「夕莉、なのか……?」
まだ信じきれていない架瑚は、そう問う。
「え、何言ってるの架瑚兄?夕莉以外の選択肢ある?」
するとーー
「夕莉っ!」
夕夜がどこからかやってきて、夕莉に抱きついた。夕夜はひどく慌てており、息が荒かった。そんな夕夜とは対照的に、夕莉は落ち着いていた。
「あ、夕夜ただいま……ってちょっと、夕夜どうしたの!? なに、なに!?」
夕莉は夕夜の態度にひどく驚く。それもそのはずだ。いつも誰にでも冷たい夕夜が急に人が変わったかのように心配しているのだから。
だが一部の人は知っている。夕夜がいつも持ち歩いているロケットペンダントには幼い頃の夕莉の写真が入っていることを。
まだ藍や夕莉は知らないが、夕夜はシスコンであった。
「怪我してないな? 大丈夫だよな!?」
「大丈夫だけど……」
夕夜は夕莉を上から下、前から後ろ、右から左までよくよく怪我がないか確認した。
目立った外傷は見られなかったため、夕夜は夕莉から離れた。そして質問をした。
「で、誘拐したのは時都茜か? 何された?」
夕莉はチラリと夕夜の腰を見た。いつでも刀を抜けるよう構えていた。
そして次に目を見た。絶対に殺すという強い意志が嫌と言うほどわかった。
夕莉はそんな夕夜の姿を見てこれはまずいと危険を察知した。
「夕夜怖い。ちょっと落ち着いてよ。てか茜ちゃんはそんなことしてないよ? むしろその母親の紅葉さんの方が悪役だよ!?」
「……すぐ時都家に行こう。そしてそいつを殺そう。いいな、架瑚」
「あぁそうだな」
「賛成です」
夕夜の頭には今、時都紅葉を殺すということしか考えていない。さすがシスコン、考えることが物騒、と架瑚と綟は心の中で呟く。
口にしなかったのは架瑚も綟も同じ気持ちだったからである。二人の代わりに止めたのは夕莉だった。
「ちょっと待ってね三人とも。一度私が教えてもらった情報を共有したいんだけど」
「情報?」
「そうだよ、一週間分のね。話すと長いけどちゃんと聞いてよ? これは茜ちゃんに教えてもらった情報なんだけど」
そう言って夕莉は三人に話し始めた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
時は少し経ち、場所は時都家に移る。
「……る」
誰かが何かを言った気がした。その声はだんだんとはっきりしてきて、私の耳に伝わった。私が私の意識が戻りつつあることに気づくのはもう少し先だ。
「……いる」
どうやら同じ言葉を繰り返しているようだ。そして私の視界も暗闇から光が差し込み、雲はどこかへと消え始めた。
「……あいる、藍」
声がよく聞こえるようになり、声の主もわかるようになった。
私の名前を呼んでいたと理解するのには少し時間がかかった。
まだ私の脳は動き始めたばかりで、情報を早く認識することができなかったからだ。
「あ、かね……?」
私は声の主の名を呼んだ。疑問形になってしまうのは目の前にある人物をまだ茜だと信じきれていないからだろう。
最近は茜と会っていなかったし、茜に心配した声で自分の名前を呼ばれるのは久しぶりだった。
(なんだか、懐かしいな……)
昔の思い出にふと浸かる。一緒に遊んだり笑ったりしたのは、もう何年も前のことだ。
少なく見積もっても十年はしていない。それほどに私たちの仲が悪くなったのは幼い時だった。
「藍っ!」
そこで私の意識は現実に引き戻された。そしてすぐに少し前の出来事を思い出した。
自分が架瑚さまたちのいる屋敷を出て時都家に再びやって来て、母さまと対峙し捕まり今に至るということを。
見回すと、ここは先程母さまによる魔法の檻ではなく、時都家の地下に存在するお仕置き部屋だとわかった。私はその檻の地べたで寝ていたようだ。
茜と対話するため、私はゆっくりと起き上がった。地下は寒いので体温は奪われていた。
全身が痛かった。こんなにも怪我をするのは時都家を出て以来だった。私は茜に疑問を投げかけた。
「茜、どうしてここにいるの?」
「それはこっちの台詞よ! 何で警告したはずなのに時都家に来たのよ藍れ早く逃げて! 母様が来る前に早く!」
「っ! 何があったの?」
茜の様子がいつもと違っていた。焦っているのだろうか。いや、怯えているのだろう。
