
「……ご想像にお任せします」
「ちょっと! なんなのよ、もうっ!」
怒りつつも依世は嬉しくもあった。
たとえその「好き」が自分に向けられたものでなくとも、紡葉の「好き」を知ることができたから。
「ほら、早く連れて行きなさい」
「最初になにしたい?」
「そうねぇ……」
貴方となら何をしても楽しそう。
そんな言葉を依世は飲み込む。
「金魚すくいがしたい!」
「ん、わかった」
紡葉に手を差し出される。
「え……?」
「? 手、繋がないとはぐれるよ」
少しでも触れたい下心も含んでいるけれど。
「そ、そうよね」
依世の指が伸び、少し離れ、紡葉の手を取った。依世が触れたのを確認すると、紡葉は優しく、だが離れないように強く握る。
「こっち」
案内され、依世は初めての金魚すくいをする。全然取れず苦戦する依世に、紡葉はコツを教える。
「水に濡れると強度が落ちるから、なるべく早く、少ない面積で取るんだ。……ほら」
「ほらって言われても難しいのよ。うぅ〜。なんでうまくできないのかしら。仕組みは理解してるのに……」
ぷくっと頬を膨らませる依世が愛らしい。
金魚なんかより、ずっとずっと可愛い。
そんな想いを紡葉は内に秘め隠す。
「とれた!」
依世の声が上がる。
三匹だけだか、依世にとっては「うまくとれた」と喜ぶ数だ。
「よかったね」
「うんっ!」
いきいきとした依世はなかなか見れない。
こんなにも幸せな時間をたった二人きりで堪能できる幸運に、紡葉は感謝した。
「ラムネって美味しい?」
紡葉の飲んでいたラムネ瓶の中のビー玉がからりと鳴った。
「飲みたいの?」
「うん。飲んでみたい」
「……いる?」
「いる」
依世はラムネを飲んだ。
そしてーー
「!? しゅわしゅわする……っ」
「それがどうかした?」
「なんで教えてくれなかったの……」
「え!? あっ、もしかして、炭酸苦手?」
「〜〜っ!」
依世は図星と言うかのように目を大きく開いた。そして「……悪い?」と恨みがちに言った。
「ごめん。知らなかった」
「……」
「大丈夫?」
「……幼いって思った?」
「え……?」
「炭酸飲めなくて、幼いって思った?」
どうやら依世にとって炭酸はコンプレックスのようなものらしい。
「思ってない」
「本当に?」
「思ってない。思わない。好みの問題でしょ? こういうのは」
「……嘘じゃない?」
「嘘じゃない」
「……そっか。ならよかった」
貴方に嫌われたくないから。
「あっ! もうすぐ花火始まる! どうしよう、席、取られちゃったかな……」
紡葉は少し考えると、依世の手を引いて神社の奥にある山に登った。
「こっちなら空いてるかも!」
初めての花火を依世に見せてあげたかった。楽しみにしていた依世に、がっかりしてほしくなかった。
紡葉は軽く走る。花火が上がるまで、あと少し。
ドーン!
花火が上がったのと同時に、二人は山の上にある休憩所に着いた。見晴らしも良く、人もいない涼しいここは、花火を見るときの隠れスポットなのだ。
「綺麗……音、大きい……」
花のような火と書いて花火。
『夢遊空想』に閉じこもっていた依世が見る初めての花火は紡葉とだった。
「よかった」
「え……?」
「喜んでもらえたみたいで」
笑った紡葉の表情は明るかった。
やっぱり好きだと依世は自覚した。
いつもみんなと楽しそうに接している姿を見るのが依世は好きだった。いじられキャラの紡葉だが、彼の周りにはいつも笑顔で溢れていた。依世には紡葉が眩しかった。
『白椿』
依世の『夢遊空想』によく遊びに来てくれたのも紡葉だった。心配してのことか。それとも五大名家に媚を売るためか。紡葉はそのどちらでもなかった。
『どうして私のところに来るの?』
『もしかして嫌だったか?』
『ううん。でも、嵐真たちといるほうが楽しいでしょう?』
そういう時の紡葉が一番輝いて見えたから。
『……俺は白椿といる時も好きだけどな』
『どうして?』
『うーん……特に理由はないけど、そうだな』
紡葉は依世の心を少しばかり溶かした。
『ここにいる時の白椿は楽しそうだから』
紡葉は依世を楽しませてくれる。
いつのまにか自然と笑顔になる。
紡葉は決して見返りを求めず、誰かの幸せのために自分を犠牲にする。
そんな紡葉に自分自身を大切にしてほしいと思いつつも、依世は自分を、自分だけを見てほしいと願ってしまう。
それが「好き」によるものだと知ったのはつい最近のことだ。
「ねえ真菰くん」
「なに?」
「この花火を一緒に見た男女はカップルになるって話、聞いたことある?」
「え……」
「知らなかったんだ。ふぅ〜ん」
白椿は知ってて誘ったのか?だなんて言えるはずがなかった。
「……俺と一緒でよかったのか?」
「ん〜? 真菰くんは嫌だった?」
嫌なはずがなかった。
「私、待ってるんだ」
依世は不敵に笑った。
「だれかが私のことを連れ去ってくれるんじゃないかって思ってるの」
それが“だれ”なのかを言う必要はない。
紡葉にはそれが“だれ”でも関係なかった。
溢れる気持ちを抑えられなかった。
「!」
花火が上がり、二人を照らした。照らされてできた二人の影は重なっていた。
随分と長く重なっており、五発目の花火が上がる頃に二人は離れた。
「…………ごめん」
「なんで謝るのよ。ばか」
「ごめん。抑えられなかった」
「〜〜っ!! ばかっ!!」
「ごめん」
依世は恥ずかしくなる。
「謝らないで!」
「……じゃあ、嫌いじゃなかったのか?」
その聞き方はずるい。
「……っ、聞かないでよ!」
「俺のこと嫌いだったら、ごめん」
「嫌いだったらそもそも誘わないわよ!」
「えっ……」
「あっ……」
告白のようなものである。
「……い、今のは忘れ」
「好きだ」
「!」
「俺は、白椿が好きだ」
紡葉にまっすぐに見つめられた依世は顔を朱に染める。
「白椿は、俺が嫌いか……?」
そう見つめられれば、依世は答えざるを得ない。
「……わ、私も」
たとえそれが許されなくとも。
「私も、真菰くんが好き、です」
溢れる想いは止まらない。
「……キス、していい?」
「なっ、なんで聞くのよ!?」
「急にやったら怒るかと思って」
「聞かれる方が恥ずかしいわよ!」
「そっか」
「当たり前で……、〜〜っ」
紡葉と依世がまた重なった。
吐息が、視線が、絡み合う。
「……ばか」
「うん。知ってる」
そしてまた、二人は重なるのだった。