沙耶(さや)。相談したいことがあるんだけど」
「何? 改まっちゃって」

 二学期の終業式を明後日に控えた真冬の朝。教室に登校するなり、同級生の朝比奈(あさひな)絵麻(えま)が私の席へと駆け寄ってきた。絵麻とは中学生の頃からの付き合いで、流行に敏感なオシャレさんだ。ブラウスとブレザーの間には臙脂色(えんじいろ)のニットカーディガンで差し色を加えて、ヘアアクセサリーやネックレスなどの小物類にもこだわっている。

「最近、私のSNSがちょっと変なことになってて」

 そう言って絵麻は、スマホの画面に自身のSNSのアカウントを表示した。絵麻がSNSを始めたのは確か去年、高校に入学した直後ぐらいだったかな。何度か誘われたけど、私は結局SNSをやらなかったから、SNS上での絵麻の動向は把握していない。厄介な相手に絡まれたりしてしまったのだろうか? 

縄綯(なわない)なな()?」

 昨日の夕方の絵麻の投稿に、縄綯なな子というアカウントから反応が届いている。珍しい苗字だから初見では読めなかったけど、IDが「@nanako nawanai」になっていたので、そう読むと分かった。『もうすぐ冬休み! 今年は彼氏と初詣にいくぞー』という絵麻の投稿に対して、縄綯なな子は『あなたのそういうところが嫌いです』と辛辣な一言を投げかけている。絵麻の呟きを遡ってみると、どうやら先週から縄綯なな子が絵麻をフォローし始め、新しい投稿をする度に、決まって三十分以内には何かしら反応が届く。絵麻が数日前に買ったデート服について投稿した際には『自己顕示欲』、恋人について投稿した際には「承認欲求」等。とにかく当たりが強い。

「これって、絵麻のアンチ?」
「そういうことだと思う。平和に楽しんでるつもりだったし、自分にアンチがつくなんて思ってもみなかったよ」
「あまりSNSについては詳しくないけど、こういうのってブロックしちゃえばいいんじゃないの?」
圭樹(けいじゅ)にも相談して、昨日の夜にブロックしたんだけど……」

 絵麻はスマホを操作して別の画面を私に見せてきた。

「縄綯なな子。どうして……」

 背筋が凍えるのを感じた。絵麻が見せたのは私も使っている有名なメッセージアプリの画面。そこには今朝送られてきた、縄綯なな子からの「ブロックするなんて酷いじゃない」とのメッセージが残されている。
 友達同士で楽しんでいたとはいえ、ネット上に公開されているSNSならば、偶然第三者の目に止まることもあるだろう。だけど、プライベートな連絡手段であるメッセージアプリに連絡してくるというのは普通に考えてありえない。縄綯なな子はどうやって絵麻の連絡先を知り得たのだろう。

「圭樹が色々と調べてくれてるけど、やっぱり不安で。沙耶にも相談しておこうかなと思って」

 こんな時になんだけど、絵麻が私を頼ってくれたことは嬉しかった。恋人である圭樹くんだけではなく、同性の友達を頼りたくなる心境は理解出来る。

「縄綯なな子について、鳴子(なるこ)くんは何て?」
「圭樹は身近な誰かが、縄綯なな子を(かた)ってるんじゃないかって考えているみたい」
「確かにその方が色々と説明はつくね」

 偶然、絵麻のSNSに目をつけたアンチが、プライベートなメッセージアプリの連絡先までも入手したと考えるよりも、始めから絵麻に身近な人物の仕業だと考えれば、SNS、メッセージアプリの双方を把握していてもおかしくはない。
 危険な第三者が絵麻を特定しているよりはマシだけど、連絡先を知っている近しい人間が、悪意を持って絵麻にメッセージを送っているとすれば、決して穏やかな話ではない。それは親しい誰かを疑わなければいけないということだ。そんな中で私に相談してくれたことの意味は大きい。信頼には全力で応えてあげたい。

「もうすぐホームルームだし、昼休みに入ったら圭樹も交えて三人で話そう。何か新しい情報が入っているかもしれない」
「そうだね」

 噂をすれば、担任の八尾(やお)亜里砂(ありさ)先生が教室にやってきた。ホームルームのチャイムまではまだ少し時間があるけど、先生が早めに教室に来た気持ちは分かる。あと二日でこのクラスともお別れなので、一日一日を大切にしているのだろう。

「亜里砂ちゃんとお別れなんて寂しいな」
「アメリカでも元気でね」
「みんなにも迷惑かけちゃってごめんね。本当なら三月まで残りたかったけど」

 数名の女子生徒が教卓の亜里沙先生を囲んでいる。亜里砂先生は現在二十九歳。明るく親しみやすいキャラクターで生徒たちからも大人気だったけど、新学期からは私達のクラスは受け持つことはない。亜里砂先生は既婚者で、先月旦那さんに会社から辞令が出て、春から海外赴任が決まっているそうだ。亜里砂先生自身は、可能なら年度末の三月まで担任を続けたかったみたいだけど、海外赴任の時期や準備にかかる時間を考えるとそれは難しく、学校側とも調整した結果、半端な時期よりも、三学期に入るタイミングで担任を引き継いだ方が良いだろうと判断されたようだ。私も亜里砂先生のことは大好きだったし、名残惜しいけど、ご家庭の事情ならば仕方がない。

