翌日の昼休み。私と絵麻と鳴子くんの三人は、再び校舎裏のベンチに集まっていた。十二月なので屋外は冷えるけど、人目を選ぶ話題なので仕方がない。
「縄綯なな子についてあれからも色々と調べてみたけど、新たな事実が判明したよ。どうやら縄綯なな子には、二歳年上の姉がいたらしい」
鳴子くんの報告に私は衝撃を受けた。縄綯なな子に姉がいるのなら、縄綯なな子を騙る最有力候補に違いない。年齢的にSNSの扱いにも慣れたものだろう。
「確か、縄綯なな子は十年前に十七歳で亡くなったんだよね。その二歳上ってことは、今は二十九歳ぐらいか……うーん。私の周りにそんな人いないしな」
情報を咀嚼した絵麻は、しっくりこない様子で首を傾げた。一連の出来事は身近な人間の仕業である可能性が高いが、縄綯なな子の姉の世代との間には接点が見当たらないのだろう。絵麻は一人っ子だし、兄弟の関係者という線も薄い。
だけど、絵麻は重要な人物を一人見落としている。私は、縄綯なな子の姉の年齢を知った瞬間、真っ先にあの人のことを思い浮かべてしまった。鳴子くんに目配せすると、何か思い悩むような渋面を浮かべている。この表情には見覚えがある。中学時代に一緒にミステリー小説を考察している頃の、自分の中で推理を組み立てながらも、それを口にしていいかを悩んでいる。そんな時の表情。鳴子くんもきっと、私と同じ疑念を抱いているんだ。
「私たちの身近に一人だけ、年齢と性別が一致する人がいるよね」
「沙耶。それって誰なの?」
「亜里砂先生。この学校の卒業生でもあるし」
この可能性を口に出来たのは、私の中で縄綯なな子に対する認識に変化が生まれたからだと思う。絵麻に対する危険なアンチだと思ったままなら、流石に担任の先生の名前を出すことは私だって躊躇したはずだ。
「……た、確かに亜里砂先生なら年齢も性別も一致するけど、先生の苗字は八尾だよ? 縄綯じゃない」
絵麻は目に見えて動揺していた。確かに絵麻の視点からは、あの優しく陽気な亜里砂先生と縄綯なな子の存在は、似ても似つかないだろう。
「亜里砂先生は既婚者だよ。八尾はたぶん旦那さんの姓。旧姓が縄綯だった可能性は十分に考えられる」
亜里沙先生は私達が入学した年にはすでにこの学校に勤務していたけど、当時から八尾姓だったし、結婚指輪もはめていた。私たちは旧姓の頃の亜里砂先生を知らない。
「どうして亜里砂先生が私にこんなことを?」
「……私には分からないよ。まだ仮定に過ぎないし」
全ては私の想像でしかない。それに亜里砂先生の仕業とするこの推理にはいくつか穴がある。それを埋めるだけの材料を私は持っていない。悪戯に先生の名前だけを出してしまったことに罪悪感を覚える。変な空気になってしまい、私と絵麻は無言になってしまった。
「放課後。八尾先生に直接聞いてみよう」
静寂を裂いたのは、鳴子くんの大胆な提案だった。
「だけど鳴子くん。流石にそれは」
「俺だって何もいきなり核心を突こうだなんて思ってない。だけど話の中で先生の旧姓が分かれば、一つの判断材料になるだろう」
確かに鳴子くんの言う通りだ。例えその場で問題が解決しなくとも、情報を得ることには大きな意味がある。先生が退職するまでの時間は残り少ないし、迷っている時間はない。
「分かった。放課後に亜里砂先生と話してみよう。約束は私が取り付けておく」
私が覚悟を決めると、最初に提案した鳴子くんはもちろん、絵麻も渋々ながら頷いた。放課後が一つの勝負所になるかもしれない。
「あら石神さん。丁度良かったわ」
プランが決まり、三人で教室へと戻っている途中。私は廊下で文芸部顧問の富士松先生に呼び止められた。
「先に戻ってて」
二人を先に行かせて、私は富士松先生に合流した。
「お友達と一緒のところごめんなさいね。昨日お話しのあった十年前の女子生徒について私、勘違いをしていたみたいで」
「勘違い。縄綯なな子さんについてですか?」
縄綯なな子が十年前にこの学校に在籍していることは昨日聞いたけど、彼女がすでに亡くなっていたことを思い出したとか、そういう話だろうか?
