奇人変人をおちょくるのが大好きな俺は、長く家の中から出られないでいる引きこもりをからかってやるのが最高のストレス解消となっている。危害を加えているわけじゃない。ちょっとしたお楽しみをやっているだけだ。そいつの近くを歩く。それだけだ。身長二メートルで体重百五十キロのデブが鼻息荒く歩くと、大抵の人間は怯える。それを見ているだけで、こっちは楽しいのだ。
 さて、引きこもりの話に戻ろう。そいつが暮らしているのは俺の家の隣の通りなので、雨の日にそこまで出歩くのは面倒だが、逆に雨の夜がチャンスだった。雨の晩になると、あの引きこもり女は必ず家から出てくるからだ。傘を差しているから人の視線を気にしないでいられるのだろう。しかし、油断は禁物! 後を付けて歩いている人間つまり、この俺がいるからだ。安心した様子で散歩している女に気付かれないよう細心の注意を払いつつ、後を付ける。やりすぎると引きこもりが悪化するから、ダメ絶対にダメ。でも、名状し難い不安は感じさせてやりたい。その塩梅が難しいけれど、困難に挑戦するのは人の本能というものだ。何事にもチャレンジする。それが無上の楽しみなのだ。
 変なことに夢中になっているな~と思うかもしれないが、こういった趣味を持っている人間は俺だけではない。同好の士が集まってSNSでワイワイやっている。皆、色々なことを書き込んでいるのだ。尾行する相手は様々だが、犯罪はやっていない。気付かれないよう後を付けるスリルとサスペンスを楽しんでいるだけだ。「ま、ちょっとビビらせる程度なら別に大したことではないだろ、JK」とカキコしている者もいるにはいるが……おっと、そろそろ女が外出する時間だ。へへ、今夜も引きこもり女の尻や胸を鑑賞させていただくとすっかな。
 今日は天候が不安定で、豪雨になると天気予報は伝えているが、気にしない。こういう日でも絶対に、あの女は姿を見せるのだ。出歩く者は少ないから、対人恐怖症の人間にとっては気が休まるのだろう。俺も雨の中を外に出た。女の家に向かう。隣の通りへ出る曲がり角の途中で、何の気なしにカーブミラーを見上げたら、曲がり角の向こうに誰かがいる。見覚えのある花柄の傘を差している。あの引きこもり女の傘だった。
 引きこもり女は、こちらへ向かって歩いてきていた。このままでは正面から鉢合わせだ。俺は人と真正面から顔を合わせるのが好きじゃない。くるりと回って元の道を引き返す。女との間の距離を稼ごうと速足で歩いたら、前の方で誰かが急に立ち止まった。大柄な男だった。見覚えがあるけれど、誰か分からない。男が慌てた様子で回れ右をして歩き出す。その姿に気を取られ、足を止めてしまったのは失敗だった。引きこもり女が俺に追いついてしまったのだ。街灯の照明が女の姿を映し出す。
「すみません、失礼ですけど、お尋ねしたいことがありまして」
 可愛らしい顔をした女は丁寧な口調で俺に話しかけてきた。突然の出来事で驚く俺に質問を浴びせてくる。
「SNSの尾行専門サイトに投稿していますよね? 常連さんですよね? 本名は●×さんですよね? 住所は――」
 その全部が正解だった。頷くのも何なので黙っていたら相手が追加情報を更新した。
「私は、あなたが尾行している引きこもり女の別人格です。大事なお話があります。あなたのことを、小心者なのにキレると狂暴な人格が狙っています。あなたが自分に危害を加えるのではないかと恐れ、何かされる前に何とかしようと決意したのです」
 驚きのあまり二の句が継げぬ俺に女は言った。
「何とかしないと、あなたが何とかされてしまいます。早く逃げて下さい!」
「は、はははや、はや、早くったっててってててて、どどどここおへえええへえ」
 緊張のせいで普段より口が回らない。焦りが酷すぎて吃音っぽい声が出てしまっている。自分でも何を言っているのか分からない。
「早くしないと、殺人狂の人格が、私の中に現れてしまいますうぅぅぅぅ」
 そう言って俯いた女が顔を上げると人相が一変していた。牙を剥いた野獣そのものだった。野獣が吼える。
「この変態野郎、死ね!」
 女は傘の持ち手を引き抜いた。街灯の明かりを浴びて持ち手から伸びた刃がギラリと光る。俺は悲鳴を上げて逃げ出した。デブの俺だが足は速い。こう見えて学生時代は箱根駅伝を目指す長距離ランナーだったのだ。あっという間に刃物を振り回す女を振り切った。家が見えてきた。玄関へ飛び込むのだ! と思った俺の前に、背後にいるはずの女が現れた。
 いや、別人だ、と俺は思った。着ている服が違うし、こちらは傘の代わりにリュックサックと手提げバッグを持っている。その女は両手を広げ、俺を制止した。
「待って、家に入るのは危険です!」
 俺は女にぶつかる直前ギリギリで停まった。俺がぶつかったら、この女は吹き飛んでいただろう。そんな俺に女は感謝することなく、意味不明なことを言った。
「私はあなたを追いかけている引きこもり女の双子の妹です。家に入ってはいけません。あなたが家の中に入ったら、用意していたガソリンを撒いて火を点ける計画があるのです。この雨でも一気に炎が燃え広がるほどのガソリンがありますから、きっと大爆発するでしょう」
 俺は疑問を口にした。
「ががががそり、ガソリンなんてててて、持って持ってもももも持っていなかったぞぞ」
 女は憎しみの表情で答えた。
「姉を脅かす存在は許せません。あなたを火刑に処します。私は妹として、やるべきことをやります!」
 そう言うと双子の妹は手提げバッグの中から赤い発炎筒を取り出した。
「このザックの中にはガソリンの入ったペットボトルを入れています。大人しく焼け死んで下さいませ!」
 俺は脱兎の如く逃げ出した。引きこもり女とガソリン女の姉妹は俺の後を追いかけてきた。二人の脚は早かった。いや、長年の半引きこもり生活で俺の脚力が衰えているだけかもしれない。
「待て~待て待て~」
 雨の中を逃げる俺を二人の女が追いかける。振り切れない。曲がり角が見えてきた。あそこを曲がったところに暗い横道があるから、そこへ隠れよう!