「みんな、ホームルームを始めるから席に戻りなさい」

 ホームルームを告げるチャイムが始まり、今日も学校での一日が始まった。


「絵麻、ちょっといいか?」

 昼休みに入ると、絵麻の恋人である鳴子(なるこ)圭樹(けいじゅ)くんが教室に絵麻を呼びにきた。絵麻と鳴子くんが付き合っているのはすでに周知の事実だけど、端正な顔立ちと爽やかな笑顔を併せ持った鳴子くんの訪問に、クラスの女の子たちが騒めき立っていた。
 鳴子くんは二つ隣の二年C組の生徒で、同じ中学出身なので私も彼のことはよく知っている。二人は中学の頃はそこまで交流はなかったけど、去年の文化祭シーズンに一緒に行動する機会が増えたことで急接近し、勢いそのままに交際に発展。高校生活の楽しみ方はもちろん人それぞれだけど、THE青春だなと、羨ましく思ったのはここだけの話だ。


石神(いしがみ)も一緒?」

 絵麻が私の手を引いてきたことに、鳴子くんは少し驚いている様子だった。

「今朝相談した。沙耶も協力してくれるって」
「二人は親友だものな。俺も石神の意見を聞きたかったし丁度良かったよ」

 正直なところ、聡明な鳴子くんが縄綯なな子について調べているなら、私の出る幕はないのではと思っていた。鳴子くんに頼られて、悪い気はしないけども。

「あまり人前でするような話じゃないから、場所を変えよう」

 鳴子くんがそう言ったので、彼に続いて私と絵麻も教室から移動する。
 私たちは話し合いの場を、人気の少ない校舎裏のベンチに移した。ベンチに肩を並べて腰掛ける私と絵麻に、鳴子くんは神妙な面持ちで語り出す。

「縄綯なな子の正体を確かめようと情報を集める中で、思わぬ事実が判明したよ。縄綯なな子という名前の生徒が、十年前にうちの高校に在籍していたらしい」
「縄綯なな子は実在の人物ということ?」

 私はすかさず聞き返した。アンチという行為に加えて珍しい名前だったこともあり、てっきりネット上での架空の名前だと思っていたけど、実名だったというのは流石に予想外だ。

「……厳密に言うと、もういないらしい」
「それってもしかして?」

 歯切れの悪い言い方と、現実を受け止めきれぬかのように眉間に寄った皺。嫌な予感しかしない。

「縄綯なな子は十年前に亡くなっている」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 幽霊が私に嫌がらせをしてるってこと?」

 沈黙を恐れるように、絵麻が感情的にまくし立てた。ただでさえ不気味な状況なのに、その相手がすでに亡くなっているなんて、絵麻じゃなくてもパニックになるのは当然だ。

「落ち着いて絵麻。幽霊がSNSに書き込んだり、メッセージを送ってくるなんてありえないよ」
「だけど、圭樹は縄綯なな子はもう亡くなってるって」
「縄綯なな子が亡くなっている、イコール、幽霊の仕業ということにはならないよ。そうだよね? 鳴子くん」

 絵麻を落ち着かせるために優しく肩を抱きながら、鳴子くんに同意を求めると、鳴子くんは少し考えてから頷いてくれた。

「幽霊の関与を疑うよりは、誰かが故人である縄綯なな子の名を(かた)り、恐怖を演出していると考えた方が現実的だろうね。身近な誰かの仕業であることとも矛盾しない。むしろ可能性はより高まったと言える」
「十年前に亡くなった生徒の名を騙るということはやっぱり、学校の関係者の可能性が高いものね」

 こうして鳴子くんと意見を交わしていると、中学時代を思い出す。一緒にミステリー小説の考察を深めていたあの頃が懐かしい。

「俺は引き続き、縄綯なな子について調査を進める。これでも人脈の広さには自信がある。先輩伝いで十年前のことも調べてみるよ」
「ありがとう圭樹。大好き!」

 縄綯なな子が幽霊でないと分かってホッとしたのかな。絵麻は恋人の鳴子くんが自分のために奔走してくれているという状況に酔うぐらいには、余裕を取り戻しつつあった。もしもーし。この場には私もいるんですよ。

「私も自分なりに色々と調べてみるね。絵麻もまた何かあったら直ぐに私にも教えて」
「ありがとう沙耶。頼りにしてるよ」
「うん。気分よく冬休みを迎えようね」

 私たち三人が力を合わせたら、縄綯なな子の問題なんてきっと、綺麗さっぱり解決する。この時の私は、そう信じて疑わなかった。


 放課後。私は文芸部の部室で原稿用紙と(にら)み合っていた。絵麻は放課後は家の用事、鳴子くんは縄綯なな子の情報収集のために、すでに下校している。
 私が所属する文芸部では、今年度の活動の集大成として二月は文集を発行する予定で、現在部員たちは各々、文集に収録する作品の執筆活動に励んでいる。学期末の今の時期は、部室は解放されているけど参加は任意だ。私は家よりも部室の方が執筆が捗るので、頻繁に部室を利用していた。普段は他にも数人の部員が利用しているのだけど、今日はみんな用事があるのか、部室は私が独占している。執筆用の原稿用紙を机に広げてみたけど、今日は筆の乗りはいまいちだ。頭の中はどうしても、絵麻と縄綯なな子のことでいっぱいだった。今のままでは作業が手につきそうにない。