「実はね――」
富士松先生のお話に、私は衝撃を受けた。
「先生。お忙しい中お時間を取ってくださり、ありがとうございます」
「こちらこそ、遅れちゃってごめんね。石神さん」
放課後。私と絵麻、鳴子くんの三人は進路相談室で亜里砂先生と対面していた。大事な話があると私が相談したら、ゆっくりとお話しが出来るようにと態々、進路相談室を用意してくれた。人目を避けたのは教師として私達を慮ってくれたのか。それともその方が自分にとって都合が良いのか。柔和な笑みからは真意を読み解くことは難しい。
「亜里砂先生。唐突ですが、先生の旧姓を教えていただけませんか? 八尾は結婚後の姓ですよね」
「大事な相談というから身構えてみたら、そんな話?」
「私達にとっては大事なことなんです」
亜里沙先生の表情から笑みが消えた。生徒を注意する時でさえ、こんなにも冷淡な表情を見せたことはないと思う。
「私の旧姓は縄綯。結婚前の名前は縄綯亜里砂よ」
背中に感じる絵麻の息遣いが少し荒くなった。直前までやはり、亜里沙先生を疑いきれていなかったのだろう。
「どうして妹の縄綯なな子の名前を騙って、絵麻のSNSやメッセージアプリで脅かすような真似をしたんですか?」
「ちょっと鳴子くん」
私たちの中で亜里砂先生の関与は確定的だけど、だからといって鳴子くんの攻め方は流石に性急だ。例え亜里砂先生が旧姓が縄綯だと告白したとしても、それは縄綯なな子を騙っていた証拠にはならない。
「ええ。縄綯なな子の正体は私よ」
いくらでも釈明出来ただろうに、亜里沙先生はあっさりと自分が縄綯なな子を騙っていたことを認めた。
「どうして、どうして亜里砂先生が私に嫌がらせを? 私何か先生に嫌われるようなことをしちゃったの?」
絵麻が一歩前へと踏み出し、感情的に声を震わせている。自分に非があった可能性を真っ先に口にするあたり、絵麻も亜里砂先生が、何の理由もなくこんな真似をするような人ではないことを理解しているようだ。涙を堪えながら真っ直ぐと見据えてくる絵麻に対して罪悪感を覚えているのか、亜里沙先生も言葉に詰まって俯いてしまっている。
「先生が縄綯なな子を騙って絵麻にメッセージを送っていたのは、絵麻を心配したからこそですよね? 縄綯なな子から反応のあった絵麻の投稿は全て、ネットリテラシーに欠ける内容でした」
この空気感には私自身が耐えられそうにない。思い切って一石を投じることにした。
「沙耶。どういうこと?」
「お説教は後にするけど、絵麻の投稿って時々、個人情報を特定されそうな危ない内容が含まれていることに気付いたの。縄綯なな子が反応を残しているのは全部そういった投稿。あれは脅かしじゃなくて、注意喚起だったんだよ。そうですよね? 亜里沙先生」
「まるで名探偵ね、石神さん」
そう言って亜里沙先生は儚げに微笑んだ。椅子に座ると、私達にも着席を促す。それこそ進路指導ように、腰を据えてじっくりと話すことになりそうだ。
「概ね石神さんの推理通りよ。昨今は何かとトラブルも多いから、担任として自主的に生徒のSNSをパトロールしていたんだけど、朝比奈さんの投稿はあまりにも危なっかしくて」
「だったらどうして、私に直接注意するんじゃなくて、あんな真似を?」
絵麻の疑問はもっともだ。危険性を知らせるにしても、あのやり方は正直回りくどい。
「最後の授業だと思ってはっきりと言うわ。朝比奈さんは人の注意をテキトウに聞き流すところがあるでしょう。担任である私や周りの人間が注意したところで、朝比奈さんの感覚を上書き出来るとは思えなかった。実際に得体の知れない相手からSNS上で接触される。そんな恐怖体験が必要だと考えたのよ」
