歌うことには自信があった。

 恥ずかしくて、人前でちゃんと本気で歌ったことなんかなかったけれど、音楽の時間はいつも褒められてきた。「声が綺麗だね」なんて、数えきれないくらい言われ続けた。

 だから何となく、私は歌が上手いんだって思い込むようになっていた。誰かの前で本気で歌ったことなんかなかったのに、歌の大会に出ればそれなりの成績を出せるはずだと思うようになっていた。

 もちろん、恥ずかしがり屋で人見知りの私にとって、大会に出場することなんて夢のまた夢。誰かが聞いていると分かったら、家族の前でさえ途端に本気で歌えなくなるのだから。
――歌いたい。その望みは今やカラオケに行けば簡単に叶う。最近では一人で訪れる人も多いと聞くので抵抗もない。
 だけどそうやって一人で歌っているうちに、やはりと言うか、不相応にもと言うべきか、私は誰かに自分の歌を聞いて欲しくなっていた。
 
 私のことを全く知らない誰かに、私のことを全く知られないように歌を聞かせたい。そして、感想を聞かせて欲しい。評価してほしい――褒めて欲しい。

 そんな都合の良いことできるわけがないと思いながらも、どうしてもその望みを叶えたくて、私は母の妹である叔母さんに思い切って相談してみた。叔母さんは音楽関係の仕事についていたから、何か妙案を知っていないかと思ったのだ。

「うん、できるよ?」

 私の相談に、叔母さんはあっさりと頷いた。
 
 驚く私から視線を外し、叔母さんはちょうど目の前にあったノートパソコンをいじり始める。

「えーと……あった。これだこれ」

 そして数分後、操作していたパソコンに表示されたサイトを見せてくれた。
 やたら可愛らしいマスコットみたいな絵がところどころにあるそのサイトの名前は、上部にでかでかと強調するように書かれている文字で分かった。

「『歌手になろう』? なに、このサイト?」

 歌手になる方法でも書かれたサイトなのだろうか? 私は別に、歌手になりたいわけではないのだけれど。と言うより、人前に出られない私が、歌手になんてなれるわけないのだけど。

「んー、これね? 歌の動画投稿サイトなんだけど、素人でも簡単に投稿できんのよ。あんたも投稿してみ?」
「投稿……でも、ネットって怖いよ。本名とか素顔が晒されたりしないかな?」
「ん、ん、ん? 別に、このサイトは本名も素顔も登録する必要ないわよ? それによっぽど分かりやすい特徴がなければ、知り合いが聞いても他人の空似だと思うわよ」
「そうかなぁ?」

 怖かったけれど、叔母さんのことは信用していたので登録してみた。人前で本気で歌ったこともなかったし、きっと叔母さんが勧めてくれるぐらいなんだから安全なのだろう。

 後日、叔母さんの家で投稿作業することになって、必要なモノを叔母さんが用意してくれた。といっても、本当に素人でも簡単に投稿できるらしくて大した物はいらなかった。
 マイクと専用ソフトが入ったパソコン、そしてなんか大きな機械。叔母さんの話だと、大きな機械は別になくてもいいらしいけど。

「じゃあ、出て来るけど……本当に一人で大丈夫?」
「……うん」

 本当は大丈夫じゃない。何回も説明とやり方を聞いたのだけれど、自分でできる自信がしない。
 でも、この期に及んで恥ずかしがり屋の私は、録音作業を叔母さんに聞いて欲しくなかったのだ。叔母さんに頼んで家を開けて貰ってから、私はマイクに向かって歌を吹き込む。 
 選んだ歌は、叔母さんが音源を用意してくれた、日本で一番売れている高校生バンドのデビュー曲。正直わたしの声質とボーカルの声質は全然違うけれど、これが私にとってのデビュー曲。彼らの人気にあやかりたかったのだ。
 一旦歌い始めれば、後は録音していることなんて忘れて夢中になる。さんざん考えていた、「この部分は低めに」だとか「サビはシャウト気味に」なんて意識しなくても喉が勝手に声を出してくれる。歌ってくれる。

 歌い終わって余韻に浸る間もなく私は叔母さんに言われた作業をして、歌が録音されていることを確認した。これで、音楽ファイルができたことになるらしい。

 後はこれを投稿するだけだけど、投稿先が動画投稿サイトになっているので動画か絵を付けないといけない。
 動画を作る力なんてないので、私は単純に自分が書いた絵を画像として使うことにした。一応、好きなペンギンを書いてみた。割と自信作なので、歌と一緒に褒めて貰えたら嬉しいのだけど。

「よし……」

 祈る気持ちで、私は自分の歌を投稿してみた。その時の心情を表現するのは少し難しい。
 当然、達成感と高揚感はあった。けれど、それ以上に妙な背徳感があった。歌を評価されたいという気持ちより、誰にも悪口を書かれないでほしいと言う気持ちの方が強かった。投稿してすぐは後悔したぐらいだ。