「あら、今日は石神さんだけですか?」
「そうみたいです。部室を独り占めするのも悪い気はしないですが」

 しばらく一人で部室で過ごしていると、文芸部顧問の富士松(ふじまつ)雅美(まさみ)先生がやってきて、私の隣の椅子に腰かけた。穏やかな雰囲気のベテラン教師で、いつも優しく生徒のことを見守ってくれている。

「富士松先生。一つお聞きしたいんですけど、縄綯なな子という生徒さんをご存じですか? 十年前に在籍していたそうなんですが」

 詳細を伏せながら、思い切って富士松先生に尋ねてみることにした。富士松先生は勤続二十五年で、誰よりもこの学校のことを知っている。縄綯なな子について何か分かるかもしれない。

「ナワナイナナコさん? 名前的に女子生徒よね」

 富士松先生が目を閉じて長考する。十年前の事とはいえ、亡くなった生徒の名前は強く印象に残っていそうなものだ。直ぐに名前が出てこないのは意外だった。

「思い出した。ナワナイナナコさんよね。確かに十年前に在籍していたわ」

 当時を知る富士松先生の言葉は、鳴子くんの時以上の破壊力を持っていた。縄綯なな子は本当に、十年前にこの学校にいたんだ。富士松先生は笑顔で当時を懐かしんでいるけど、相槌を打つ私は上手く笑えてるだろうか? 動揺を上手く処理出来ている自信がない。

「縄綯なな子さんは、どういった生徒さんだったんですか?」
「明るくて活発な生徒さんでしたよ。それにしても、どうして昔の生徒さんのことを?」
「ま、前にどこかで名前を見て、珍しい苗字だったので印象に残っていたんです」

 初見では読めない苗字だったから、咄嗟にそんな言い訳を口にすることが出来た。富士松先生は納得してくれた様子だけど、この話題をこれ以上掘り下げるのは難しい。ましてや亡くなったなんてデリケートな話題を切り出すなんて出来そうにない。

「そういえば先生、文集に収録する作品についてなんですけど」

 今は文芸部の活動に集中しよう。せっかく富士松先生と一対一なのだから、この機会に色々と相談してみることにした。



 私と鳴子くんが知り合ったのは中学一年生の頃。クラスは別々だっただけど、お互いに図書委員会に所属したのがきっかけだった。

「石神もその本好きなの?」

 一緒に昼休みに図書室の受付をしていた時のこと。初めて鳴子くんが、図書委員会の仕事以外の話題を振ってくれた。当時私が読んでいたのは、中高生向けのミステリー小説だった。

「うん。昔からミステリーものが好きで」
「奇遇だね。俺も昔からミステリーが好きでさ。そのシリーズも全部読んでるよ」

 友達はそれなりにいたけど、本好きの友達はいなくて、周りには本について語れる環境はなかった。中学で図書委員会に入ったのは、本好きが集まる場所だからという期待も大きかった。だからこそ、鳴子くんが私と同じでミステリーを愛読していることが凄く嬉しかった。

「今度石神のお勧めを教えてよ。人から勧められた本を読むのっていつもと違って新鮮じゃん」
「その時は鳴子くんのお勧めも教えて、私も読んでみたいから」

 同じミステリー好き同士。一度きっかけが出来れば、打ち解け合うまでにそれ程時間はかからなかった。図書委員会での活動はもちろん、連絡先を交換して、学校以外でもやり取りをする機会が増えた。お勧めや感想を言い合うだけでじゃなくて、時にはお互いに本格ミステリー小説を途中まで読み合い、トリックや犯人を考察するという、二人だけのミステリー研究会を開くこともあった。お互いにそれぞれの交友関係があったし、プライベートで遊んだりすることはなかったけど、お互いに読書を通して、確かな絆を感じていたと思う。そうして中学三年間を同じ図書委員会で過ごした。

 高校入学後は一緒に過ごす機会は減ったけど、それでも同じ中学の出身だったし、お互いに読書趣味も続いていたので、定期的に連絡のやり取りはしていた。私はそれで満足していたけど、文化祭の時期に思わぬ出来事が起きた。準備期間に急接近した絵麻と鳴子くんが付き合うことになったのだ。アプローチをかけたのは絵麻の方からだった。絵麻から最初にそのことを打ち明けられた時の感情は、今でも鮮明に覚えている。

 ――鳴子くんと最初に出会ったのは、私の方だったのに。

 笑顔で絵麻を祝福する私の中身は真っ黒だった。同時にその時初めて私は鳴子くんに対する感情を自覚した。私が鳴子くんに抱いていた感情はとっくに、友情の域を越えていたのだ。絵麻の存在が私と鳴子くんを繋ぎ、以前よりも鳴子くんと直接会話をする機会が増えた。なんて皮肉なことだろう。

『あなたもあの子が憎いんでしょう?』

 突然、私の思考に割り込むように、嘲笑するような甲高い笑い声が聞こえてきた。

「誰?」

 私が疑問を投げかけると同時に、突然目の前に、顔が真っ黒に塗り潰されたブレザー姿の少女が現れた。ブレザーは私の通っている高校と同じデザインをしている。

『私は、縄綯なな子』

 嬉しそうに声を弾ませると、縄綯なな子が私の右頬に手を伸ばしてきた。

 そこで私の意識は覚醒した。どうやら自室の机でスマホを操作をしている最中に寝落ちしてしまったようだ。時間を確認してみると深夜零時を回ったところ。三十分ぐらい眠っていたらしい。暖房の温かみとは別に、背中に変な汗をかいている。せっかくお風呂にも入ってきたのにな。