自覚する部分も大いにあったのだろう。絵麻は驚愕に目を見開きながらも、反論出来ずに小さくなっている。確かに亜里砂先生の言う通り、絵麻は注意されたからといって、即座に行動を改めるタイプではない。長い付き合いの私が納得してしまうのが一つの答えだろう。
意外だったのが絵麻の隣に座る鳴子くんの反応だ。痛いところを突かれた絵麻はともかく、恋人のトラブルに奔走していた割には、鳴子くんは決して感情的にはならず、落ち着き払った様子で状況を静観している。
「どうして、縄綯なな子さんの名前を騙ったんですか?」
動揺する絵麻と沈黙する鳴子くんに代わり、私が質問した。絵麻にSNS上で接触するにしても、その名前が縄綯なな子である必要なんてない。
「SNSに潜む危険性を伝えるためには、私にとってこの名前は避けては通れないものだった……妹のなな子はね、SNSの使い方を誤ってしまったから」
「何があったんですか?」
「朝比奈さんの行動の先にあったかもしれない未来よ。なな子はSNSで不用意に個人情報を晒してしまった結果、ストーカー被害に悩まされることになってしまった。こうして私に辿り着いたということは、なな子についてはある程度調べているのよね……結末は皆も知っての通りよ」
隣の絵麻の息遣いが、動揺から恐怖へと変わっていくのを感じた。自分に起こり得たかもしれない未来として、絵麻は初めて、SNS上で自分が犯していた危険性をリアルに想像出来たのかもしれない。
「……なな子の悲劇を朝比奈さんに繰り返してほしくなかった。縄綯なな子という名前そのものが、SNSとの付き合い方を考えるきっかけになってくれればと思って妹にも力を貸してもらった。私にはもう教師としての時間が残されていなかったから、こんな荒療治しか思いつかなくて……朝比奈さんを怖がらせてしまったことは、本当に申し訳ないと思っているわ」
「だけど、亜里砂先生。だったら絵麻の――」
「絵麻。八尾先生に悪意はなくて、君を思っての行動だったことは伝わったよね?」
私の抱いた疑問は、絵麻の手を握って優しく彼女に語り掛ける鳴子くんの言葉に遮られた。
「……うん。先生の妹さんのお話を聞いて、自分がどれだけ軽率な行動をしていたのか、とても怖くなった。先生が犯人だと知って最初はムカついていたけど、今は違う。私のために動いてくれた先生の気持ち、ちゃんと伝わったよ」
絵麻は真摯な態度で亜里砂先生と向き合っている。やはり亜里砂先生は優しい先生だった。退職間際に、汚れ役に徹して過ちに気付かせてくれた。そのことに絵麻は心を打たれたようだった。先生の行動は、身近な人の注意よりも、得体の知れない存在に対する恐怖よりも、絵麻のSNSへの向き合い方に一石を投じたのだ。
「本当に投稿しても大丈夫な内容か、これからはちゃんと気を付けながら、SNSと付き合っていくよ」
「私の思いが朝比奈さんに届いて本当に良かったわ。これで思い残すことなくこの学校を去れる。怖がらせてしまって本当にごめんね」
「円満に解決して良かった。これにて一件落着だね」
絵麻と亜里砂先生は和解して握手を交わす様子を、鳴子くんが笑顔で見守っている。内々に当事者間で決着がついたことで、これ以上この問題が大きくなることはない。縄綯なな子が絵麻の周辺に現れることももうないのだろう。絵麻は自分を省みるきっかけになり、鳴子くんは恋人のための奔走した結果が身を結び、亜里沙先生は憂いなく学校を去ることが出来る。
誰もが笑顔を浮かべる中、私は水を差さないように作り笑いするので精一杯だった。結果は間違いなくハッピーエンドだけど、正直私はこの空気感が気持ち悪くて仕方がない。私の中で一連の出来事はまだ終わってはいない。
「縄綯なな子についてあれからも色々と調べてみたけど、新たな事実が判明したよ。どうやら縄綯なな子には、二歳年上の姉がいたらしい」
