今日は春蘭祭ということでお仕事もなし。
 よって、私は久しぶりに架瑚さまと二人で過ごす時間を手に入れることができる。
 とは言っても、一緒にいれるのはちょっとだけだ。
 けど、それだけでも今日のために頑張ってお仕事を片付けた架瑚さまがいると思うと心が温かくなるのを感じずにはいられない。

(待たせちゃってるかな……?)

 私は咲音ちゃんから休憩をもらい、架瑚さまと一緒に春蘭祭を回ることにした。
 架瑚さまとの待ち合わせ場所は特別クラスの廊下にしてもらっている。
 咲音ちゃん(いわ)く、架瑚さまは顔がいいので客寄せになるらしい。
 使えるものは全て使う主義なのだろう。
 和風クラシックメイドドレスから天宮の制服に着替え、私は廊下に行く。
 架瑚さまを探すまでもなく、私はすぐにどこに架瑚さまがいるかわかった。
 架瑚さまのいるところは、大抵複数の女性が集まっているところだからだ。

「お兄さんかっこい〜。ねぇ暇? 私とデートしない? 
「何か喋ってよぉ……! ねえねえねえ!」
「いえ、結構です」

 架瑚さまと春蘭祭を回りたいのか、しつこく話しかける女性たち。
 架瑚さまは断っているものの、なかなか離れてくれない女性たちに嫌悪を覚えているのか、だんだんと表情が険しいものに変わる。

(架瑚さまはやっぱりモテるなぁ……)

 そんなことは前からわかっていたことだ。
 だがーー

(……私の架瑚さまなのに)

 架瑚さまのことをかっこいいと思うのはわかる。
 一眼見ただけで惚れてしまう容姿だ。
 私も未だに慣れない。
 けれど、架瑚さまにベタベタと不必要に触る理由にされるのは筋違いだ。
 架瑚さまが嫌がっていることぐらい、すぐにわかるはずだ。

「ねぇってばぁ……っ」
「〜〜っ」

 異様な甘い誘い声に苛立ちと煩わしさを覚え、私は女性陣の間をくぐり抜けて架瑚さまの前に出た。
 そしてーー

「っ、〜〜架瑚さまに勝手に触らないでください!」
「! 藍……」

 私は両手を広げてそう言った。
 少し驚く架瑚さまたち。

(やっ、やっちゃった……っ)

 後になって目立つような行動をしてしまったことに気づく。

「え、なにこの子。可愛いとでも思ってるの?」
自惚(うぬ)れないでよね」
「わっ、私は架瑚さまの婚約者です……っ」

 架瑚さまが奪われてしまうような気がして、私は必死になる。

「えー? 無理にも程があるわ」
「不相応ね」
「っ……」
(そんなこと、最初からわかってる……)

 女性たちは次々に私の欠点を言っていく。
 だが私にだって譲れないものがある。
 架瑚さまの隣だけは……絶対、誰にも譲りたくない。
 その思いだけは、変わらない。

「〜〜っ、架瑚さまの隣にいていいのは、私だけです……っ!」
「はぁ? 何よそれ。意味わかんない」
「もういい加減にしてくれない? 見苦しいんだけど」

 誰にも、絶対にーーっ

「うん。知ってるよ」

 架瑚さまが何かを言ったと理解するのと同時に、私の口元に柔らかいものが触れる感触が伝わった。
 思考が一瞬、停止する。
 周りが静かになった。
 女性たちが……いや、そのほかの周囲の人も含め唖然しているのだろう。
 私は困惑し、何が起きたのかを理解するのに時間がかかった。
 架瑚さまは私の背後に手を伸ばし、自らの胸の中に引き寄せた。

「悪いけど、藍とおばさんたちを比べちゃうと見た目も心も雲泥の差があるんだよね」
「なっ! おば……っ!?」
「失礼にも程があるわよ!」
「そうか?」

 首を傾げ、平然としている架瑚さま。
 そして、私の額に片付けを施し、さっきよりも強く抱きしめる。

「俺は藍以外を"妻"に娶る気はないし、藍以外に恋愛感情を抱けないんだよね。藍以上に純粋(ピュア)で健気で愛らしい女性は、今まで会ったことがないんだ」
(〜〜架瑚さま……っ)