「気味の悪い夢」

 鳴子くんとの出会いを思い返す序盤だけならば良かったけど、途中からは鳴子くんと絵麻の関係に対する複雑な感情を思い出し、そこに縄綯なな子まで登場するなんて混沌を極めている。私にとってあれは、間違いなく悪夢だった。まるで縄綯なな子の恐怖が絵麻を通して私にまで浸透してきているかのようだ。

 変な夢を見てしまった理由は分かっている。直前までスマホで、絵麻のSNSの過去の投稿を調べていた影響だろう。
 私自身が普段SNSをやらないものだから、絵麻の証言を元に、絵麻の立場になって今回の出来事と向き合っていたけど、客観的に絵麻のSNSを調べていくと、思わぬ事実が分かってきた。縄綯なな子は絵麻の投稿の全てに反応しているわけではない。例えば一昨日にドラマの感想を投稿した時などは、縄綯なな子は無反応だ。最初は単にタイミングが合わなかっただけかもと思ったけど、過去の投稿を遡り、縄綯なな子が反応する投稿とそうでない投稿とを仕分けていくと、一つのパターンが見えてきた。

 直近の絵麻の投稿は『もうすぐ冬休み! 今年は彼氏と初詣にいくぞー』という文章に、デート服の写真が添えられているが、よく見ると写真の端には、ハンガーに掛けられた制服が少し見切れている。よくあるブレザータイプの制服ではあるが、見る人が見ればどこの学校の物か分かるかもしれない。それに対して縄綯なな子は『あなたのそういうところが嫌いです』とコメントしている。

 それ以外だと、デート服を買った当日に写真を投稿した時には、お買い得だったことを証明するためにレシートも一緒に写っている。幸い店舗名までは写っていないが、絵麻がしっかりと自分で隠したというよりも、偶然映らなかったといった方が正確だ。それに対して縄綯なな子は『自己顕示欲』と反応している。

 さらに遡ると、恋人である鳴子くんとの惚気話が投稿されていて、流石に実名は伏せているものの、鳴子くんの特徴をよく捉えた表現と共に、自慢の彼氏をひけらかすような高慢さが見え隠れしている。それに対して縄綯なな子は「承認欲求」と一刀両断している。

 私が見出した一つのパターン。絵麻の投稿の中でも、個人情報の漏洩に繋がりかねない内容の時にだけ縄綯なな子は姿を現す。彼女が初登場した投稿まで遡ってみたけど、私のこの仮説とは矛盾しない。それに気づいたことで、私の中で縄綯なな子に対する認識が少しずつ変わってきた。

 縄綯なな子の存在は不気味だし、鋭利な言葉の数々はアンチとみなされても仕方がないだろう。一方で言葉足らずなことを除けば、それはネットリテラシーに欠ける絵麻に対する忠告のようにも見えてくる。縄綯の目的は本当に、絵麻に対する嫌がらせなのだろうか? 

 友達が困っている時に不謹慎かもしれないけど、ミステリー好きとして、縄綯なな子の秘密を解き明かしたいという感情が芽生えつつあった。二学期はあと、今日と明日の二日間だけ。モヤモヤした気持ちのまま冬休みには入るのは嫌だから、何とか二日間でこの問題を解決出来たらいいな
 翌日の昼休み。私と絵麻と鳴子くんの三人は、再び校舎裏のベンチに集まっていた。十二月なので屋外は冷えるけど、人目を選ぶ話題なので仕方がない。

「縄綯なな子についてあれからも色々と調べてみたけど、新たな事実が判明したよ。どうやら縄綯なな子には、二歳年上の姉がいたらしい」

 鳴子くんの報告に私は衝撃を受けた。縄綯なな子に姉がいるのなら、縄綯なな子を騙る最有力候補に違いない。年齢的にSNSの扱いにも慣れたものだろう。

「確か、縄綯なな子は十年前に十七歳で亡くなったんだよね。その二歳上ってことは、今は二十九歳ぐらいか……うーん。私の周りにそんな人いないしな」

 情報を咀嚼(そしゃく)した絵麻は、しっくりこない様子で首を傾げた。一連の出来事は身近な人間の仕業である可能性が高いが、縄綯なな子の姉の世代との間には接点が見当たらないのだろう。絵麻は一人っ子だし、兄弟の関係者という線も薄い。
 だけど、絵麻は重要な人物を一人見落としている。私は、縄綯なな子の姉の年齢を知った瞬間、真っ先にあの人のことを思い浮かべてしまった。鳴子くんに目配せすると、何か思い悩むような渋面を浮かべている。この表情には見覚えがある。中学時代に一緒にミステリー小説を考察している頃の、自分の中で推理を組み立てながらも、それを口にしていいかを悩んでいる。そんな時の表情。鳴子くんもきっと、私と同じ疑念を抱いているんだ。

