「いらっしゃいませ、若様」
「貴君が柳瀬律希か。藍の従兄だと聞いている。笹潟架瑚だ。よろしく」

 笹潟の次期当主であり従妹(あいる)の婚約者である架瑚様と会ったのは、この時が初めてだ。俺は表向きの顔を作り、架瑚様と接する。
 ふと、横目で藍を見る。そわそわしていた。茜のことで頭がいっぱいなのだろう。挨拶はこのくらいにして、藍と茜には再開してもらうことにした。茜も今朝からそわそわしていたしね。

「藍、奥で茜が待ってる。いつもの部屋だよ。行っておいで」
「! ……あの、架瑚さま」
「行っていいぞ。今日はそのためにやって来たのだから……同性だしな」
「っありがとうございます!」

 架瑚様の言葉を聞くと、藍は走って行った。いつもの部屋、というのは藍と茜が泊まりに来た時に使っていた部屋だ。子供部屋、と呼んでいた。幼い頃はよく藍と茜と一緒に遊んだものだ。
 それにしても、最後にボソッと言った言葉が恐ろしいな。表情や接し方、見た目からして笹潟家で藍が虐げられていることはないみたいだけど……別の方面で心配だ。

「ここで立ち話もなんですし、奥へお上がりください」
「すまない。ありがとう」
「いえいえ」

 架瑚様の後ろには、従者然の男女がいた。架瑚様は俺の視線に気づいたらしく、紹介してくださった。

「右が夕夜で左が綟です。俺の優秀な従者です」
「そうですか。夕夜様、綟様、いつも藍がお世話になっております」
「こちらこそ、主人をそばで支えてくださる藍様に感謝しております」
「私も同じです。若がいるのは藍様のおかげです」

 どうやら藍は架瑚様とその従者様と仲良くしているらしい。少し安心した。

「ではこちらへ」

 俺は今に案内した。



「今日来たのは藍と茜さんを会わせるためだが、この機に藍との婚約、及び結婚について話そうと思う。構わないか?」
「はい。大丈夫です」

 やはりか、と俺は思った。
 藍と架瑚様の婚約は正式なものではない。ひどく突発的なもので、周りからの印象は様々だ。
 主にその原因は架瑚様の独断による突然の婚約発表なのだが、文句を言えるほど俺は、柳瀬家はあいにく権力を持っていない。
 反対するわけではないが、そこは少し反省してほしい。仕事が三割ほど増えたのはそんな婚約発表せいなのだから。

「今現在、藍の後ろ盾は柳瀬家しかいない。姓は時都のままだが、藍の母と父には親権がない。実質、柳瀬家の養子です」
「そうなりますね」
「そうなると、柳瀬家の当主であるあなたに承諾してもらう必要がある」
「私の許可がほしい、と」
「そうだ」

 さて、答えは決まっているのだが、どうすればいいのだろうか。ストレートに許可を出していいものなのか、律希には判断できない。
 考えた結果、律希は条件を提示した。

「……藍を愛している証拠をください」
「証拠?」
「はい。証拠です」

 さて、どう出るか。
 架瑚から返ってきたのは意外な言葉だった。

「……証拠はない」
「!」
「だが、信じてほしいと思っている」

 信用できる材料はない。しかしそれでも任せてほしい。信じてほしい。普通ならばできるはずもない。これは律希の問題だ。
 藍を任せるに足りるかどうかを判断するのは、律希だけなのだから。

(まさか、そうくるとはね)

 架瑚の言葉は、笹潟の次期当主としてではなく、一人の藍を愛する男としての言葉だった。決して身分で驕らず、対等、むしろ下手で願った。
 律希は信用に足りると判断した。

「……藍を頼みます。若様」
「! ありがとう柳瀬の当主」

 柳瀬家の許可は降りた。
 あとは笹潟の当主から許可をもぎ取るだけだ。喜びを噛み締める架瑚。ふっと表情と場が緩んだところで、未玖は現れた。
 スパンッ!とふすまが開き、飛び出したのは過保護な親の台詞だった。

「まだ貴様に藍はやらん」
「ごふっ……!」

 未玖の飛び蹴りが架瑚の腹にクリティカルショット!!
 架瑚の顔は歪み、未玖は納得げな顔をする。痛みが怒りに変わった架瑚は、未玖と言葉の応戦を繰り広げる。

「なぁにするんだ未玖! 加減をしろ、か、げ、ん!!」
「はっ、この程度でくたばるならまだまだ鍛錬が足りんな、架瑚」
「俺はちゃんとしてる。おかしいのはお前だ、未玖」
「なにがちゃんとしてるだ、ばかこ。馬鹿な架瑚でばかこ。いい名前だと思わんか?」
「言いわけねぇだろがっ!!」
「おやおやぁ〜? いつも冷静なばかこにしては動じてますねぇ? どーしたんですかーぁ?」
「っ、ふん。可愛げのない式神だな、お前は。あんな純粋無垢な藍の式神とは思えない」
「あぁん?」
「なにか間違ったことでも?」

 バチバチとした険悪な雰囲気を一刀両断したのは綟と夕夜、そして架瑚の式神の(よもぎ)だった。

「はいストップですよ若。柳瀬の当主様の前でこれ以上恥を晒すのはやめましょうねー」
「いったん頭を冷やして冷静さを取り戻さないと、時都妹に幻滅されるぞー」
「! それはダメだ!!」
『未玖様、怒りを鎮めてください。あまり力を出し過ぎると、主人(あるじ)以外にも影響を及ぼします。それは未玖様のしたいこととは違うでしょう』
「……今回だけだからな」
『ありがとうございます、未玖様』

 未玖は舌打ちをすると、どこかへ行ってしまった。蓬は未玖についていく。二人は気の合う式神同士だった。
 しんと静まり返った部屋を変えたのは律希だった。

「よかったら藍の写真が載ってるアルバム見ます? なかなかそういう機会もないですし」
「見よう」

 即答だった。

「ではまず初めに藍が生まれた頃の写真」
「か、可愛い、小さい……」
「幼稚園に入った頃の藍と茜」
「幼いゆえの愛らしさが出ている……可愛すぎる。困るな」
「遊びに来た時の写真です」
「て、天使だ……この笑顔、最高にいい。今とはまた違ったキラキラした笑顔だな。あとで焼き増ししてくれ」
「承知しました。あとはそうですね……あ、この写真なんてどうです? 中学に入った頃のです」
「初々しさが出てるな。セーラー服か。懐かしいな。会った時から同じなのか」
「藍が通っていたのは中高一貫でしたからね。制服も変わらないんです」

 ペラペラとめくる架瑚。そしてついに一番見てはいけないものを見てしまう。

「!? こ、これは……」
「ん。あぁ、前に海に行った時の写真ですね。スクール水着以外を着たのはこれが初めてらしいですよ」

 なんと、藍のビキニ姿の写真があった。
 白色の水着で、大ぶりのフリルが大胆に胸元にあしらわれている。華奢な体であることがよくわかる水着だ。浮輪や麦わら帽子も可愛らしい。
 当然のように架瑚は食いつく。
 そんか架瑚を隣で見ていた律希は「これはまずい」と思い、決断を下す。

「その写真『だけ』は『絶対に』あげませんからね」
「え!?」

 その後、架瑚は律希に何度もその写真の複製が欲しいと頼んだらしいが、架瑚の食い入りぶりを自分の目で見た律希は首を縦に振ることができなかった。