「石神が俺を呼び出すなんて珍しいね」
「態々遠くまでごめんね」
終業式を終えた後。私は隣町のファミレスで鳴子くんと会っていた。鳴子くんは絵麻の恋人だから、人目に配慮して遠くの店舗を選んだ。絵麻が終業式後に家族との用事が入っているのは確認済み。勘繰られる心配はない。
「とりあえず何か頼もうか」
お互いにドリンクバーと、私はパンケーキ、鳴子くんはドリアをそれぞれ注文。一先ずは二学期のお疲れ様でした会ということで、オレンジジュースとコーヒーで乾杯した。
「それで、俺を呼び出した理由は? 念のため聞くけど、告白とかじゃないよね」
「まさか。友達の彼氏を狙いにいくような、ドラマチックな青春は私向きじゃない」
コーヒーを飲んで一呼吸置く。こうして呼び出しに応じた時点で、鳴子くんもきっと理由に察しはついているはずだ。
「私達の流儀に則って、あえてミステリーっぽい表現を使わせてもらうおうかな。一連の事件の黒幕は、亜里沙先生じゃなくて鳴子くんだよね?」
オレンジジュースをストローで啜ると、鳴子くんは中学時代に一緒にミステリーを考察していた時のように表情を引き締めた。
「石神の推理を聞かせてもらってもいいかな?」
一切否定はせずに、鳴子くんは私に続きを促した。
「全ては鳴子くんが書いたシナリオで、亜里沙先生は単なる協力者に過ぎない。だって亜里砂先生の妹であるはずの縄綯なな子なんて名前の人物は、そもそも存在しないもの」
「どこでその事実を?」
「富士松先生。うちの高校で一番のベテランだから」
「そういえば、富士松先生は文芸部の顧問だったか。すっかり失念していたよ」
「直ぐに富士松先生から証言を得られたわけじゃないんだよ。富士松先生に縄綯なな子について尋ねたら、十年前にそういう名前の生徒がいたって言うものだから、私も最初はずっと縄綯なな子が実在する線で推理してた」
「どういうことだい?」
鳴子くんが首を傾げるのも当然だ。存在しないはずの縄綯なな子が、自分のあずかり知らぬ所で存在することになっていたのだから。
「疑問が解消されたのは、昨日の昼休みに富士松先生に呼ばれた時。先生、前の日のナワナイナナコの話は勘違いだったって、態々報告してくれてね。十年前当時、和内歌奈子さんっていう、名前の響きが似た女子生徒がいて、その人と間違えていたみたい。面白い偶然だよね」
だけど、あのタイミングでその情報を知れたからこそ、色々な点と線が繋がったような気もする。結果オーライというやつだ。
「その時点で放課後に亜里砂先生に仕掛けることは決まってたから、情報収集のつもりで富士松先生に、学生時代の亜里砂先生についても聞いてみたら、亜里沙先生は一人っ子だってことも教えてくれたよ。この時点で、亜里沙先生と縄綯なな子が姉妹であるという線は消えた。同時に縄綯なな子が存在しないとなれば、彼女の素性を調べ、実在する人物だと私達に印象付けた鳴子くんが一気に怪しく見えてくる」
「それを承知の上で、放課後にあの立ち回りを? 石神は役者だね」
「周囲を観察して情報を得るには、何も知らないふりをしているのが一番だもの。そしたら鳴子くん、私が徐々に亜里砂先生を詰めていこうとしているところを、いきなり縄綯なな子と先生の関係性を突きつけてみせるし、かと思えば先生に憤るでもなく落ち着き払っていて、最後は円満にまとめ上げる方向に話を持っていった。私の目には怪しさ満々に映っていたよ」
「石神とは対照的に、俺は大根役者だったわけだ。お恥ずかしい限りだね。だけどそれだけなら、八尾先生が主犯でもストーリーは成り立つんじゃないかな?」
「富士松先生の証言を得る前から、私は全てを亜里砂先生の仕業と考えるのは難しいと思ってたよ。ネット上で不特定多数が触れる可能性のあるSNSの投稿はともかく、個人の連絡先にまで縄綯なな子はメッセージを送ってきている。昨今のコンプライアンス的に、教師が自宅以外の、生徒個人の連絡先まで把握しているのは不自然だもの。それよりはやっぱり、プライベートな連絡先まで把握している親しい人間が関与している方がしっくりくる。私の中でその条件に最も当てはまるのは鳴子くんだった。態々SNSとメッセージアプリで担当を分けていたとも思えないし、縄綯なな子としての行動は全て、鳴子くんの仕業だったんじゃない? 学期末かつ退職を控えた先生に、絵麻の投稿を全て精査する余裕があったとは思えないしね。特にこの日なんかは」