「私たちの身近に一人だけ、年齢と性別が一致する人がいるよね」
「沙耶。それって誰なの?」
「亜里砂先生。この学校の卒業生でもあるし」

 この可能性を口に出来たのは、私の中で縄綯なな子に対する認識に変化が生まれたからだと思う。絵麻に対する危険なアンチだと思ったままなら、流石に担任の先生の名前を出すことは私だって躊躇(ちゅうちょ)したはずだ。

「……た、確かに亜里砂先生なら年齢も性別も一致するけど、先生の苗字は八尾だよ? 縄綯じゃない」

 絵麻は目に見えて動揺していた。確かに絵麻の視点からは、あの優しく陽気な亜里砂先生と縄綯なな子の存在は、似ても似つかないだろう。

「亜里砂先生は既婚者だよ。八尾はたぶん旦那さんの姓。旧姓が縄綯だった可能性は十分に考えられる」

 亜里沙先生は私達が入学した年にはすでにこの学校に勤務していたけど、当時から八尾姓だったし、結婚指輪もはめていた。私たちは旧姓の頃の亜里砂先生を知らない。

「どうして亜里砂先生が私にこんなことを?」
「……私には分からないよ。まだ仮定に過ぎないし」

 全ては私の想像でしかない。それに亜里砂先生の仕業とするこの推理にはいくつか穴がある。それを埋めるだけの材料を私は持っていない。悪戯に先生の名前だけを出してしまったことに罪悪感を覚える。変な空気になってしまい、私と絵麻は無言になってしまった。

「放課後。八尾先生に直接聞いてみよう」

 静寂を裂いたのは、鳴子くんの大胆な提案だった。

「だけど鳴子くん。流石にそれは」
「俺だって何もいきなり核心を突こうだなんて思ってない。だけど話の中で先生の旧姓が分かれば、一つの判断材料になるだろう」

 確かに鳴子くんの言う通りだ。例えその場で問題が解決しなくとも、情報を得ることには大きな意味がある。先生が退職するまでの時間は残り少ないし、迷っている時間はない。

「分かった。放課後に亜里砂先生と話してみよう。約束は私が取り付けておく」

 私が覚悟を決めると、最初に提案した鳴子くんはもちろん、絵麻も渋々ながら頷いた。放課後が一つの勝負所になるかもしれない。


「あら石神さん。丁度良かったわ」

 プランが決まり、三人で教室へと戻っている途中。私は廊下で文芸部顧問の富士松先生に呼び止められた。

「先に戻ってて」

 二人を先に行かせて、私は富士松先生に合流した。

「お友達と一緒のところごめんなさいね。昨日お話しのあった十年前の女子生徒について私、勘違いをしていたみたいで」
「勘違い。縄綯なな子さんについてですか?」

 縄綯なな子が十年前にこの学校に在籍していることは昨日聞いたけど、彼女がすでに亡くなっていたことを思い出したとか、そういう話だろうか?

「実はね――」

 富士松先生のお話に、私は衝撃を受けた。


「先生。お忙しい中お時間を取ってくださり、ありがとうございます」
「こちらこそ、遅れちゃってごめんね。石神さん」

 放課後。私と絵麻、鳴子くんの三人は進路相談室で亜里砂先生と対面していた。大事な話があると私が相談したら、ゆっくりとお話しが出来るようにと態々、進路相談室を用意してくれた。人目を避けたのは教師として私達を(おもんばか)ってくれたのか。それともその方が自分にとって都合が良いのか。柔和な笑みからは真意を読み解くことは難しい。

「亜里砂先生。唐突ですが、先生の旧姓を教えていただけませんか? 八尾は結婚後の姓ですよね」
「大事な相談というから身構えてみたら、そんな話?」
「私達にとっては大事なことなんです」

 亜里沙先生の表情から笑みが消えた。生徒を注意する時でさえ、こんなにも冷淡な表情を見せたことはないと思う。

「私の旧姓は縄綯。結婚前の名前は縄綯亜里砂よ」

 背中に感じる絵麻の息遣いが少し荒くなった。直前までやはり、亜里沙先生を疑いきれていなかったのだろう。

「どうして妹の縄綯なな子の名前を騙って、絵麻のSNSやメッセージアプリで脅かすような真似をしたんですか?」
「ちょっと鳴子くん」

 私たちの中で亜里砂先生の関与は確定的だけど、だからといって鳴子くんの攻め方は流石に性急だ。例え亜里砂先生が旧姓が縄綯だと告白したとしても、それは縄綯なな子を騙っていた証拠にはならない。

「ええ。縄綯なな子の正体は私よ」

 いくらでも釈明出来ただろうに、亜里沙先生はあっさりと自分が縄綯なな子を騙っていたことを認めた。

「どうして、どうして亜里砂先生が私に嫌がらせを? 私何か先生に嫌われるようなことをしちゃったの?」

 絵麻が一歩前へと踏み出し、感情的に声を震わせている。自分に非があった可能性を真っ先に口にするあたり、絵麻も亜里砂先生が、何の理由もなくこんな真似をするような人ではないことを理解しているようだ。涙を堪えながら真っ直ぐと見据えてくる絵麻に対して罪悪感を覚えているのか、亜里沙先生も言葉に詰まって俯いてしまっている。

「先生が縄綯なな子を騙って絵麻にメッセージを送っていたのは、絵麻を心配したからこそですよね? 縄綯なな子から反応のあった絵麻の投稿は全て、ネットリテラシーに欠ける内容でした」