 "妻"や、"健気"、"愛らしい"といった言葉が私の心臓の鼓動を速める。
 突然のキスと抱擁だけで私の容量は限界に近づいているのに、さらに押し上げる架瑚さま。
 そう思ってくださっていることはすごく嬉しいのだが、その、大勢の人がいる中で言われるというのはなかなかに威力が強い。
 とても嬉しいけど非常に困る架瑚さまの言動に、私は上気する。

「それでもまだ俺にかまうっていうなら……」

 私には見えなかったが、架瑚さまは笑みを浮かべるも冷たい目で見下ろしていたに違いない。

「容赦、しないから」
「ひっ……!」
「早く()せろ」
「……〜〜お、覚えてなさいクソガキ!」
「覚えていたら貴様らは家ごとなくなるぞ?」
(それは当たってる……)

 笹潟家の権力があれば、ほとんどの家は最初からなかったことにされるだろう。
 今回は覚えられないのが一番だ。
 架瑚さまの台詞に怖気付いたのか、女性たちは負け惜しみの言葉を言って、立ち去って行った。
 架瑚さまは女性たちが完全にいなくなったことを確かめると、私を押さえていた力を緩め、尋ねた。

「ごめん。怖がらせた?」

 私は首を強く横に振り、否定の意を示す。

「そんなことありません!」
「ん、よかった」

 その時の笑みの破壊力は凄まじかった。

「えと、あの、その……」

 先程の言葉の真意を聞こうとする私を察したのか、架瑚さまは質問をする前に答えた。

「? 俺は嘘をついてないからね」
「〜〜っ!」

 見透かされていたこともそうだが、すべて本意だったと知ったことに嬉しさよりも恥ずかしさが勝る。
 架瑚さまは私に手を伸ばすと、「じゃあ行こっか」と言ってこの場を後にする。

(好き……だけど恥ずかしい……。で、でも嬉しかったのも本当だし……)

 交錯する感情に振り回される。
 やはり架瑚には勝てないと思い知らされたのだった。



「わあぁ〜〜! お似合いです! お客様!」
「可愛い〜!」
「あの、モデルとして写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、えぇっと……」

 そして始まった春蘭祭。
 私たちは今、あるクラスで手作りの衣装を選んでいた。
 初めに着たのはお花のドレスだ。
 すごく可愛らしかったのだが、私には甘すぎたのでこれは却下。
 次に着たのは短いズボンにオーバーサイズのラフな服装だった。
 動きやすかったしすごく良かったのだが、これは架瑚さまが足の露出度が高いのともっと可愛いのがいいとのことで却下された。
 そして最終的に決まったのが、異国の物語のヒロイン、アリスをイメージして作った水色のワンピースだ。
 水色をベースに、白や黒、赤などをアクセントに作られている。
 この国でも最近流行(はや)っているトランプをモチーフにしたデザインとなっており、白いレースに黒と赤のマークが緻密に刺繍されている。
 喫茶アイラの和風クラシックメイドドレスと同じくらいの露出度なので、架瑚さまからギリギリセーフとのお許しが出た。

「お客様! こちらにカメラ目線でください!」
「姿勢はこう! 初めての外の世界に好奇心を抑えられない無邪気な少女のように可憐に!」
「えっと……こう?」
「そうそうそうそうそう! そのまま三秒キープしててくださいねー!」
(なに、これ……)

 状況は違うが、先程の架瑚さまの気持ちがよくわかる気がした。
 シャーッとカーテンを開ける音がして、私は振り向く。
 桃色の声が飛び交い、数人は気絶している様子が映る。
 その中心にいる人物は、もちろん架瑚さまだ。

「……っ! 架瑚さまも着替えたんですね」
「半強制的にだけどな。藍とペアの衣装だそうだ。……何故かウサギの耳を模したものまでつけられた。外したい……」
「やっ、それはダメです!」

 架瑚さまは黒をベースとした男性用ウェイター服に、ウサギの耳を模した髪飾りをつけていた。
 白のシャツに黒のジレ(ベストのこと)とズボンとウサ耳だけで地の容姿の良さが溢れ出てしまっている。
 大半の人は面白く思って笑うらしいのだが、架瑚さまだから許される領域に達していた。
 なるほど。
 イケメンは何をしてもイケメンということを私は少し理解した。

「ウサ耳がいいんですから外しちゃダメです!」
「ダメか?」
「ダメです!」
「どうしてもか?」
「どうしてもです!」
「……似合ってる?」
「似合ってます!!」
「……ならまあ、うん。つけるよ」
「ありがとうございます!」