私は茜が母さまに何かされたのだと悟った。
茜はいつも優秀で模範となる優等生だ。だから母さまからの圧を受けることはあっても、私のように暴力を振るわれたことはあまりなかったのだろう。
茜は全身が土や血が滲んで汚れていた。
「……全部知っちゃったのよ。時都家のこと、母さまのこと。そして藍、あなたのことを。厄女とは、何者なのかって」
茜はそう言って話し始めた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
始まりは、美琴様が藍のことを助けにきた日の夜だった。
私は布団に入ってからずっとその日のことを考えてた。
最初は藍が笹潟様の婚約者だって知って、私の方が全部優れているのにずるい!って思ってた。
けれどそう思えば思うほど、そんな風に考える自分が嫌になっていったし、藍には何か特別な何かがあったのかもしれないって気づいたの。
その後色々考えたよ。『藍は私に虐められている時、どんな気持ちだったのかな』とか、実は『私の知らないところで努力していたのかな』とか……。
それで最終的には『何で茜は藍のことを嫌っているのか』って疑問に辿り着いたの。昔は私も藍も仲良かったしね。
それで次の日、時都家の文献などが保管されている部屋に行ったの。何百冊と言うほどの本がたくさんあったわ。そのほとんどが魔法関連だった。
でも、それっておかしくない?
だって時都家に関する『歴史書』とか、数十年前に失われた『異能関係の書物』はたったの一、二冊しかなかったのよ?
時都家はもう二百年以上の歴史が残されているというのに。だからその部屋をくまなく探して見たの。
そしたらーー
「なに、これ……」
部屋に隠し部屋があったの。すごく小さな壁を模した扉を開けて中に入ったら、十冊ほどの古そうな書物が置いてあったわ。
中身を見るとそれは時都家の歴史や異能について書かれていたの。そして藍、あなたのことも。
厄女は双子の妹として生まれた子供のことで厄を呼ぶ女性だって、母様に昔教えてもらったの覚えてる? でもそれは違ってたの。
厄女は元々、この世界を創った者が戦を鎮めるために遣わした『神子』のことだった。
神子には二つの異能を持っていて、その力を使って当時の戦を鎮めた。
これでめでたしめでたし、となって神子は神子の魂が降臨した時都家の双子の妹の身体が壊れるまでこの世界にいることとなるはずだった。
けれどその時から人間は欲深く、神子の身体が壊れればその力を失うと同時に権力も手放すことになると知っていた。
だから神子を逃さないために無理矢理沢山の契約したの。時都家から双子の姉妹が生まれたら、その妹に神子の異能を引き継がせるという契約をね。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
そこで茜は話すのをやめた。私は、胸が苦しかった。時都家は自分たちの欲のために、神子の気持ちも考えずに契約したからだ。
基本的に異能を引き継ぐには二つの方法がある。
一つは家系上その異能に適性があり、生まれた時からその異能を難なく引き継ぐ型。もう一つは契約によって引き継ぐ型だ。
適性のある場合の引き継ぎはほぼ無条件で異能を引き継ぐことができる。だが契約による異能の引き継ぎはそれなりの『代償』が異能の強さに比例して伴う。
契約による引き継ぎの方が危険度が高いのだ。神子の異能は強い異能が二つもあったので、相当な代償が伴ったことだろう。
しかし、ここでいくつかの疑問が生じる。
「でも今の時都家には、私には異能なんてないわ。もし契約したのならそれはおかしいはずよ。いくら異能は数十年前に失われたとは言えど、契約は契約。私に異能がないとその話は矛盾することになる」
そう、私には神子の異能を引き継いでいないこと。そして異能は数十年前に失われていることを考えると、茜の話は矛盾していることになるのだ。
もし本当に契約しているのならばそれはおかしい。
それと、異能は異国から魔力と魔法と言うものがあると知ってから継承する者が少なくなり、やがてその存在自体が失われたと言われている。