 この空気感には私自身が耐えられそうにない。思い切って一石を投じることにした。

「沙耶。どういうこと?」
「お説教は後にするけど、絵麻の投稿って時々、個人情報を特定されそうな危ない内容が含まれていることに気付いたの。縄綯なな子が反応を残しているのは全部そういった投稿。あれは脅かしじゃなくて、注意喚起だったんだよ。そうですよね? 亜里沙先生」
「まるで名探偵ね、石神さん」

 そう言って亜里沙先生は儚げに微笑んだ。椅子に座ると、私達にも着席を促す。それこそ進路指導ように、腰を据えてじっくりと話すことになりそうだ。

「概ね石神さんの推理通りよ。昨今は何かとトラブルも多いから、担任として自主的に生徒のSNSをパトロールしていたんだけど、朝比奈さんの投稿はあまりにも危なっかしくて」
「だったらどうして、私に直接注意するんじゃなくて、あんな真似を?」

 絵麻の疑問はもっともだ。危険性を知らせるにしても、あのやり方は正直回りくどい。

「最後の授業だと思ってはっきりと言うわ。朝比奈さんは人の注意をテキトウに聞き流すところがあるでしょう。担任である私や周りの人間が注意したところで、朝比奈さんの感覚を上書き出来るとは思えなかった。実際に得体の知れない相手からSNS上で接触される。そんな恐怖体験が必要だと考えたのよ」

 自覚する部分も大いにあったのだろう。絵麻は驚愕に目を見開きながらも、反論出来ずに小さくなっている。確かに亜里砂先生の言う通り、絵麻は注意されたからといって、即座に行動を改めるタイプではない。長い付き合いの私が納得してしまうのが一つの答えだろう。
 意外だったのが絵麻の隣に座る鳴子くんの反応だ。痛いところを突かれた絵麻はともかく、恋人のトラブルに奔走していた割には、鳴子くんは決して感情的にはならず、落ち着き払った様子で状況を静観している。

「どうして、縄綯なな子さんの名前を騙ったんですか?」

 動揺する絵麻と沈黙する鳴子くんに代わり、私が質問した。絵麻にSNS上で接触するにしても、その名前が縄綯なな子である必要なんてない。

「SNSに潜む危険性を伝えるためには、私にとってこの名前は避けては通れないものだった……妹のなな子はね、SNSの使い方を誤ってしまったから」
「何があったんですか?」
「朝比奈さんの行動の先にあったかもしれない未来よ。なな子はSNSで不用意に個人情報を晒してしまった結果、ストーカー被害に悩まされることになってしまった。こうして私に辿り着いたということは、なな子についてはある程度調べているのよね……結末は皆も知っての通りよ」

 隣の絵麻の息遣いが、動揺から恐怖へと変わっていくのを感じた。自分に起こり得たかもしれない未来として、絵麻は初めて、SNS上で自分が犯していた危険性をリアルに想像出来たのかもしれない。

「……なな子の悲劇を朝比奈さんに繰り返してほしくなかった。縄綯なな子という名前そのものが、SNSとの付き合い方を考えるきっかけになってくれればと思って妹にも力を貸してもらった。私にはもう教師としての時間が残されていなかったから、こんな荒療治しか思いつかなくて……朝比奈さんを怖がらせてしまったことは、本当に申し訳ないと思っているわ」
「だけど、亜里砂先生。だったら絵麻の――」
「絵麻。八尾先生に悪意はなくて、君を思っての行動だったことは伝わったよね?」

 私の抱いた疑問は、絵麻の手を握って優しく彼女に語り掛ける鳴子くんの言葉に遮られた。

「……うん。先生の妹さんのお話を聞いて、自分がどれだけ軽率な行動をしていたのか、とても怖くなった。先生が犯人だと知って最初はムカついていたけど、今は違う。私のために動いてくれた先生の気持ち、ちゃんと伝わったよ」

 絵麻は真摯な態度で亜里砂先生と向き合っている。やはり亜里砂先生は優しい先生だった。退職間際に、汚れ役に徹して過ちに気付かせてくれた。そのことに絵麻は心を打たれたようだった。先生の行動は、身近な人の注意よりも、得体の知れない存在に対する恐怖よりも、絵麻のSNSへの向き合い方に一石を投じたのだ。

「本当に投稿しても大丈夫な内容か、これからはちゃんと気を付けながら、SNSと付き合っていくよ」
「私の思いが朝比奈さんに届いて本当に良かったわ。これで思い残すことなくこの学校を去れる。怖がらせてしまって本当にごめんね」
「円満に解決して良かった。これにて一件落着だね」

 絵麻と亜里砂先生は和解して握手を交わす様子を、鳴子くんが笑顔で見守っている。内々に当事者間で決着がついたことで、これ以上この問題が大きくなることはない。縄綯なな子が絵麻の周辺に現れることももうないのだろう。絵麻は自分を省みるきっかけになり、鳴子くんは恋人のための奔走した結果が身を結び、亜里沙先生は憂いなく学校を去ることが出来る。
 誰もが笑顔を浮かべる中、私は水を差さないように作り笑いするので精一杯だった。結果は間違いなくハッピーエンドだけど、正直私はこの空気感が気持ち悪くて仕方がない。私の中で一連の出来事はまだ終わってはいない。
「石神が俺を呼び出すなんて珍しいね」
「態々遠くまでごめんね」