鳴子くんの報告に私は衝撃を受けた。縄綯なな子に姉がいるのなら、縄綯なな子を騙る最有力候補に違いない。年齢的にSNSの扱いにも慣れたものだろう。
「確か、縄綯なな子は十年前に十七歳で亡くなったんだよね。その二歳上ってことは、今は二十九歳ぐらいか……うーん。私の周りにそんな人いないしな」
情報を咀嚼した絵麻は、しっくりこない様子で首を傾げた。一連の出来事は身近な人間の仕業である可能性が高いが、縄綯なな子の姉の世代との間には接点が見当たらないのだろう。絵麻は一人っ子だし、兄弟の関係者という線も薄い。
だけど、絵麻は重要な人物を一人見落としている。私は、縄綯なな子の姉の年齢を知った瞬間、真っ先にあの人のことを思い浮かべてしまった。鳴子くんに目配せすると、何か思い悩むような渋面を浮かべている。この表情には見覚えがある。中学時代に一緒にミステリー小説を考察している頃の、自分の中で推理を組み立てながらも、それを口にしていいかを悩んでいる。そんな時の表情。鳴子くんもきっと、私と同じ疑念を抱いているんだ。
「私たちの身近に一人だけ、年齢と性別が一致する人がいるよね」
「沙耶。それって誰なの?」
「亜里砂先生。この学校の卒業生でもあるし」
この可能性を口に出来たのは、私の中で縄綯なな子に対する認識に変化が生まれたからだと思う。絵麻に対する危険なアンチだと思ったままなら、流石に担任の先生の名前を出すことは私だって躊躇したはずだ。
「……た、確かに亜里砂先生なら年齢も性別も一致するけど、先生の苗字は八尾だよ? 縄綯じゃない」
絵麻は目に見えて動揺していた。確かに絵麻の視点からは、あの優しく陽気な亜里砂先生と縄綯なな子の存在は、似ても似つかないだろう。
「亜里砂先生は既婚者だよ。八尾はたぶん旦那さんの姓。旧姓が縄綯だった可能性は十分に考えられる」
亜里沙先生は私達が入学した年にはすでにこの学校に勤務していたけど、当時から八尾姓だったし、結婚指輪もはめていた。私たちは旧姓の頃の亜里砂先生を知らない。
「どうして亜里砂先生が私にこんなことを?」
「……私には分からないよ。まだ仮定に過ぎないし」
全ては私の想像でしかない。それに亜里砂先生の仕業とするこの推理にはいくつか穴がある。それを埋めるだけの材料を私は持っていない。悪戯に先生の名前だけを出してしまったことに罪悪感を覚える。変な空気になってしまい、私と絵麻は無言になってしまった。
「放課後。八尾先生に直接聞いてみよう」
静寂を裂いたのは、鳴子くんの大胆な提案だった。
「だけど鳴子くん。流石にそれは」
「俺だって何もいきなり核心を突こうだなんて思ってない。だけど話の中で先生の旧姓が分かれば、一つの判断材料になるだろう」
確かに鳴子くんの言う通りだ。例えその場で問題が解決しなくとも、情報を得ることには大きな意味がある。先生が退職するまでの時間は残り少ないし、迷っている時間はない。
「分かった。放課後に亜里砂先生と話してみよう。約束は私が取り付けておく」
私が覚悟を決めると、最初に提案した鳴子くんはもちろん、絵麻も渋々ながら頷いた。放課後が一つの勝負所になるかもしれない。
「あら石神さん。丁度良かったわ」
プランが決まり、三人で教室へと戻っている途中。私は廊下で文芸部顧問の富士松先生に呼び止められた。
「先に戻ってて」
二人を先に行かせて、私は富士松先生に合流した。
「お友達と一緒のところごめんなさいね。昨日お話しのあった十年前の女子生徒について私、勘違いをしていたみたいで」
「勘違い。縄綯なな子さんについてですか?」
縄綯なな子が十年前にこの学校に在籍していることは昨日聞いたけど、彼女がすでに亡くなっていたことを思い出したとか、そういう話だろうか?