私はスマホの画面に、絵麻が恋人の鳴子くんについて投稿した時のSNSを表示した。投稿から間もなく、縄綯なな子から反応が届いている。その時間は午後五時三十二分。投稿を精査していたのは、まだ亜里砂先生の関与が疑われる前だったから、時間については深く考えていなかったけど、様々な事実が見えて来た今なら、時間の持つ意味も大きく変わってくる。
「この日この時間は、学校で職員会議が行われていた。流石にそのタイミングで亜里砂先生がSNSに反応することは難しい。だからきっと、亜里沙先生は犯人役として名前を貸しただけ」
「演出を優先して、直ぐに反応したのが裏目に出たね。絵麻一人なら騙すのは簡単だったけど、石神の目は欺けなかったか。絵麻には周りに心配かけないように二人だけで解決しようって言っておいたんだけど、石神に隠し事は出来なかったみたいだね」
そう言って、鳴子くんは申し訳なさそうに目を伏せた。
「どうして俺がこんな手の込んだ真似をしたと思う?」
「昨日、亜里砂先生が言っていた台詞が概ね、鳴子くんの本音なんじゃない? 絵麻は人の注意をテキトウにやり過ごそうとするところがある。一番身近な存在である鳴子くんなら尚更かもね。だからネットリテラシー改めさせるために一芝居打ったんでしょう? 担任教師に過去の話までされたら、流石に絵麻の心にも刺さる」
「正解。恋人として、絵麻が将来的にSNSでトラブルに見舞われるような事態は防ぎたかった。そのためには強烈なストーリーが不可欠だ。当初のシナリオでは、幽霊のような存在として縄綯なな子を演出し、そこから俺が調査と称して少しずつ導線を引いていき、八尾先生に辿り着く。八尾先生の口から過去の悲劇を語ってもらい、絵麻の心を揺り動かすという流れだった。頭のキレる石神が介入したことで、話の展開が一気に進んでしまったけどね」
「結果論だけど、第三者である私が加わったことで、リアリティが増したかもね」
「一理ある。僕だけで進めていたら、ここまでドラマチックにはならなかったかもしれない」
絵麻の身に降りかかった問題の解決に奔走する、スパダリの鳴子くんというシナリオは、シンプルで分かりやすかったかもしれないけど、物語としてはやや単調だ。第三者であった私が縄綯なな子を調べ始め、二人と情報を共有したことで、縄綯なな子という架空の人物の存在感が一層際立ち、シナリオにも深みが増した。知らず知らずのうちに私は主要キャストの仲間入りをしていたらしい。
「亜里砂先生はどうやって計画に引き込んだの? いくら退職前とはいえ、こんなリスクのある船に、普通は乗ってくれないと思うけど?」
「八尾先生の名誉のために詳細は伏せるけど、俺は先生に対する交渉のカードを持っていてね。快く計画に協力してもらえたよ。話は内々で解決して先生に迷惑はかからなかったし、めでたしめでたしさ」
淡々と語っているけど、名誉に関わるということは、弱みに付け込んで協力してもらったということだ。絵麻を思う愛の力で、教師をも手玉に取ってみせる。怖さを感じると同時に、絵麻に対する鳴子くんの愛の深さを見せつけられているようで胸がチクチクする。
「こんな大それたシナリオまで用意して、鳴子くんは本当に絵麻のことが大好きなんだね」
「大好きだよ。絵麻ためなら俺は何だってする」
清々しいまでの即答。鳴子くんに愛されて、絵麻は幸せ者だな。
「石神。俺と絵麻のためにも、真実は君の胸にしまっておいてもらえるかな?」
「言われなくとも、絵麻には秘密にしておくよ。絵麻の成長を促すためにもその方が都合が良いだろうし」
「ありがとう石神」
