翌日、上司に引き続き、昨日仕事を押し付けてきた同僚も休みだった。
彼女は定時で早々に帰宅した後、男と飲み歩いた帰り深夜に歩道橋で足を滑らせ転倒し、手足の骨を折ったらしい。
しかしその飲みの相手が、体調不良を理由に仕事を休んでいた上司だというのだから、二人のことはたちまち社内で話題となった。
「ねえ、聞いた? あの子、一人になった途端女に突き飛ばされたとか言ってたらしいよ。自分が酔って転んだだけのくせに。……まあ、事実なら修羅場だし面白いけどさ。その場合その女って、奥さんとかだったりするのかな?」
「ねー、前からちゃっかりしてるなとは思ってたけどさー……まさかあのパワハラ上司相手にそんな媚び方してたなんて。引くわぁ……まあ、通りで可愛がられてた訳だけど」
「あの子、昨日如月さんに自分の仕事押し付けてなかった? ぶっちゃけ自業自得っていうか……ざまあみろだよね」
「えっと……はあ……」
ネットでも現実でも、噂や陰口は蔓延っている。狭いコミュニティの中では、醜聞は一気に駆け巡るのだ。そして、今まで表面上仲良くしていた面子の方が、事情に詳しい分手のひらを返すと凄まじい。
気に入らなければ直接メッセージを送ってくるだけ、アンチの方がまだ陰湿ではないのかもしれない。
上司は既婚者ということもあって、この件は上の方で諸々処理されるのだろうか。彼女達の憶測による陰口は、飽きることなく昼休みにも続いていた。
わたしはその日久しぶりに、怒鳴り声も仕事の押し付けもない快適な環境で、自分の仕事を終えることが出来た。
『キサラ@邪魔者二人とも消えるとか、偶然にしてもすごくない? 今夜は祝杯だー!』
『ミルキー@痛い天罰が下ったんですね! 祝杯はいつもの桃酎ハイにしましょう!』
相変わらずのミルキーの肯定メッセージ。晴れやかな気持ちで祝杯用のお酒をコンビニで選んでいた最中、その内容に手が止まった。
「え……なんで、いつも桃って知って……」
お気に入りの桃の酎ハイを、今まさに籠に入れたばかりなのだ。
そしてふと、あらゆることがあまりにもタイミングが良すぎはしないかと考える。
「というか『痛い』天罰って……比喩? それとも、あの子の骨折のこと、何か知ってる……?」
過去にアンチから生活圏を把握されたこともある。職場の特定に近いこともされたことがある。
もしかするとその情報から、ミルキーが何かしたのではないか、なんて変な想像をしてしまった。
そして今まさに、わたしの後をつけて、桃の酎ハイを選んだところを見てメッセージを送ってきたのかもしれない。わたしは思わず、辺りを見渡す。
「……」
こちらを見ているような怪しい人影は、近くにない。けれどわたしは何となく、桃の酎ハイを棚に戻した。
そして狭い店内を何周もして、不審人物が居ないことを確認する。
「……、……」
結局そのコンビニでの買い物はやめて、わたしは早々に帰路についた。その間にも、一度思い浮かんだ考えは消えない。
上司の体調不良が奥さんへのアリバイ工作のための虚偽なのか、本当に朝は具合が悪かったのかはわからない。本当だとしても、夜には飲みに出られるような軽微な体調不良。
それを人為的に起こさせるとして、例えば薬か何かでの腹痛だろうか。それならミルキーは、薬を盛れる距離に居た?
それから、深夜に酔った同僚を突き飛ばして骨折させた女が居たという。それが、ミルキー?
すべては、わたしが二人の愚痴を溢したから?
「……まさか、ね」
そんなミステリー漫画のような空想をして、首を振る。
ミルキーは、わたしの味方。でもそれは、あくまでネット上でのことだ。
けれど一度感じてしまった薄気味悪さは、しばらく消えることがなかった。
それからも、ミルキーは度々わたしの愚痴に対して優しい言葉をくれた。わたしの不満を、弱さを、すべて受け入れて肯定してくれる。ミルキーは、わたしの味方。
けれど、どうしたってあの時感じた一抹の不安は消えることはなかった。
『キサラ@そういえば、最近アンチからのメッセージめっきりなくなったな……ブロックし過ぎたかな』
『ミルキー@わたしが居れば寂しくないですよね!』
「……そう、だよね……?」
ミルキーは、わたしの味方。アンチは、わたしの敵。わかっている。それなのに、どうしたって嫌な想像してしまう。
もしかするとミルキーが、アンチ達を物理的に消したりしていないだろうか。そうでないにしろ、何かの工作をしているのではないか。
でなければ、ブロックの度捨てアカウントを作ってメッセージを送ってくるほど粘着してきた奴らが、こんなにもあっさり消えるとは思えなかった。
「……」
あんなにも嬉しかったはずの肯定が、わたしの言葉ひとつで取り返しのつかないことになりそうで、怖くなった。
わたしへのメッセージや反応以外呟きもなく、顔も名前も素性も知らない、相変わらずの黒アイコン。
ふと、その黒アイコンが全くの無地ではないことに気づいて、わたしは思わずタップする。それはどこか、暗い部屋の中で撮影したもののようだ。
何かミルキーに関するヒントになるかもしれないと、わたしはその写真を保存して、画像編集で明度を弄ってみた。
「……ひっ!?」
真っ暗な部屋の、見覚えのあるソファー。見覚えのあるテーブルに、無造作に置かれた桃の缶酎ハイ。
ミルキーのアイコンは、わたしの部屋で撮られたものだった。
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