白椿誘拐事件。
 それが起こったのは、架瑚のせいと言われても仕方のないことだった。もともと、誘拐犯が白椿邸に来たのは、遊びに来ていた架瑚を狙ったものだ。五大名家の中でも発言力の強い笹潟家は狙われやすかった。
 その日、架瑚は早めに帰っていた。急用が入ったと言う。その後も依世は誠実と遥香と共に遊んでいた。誘拐されたのはその時だ。

「笹潟のガキがいないな。ちっ、遅かったか」

 誘拐犯は複数。とても強いわけではなかったが、幼かったこともあり体躯のいい男らに依世たちが対抗できるわけもなかった。
 架瑚を目的としていたが、いない者を誘拐することはできない。そこで同じ五大名家の白椿の子供に目をつけた。

「きゃああぁっ!」
「誠実様! 遥香様! 依世様!」

 運が悪かったとしか言いようがない。

「依世」
「せめてあなただけでも、生きて」

 悪いのは完全に誘拐犯の方だ。だが、架瑚がいたから誠実と遥香は殺された。自分を逃すために殺された。

「勝手に逃げちゃダメだろ? なぁ?」
「っ! 依世は殺さないでくれ!」
「んなこと知るかっ!」
「きゃああっ! 兄さん、兄さん!」
「うるせぇ! 少しは黙っとけ!」
「っ!」

 殺される理由となった人物は何者でも許さない。家族だろうと、友人だろうと、絶対に。
 幼少期に大切な家族を二人も同時に惨殺された者がそう捉えても、おかしくはなかった。
 惨殺されたのは13歳と12歳の兄姉。
 10歳の依世には、いや、今でもそうだが、目の前で大切な人が殺されるのは見るに堪えないことだった。
 悲鳴と、鮮血が、世界を覆った。
 全部、全部、夢だと、思いたかった。
 しかし現実は凍てつくように冷たい。
 だからーー

「ど、して」

 依世の精神は壊れた。

「どう、して……」
「なっ、なんだ……!?」
「逃げろ! 逃げろ!」

 そして、全てを破壊した。

 その後の記憶はない。
 依世は、当時の依世が無意識に異能を行使したことを知らない。

「『夢遊空想』」

 そしてその時、『覚醒』していたことも。

「『 想像(イメージ) 惨死殺滅 』」

 依世は全てを血の赤に染め、阿鼻叫喚の地獄を作り上げた。誘拐犯は全員死亡。誠実と遥香は死んでいたものの、植物の檻で囲われ、守られていた。
 そんな中、依世は一人世界に染まって倒れていた。誘拐犯からの攻撃と、短時間に大きな力を消費したことにより、力を使い果たしていたのだ。

「……兄さん。姉さん。ごめんね」
ーーずっと、忘れてしまっていて。

 心が壊れてしまって、大事なことを一緒に忘れてしまった。けど、藍のおかげで思い出すことができた。遠い昔に二人と約束した、忘れてはいけない大切なことを。

「どんなことがあっても、前に進むんだぞ?」
「わかった!」
「約束できる?」
「やくそくできる!」
「言ったな?」
「いった!」

 どんなことがあっても。
 二人はわかっていたのではないだろうか。その後二人がすぐに死んでしまうことを。それによって依世が壊れてしまうことを。
 誠実の異能は『未来予知』。
 遥香の異能は『記憶挿入』。
 誠実は未来を予知していた。だからあんなことを、攫われた時に途中まで依世を逃すことができたのではないか。
 遥香は記憶をものに閉じ込めたり、逆に物に宿る記憶を引き出したりすることができた。また、偽物の記憶を作って偽物の過去を作ることもできた。だから偽物の過去で依世の存在を誘拐犯の記憶から消すことができたのではないか。
 二人は最後まで依世のために生きたのだ。

「もう私は過去に縛られない。二人が残したことを忘れずに、前に進む」

 こっちの方が、二人は喜ぶだろう。
 蘇生なんかよりもずっと。ずっと。

「架瑚にはちゃんと謝る。何年も八つ当たりして、ごめんなさいって。それと、藍を利用しようとしてごめんなさい、って」

 架瑚との確執は、そう簡単に消えるものじゃない。けれど、春の陽気で雪が溶けるように、少しずつ解消していければそれでいい。

「ふふっ、藍ってすごいよね」

 藍は依世の凍てついた心を溶かしたのだ。藍の周りには多くの人がいる。そこはとても居心地のいい、永遠に居続けたい場所だ。
 依世が今、生きているのは藍のおかげだ。

「でもそのせいで、巻き込まれがちなんだよね、国が絡むことに。……架瑚の不在時には私が藍を鈴から守らないとね」

 今回の《あやかし》の襲撃の黒幕だった鈴のことは、依世以外の天宮生は知らない。公には《あやかし》の研究のため特別クラスの教師を辞めることになったとなっているが、それが嘘であることを依世だけが知っている。
 架瑚から言われたのだ。

『依世。お前は敵とわかっている者に慈悲を与えないし、私情を挟まない。よって、他の奴らにはこのことを伝えない。有事の際はお前に守ってほしい』
『なに、急に。なんで私に教えるわけ? 藍に言えばいいじゃない。藍の方が強いもの』
『たしかに藍は強い。だが、防御に一番長けているのはお前だし、藍は優しすぎる。それが原因でやられるかもしれない。頼むぞ、依世』

 上から目線がむかつく、と依世はむっとする。だが、依世の異能や性格を考えての信頼だと思うと、悪い気はしなかった。
 依世はこれを機に本格的に白椿家の当主となるべく、動き出すつもりだ。もう、背け続けたものから逃げない。そして依世の中に芽生えたある人への恋慕を、本人に伝える。
 依世はもう、何も迷わない。
 藍のように、全部諦めない。
 そう、2人に誓った。

「じゃ、もう行くね。兄さん、姉さん」

 依世は二人の墓から去る。
 そして未来へと歩み始めた。
 依世の人生は、ここから再スタートする。