 ウサ耳があるかないかでは可愛さが全然違うのだ。

「藍」
「なんですか?」

 架瑚さまは私の耳元で(ささや)いた。

「学生の逢引(デート)ってこんな感じなんだね」
「!? そっ、そうなのでしょうか……?」
「そうだといいね」

 ふっと微笑む架瑚さま。
 ウサ耳の効果もあって威力は普段以上だ。

(どうしよう……架瑚さまが眩しい……そして可愛い……レアだよね? ウサ耳付けて微笑む架瑚さま、レアだよね? いや、レア以外選択肢ない。可愛すぎる……かっこいいけど可愛い……かっこかわいいって言うんだっけ、こういうの……)

 こうして私たちは異国の物語の登場人物の衣装を着て、春蘭祭を回ることになった。


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「こんなところに呼び出して何の用? 未玖」
「それは貴様が一番よくわかっていることだろう。(わらわ)は時間を無駄に使いたくない」
「つれないなぁ」

 その頃、未玖はある人物と対峙していた。
 場所は屋上。
 春蘭祭には立ち入り禁止となっているエリアだ。
 鬼の面に涼しそうな浴衣を着ており、夏を感じさせる。
 だが鬼の面の隙間から見える口元に目を移せば、怪しげに笑みを浮かべる者にと印象を変える。
 当然、この人物が誰なのかはこの人物の声を知るものしかわからなかった。

「で? 何が言いたいの?」
「はぁ……この妾を(あざむ)けるとでも? だとしたら(あなど)りすぎだ」
「うーん……でも、今の未玖は当時の神子(みこ)としての力の半分もないからギリギリ勝てると思うんだよねぇ。けど、過信するなって言われてるからなんとも言えないけど」
「確かにそうだが、失礼にも程があるぞ」
「ごめんごめん」

 他愛ない会話はここまでだ。
 未玖は真剣な眼差しに変える。

「では単刀直入に言おう。あの《あやかし》襲来の黒幕は貴様だな」

 未玖が《あやかし》の襲来後、藍のもとを離れていたのは、その黒幕を探すためだった。

「えー? 天宮に関わっている人物なら全員できたはずだけど?」
「根拠はある。教えはしないがな。そしてーー」

 未玖は怒気を帯びた目で睨む。

「貴様は今日、春蘭祭でもう一度混乱を招くつもりだな」
「…………」

 どうやら相手は沈黙を貫くつもりのようだ。
 笑みを浮かべたままなので、何を考えているのか未玖にはまったくわからない。

「何となく、最初から気づいていた。事前に貴様のことは調べていたから裏は取れている。ここなら誰もいない。どうせいたとしても貴様ほどの力があれば殺生も容易いだろう。さっさと認めたらどうだ。貴様が……《あやかし》の主戦力である《鬼》を束ねる《三妖帝(さんようてい)》の一人だと!!」

 張り詰めた空気が、静寂が、場を包み込む。
 そしてーー

「あーあ。バレてないと思ってたんだけどなぁ」

 長い沈黙を破り、開口したのは相手だった。

「っ……」

 鬼の面を外したと同時に、淡い光を放つ。

「正体を見破られたのは初めてだよ。やっぱり《妖狐(ようこ)》の得意とする【幻影ノ術】の精度まではいかないかぁ」
「いや、この妾でも初見では見抜けなかったんだ。誇れ、《鬼》の統領」

 本来の姿と力を解放した《鬼》は美しかった。
 地につきそうな長い白髪。
 (みだ)らに崩れた彼岸花の着物。
 《あやかし》であると証明する真紅の瞳。
 《鬼》を象徴する綺麗な(つの)
 《あやかし》のトップに立つその《鬼》は、溢れ出る強大な《妖力(ようりょく)》も、その姿も、すべてが存在感を持っていた。

(女だったか……なら、尚更始末しなければならないな)