一部の特別な人しか使えなかった異能よりも全ての人が生まれた時から持っている魔法の方を使うようになったから、異能者の権力が落ちたのだ。
茜は首を横に振って話し始めた。
「この話にはまだ続きがあるの。異能を引き継ぐことを契約させられた神子はそれを嫌がったの。だから契約を解除してもらえるよう時都家に言ったらしいわ。でもそれを聞いた時都家の人たちは神子が逃げることを恐れて必要な時以外部屋に閉じ込めたの。そしてその罰として『異能を封じた』。でも時都家の人はもちろん神子の異能を引き継がせる契約は破棄しなかった。それは何故か。おそらく神子への復讐よ。当時、時都家にはたくさんの『厄』が降りかかっていたから。それを神子のせいだと思い込んだってところでしょうね。まぁ話を戻すと、時都家の双子の妹には神子の異能を引き継いでいるのは間違いないわ。けれどそれは契約によって封じられているから使えないってところじゃないかしら」
私は何も言えなかった。一気に多くの情報を耳にしたからかもしれない。あるいは神子のことについて知ったからかもしれない。
「幸いにも時都家は比較的魔力が多い家系だったから没落はしなかった。けれど神子に対する扱いは一転し、冷遇された。そしていつからか神子は厄女と言われ、死に至った」
これが神子の過去だった。
(ひどすぎる……)
神子は人々のために異能を使って戦を鎮めたのに、時都家の人たちはその恩に報いず、逆に神子を苦しめた。
なんて欲深く、厚かましく、冷酷な人々なのだろうか。そして私の身体には、そんな人たちの血が入っているというのだ。
(気持ち悪い……)
すると茜はそんな私の気持ちに気づいたのか、話を変えてくれた。
「これが私の知った神子の話。ちょっと長くなっちゃったね。元の話題に戻そうか。……私と藍の仲が悪いのは、その神子が何か関わっているんじゃないかって思って、今度は母様の部屋にこっそり忍び込んだの。そこで見つけたのは、沢山の契約書だった。見ると、藍に対する縛りがほとんどだったわ。そしたらある一つの契約書を見つけたの。私と藍に関する契約書だったわ。内容はーー私と藍は仲良くしてはいけないということと、この契約の内容を忘れることだった」
「っ!?」
一体どういうことだろうか。何か引っ掛かる。
「それでやっと分かったの。私たちは契約によって仲が悪くなってしまったんだって。でもそれが本当なら、私たちはどっちも嫌いに思うはずよね?でも藍は私のこと嫌ってなんていなかったし。だからこういう事なんじゃないかしら。藍は多分魔力も封じる契約をさせられていたけど、その契約で抑えられないほどになんらかの原因で『魔力が増えた』から、半分くらいの契約は強制的に破棄しているようなものになった。……これなら辻褄も合うんじゃないかしら?」
「なるほど……」
茜の言っていることは何となく分かった。まとめるとこういうことだろう。
・なんらかの原因で私の魔力が増えた
↓
・増えた後の契約は魔力の過剰増加によって実質破棄されたようなものになった
↓
・だから私は契約が効かなかった
きっとこんなところだろう。契約は両方の合意によって成り立つ物がほとんどだ。しかし私が結んだ契約は半強制的な物だ。
つまり自分の力(=魔力値)が高ければ、破棄することができる。だけど正式に契約を破棄しているわけではないので、周り(今回の場合は母さま)が契約できたと思い込んでいたというところだ。
「他にも調べたら、母様は笹潟様たちを恨んでることを知って、もしかしたら藍の魔力を奪うつもりなんじゃないかって思ったのだからその日の午後、私は藍の友達の麗さんに教えに行ったの。藍が危ないって」
(麗さん……? あぁ、夕莉のことか)
夕莉は美琴夕莉だが、学校では仮名を使って麗夕莉として生活している。茜はそこまで夕莉と面識がないので、名字で呼んでいるのだろう。
「でも何で夕莉?」
「だって私、藍に酷いことしたから絶対敵視されてるでしょ?まだ麗さんの方が怖くないんだもの、美琴様より」
茜の言う美琴様はおそらく夕夜さまのことだろう。茜は夕莉と夕夜さまが兄妹だということを知らない。
茜は身分を大事にしているからそう言えるのだろう。もし夕莉が夕夜さまと兄妹だと知ったらどんな反応をするのだろうか。
