ピンポーン。
 大学の友人である飯島 優奈(いいじま ゆうな)の家で宅飲みをしていると、忽然と部屋にインターホンの音が聞こえてきた。

「優奈、出なくていいの?」

 目の前にいる優奈に問いかけると、彼女は強張った表情で私を見た。
 瞳孔はいつもより開いており、唇は微かに震えている。彼女は明らかに怯えているようだった。

「何かあったの?」 
「実は……ここ最近、知らない誰かにつけられたり、家まで来られたりするの。来られるだけならまだしも、ごく稀にインターホンを鳴らして家まで入ろうとする輩がいるんだよね」

 時刻は午後九時を過ぎている。こんな時間に配達員は来ないだろうし、二人で宅飲みすることを知っている友人はいないから急遽参加なんてこともありえない。
 となると、優奈の言っていた通りストーカーである確率は高い。

 優奈は『ユナ』と言う名で動画投稿サイトで配信を行っている。登録者はなんと80万人を超えており、インフルエンサーとして活躍している。そりゃ、ストーカーの一人や二人くらいいてもおかしくはないだろう。

 登録者3万人の私とは大違いだ、と言うのは今は置いておこう。

「なるほど。なら、この機会にストーカーを追っ払おう。そんなこと聞かされたら隣人の私にも被害が及ぶ可能性があるからね」
「ええっ!? でも、どうやって?」
「私に任せなさい。優奈は私が空手二段なの知っているでしょ」
「知ってるけど。でも、凶器を持っている可能性もあるし」
「大丈夫、大丈夫。ドア越しに脅すだけだからさ」

 二人で会話しているともう一度ピンポーンと音が鳴った。
 私たちはひとまずインターホンに映る画面を覗いた。画面には赤色のTシャツを着たメガネで帽子姿の中年くらいの男が映っていた。偏見かもしれないが、見るからに怪しい人物だ。

 私たちのマンションはオートロックとなっている。だが、男は優奈の自宅の前のインターホンから連絡をとっていた。おそらく、誰かが入ると同時に一緒に入ったのだろう。今の時間は仕事終わりのサラリーマンがよく帰ってくる時間帯だからありえない話ではない。

「この人?」
「うん……この人、昨日も来ていた」
「相当やばいやつじゃん。今日、優奈の家で宅飲みしておいてよかったかも。見るからにひ弱そうなやつだから脅せば恐れて帰るでしょう」

 インターホンのスイッチを押し、向こうにいる男と連絡を取れる状況にした。

「はい、どちら様でしょうか?」
「あの……ええと……ユナさんですか?」

 ストーカーはおどおどしながら話し始める。声は平均男性よりはやや高く、早口なのが特徴的だった。話し方からしてあまり良い性格ではないような気がする。

「違いますけど。家、間違えていませんか?」
「いやでも、今日、ユナさんがそちらの自宅に入っていくのを見たから」
「見間違いじゃないでしょうか。ユナなんてうちにはいないですけど」
「でも、確かにここの家だったような。ユナさんを出してもらってもよろしいでしょうか?」
「鬱陶しい人ですね。ユナさんなんていないって言っているじゃないですか? 警察呼びますよ?」
「一瞬でもいいんでユナさんに会いたいだけなんです。会わせていただければ、すぐに帰ります」

 あー、これは埒が明かないな。仕方がない。別の脅し方を試すか。
 私は電源を入れたまま後ろを振り返ると、優奈の自宅に置かれたパンチングマシーンに目をつける。ストレス解消のために買ったようで、マンションでも一階ならそこまで迷惑はかからない代物だ。

「なんだよ、あいつ。さっさと失せろよ!」

 そう言って、私はパンチングマシーンを思いっきり殴った。パンッと弾けるような音が部屋に響き渡る。インターホン越しに彼を脅すと次にリビングに置かれた引き出しを開ける。そこからダミーナイフを取り出すと玄関へ向かって歩いていった。

 後ろから足音が聞こえる。優奈は私が彼を撃退する様子を見届けようとしてくれているようだ。玄関に着くと扉のU字ロックをかけ、全開できない状態にしてから鍵を開ける。少しだけドアを開くと向こう側から指が見えた。

 指はドアを掴むと力強く開けようとする。ガッとU字ロックが開くのを妨げる音がする。
 しばらくしてドアの隙間から男の顔が見える。不気味な笑みを浮かべ、こちらを舐めるように見回した。私はその姿を目の当たりにし、怖気が走った。

「やっぱ、ユナちゃんいたじゃん。今日も可愛いね〜。お部屋では短パンを履いているんだ。生で見ても肌が綺麗だね〜」

 優奈を淫らな目で見ている彼へと私は近づく。彼の視線が優奈から私に向いたところを見計らって、私は持っていたダミーナイフを彼の目の前にかざした。

「失せろ。でなきゃ、殺すぞ」

 インターホンで話している時よりも低いトーンで彼に言う。彼は目の前にかざされたナイフを見ると眉を上げ、目を見開いた。

「最後にこれだけあげる。ユナちゃんまた来るからね。バイバーイ」

 男は優奈の家にとあるものを入れると勢いよく扉を閉めた。バタンという音が玄関に轟く。男が落とした物を見ると平たい直方体のものだった。表紙には裸の女性がいて、長いタイトルが記されていた。こんなものを女性に送りつけるとは本当に最低な男だ。

「ひとまず去ってくれたみたいで良かった。さあ、宅飲みの続きでもやろうか?」

 DVDの箱を手に取ると私は優奈の方を覗いた。優奈は優しい瞳で私を見ながらゆっくりと頷く。体はほんの少しガクガク震えている。こんなことされたら女性は誰でも怖がるものだろう。武道を習っている私でもU字ロックがなければ恐怖に包まれていた。

 一件落着。私たちは玄関からリビングへと戻っていく。
 すると、リビングに見知らぬ男性が一人立っていた。青と黒のチェックのシャツを着飾り、メガネ姿のおかっぱ男性。

 彼の後ろの窓は開けられ、外からの風が中に入ってきていた。おそらくなんらかの形で優奈の家のベランダに侵入し、網戸を開けて部屋に入ったのだろう。
 彼が私たちに微笑みかける。私は自分の心臓が飛び跳ねるのを感じた。

「キャッーーーーーーーー」

 優奈の悲鳴が部屋いっぱいに広がっていった。