「ただいま……投稿したの?」

 帰って来た叔母さんが、買い物袋をテーブルに置きながら問いかけて来る。

「うん。終わった。少し怖い」

 正直な気持ちで少し笑うと、叔母さんは苦笑するような表情で肩を竦める。

「あんたが私にユーザーネームだけでも教えてくれたら協力できるのに」
「嫌だよ。だって、知り合いに歌を聞かれたくないんだもん」
「変な娘。知り合いは駄目で、顔も知らない人たちにはいいなんて」
「知らない人だからいいんだよ。知らない人から酷評されても立ち直れるけど、知り合いから厳しいコメントされたら、立ち直れないよ」
「……まぁ、あんたの好きにすればいいわ。あんたの歌を知らないから何とも言えないけど、一言でもコメントを貰えるといいわね」
「……うん」

 叔母さんなら、私の歌を聞こうと思えば聞けるはずだし、ユーザー名だって簡単に突き止められるだろう。
 けれど私を尊重して、私が打ち明けるまではわざと調べないでいてくれるみたいだ。本当に、ありがたい。

 叔母さんに何度もお礼を言い、家に帰ってからパソコンで自分の動画をチェックしてみた。
 もう一時間ぐらいたっているから、見てくれている人もいるかもしれない。

「……どう、かな」

 再生数は十一回。多いのか少ないのかは分からないけど、不思議と納得した。まぁ、きっとこんなものだろう。
 そして画面を見ていると、あることに気付く。

「――っ?」

 なんと、コメント欄にコメントが書かれていたのだ。
 初投稿でたったこれだけの再生数なのにコメントがつけられるなんて、ちょっと信じられなかった。
 さては叔母さんが私のユーザー名を調べてコメントを残したのかと思ったぐらいだ。それならそれで恥ずかしいけれど、悪いコメントではないはずだから問題はない。誹謗中傷が書かれているよりはよっぽどましだ。
 けれどそのコメントは、どうやら叔母さんではないらしかった。

『素敵ですっ! 声がすっごく綺麗ですっ!』

 いくら私が姪だからと言って、叔母さんが手放しでこれほど褒めるなんて考えにくい。だからこれは叔母さんではないと思う。
 だけど肯定的なコメントで、一気に私は嬉しくなった。
 恥ずかしいからコメントは返せないけど、しばらくはニヤニヤしながらそのコメントを見ていた。きっと傍から見たら、酷い顔をしてるんだろうなぁと思う。

「また、投稿してみようかな」

 投稿してすぐはあんなに怖かったのに、一つ嬉しいコメントを貰っただけでこの掌返し。本当に、自分のことながら単純だ。けれど、嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。

「あっ。またコメントが書かれた」

 見ていれば新着のコメントが届いたらしくメッセージが表示される。びくびくしながら新着を見ると――。

『すごい。歌も上手いんだけど、声がすごい』

 再び肯定的なコメントだった。
 思わず飛び上がってしまうほど嬉しい出来事で、私はその日は動画をチェックするのをやめていい気持ちのまま眠ることにした。



 何かがおかしいと思い始めるのに、そう時間はかからなかった。

 あれから他に三曲投稿し、私の投稿する動画(と言うより絵付きの歌)は好評みたいで、日が経つにつれ再生数が上昇していった。
 それはいいのだけれど、コメント欄に書かれる感想が妙なのだ。

『デビューしてほしい』
『絵はあれだけど、歌はいい。ずっと聞いていたい』
『声で泣ける』

 うん。そういう感想は正直に嬉しいのだけど――。

『この歌い手はもはや神』
『この歌を批判する奴は障害者』
『カスな歌い手どもに見習わせたい』
『この歌がオリジナルでいいと思う』

 何だか過大評価の域をはるかに超えたコメントが多くなってきたのだ。これは本当に、私の歌に対するコメントなのだろうか。
 それと同時にコメント欄が荒れることも多くなってしまった。
 少しでも私の歌に否定的なコメントをする人がいると、他の人たちが一斉にその人を非難する。それも単なる罵詈雑言。擁護されているはずの私が、思わずブラウザーバックしてしまうほどの激しさなのである。

 私の声がいいと言うのは多くの人が認めてくれている。けれど当然、声には好き嫌いがあるものだから、みんながみんな私の声を褒めてくれるわけじゃないと思うのだけど。私の声を批判する人を『障害者』だの『日本人じゃない』だの訳が分からない。

「……怖いなぁ」

 三か月で再生数が四本の動画トータルで五百万を超えたのは嬉しいのだけど、それ以上に何だか怖くなってしまった。
 英語や色んな国の言葉で書かれたコメントも増えたけれど、やっぱり他の人を攻撃するコメントも増えてしまって――。

 この熱が冷めて欲しくて、私は一度『歌手になろう』から離れることにした。いや、正確に言うと逃げ出してしまった。



 私が投稿をやめて、気づけば一年が過ぎようとしていた。
 投稿した当時は中学三年生だった私も、今ではすっかり高校生だ。勉強や友だちと過ごす放課後に追われ、投稿どころではなかった――なんていうのは建前で、一度満足するほど評価して貰えたのだ。今さら怖い思いをして自分の歌唱力を確かめる必要性を感じなくなっていた。
 きっとこのまま、二度とあのサイトにも訪れることはないのだろう。そういつしか考えるようにまでなっていた。