その笑顔は今日始めて、絵麻ではなく私に対して向けられたものだったと思う。私は絵麻には絶対に敵わない。だけど今は、絵麻も知らない秘密を鳴子くんと共有している。その事実だけで私の心は満たされている。
「パンケーキとドリアになります」
私達のやり取りが一段落したところで、注文していた料理がテーブルに届いた。猫舌なのか、鳴子くんは何度もふーふーしながらドリアを食べていて何だか可愛らしい。私は蜜をたっぷりとかけたパンケーキを口いっぱいに頬張った。なんて甘美な至福な一時だろうか。
「俺はこのまま帰るけど、石神は?」
「せっかくだから、買い物してから帰るよ」
「それじゃあお先に。雪も降ってきたし、石神も気をつけてね」
私と鳴子くんはファミレス前で別れた。
明日からは冬休みが始まり、新学期が始まれば亜里砂先生ももう学校にはいない。降り積もる雪が大地を覆い隠すように、縄綯なな子に関する一連の出来事も、徐々に新しい記憶に上書きされていくのだろう。そうして今の亜里砂先生ぐらいの年齢になった頃に、ふとこのことを思い出したりするのかな? ちょっと変わった青春だけど、ミステリー好きとしてはこういうのも悪くない。
「虚構の存在。縄綯なな子か」
歩きながら、ふと縄綯なな子について考える。彼女が存在しない人物である以上、その名前を創造したのは鳴子くんだろう。あの名前には遊び心が隠されていた。子を子と読めば、縄綯なな子は「ナワナイナナシ」と読むことが出来るのだ。その響きを声に出すと。
「名は無い名無し。か」
存在しない者としてはこれ以上ない名前だ。縄綯なな子なんてやっぱり、最初からどこにも存在しなかった。意図していたのか、それとも完全に無意識だったのか。いずれにせよこんな名前を思いつくあたり、鳴子くんは今でもミステリーが好きなんだなと再確認することが出来た。
「文集はやっぱりミステリーでいこう」
今回のことが刺激になって、これまで以上に執筆活動に励むことが出来そうだ。冬休みは頑張って一作書き上げるぞ。
了
「態々遠くまでごめんね」
終業式を終えた後。私は隣町のファミレスで鳴子くんと会っていた。鳴子くんは絵麻の恋人だから、人目に配慮して遠くの店舗を選んだ。絵麻が終業式後に家族との用事が入っているのは確認済み。勘繰られる心配はない。
「とりあえず何か頼もうか」
お互いにドリンクバーと、私はパンケーキ、鳴子くんはドリアをそれぞれ注文。一先ずは二学期のお疲れ様でした会ということで、オレンジジュースとコーヒーで乾杯した。
「それで、俺を呼び出した理由は? 念のため聞くけど、告白とかじゃないよね」
「まさか。友達の彼氏を狙いにいくような、ドラマチックな青春は私向きじゃない」
コーヒーを飲んで一呼吸置く。こうして呼び出しに応じた時点で、鳴子くんもきっと理由に察しはついているはずだ。
「私達の流儀に則って、あえてミステリーっぽい表現を使わせてもらうおうかな。一連の事件の黒幕は、亜里沙先生じゃなくて鳴子くんだよね?」
オレンジジュースをストローで啜ると、鳴子くんは中学時代に一緒にミステリーを考察していた時のように表情を引き締めた。
「石神の推理を聞かせてもらってもいいかな?」
一切否定はせずに、鳴子くんは私に続きを促した。
「全ては鳴子くんが書いたシナリオで、亜里沙先生は単なる協力者に過ぎない。だって亜里砂先生の妹であるはずの縄綯なな子なんて名前の人物は、そもそも存在しないもの」
「どこでその事実を?」
「富士松先生。うちの高校で一番のベテランだから」
「そういえば、富士松先生は文芸部の顧問だったか。すっかり失念していたよ」
「直ぐに富士松先生から証言を得られたわけじゃないんだよ。富士松先生に縄綯なな子について尋ねたら、十年前にそういう名前の生徒がいたって言うものだから、私も最初はずっと縄綯なな子が実在する線で推理してた」
「どういうことだい?」
鳴子くんが首を傾げるのも当然だ。存在しないはずの縄綯なな子が、自分のあずかり知らぬ所で存在することになっていたのだから。