「実はね――」
富士松先生のお話に、私は衝撃を受けた。
「先生。お忙しい中お時間を取ってくださり、ありがとうございます」
「こちらこそ、遅れちゃってごめんね。石神さん」
放課後。私と絵麻、鳴子くんの三人は進路相談室で亜里砂先生と対面していた。大事な話があると私が相談したら、ゆっくりとお話しが出来るようにと態々、進路相談室を用意してくれた。人目を避けたのは教師として私達を慮ってくれたのか。それともその方が自分にとって都合が良いのか。柔和な笑みからは真意を読み解くことは難しい。
「亜里砂先生。唐突ですが、先生の旧姓を教えていただけませんか? 八尾は結婚後の姓ですよね」
「大事な相談というから身構えてみたら、そんな話?」
「私達にとっては大事なことなんです」
亜里沙先生の表情から笑みが消えた。生徒を注意する時でさえ、こんなにも冷淡な表情を見せたことはないと思う。
「私の旧姓は縄綯。結婚前の名前は縄綯亜里砂よ」
背中に感じる絵麻の息遣いが少し荒くなった。直前までやはり、亜里沙先生を疑いきれていなかったのだろう。
「どうして妹の縄綯なな子の名前を騙って、絵麻のSNSやメッセージアプリで脅かすような真似をしたんですか?」
「ちょっと鳴子くん」
私たちの中で亜里砂先生の関与は確定的だけど、だからといって鳴子くんの攻め方は流石に性急だ。例え亜里砂先生が旧姓が縄綯だと告白したとしても、それは縄綯なな子を騙っていた証拠にはならない。
「ええ。縄綯なな子の正体は私よ」
いくらでも釈明出来ただろうに、亜里沙先生はあっさりと自分が縄綯なな子を騙っていたことを認めた。
「どうして、どうして亜里砂先生が私に嫌がらせを? 私何か先生に嫌われるようなことをしちゃったの?」
絵麻が一歩前へと踏み出し、感情的に声を震わせている。自分に非があった可能性を真っ先に口にするあたり、絵麻も亜里砂先生が、何の理由もなくこんな真似をするような人ではないことを理解しているようだ。涙を堪えながら真っ直ぐと見据えてくる絵麻に対して罪悪感を覚えているのか、亜里沙先生も言葉に詰まって俯いてしまっている。
「先生が縄綯なな子を騙って絵麻にメッセージを送っていたのは、絵麻を心配したからこそですよね? 縄綯なな子から反応のあった絵麻の投稿は全て、ネットリテラシーに欠ける内容でした」
この空気感には私自身が耐えられそうにない。思い切って一石を投じることにした。
「沙耶。どういうこと?」
「お説教は後にするけど、絵麻の投稿って時々、個人情報を特定されそうな危ない内容が含まれていることに気付いたの。縄綯なな子が反応を残しているのは全部そういった投稿。あれは脅かしじゃなくて、注意喚起だったんだよ。そうですよね? 亜里沙先生」
「まるで名探偵ね、石神さん」
そう言って亜里沙先生は儚げに微笑んだ。椅子に座ると、私達にも着席を促す。それこそ進路指導ように、腰を据えてじっくりと話すことになりそうだ。
「概ね石神さんの推理通りよ。昨今は何かとトラブルも多いから、担任として自主的に生徒のSNSをパトロールしていたんだけど、朝比奈さんの投稿はあまりにも危なっかしくて」
「だったらどうして、私に直接注意するんじゃなくて、あんな真似を?」
絵麻の疑問はもっともだ。危険性を知らせるにしても、あのやり方は正直回りくどい。
「最後の授業だと思ってはっきりと言うわ。朝比奈さんは人の注意をテキトウに聞き流すところがあるでしょう。担任である私や周りの人間が注意したところで、朝比奈さんの感覚を上書き出来るとは思えなかった。実際に得体の知れない相手からSNS上で接触される。そんな恐怖体験が必要だと考えたのよ」