 終業式を終えた後。私は隣町のファミレスで鳴子くんと会っていた。鳴子くんは絵麻の恋人だから、人目に配慮して遠くの店舗を選んだ。絵麻が終業式後に家族との用事が入っているのは確認済み。勘繰(かんぐ)られる心配はない。

「とりあえず何か頼もうか」

 お互いにドリンクバーと、私はパンケーキ、鳴子くんはドリアをそれぞれ注文。一先ずは二学期のお疲れ様でした会ということで、オレンジジュースとコーヒーで乾杯した。

「それで、俺を呼び出した理由は? 念のため聞くけど、告白とかじゃないよね」
「まさか。友達の彼氏を狙いにいくような、ドラマチックな青春は私向きじゃない」

 コーヒーを飲んで一呼吸置く。こうして呼び出しに応じた時点で、鳴子くんもきっと理由に察しはついているはずだ。

「私達の流儀に(のっと)って、あえてミステリーっぽい表現を使わせてもらうおうかな。一連の事件の黒幕は、亜里沙先生じゃなくて鳴子くんだよね?」

 オレンジジュースをストローで(すす)ると、鳴子くんは中学時代に一緒にミステリーを考察していた時のように表情を引き締めた。

「石神の推理を聞かせてもらってもいいかな?」

 一切否定はせずに、鳴子くんは私に続きを促した。

「全ては鳴子くんが書いたシナリオで、亜里沙先生は単なる協力者に過ぎない。だって亜里砂先生の妹であるはずの縄綯なな子なんて名前の人物は、そもそも存在しないもの」
「どこでその事実を?」
「富士松先生。うちの高校で一番のベテランだから」
「そういえば、富士松先生は文芸部の顧問だったか。すっかり失念していたよ」
「直ぐに富士松先生から証言を得られたわけじゃないんだよ。富士松先生に縄綯なな子について尋ねたら、十年前にそういう名前の生徒がいたって言うものだから、私も最初はずっと縄綯なな子が実在する線で推理してた」
「どういうことだい?」

 鳴子くんが首を傾げるのも当然だ。存在しないはずの縄綯なな子が、自分のあずかり知らぬ所で存在することになっていたのだから。

「疑問が解消されたのは、昨日の昼休みに富士松先生に呼ばれた時。先生、前の日のナワナイナナコの話は勘違いだったって、態々報告してくれてね。十年前当時、和内(わない)歌奈子(かなこ)さんっていう、名前の響きが似た女子生徒がいて、その人と間違えていたみたい。面白い偶然だよね」

 だけど、あのタイミングでその情報を知れたからこそ、色々な点と線が繋がったような気もする。結果オーライというやつだ。

「その時点で放課後に亜里砂先生に仕掛けることは決まってたから、情報収集のつもりで富士松先生に、学生時代の亜里砂先生についても聞いてみたら、亜里沙先生は一人っ子だってことも教えてくれたよ。この時点で、亜里沙先生と縄綯なな子が姉妹であるという線は消えた。同時に縄綯なな子が存在しないとなれば、彼女の素性を調べ、実在する人物だと私達に印象付けた鳴子くんが一気に怪しく見えてくる」

「それを承知の上で、放課後にあの立ち回りを? 石神は役者だね」

「周囲を観察して情報を得るには、何も知らないふりをしているのが一番だもの。そしたら鳴子くん、私が徐々に亜里砂先生を詰めていこうとしているところを、いきなり縄綯なな子と先生の関係性を突きつけてみせるし、かと思えば先生に(いきどお)るでもなく落ち着き払っていて、最後は円満にまとめ上げる方向に話を持っていった。私の目には怪しさ満々に映っていたよ」

「石神とは対照的に、俺は大根役者だったわけだ。お恥ずかしい限りだね。だけどそれだけなら、八尾先生が主犯でもストーリーは成り立つんじゃないかな?」

「富士松先生の証言を得る前から、私は全てを亜里砂先生の仕業と考えるのは難しいと思ってたよ。ネット上で不特定多数が触れる可能性のあるSNSの投稿はともかく、個人の連絡先にまで縄綯なな子はメッセージを送ってきている。昨今のコンプライアンス的に、教師が自宅以外の、生徒個人の連絡先まで把握しているのは不自然だもの。それよりはやっぱり、プライベートな連絡先まで把握している親しい人間が関与している方がしっくりくる。私の中でその条件に最も当てはまるのは鳴子くんだった。態々SNSとメッセージアプリで担当を分けていたとも思えないし、縄綯なな子としての行動は全て、鳴子くんの仕業だったんじゃない? 学期末かつ退職を控えた先生に、絵麻の投稿を全て精査する余裕があったとは思えないしね。特にこの日なんかは」

 私はスマホの画面に、絵麻が恋人の鳴子くんについて投稿した時のSNSを表示した。投稿から間もなく、縄綯なな子から反応が届いている。その時間は午後五時三十二分。投稿を精査していたのは、まだ亜里砂先生の関与が疑われる前だったから、時間については深く考えていなかったけど、様々な事実が見えて来た今なら、時間の持つ意味も大きく変わってくる。