「疑問が解消されたのは、昨日の昼休みに富士松先生に呼ばれた時。先生、前の日のナワナイナナコの話は勘違いだったって、態々報告してくれてね。十年前当時、和内歌奈子さんっていう、名前の響きが似た女子生徒がいて、その人と間違えていたみたい。面白い偶然だよね」
だけど、あのタイミングでその情報を知れたからこそ、色々な点と線が繋がったような気もする。結果オーライというやつだ。
「その時点で放課後に亜里砂先生に仕掛けることは決まってたから、情報収集のつもりで富士松先生に、学生時代の亜里砂先生についても聞いてみたら、亜里沙先生は一人っ子だってことも教えてくれたよ。この時点で、亜里沙先生と縄綯なな子が姉妹であるという線は消えた。同時に縄綯なな子が存在しないとなれば、彼女の素性を調べ、実在する人物だと私達に印象付けた鳴子くんが一気に怪しく見えてくる」
「それを承知の上で、放課後にあの立ち回りを? 石神は役者だね」
「周囲を観察して情報を得るには、何も知らないふりをしているのが一番だもの。そしたら鳴子くん、私が徐々に亜里砂先生を詰めていこうとしているところを、いきなり縄綯なな子と先生の関係性を突きつけてみせるし、かと思えば先生に憤るでもなく落ち着き払っていて、最後は円満にまとめ上げる方向に話を持っていった。私の目には怪しさ満々に映っていたよ」
「石神とは対照的に、俺は大根役者だったわけだ。お恥ずかしい限りだね。だけどそれだけなら、八尾先生が主犯でもストーリーは成り立つんじゃないかな?」
「富士松先生の証言を得る前から、私は全てを亜里砂先生の仕業と考えるのは難しいと思ってたよ。ネット上で不特定多数が触れる可能性のあるSNSの投稿はともかく、個人の連絡先にまで縄綯なな子はメッセージを送ってきている。昨今のコンプライアンス的に、教師が自宅以外の、生徒個人の連絡先まで把握しているのは不自然だもの。それよりはやっぱり、プライベートな連絡先まで把握している親しい人間が関与している方がしっくりくる。私の中でその条件に最も当てはまるのは鳴子くんだった。態々SNSとメッセージアプリで担当を分けていたとも思えないし、縄綯なな子としての行動は全て、鳴子くんの仕業だったんじゃない? 学期末かつ退職を控えた先生に、絵麻の投稿を全て精査する余裕があったとは思えないしね。特にこの日なんかは」
私はスマホの画面に、絵麻が恋人の鳴子くんについて投稿した時のSNSを表示した。投稿から間もなく、縄綯なな子から反応が届いている。その時間は午後五時三十二分。投稿を精査していたのは、まだ亜里砂先生の関与が疑われる前だったから、時間については深く考えていなかったけど、様々な事実が見えて来た今なら、時間の持つ意味も大きく変わってくる。
「この日この時間は、学校で職員会議が行われていた。流石にそのタイミングで亜里砂先生がSNSに反応することは難しい。だからきっと、亜里沙先生は犯人役として名前を貸しただけ」
「演出を優先して、直ぐに反応したのが裏目に出たね。絵麻一人なら騙すのは簡単だったけど、石神の目は欺けなかったか。絵麻には周りに心配かけないように二人だけで解決しようって言っておいたんだけど、石神に隠し事は出来なかったみたいだね」
そう言って、鳴子くんは申し訳なさそうに目を伏せた。
「どうして俺がこんな手の込んだ真似をしたと思う?」
「昨日、亜里砂先生が言っていた台詞が概ね、鳴子くんの本音なんじゃない? 絵麻は人の注意をテキトウにやり過ごそうとするところがある。一番身近な存在である鳴子くんなら尚更かもね。だからネットリテラシー改めさせるために一芝居打ったんでしょう? 担任教師に過去の話までされたら、流石に絵麻の心にも刺さる」
「正解。恋人として、絵麻が将来的にSNSでトラブルに見舞われるような事態は防ぎたかった。そのためには強烈なストーリーが不可欠だ。当初のシナリオでは、幽霊のような存在として縄綯なな子を演出し、そこから俺が調査と称して少しずつ導線を引いていき、八尾先生に辿り着く。八尾先生の口から過去の悲劇を語ってもらい、絵麻の心を揺り動かすという流れだった。頭のキレる石神が介入したことで、話の展開が一気に進んでしまったけどね」