自覚する部分も大いにあったのだろう。絵麻は驚愕に目を見開きながらも、反論出来ずに小さくなっている。確かに亜里砂先生の言う通り、絵麻は注意されたからといって、即座に行動を改めるタイプではない。長い付き合いの私が納得してしまうのが一つの答えだろう。
意外だったのが絵麻の隣に座る鳴子くんの反応だ。痛いところを突かれた絵麻はともかく、恋人のトラブルに奔走していた割には、鳴子くんは決して感情的にはならず、落ち着き払った様子で状況を静観している。
「どうして、縄綯なな子さんの名前を騙ったんですか?」
動揺する絵麻と沈黙する鳴子くんに代わり、私が質問した。絵麻にSNS上で接触するにしても、その名前が縄綯なな子である必要なんてない。
「SNSに潜む危険性を伝えるためには、私にとってこの名前は避けては通れないものだった……妹のなな子はね、SNSの使い方を誤ってしまったから」
「何があったんですか?」
「朝比奈さんの行動の先にあったかもしれない未来よ。なな子はSNSで不用意に個人情報を晒してしまった結果、ストーカー被害に悩まされることになってしまった。こうして私に辿り着いたということは、なな子についてはある程度調べているのよね……結末は皆も知っての通りよ」
隣の絵麻の息遣いが、動揺から恐怖へと変わっていくのを感じた。自分に起こり得たかもしれない未来として、絵麻は初めて、SNS上で自分が犯していた危険性をリアルに想像出来たのかもしれない。
「……なな子の悲劇を朝比奈さんに繰り返してほしくなかった。縄綯なな子という名前そのものが、SNSとの付き合い方を考えるきっかけになってくれればと思って妹にも力を貸してもらった。私にはもう教師としての時間が残されていなかったから、こんな荒療治しか思いつかなくて……朝比奈さんを怖がらせてしまったことは、本当に申し訳ないと思っているわ」
「だけど、亜里砂先生。だったら絵麻の――」
「絵麻。八尾先生に悪意はなくて、君を思っての行動だったことは伝わったよね?」
私の抱いた疑問は、絵麻の手を握って優しく彼女に語り掛ける鳴子くんの言葉に遮られた。
「……うん。先生の妹さんのお話を聞いて、自分がどれだけ軽率な行動をしていたのか、とても怖くなった。先生が犯人だと知って最初はムカついていたけど、今は違う。私のために動いてくれた先生の気持ち、ちゃんと伝わったよ」
絵麻は真摯な態度で亜里砂先生と向き合っている。やはり亜里砂先生は優しい先生だった。退職間際に、汚れ役に徹して過ちに気付かせてくれた。そのことに絵麻は心を打たれたようだった。先生の行動は、身近な人の注意よりも、得体の知れない存在に対する恐怖よりも、絵麻のSNSへの向き合い方に一石を投じたのだ。
「本当に投稿しても大丈夫な内容か、これからはちゃんと気を付けながら、SNSと付き合っていくよ」
「私の思いが朝比奈さんに届いて本当に良かったわ。これで思い残すことなくこの学校を去れる。怖がらせてしまって本当にごめんね」
「円満に解決して良かった。これにて一件落着だね」
絵麻と亜里砂先生は和解して握手を交わす様子を、鳴子くんが笑顔で見守っている。内々に当事者間で決着がついたことで、これ以上この問題が大きくなることはない。縄綯なな子が絵麻の周辺に現れることももうないのだろう。絵麻は自分を省みるきっかけになり、鳴子くんは恋人のための奔走した結果が身を結び、亜里沙先生は憂いなく学校を去ることが出来る。
誰もが笑顔を浮かべる中、私は水を差さないように作り笑いするので精一杯だった。結果は間違いなくハッピーエンドだけど、正直私はこの空気感が気持ち悪くて仕方がない。私の中で一連の出来事はまだ終わってはいない。