 俺は曲がり角を曲がると横道へ飛び込んだ。そこには、先程ちょっとだけ見かけた男が立っていた。俺は男とぶつかった。凄い勢いでぶつかったので一瞬、気が遠くなった。次の瞬間、俺の目の前に、俺がいた。俺は俺の顔を見ているのだ。
「ななな、なにこれれれ?」
 俺が見ている俺が言った。
「衝突の瞬間に人格の入れ替わりが発生した模様です」
「は?」
「これは失礼。私は異世界のあなたが実世界へ送り込んだアンドロイドです。あなたに似た外見になるよう設定しましたが、雨の影響で魔メイクが崩れていますね。衝撃による人格の入れ替わりは、よくあることです。階段落ちとかで。今回の衝撃は低レベルですが、異世界のあなたは私の体に人格を融合させて活動することが多いので、ここでもそうなってしまったのでしょう」
「意味わからんいみかわら意味わから」
「話が分からないのは当然です。良く聞いて下さい。あなたはガソリンの爆発に巻き込まれ、これから異世界へ飛ばされます。それが事実なのです。しかし異世界へ飛ばされたあなたは、過去の実世界に私を送り込むことで、過去を改変しようとしているのです」
 俺と入れ替わって俺の体内に入ったアンドロイドは、俺が入っている自分の体を両手で抱き締めた。肩の上に顔を載せ耳元で囁く。
「私は二人の女性をここで食い止めます。早く逃げて下さい」
 そう言うが早いか俺の顔をしたアンドロイドは通りに出た。続いて大爆発が起こった。俺は爆風で吹き飛ばされた。目が覚めたら病院のベッドの上だった。女性の看護師が俺を覗き込んでいる。とても驚いた様子で誰か呼びに行った。白衣の男が現れた。どうやら医者のようだ。そいつは俺に尋ねた。
「●×さん、私の言葉が聞こえますか? 聞こえたら頷いて下さい」
 俺は頷いた。看護師の女性と医者の男は目を合わせた。二人とも驚きの表情だ。医者は言った。
「●×さん、あなたは爆発事故に巻き込まれ、意識不明の重体だったのです。一時は危篤状態だったのですが、どうやら持ち直したようですね」
 俺は体を起こそうとした。しかし、動こうにも動けない。そんな俺の様子を見て、女性看護師は言った。
「体を動かすのは無理です。安静にしていて下さい」
 医者は看護師に言った。
「睡眠薬を使おう。安静を守るためには、それが一番だ」
 そのうち俺は眠りに落ちた。そして夢を見た。双子の女と体格の良い男が病室にいる。デブの男つまり、俺に似たアンドロイドと思しき俺がベッドの中の俺に話しかけた。
「落ち着いて聞いて下さい。この病院は本当の病院ではありません。罠です。あなたを収監するための偽病院です」
 双子の女が声を合わせて言った。
「ここはSNSの施設です。SNS即ちSuper Natural Serviceは直訳すると超自然」
 俺の姿形をした男が制止した。
「それを教えるのは、まだ早すぎる。今はまず、ここから脱出させるのが先だ」
 そうは言っても俺は動けない。それに、俺を殺そうとした双子の姉妹が現れたのも謎で、それが気になって仕方がない。思い浮かんだ疑問を口に出そうとすると、双子の女が立てた人差し指を唇に当てて制した。
「あなたの声は特殊脳波としてモニターで観察されています。声ではなく、おならで喋って下さい。それなら盗聴されません」
 そう言われても、やったことがない。俺の困惑を見て取り、三人が俺を応援した。
「やればできます。さあ、おならで話して下さい」
 そう言われると何だか何とかなりそうな感じがしてきた。よし、やってみるか! と思ったのが何かの間違いだった。いや、もしかしたら、それが正解だったのか……何だか知らないが、おならが爆発した。尻の下で起きた大爆発は俺の体は勿論のこと、その偽病院も吹き飛ばした。あまりの衝撃で次元の壁に亀裂が入り、そこを通って俺は異世界へ旅立った。異世界に転生した俺は性別が変わり多重(たえ)と名乗るようになった。しかし状態は不安定で時々、元の世界に戻る。そんなときは大抵、半引きこもりの長身デブだが、双子の姉妹になっていることもある。そして何やかんやあって、今いる異世界へ戻るのだ。まったくもってわけが分からない。それでも聖女となって皆から崇められているから今の境遇は悪くない。
 そう、悪くないはずだったのに、どんでん返しが起きた。多重という名の聖女は、実は悪役令嬢だという告発が為されたのだ。告発したのはSuper Natural Serviceつまり超自然即応部隊と称する機関だった。告発が受理され裁判となり、私は有罪となった。そして異世界を追放され……というところでSNSの書き込みは途切れている。有志によるリレー小説は遂に未完で終わったのだ。
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