(ま、迷ってしまいました……)
わたくし、東みやびは今、天宮高等学校の春蘭祭という文化祭に来ています。人がたくさんおり、賑わいを見せています。とても素敵な場所です。
そう。とても素敵な場所なのですが……
(いくらなんでも広すぎませんか?)
とにかく敷地が広いのです。初めて来たわたくしにはとても覚えられそうにありません。出口がどこにあるのかもわからない状況なのです。
天宮の生徒に道を案内してもらおうかと思いましたが、クラスでの出し物の最中です。邪魔をするわけにはいきません。
いったいどうすればよいのでしょうか。
そう、思った時でした。
「大丈夫ですか?」
わたくしに声をかけてくださった殿方がいました。服装からして、天宮の生徒でしょう。綺麗な殿方です。顔立ちも含め、容姿がとても人とは思えないほどうつくしい殿方でした。
「あっ、えっと、わたくし……」
東家は五大名家ほどではございませんが、狙われてもおかしくない家です。なるべく身分を隠さなければなりません。それに今はお忍びで来ています。
東の長子……しかも一年後には五大名家の一つ、煌月家の次期当主である煌月綺更様の許嫁であると知られたら、大変なことになってしまうでしょう。
お父様やお母様に叱られてしまいます。なんとしてでもここは隠し通さなければなりません。
「だれかと待ち合わせを?」
「! いえ、一人で来たので……」
どうしましょう。一人で来るのはおかしかったでしょうか。怪しまれていないといいのですが……。
「そうですか。では、どこに行こうと? ここは広いですからね。迷っても仕方のないことです」
「えっと、わたくし……」
今日ここに来たのは一度もお会いしたことのない綺更様に一目でいいから会うためです。わたくしは女性。他家に嫁ぎ、政略婚をするために生まれてきました。
恋もしたことのないわたくしですが、結婚相手は自分で決めたいと思っているのです。たとえ、五大名家の許嫁がいたとしても……。
ですが、一度もお会いせずに嫌だというわけにもまいりません。それにわたくしには想いを寄せる殿方がいませんので、このまま煌月家に嫁ぐことになるでしょう。
しかし、綺更様がどのような殿方なのかこの目で見てみたいのです。一年後にはわたくしの夫となるお方ですから。
とにかく、一般人でも入れるこの春蘭祭で綺更様を見つけ、僭越ながらもわたくしが煌月家の次期当主に相応しいかを見極めたいと思っているのです。
「……なるほど。わかりました」
話しかけてくださった天宮の生徒さんは私の事情の一部分を聞くと、提案をしてくださいました。
「では、俺と一緒に回りませんか? 春蘭祭」
「えっ……いいのですか? そんな」
「俺、今は休憩時間なんです。また時間はありますし、始まったばかりなのでよかったら。もちろん、断ってくださっても平気ですけど」
なんと優しい生徒さんなのでしょう。きっと他のご友人とのお約束とかしているでしょうに。けれど、お誘いなどわたくし、初めてされました。少しわくわくします。
「ほ、本当によろしいのですか?」
「俺から言い出したことですし。特に予定もありませんから」
生徒さんが手を差し伸べました。
この手を掴んで、わたくしは一歩踏み出そうと思います。
「よ、よろしくお願いします。……えっと」
「文、とお呼びください葉月」
「フミ? ハヅキ? 何故??」
よくわかりません。
二つの共通点は……暦でしょうか。
「名前を言いたくないのだと思いまして。俺も同じです。なので今は文月ですし、俺のことはフミとお呼びください。そして今日は葉月のように暑い日ですので、あなたのことはハヅキと呼ぼうかと。……どうでしょうか」
「とても素敵です! えっと、フミ、さん」
「フミでいいですよ、ハヅキ。……あ、ハヅキ“さん”と敬称をつけた方がよろしいでしょうか?」
「!」
本名ではないにしろ、下の名前で呼ぶということです。普段のわたくしではそんなことできません。でも、今日なら……。
「……いえ、その必要はございません。よろしくお願いします、ふ、ふみ……っ」
「よろしくお願いします、ハヅキ」
こうして生徒さん……フミとわたくしは春蘭祭を回ることになりました。陽の光に当たって煌めく新緑が、くるくると踊っていました。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「フミ! あれはなんでしょうか?」
