「えっと、ずんだ餅、とは……」
私は言っている意味がわからず、思わずそう問う。それに対して、架瑚さまに真面目に返す。
「知らないか?ずんだ餅っていうのは枝豆をすりつぶして……?」
「いえ、そうではなくて」
ずんだ餅の説明をしてほしかったわけではない。
何故、夕夜さまと仲直りするのにずんだ餅が必要なのかを聞いたはずなのだけど……。
架瑚さまにはよく伝わらなかったようだが、綟さまには伝わったようだ。
「夕夜はずんだ餅が好きなのです。ずんだ餅があれば、不機嫌な時でも会話ぐらいはしてくれるほど」
(そ、そんなに好きなんだ)
すると、架瑚さまも教えてくれた。
「特に、街にある『みわだんご』という店のずんだ餅がお気に入りなんだよ」
(なるほど……)
みわだんごのずんだ餅をあげれば、夕夜さまと仲直りできるかもしれない。
私の落ち込んでいた気分は、一気に明るくなった。お店はどこにあるのかを聞こうとしたその時だった。
「じゃ、一緒に買いに行こうか。綟、藍に一番似合う着物、渡しといてね」
「御意」
綟さまはそう言うと、すぐにどこかへと行ってしまった。
「……え、えぇ!?」
てっきり一人で行がなければならないと思っていたが、架瑚さまと一緒に行けるらしい。
(嬉しいけど、恐れ多い……)
複雑な気持ちのまま、私たちは支度をし、街へと向かった。
「ここが、街なんですね……」
初めて見るものばかりで、私はつい、顔を右へ左へと向ける。そんな私は、普通ではなかったのだろうか。架瑚さまが声をかけた。
「こういう所に行ったこと、なかったのか?」
あるわけない。だけど、家族に虐げられていたから、とは言えない。
私にとって居心地の悪い話題だったので、話を変えた。
「……それよりこのお着物、貸してくださりありがとうございます」
「別に気にしなくていい。むしろ姉さんのお下がりで悪いな」
「いえ、そんなことありません」
時都家にいた頃は、着物すらもらえなかったのだから。
架瑚さまにお借りした着物は、牡丹の花の素敵な着物だ。鴇色から今様色に変わるのがとても綺麗だ。
髪も綟さまに結ってもらった。
お屋敷にいた時はずっと髪は下ろしていたので、少し不思議な感覚だ。編み込んだ髪を後ろでポニーテールにしてもらった。
「ありがとうございます」
「っ!」
そう言うと、架瑚さまは少し頬を赤らめた。
「どうかしましたでしょうか?」
「いや、えっと……やっと笑顔になったなって」
「! 笑ってませんでしたか?」
「あぁ。だから、その……」
架瑚さまは小さな声で、私の耳に囁いた。
「藍には笑顔が似合うな、と、思った」
「……っ!」
頬が、耳が、赤く染まるのを感じて、私は目を少し逸らす。
だけど、架瑚さまはそんな私に仕返しするように、互いの手が触れて、離れて、重なった。
そして、指と指を絡めながら、離れないよう強く、優しく握った。
視線が合い、少し逸らして、また合わさって、架瑚さまの顔が、だんだんと近づき、触れそうになったその時ーー。
「おにいさんたち、なにしてるの?」
無邪気な少年によって、その場の空気を一瞬にして粉々にされ、私たちはすぐに離れた。
すると、どこからかその少年の母親と思われる者が来て、その子と一緒にどこかへ行ってしまった。
「「…………」」
居心地の悪い空気の中、私はさっきの出来事を思い返した。だが残念なことに、この時の私は虐げられてきたこともあり、色恋というものを知らなかった。
(なんで熱くなったり、ドキドキしたのかしら)
と、思うレベルである。
「……藍」
「はっ、はいっ! なんでしょうか!」
架瑚さまは何かを呟いた。
「……こういうこと、したことないのか」
「え?」
だが私にはよく聞こえなかった。
「いや、なんでもない。じゃ、ずんだ餅買いに行こうか」
「あっ、はい!」