「結果論だけど、第三者である私が加わったことで、リアリティが増したかもね」
「一理ある。僕だけで進めていたら、ここまでドラマチックにはならなかったかもしれない」
絵麻の身に降りかかった問題の解決に奔走する、スパダリの鳴子くんというシナリオは、シンプルで分かりやすかったかもしれないけど、物語としてはやや単調だ。第三者であった私が縄綯なな子を調べ始め、二人と情報を共有したことで、縄綯なな子という架空の人物の存在感が一層際立ち、シナリオにも深みが増した。知らず知らずのうちに私は主要キャストの仲間入りをしていたらしい。
「亜里砂先生はどうやって計画に引き込んだの? いくら退職前とはいえ、こんなリスクのある船に、普通は乗ってくれないと思うけど?」
「八尾先生の名誉のために詳細は伏せるけど、俺は先生に対する交渉のカードを持っていてね。快く計画に協力してもらえたよ。話は内々で解決して先生に迷惑はかからなかったし、めでたしめでたしさ」
淡々と語っているけど、名誉に関わるということは、弱みに付け込んで協力してもらったということだ。絵麻を思う愛の力で、教師をも手玉に取ってみせる。怖さを感じると同時に、絵麻に対する鳴子くんの愛の深さを見せつけられているようで胸がチクチクする。
「こんな大それたシナリオまで用意して、鳴子くんは本当に絵麻のことが大好きなんだね」
「大好きだよ。絵麻ためなら俺は何だってする」
清々しいまでの即答。鳴子くんに愛されて、絵麻は幸せ者だな。
「石神。俺と絵麻のためにも、真実は君の胸にしまっておいてもらえるかな?」
「言われなくとも、絵麻には秘密にしておくよ。絵麻の成長を促すためにもその方が都合が良いだろうし」
「ありがとう石神」
その笑顔は今日始めて、絵麻ではなく私に対して向けられたものだったと思う。私は絵麻には絶対に敵わない。だけど今は、絵麻も知らない秘密を鳴子くんと共有している。その事実だけで私の心は満たされている。
「パンケーキとドリアになります」
私達のやり取りが一段落したところで、注文していた料理がテーブルに届いた。猫舌なのか、鳴子くんは何度もふーふーしながらドリアを食べていて何だか可愛らしい。私は蜜をたっぷりとかけたパンケーキを口いっぱいに頬張った。なんて甘美な至福な一時だろうか。
「俺はこのまま帰るけど、石神は?」
「せっかくだから、買い物してから帰るよ」
「それじゃあお先に。雪も降ってきたし、石神も気をつけてね」
私と鳴子くんはファミレス前で別れた。
明日からは冬休みが始まり、新学期が始まれば亜里砂先生ももう学校にはいない。降り積もる雪が大地を覆い隠すように、縄綯なな子に関する一連の出来事も、徐々に新しい記憶に上書きされていくのだろう。そうして今の亜里砂先生ぐらいの年齢になった頃に、ふとこのことを思い出したりするのかな? ちょっと変わった青春だけど、ミステリー好きとしてはこういうのも悪くない。
「虚構の存在。縄綯なな子か」
歩きながら、ふと縄綯なな子について考える。彼女が存在しない人物である以上、その名前を創造したのは鳴子くんだろう。あの名前には遊び心が隠されていた。子を子と読めば、縄綯なな子は「ナワナイナナシ」と読むことが出来るのだ。その響きを声に出すと。
「名は無い名無し。か」
存在しない者としてはこれ以上ない名前だ。縄綯なな子なんてやっぱり、最初からどこにも存在しなかった。意図していたのか、それとも完全に無意識だったのか。いずれにせよこんな名前を思いつくあたり、鳴子くんは今でもミステリーが好きなんだなと再確認することが出来た。
「文集はやっぱりミステリーでいこう」
今回のことが刺激になって、これまで以上に執筆活動に励むことが出来そうだ。冬休みは頑張って一作書き上げるぞ。
了