「この日この時間は、学校で職員会議が行われていた。流石にそのタイミングで亜里砂先生がSNSに反応することは難しい。だからきっと、亜里沙先生は犯人役として名前を貸しただけ」
「演出を優先して、直ぐに反応したのが裏目に出たね。絵麻一人なら騙すのは簡単だったけど、石神の目は欺けなかったか。絵麻には周りに心配かけないように二人だけで解決しようって言っておいたんだけど、石神に隠し事は出来なかったみたいだね」

 そう言って、鳴子くんは申し訳なさそうに目を伏せた。

「どうして俺がこんな手の込んだ真似をしたと思う?」
「昨日、亜里砂先生が言っていた台詞が概ね、鳴子くんの本音なんじゃない? 絵麻は人の注意をテキトウにやり過ごそうとするところがある。一番身近な存在である鳴子くんなら尚更かもね。だからネットリテラシー改めさせるために一芝居打ったんでしょう? 担任教師に過去の話までされたら、流石に絵麻の心にも刺さる」

「正解。恋人として、絵麻が将来的にSNSでトラブルに見舞われるような事態は防ぎたかった。そのためには強烈なストーリーが不可欠だ。当初のシナリオでは、幽霊のような存在として縄綯なな子を演出し、そこから俺が調査と称して少しずつ導線を引いていき、八尾先生に辿り着く。八尾先生の口から過去の悲劇を語ってもらい、絵麻の心を揺り動かすという流れだった。頭のキレる石神が介入したことで、話の展開が一気に進んでしまったけどね」
「結果論だけど、第三者である私が加わったことで、リアリティが増したかもね」
「一理ある。僕だけで進めていたら、ここまでドラマチックにはならなかったかもしれない」

 絵麻の身に降りかかった問題の解決に奔走する、スパダリの鳴子くんというシナリオは、シンプルで分かりやすかったかもしれないけど、物語としてはやや単調だ。第三者であった私が縄綯なな子を調べ始め、二人と情報を共有したことで、縄綯なな子という架空の人物の存在感が一層際立ち、シナリオにも深みが増した。知らず知らずのうちに私は主要キャストの仲間入りをしていたらしい。

「亜里砂先生はどうやって計画に引き込んだの? いくら退職前とはいえ、こんなリスクのある船に、普通は乗ってくれないと思うけど?」
「八尾先生の名誉のために詳細は伏せるけど、俺は先生に対する交渉のカードを持っていてね。快く計画に協力してもらえたよ。話は内々で解決して先生に迷惑はかからなかったし、めでたしめでたしさ」

 淡々と語っているけど、名誉に関わるということは、弱みに付け込んで協力してもらったということだ。絵麻を思う愛の力で、教師をも手玉に取ってみせる。怖さを感じると同時に、絵麻に対する鳴子くんの愛の深さを見せつけられているようで胸がチクチクする。

「こんな大それたシナリオまで用意して、鳴子くんは本当に絵麻のことが大好きなんだね」
「大好きだよ。絵麻ためなら俺は何だってする」

 清々しいまでの即答。鳴子くんに愛されて、絵麻は幸せ者だな。

「石神。俺と絵麻のためにも、真実は君の胸にしまっておいてもらえるかな?」
「言われなくとも、絵麻には秘密にしておくよ。絵麻の成長を促すためにもその方が都合が良いだろうし」
「ありがとう石神」

 その笑顔は今日始めて、絵麻ではなく私に対して向けられたものだったと思う。私は絵麻には絶対に敵わない。だけど今は、絵麻も知らない秘密を鳴子くんと共有している。その事実だけで私の心は満たされている。

「パンケーキとドリアになります」

 私達のやり取りが一段落したところで、注文していた料理がテーブルに届いた。猫舌なのか、鳴子くんは何度もふーふーしながらドリアを食べていて何だか可愛らしい。私は蜜をたっぷりとかけたパンケーキを口いっぱいに頬張った。なんて甘美な至福な一時だろうか。

「俺はこのまま帰るけど、石神は?」
「せっかくだから、買い物してから帰るよ」
「それじゃあお先に。雪も降ってきたし、石神も気をつけてね」

 私と鳴子くんはファミレス前で別れた。
 明日からは冬休みが始まり、新学期が始まれば亜里砂先生ももう学校にはいない。降り積もる雪が大地を覆い隠すように、縄綯なな子に関する一連の出来事も、徐々に新しい記憶に上書きされていくのだろう。そうして今の亜里砂先生ぐらいの年齢になった頃に、ふとこのことを思い出したりするのかな? ちょっと変わった青春だけど、ミステリー好きとしてはこういうのも悪くない。

「虚構の存在。縄綯なな子か」

 歩きながら、ふと縄綯なな子について考える。彼女が存在しない人物である以上、その名前を創造したのは鳴子くんだろう。あの名前には遊び心が隠されていた。()()と読めば、縄綯なな子は「ナワナイナナシ」と読むことが出来るのだ。その響きを声に出すと。

「名は無い名無し。か」

 存在しない者としてはこれ以上ない名前だ。縄綯なな子なんてやっぱり、最初からどこにも存在しなかった。意図していたのか、それとも完全に無意識だったのか。いずれにせよこんな名前を思いつくあたり、鳴子くんは今でもミステリーが好きなんだなと再確認することが出来た。

「文集はやっぱりミステリーでいこう」

 今回のことが刺激になって、これまで以上に執筆活動に励むことが出来そうだ。冬休みは頑張って一作書き上げるぞ。



 了

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