そして少し歩くと、『みわだんご』に着いた。
「ここが『みわだんご』……」
団子屋『みわだんご』に着いて初めに思ったのは、人の多さだった。行列である。
そして人と人の間からチラリ見えたお団子は、どれも美味しそうだった。
普通の小豆のお団子に、夕夜さまの大好きなずんだ餅。甘い蜜が特徴のみたらし団子に、胡麻の団子や、最近異国から入ってきたと言う胡桃の団子もあった。
「じゃ、並ぼうか」
「はいっ」
『みわだんご』はお客さんへの対応が早く、前に二十人ほどがいたが、約五分で私たちの番になった。
「架瑚様……! お久しぶりですね」
「そうだな、良真。……藍、この人は『みわだんご』の店長の美和良真さんだ」
「時都藍です」
「美和良真です。よろしくね、藍さん」
良真さんは三十代前半といったところで、温厚な印象を持った。苗字が美和なので、『みわだんご』という店名は苗字から来ているのだろう。
「良真、いつもの頼む」
「了解。……ほい、どうぞ」
「ありがとな」
帰り際に良真さんに教えてもらったことだが、夕夜さまは本当にずんだ餅が好きだそうだ。二日に一回の頻度で『みわだんご』に訪れるらしい。
「藍さん。架瑚様のこと、これからもよろしくお願いしますね」
「? はい。わかりました」
最後の言葉はよくわからなかったが、無事にずんだ餅を買えて何よりだ。
するとーー。
「藍。お団子おまけしてもらったから、一緒に食べない?」
「えっ! いいんですか?」
「いいのいいの」
私は架瑚さまに手招きされ、『みわだんご』の小豆のお団子を一つ、頂くことになった。
「いただきます。……ん、……………っ!」
小豆がほんのり甘くて、お団子のもちもち感と口の中で混ざり合うのがとてもいい。
「どう、藍?」
「とても、とっても美味しいです、架瑚さまっ!」
「そっか」
架瑚さまはふっと微笑むと、私を誘った。
「藍」
「はい」
架瑚さまは屈み、下から手を差し伸べた。
「もう少し、俺と一緒にいてくれませんか?」
「! ……はい。よろこんで」
私は架瑚さまの手を取る。
そして笹潟家が贔屓にしているという呉服屋へ足を運んだ。
「うわぁ……!」
思わず感嘆の息を吐く。
呉服屋に着き一歩入ると、素敵な着物や綺麗な簪などが、私の目に飛び込んできた。
色とりどりの輝くそれは、一瞬にして私を魅了する力があった。
「〜〜っ!!!」
どれもが美しく、煌めいていて、私には眩しいほどだった。
「そんなに気に入ってくれたか?」
「はい! こんなに素敵なお店、初めてです!」
興奮で声が大きくなる。
するとお店の奥から人がやってきた。
歳は二十代後半といったところだろうか。藤の花の着物をずっと着こなしておる。髪は一つに束ねられており、とんぼ玉の簪が一つ、刺さっていた。
「いらっしゃいませ、架瑚様。自らこちらにいらっしゃるとは……しかも女性と! 珍しいこともあるものですね」
「久しぶりだな、陽奈。……最後の言葉は余計だ」
陽奈と呼ばれたのは、このお店の主人らしい。架瑚さまとは面識があるようだ。
「藍。この人は木之内陽奈。この呉服屋を営んでいる者だ」
「初めまして、藍様。木之内陽奈です」
「あっ、時都藍と申します」
陽奈さんは私をじっと観察し、架瑚さまに小声で耳打ちする。
「ちょっと架瑚様。藍様、めちゃくちゃ可愛いじゃないですか! も〜! 事前に教えてくだされば、もっとおしゃれしたのに!」
「相変わらずの女好きだな」
「まぁ! 着飾るのが好きなだけですよ、架瑚様。……それよりも架瑚様。藍様を逃してはいけませんよ? 一目見ただけでわたくし、悟りました! 藍様はこの国一の美人となり得る女性です! わたくしの名にかけて、保証致します!」
「そんなのとっくに知っている」
「!!?」
陽奈さんは雷にでも打たれたかのような衝撃を受けた。