「射的と言って、引き金を引くとコルクの弾が出る仕組みのものを使って、欲しいものに当てる遊戯です。やってみますか?」
「はい!」
「フミ! あれはなんですか?」
「かき氷と言って、暑い夏によく売れる氷菓です。味はいちごやメロン、レモンといったところでしょうか。甘くて美味しいですよ。食べてみますか?」
「はい!!」
箱入り令嬢とはこのような少女のことを指すのだろう。どれもこれも当たり前のように存在するものなのに。幼児でも知っているようなものなのに。
この子にとっては初めてのことばかりで、楽しいのだろう。目が爛々と輝いている。とても楽しそうだ。
見るからに高そうな着物を来て、最近噂のハイカラとやらを取り入れた大きな赤いリボンや袴などをしていた少女もといハヅキ。
迷ったのかうろうろと辺りを見回しており、このままだと悪い奴らのいい餌になると思って声をかけたのだ。
(楽しそうでよかった)
一人で回ってもよかったのだが、そうなると多くの女性に囲まれるので面倒だ。俺が煌月家の者と知る者も多い。俺には許嫁がいるのだが、そう言って立ち去ってもらえればどれだけ助かることか。
要は、ハヅキを女性除けとして春蘭祭に同行してもらうことで面倒ごとが一つ消えるということだ。若干罪悪感はあるが、互いの求めたものが一致した結果の組み合わせだ。
複雑な心境だが、まあこういう日もあるだろう。そう思うことにした。
「いっぱいだね」
「はい。いっぱいです」
ハヅキの手には射的で獲ったうさぎのぬいぐるみや春蘭祭で販売していた食べ物でいっぱいだ。ハヅキは意外と食いしん坊だった。「こんな日はもう二度とないかもしれませんから!」と食べて食べて食べまくった。
しかも食べ方がまた綺麗だった。家柄の良さが出ている。厳しい親に育てられたのだろう。
「どこに行きたいんだっけ?」
「んー、えっと、どこかはわからなくて……」
ハヅキの話によると、ある人に会うためにここに来たのだと言う。あまり言いたくなさそうだったので特に何も聞かなかったが、そろそろ俺は特別クラスに戻らなければならない。
どこに行きたいのかわからないのであれば、誰に会いに来たのかをさすがに聞かなければならない。
「ハヅキ。俺、休憩時間があとちょっとで終わるんだ」
「えっ、そうなのですか? フミ」
「残念だけど、ね。もしハヅキがハヅキの会いたい人を俺に教えてくれるなら、俺は会わせてあげられるかもしれない。でも、無理にとは言わない。どうする?」
「そう、ですね……」
ハヅキは少し迷うも、決断した。
「わたくし、そのお方にお会いするために今日来ました。なのに会わずに帰るのはおかしなことです。フミに教えます」
ハヅキが決めたことに俺がどうこう言う権利はない。俺は静かにハヅキの紡いだ名前を待った。
「……わたくし、煌月綺更様にお会いするために来たのです」
「!」
煌月綺更。それは、俺の名前だ。
何故。それを知りたい。知りたくてたまらない。だってハヅキは他の女性とは違うと思ったから。
「っ、どうして……?」
煌月の名を冠しただけの男に、何の用があるのか知りたかった。
「あの、これは二人だけの秘密にして欲しいのですが……」
ハヅキは恥ずかしがる様子を見せながら、理由を言った。
「わたくし、綺更様の許嫁なのです」
ハヅキの本名を本能的に当てたのはその台詞が決め手だった。
「君が……」
「フミ?」
「あっ、いや……わかった。なら、特別クラスに行くといいよ。きっと会える」
「! ありがとうございます、フミ!」
「じゃあ俺はこれで。気をつけてね」
「はい!! フミもお気をつけて!」
ハヅキが見えなくなったのを確認すると、俺は転移魔法で特別クラスに転移した。
「わっ! 綺更!? もう、びっくりさせないでよね。あと、戻るのギリギリ。心配させないで」
「ごめん咲音。すぐ働く」
俺は喫茶アイラの服に着替え店内に入る。
そしてすぐに嵐真にお願いして、大きな赤いリボンをつけた黒髪の袴姿の女の子が来たら知らせるよう頼んだ。
きっとハヅキは来るだろう。
俺が初めて名前しか知らない許嫁にあったのは、二年生の春蘭祭のことだった。