「麗さんには今藍に話したことと同じようなことを教えたわ。だから大丈夫だと思っていたのに。母様の方が一枚上手だったみたい。私が麗さんに教えた後、母様に私も麗さんも捕まったの。で、今に至る感じ」
「じゃあ夕莉は今時都家にいるの!?」
「わからない。捕まった後、眠らされたから。…………っ!」
そうなんだ、と言おうとしたが、奥から「コツン、コツン……」という音が聞こえてきたので、聞かず仕舞いとなった。
その音には、聞き覚えがあった。
嫌な音だった。
響き渡る金属音、だんだんと大きくなる音、迫り来る黒い影、何も見えないからこその恐怖、そしてそれが何なのかが分かっているから出る冷や汗。
顔が青ざめていくのが分かった。
先ほどまでできていたはずなのに、呼吸さえも封じられそうになる圧。
「お話は終わったかしら?」
人を見下すような冷たい声色と視線、話し方。全てにおいて、今この瞬間の空気を掴んだその者の名はーー
「かあ、さま……」
時都紅葉。
私の母さまだった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
時は少し前、場所は笹潟家の屋敷に移る。
「時都茜が味方だと言うことはわかった。で、何で夕莉は捕まったんだ?どうやって逃げてきた」
茜が藍に伝えたように、夕莉は架瑚たちに茜から教えてもらったことを伝えていた。架瑚たちはそれを知り、信じることにした。
だが、ここではまた別のことに疑問を感じたようだ。夕莉が何故紅葉に捕まったのかということである。
「え、弱いから捕まった以外ある?」
夕莉はそう当たり前のように言うがーー。
「冗談はよせ。夕莉はあんな雑魚みたいな連中に捕まるほど弱くはないはずだ。『人山の麗』なら尚更だ。時都茜から以外の情報も仕入れたんだよな?」
藍は知らないが、夕莉は昔、通称『人山の麗』こと伝説の不良である。
一対複数であるにも関わらず、その身軽さで可能な速さと華奢な身体からは想像もできないほどの強さで他の不良をどんどん倒したことが何度もあった。
後に倒した不良は山となり、その上に夕莉が座っていたことから『人山の麗』と呼ばれるようになったとか。
何にせよ、夕莉が紅葉たちに捕まるほど弱くないことに間違いはなかった。
「その呼び方やめてよね。まぁそんなことは置いといて、『わざと』と捕まった甲斐があったよ。さっき以外の情報も手に入れたんだ」
「早く教えろ」
架瑚は夕莉を急かした。
「はいはい。えっとねぇ、藍のお母さんの紅葉さんはかなりのコンプレックスを抱えているみたい」
「コンプレックス?」
「うん。なんかねぇ、紅葉さんは小さい頃から厳しい親に育てられたから、何もかも完璧でないと気が済まないみたいらしくってさ。おじさん……っあ、いや当主様の婚約者争いにも参加していたらしいのよ。でも知っての通り、紅葉さんは選ばれなかったじゃん?だから笹潟家を結構しつこく狙っているらしいよ」
「強い執着心と自尊心、か……」
強ければ強い者や家系ほど、恨まれたり憎まれたりすることは多い。だがほとんどの場合、争っても結果は見えているので何も起きない。
しかし今回は違う。紅葉は行動を起こした。それほどに強い思いを持っているのだろう。
「ん、でも今の紅葉さんの魔力じゃ絶対笹潟家に勝てないじゃん? だから藍を狙ったんだと思うよ。藍の魔力は架瑚兄と同じで桁外れだからね。でも本人はそこまでわかっていないと思うよ。茜ちゃんを引き立てろって紅葉さんからずっと言われていたらしいから。契約も相当されてるはずだよ。架瑚兄ならその辺気づいてるんじゃない?」
「まぁな」
魔法による契約すると、魔力値の高い者には契約の『糸』が見える。
だが触れることはもちろん、その糸を切る……契約を破棄することはできない。ただ見えるだけだ。
しかしその契約の糸からその者がどのような扱いや環境にあるのかは知ることができる。
糸が多ければ多いほど、冷遇されていることに間違いはまずない。
「それで? 架瑚兄どうするの?」
答えは決まっていた。
「時都家に行くぞ。藍を、俺の婚約者を返してもらう」
強い意志を胸に、架瑚たちは歩み始めた。