 しかし、未玖は誤算していた。

「だけど残念。私はまだ《鬼》の統領じゃない」
「!?」

 驚きの事実に、思わず未玖は目を見開く。

「まあ色々言われてるけど……今は現・《鬼》の統領の娘、の方が近いかな。次期《鬼》の統領とかもあるけど、面倒そうだしなぁ」

 未玖と同等、またはそれ以上の圧倒的な力を持っているにも関わらず、まだその《鬼》は統領ではなく、且つ《鬼》の統領の娘だった。

「……虚偽だと思いたいな」
「さっきまでの威勢はどうしたのさ。戦いはまだ始まってない……よっ!」
「!」

 《鬼》は地面を強く踏み、場所を移動させる。

「【転移ノ術】……いや、【空間構築ノ術】か」
「その通り。ここならどれだけ暴れても誰にも気づかれない。さあ、戦いを始めようじゃないか。大戦を鎮めた神子殿?」
「っあぁ、そうだなぁ!」

 《鬼》と神子の熾烈(しれつ)な戦いは火蓋を切った。


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(!? なんだ今のは……)

 一方、架瑚は異様な力を感じていた。
 ほんの一瞬だったため、詳しくはわからなかったが、放っておくわけにはいかないものだと反射的に悟る。

(魔力や異能とはまた別だったよな……だが《妖力》にしてはあまりにも強すぎる。《三妖帝》に匹敵する力……っまさか、本当に《三妖帝》ここにいるんじゃ……)

 架瑚は鈴との会話を思い出す。

『今回のは、軽い「実験」だった可能性があります』
『実験、だと?』
『ええ。特別クラスの異能でも対処できる、ということは《妖狩り》ならば数秒で狩り終えるはずです。特別クラスの力量を試した可能性があります』
『……目的の邪魔となるのが、特別クラスということか』
『はい。おそらくは』

 だが、その予想が正しければ特別クラスの生徒と対峙しているはずだ。
 今、特別クラスにいないのは藍だけ。
 そして本人はここにいる。
 特別クラスは人数も少なく人気のため、休憩は一人ずつとなっている。
 そのため藍以外は全員、特別クラスにいるはずだ。
 架瑚が感じたのは屋上付近。
 特別クラスのある場所とはかなり遠い。
 しかも、今、屋上には何の気配もない。
 誰もいない証拠だ。

(何が起きているんだ。あの強大な力を感じたのはまぐれか? いや、あれほどの力が勘違いなわけない。だとしたらいったい……)
「……さま…………架瑚さま!」
「……っ、あっ、ごめん、藍」

 そこで架瑚の思考は現実に戻った。
 藍は架瑚の様子がいつもと違うことに気づいたのか、心配そうに架瑚を見つめる。

「あの、何かあったのですか……?」
「……いや、何でもない」
「…………」
「……ごめん、嘘」

 藍の曇りのない透き通った瞳で見られると、架瑚は嘘をつけなくなるのだった。

「確証はないし、あったとしても……藍には言えないことなんだ」
「そう、なのですね」

 藍は落ち込んだのを隠すかのように笑う。
 だが藍は演技が下手だ。
 諦めているかのように見えても、その裏側では落ち込んでいたり悲しんでいたりする。

(俺はどうすればいいのだろうか)

 藍は《あやかし》について聞いていたとしても、《三妖帝》や《妖力》、《妖力》を使って発動させる《妖術(ようじゅつ)》までは知らないだろう。
 それを知るのは三年生だ。
 文献を見て得られる知識ではないため、藍が知っているとは考えにくい。
 それを急に教えられて、証拠はないけどいるかもしれない、藍を含め特別クラスの生徒が狙われているかもしらないと伝えれば、きっと動揺する。
 そして藍の場合、自分ではない誰かのことを心配する。
 それ故に藍は傷つきやすい。
 藍が自分も絶対に大切にできるようにならない限り、架瑚はこの件に深入りすることを禁止する。
 藍が行っていいのは防衛だけだ。
 それだけは譲ることができない。
 だけどーー

「藍。一人じゃできないこと、解決できないことがあれば、俺を頼ってほしい。俺がいなかったら、夕夜や綟、友達に頼ってほしい。誰にも頼ることができなかったら、逃げていい。……ううん、逃げろ。逃げて逃げて生き延びるんだ」
「架瑚さま……?」

 藍はきっと、架瑚の言いたいことの半分も理解できていない。
 だが、最終手段として逃げろということは伝わっているはずだ。

(それだけわかってくれれば、藍はきっと大丈夫)

 太陽が雲に隠れ、地上へ降り注ぐ光が薄れる。

(いつ、何が起こるかなんて誰にもわからないもんな……)

 それは今年の春蘭祭を表現するのに相応(ふさわ)しい言葉だった。