陽奈さんの知っている普段の架瑚さまからは想像もできないほど甘い甘い言葉が出てきたからだ。
すると陽奈さんは私に近づき、小声で言った。
「藍様。わたくし、応援いたしますからね」
「え? ……え?」
私は陽奈さんの言っている意味がわからず、二度疑問符を頭に浮かべる。
何を応援するのかがよくわからない。
陽奈さんは満足したのか、そう言うと架瑚さまに近づき、先程の態度に戻した。
「それで、今日はどんなご用事で?」
「少し仕立ててほしいものがあってな。……藍、少し時間がかかるから待っててほしいんだがいいか?」
「あっ、はい。わかりました」
そう言うと、架瑚さまと陽奈さんは奥へと入っていった。そして私は自然的に、このお店の商品を見ることとなった。
「綺麗だなぁ」
私は思わず、そんな言葉がこぼれた。着物はもちろん、帯、帯締め、帯揚げ、足袋や草履、簪、など。目移りするほど沢山の物が売っている。だけど。
(こんな私には、似合わない)
不意に幼い頃、茜に言われたことを思い出した。
『藍は誰かを不幸にするために生まれたのよ』
この言葉は、私が茜に辛くないかと、無理してないかと訊いた時に言われた言葉だ。
藍がいなければ、本当はもっと自由で、幸せになれたのだと、私は茜に言われたのを覚えている。
『ていうか、そんなに私のことが心配なら、私のために早く死んでくれない? どうせ藍には死んで悲しむ人も、困る人もいないんでしょ? だって藍は役立たずで無能の、落ちこぼれの厄女なんだから』
その通りだと思った。
私が死んで悲しむ人なんて、困る人なんて、本当にいなかったから。
だけど今はーー。
私はまだ、なんで架瑚さまがお屋敷に連れてきたのかも、なんで架瑚さまが「俺の婚約者になればいい」と言ったのかもわからない。
でも、私は架瑚さまに出会って、必要とされているかもしれないと思ったから、今はまだ生きようと思えるのだ。
死にたいと思った日は数えきれない。
だけど、実行しようと思ったのはあの日の夜だけ。
なんで私は、今の今まで自殺しようとしなかったんだろうか……。
「…………あっ……」
一つの簪が目に留まった。私はそれに近づき、手に取った。
「素敵……」
それは、桃の花の簪だった。
金で象られた花弁は、まるでガラスのような宝石によって表されていた。また花芯から伸びている細い雄しべや雌しべは精密に作られており、まさに非の打ち所がない簪だった。
(綺麗な簪……あ、なんかある)
私は簪に何やら値段の書かれているだろう小さな紙を見つけた。これほどの簪は、どのくらいの値がつくのだろうかと興味本位で見る。
(えぇっと、〇は………五つっ!?)
想像よりも遥かに高い値段に、私は手が震える。
さすが、笹潟家御用達の呉服屋。物も値段も尋常じゃない。それを日用品として買っている笹潟家も笹潟家だ。
五大名家との財力の差を思い知らされた。
するとーー。
「藍、お待たせ」
「ひゃあっ!」
用事が終わったと思われる架瑚さまが、後ろから声をかけた。私は急いで簪を背中に隠し、架瑚さまの方を向いた。
「よ、用事は終わったのですね」
「あぁ、待っててくれて、ありがとな」
「いえ、とんでもございません」
むしろ、声をかけられるまで夢中になって私がそう言いたい。謝りたい。
「じゃあ帰ろうか」
「え!? あ、はい!」
私はそっと、架瑚さまに見つからないように簪を元の位置に戻して店を出た。
少し心残りはあるものの、私が買えるほどの値段でなかったため、自然と諦めがついた。
そのあとは真っ直ぐお屋敷へと向かった。
帰ったら夕夜さまも一緒に、今度こそ架瑚さまに説明してもらうつもりだ。
私はまた架瑚さまと手を握って歩き始めた。
だけど、まさかーー。
「……藍?」
そんな姿を茜に見られていただなんて、私は思いもよらなかったーー。