「ねぇ、『歌神様』って知ってる?」

 そんなある日。
 放課後になったのでいつものように二人の友だちと喫茶店へ行くと、思い出したようにそのうちの一人が言った。
 今時珍しい三つ編みお下げのその娘は、向かい合った席から興奮したように持っていたスマートフォンを差し出してくる。

「『歌神様』? なにそれ? なんかのアプリ?」

 私と同じことを考えていたのか、隣の席に座っていた眼鏡の娘がそう聞きながらスマートフォンを受け取る。

「違う違う。『歌手になろう』って言うサイトの歌い手よ。素人なんだけどとても上手くてっ! 海外にもファンがいるし、大手の音楽事務所も目を着けてるらしいわ」

 お下げのその娘が言った『歌手になろう』と言う言葉に懐かしいものを覚え、私はふとあの頃の記憶を探る。
 けれど私の脳裏に『歌神様』なんてユーザーは出てこなかった。それほど有名な歌い手ならサイトのトップで紹介されているはずだから、おそらく私が離れた後に有名になったんだろう。

「へー。えっ! すごいっ! 再生数が一億超えてるよっ! 日本の人口じゃんっ」
「すごいね」

 眼鏡の友だちの驚きはもっともだ。
 当時知ったことだけれど、歌手になろう』はネットの世界じゃ有名だったので、ユーザーはたくさんいる。けれど、さすがに再生数が一億を超えるような投稿をするユーザーは一握りしかいなかったはずだ。

「私も最近知ったんだけど、この人すごい歌上手なのよっ。と言うか声が綺麗でさぁっ。天使がいたらこんな声だと思うのっ」
「はは。神様なのか天使なのか……へぇ、『ウンディーネ』のデビュー曲じゃん。ちょっと聞いていい?」
「うん。はい、イヤホン」
 
 友だち付き合いの良い眼鏡の娘は、お下げの娘に勧められるままイヤホンを着けて試聴することにしたらしい。

「聞く?」

 眼鏡の娘は片方のイヤホンを差し出してくれたけれど、丁寧に断った。
 私も『ウンディーネ』のデビュー曲は好きだけど、『歌手になろう』に投稿したおかげで少しトラウマにもなっていたのだ。
 本人たちのものならいいけれど、私と同じように投稿されたものを聞くとトラウマが蘇りそうで怖い。
 だから眼鏡の娘の邪魔をしないように、無言で紅茶を口に運ぼうとしたとき、

「……おふぅっ」

 突如、音楽を聴いていた眼鏡の娘が背筋を震わせ奇声を発した。

「な、なに?」

 驚いてティーカップの中身を少しこぼしてしまった私とは裏腹に、お下げの娘はしたり顔で笑う。

「いいでしょう、その声? 反則でしょっ」
「ちょ、黙ってっ! お、おぉぉ」

 イヤホンを指で押さえ目を閉じた眼鏡の娘が、まるでなにかと戦っているような真剣な顔つきで音楽を聞き続ける。
 なんか、怖い。

「……やばい。これはやばいな」

 結局、三回も連続でその歌を聞いたらしい眼鏡の娘は、達観したような顔でスマートフォンをお下げの娘に返した。

「高いんだか低いんだか……いや、高いんだろうけど。特にあのサビはやばいなぁ……なぁ、もう一回聞いていい?」
「駄目。もう充電切れそうだし。と言うよりアンタは聞かなくてよかったの?」

 お下げの娘にそう聞かれ、戸惑いながら首を振った。

「いいよ。私はメガちゃんみたいに人前で変な奇声出したくないし」
「奇声で悪かったな。というより、そのあだ名はいい加減やめろ」

 眼鏡の娘は怒ったように私の目の前に置かれていたケーキをフォークで一すくいし、口に運ぶ。

「あっ。酷い……」
「うるへぇ。それより、その『歌手になろう』っていうサイトに行けば『歌神様』の歌が聞けるわけ?」

 私の抗議を一言で切り捨てて、その娘はまだ『歌神様』が気になるのか、お下げの娘に問いかける。

「そうよ。けど、最後の投稿は一年近く前だから、もう投稿されないかも。『信者』たちの間じゃ、『歌神様』の再臨を望む掲示板までできてるわ」
「信者?」

 一見関係なさそうな言葉に首を傾げると、お下げの娘が大きく頷く。

「『歌神様』のファンの中には、少し度を過ぎたファンがいてね。『歌神様』にかけてそう言うファンを『信者』って呼ぶらしいわ」
「まるで宗教だな」
「宗教みたいなもんよ。あんたもファンになるのはいいけど『歌神信者』にはならないでよ? 話を聞くと、『歌神様』を批判するコメントは集中砲火するんですって。それも単なる悪口ばっかり……実際、そのせいで動画のコメント欄は全部荒れてるの。そして重度の『信者』になると……『廃人』って呼ばれるわ」
「は、廃人?」

 何だかボクサーとドラム缶と言う言葉が浮かんでしまったのは、中学の図書室に置いてあった古い漫画本の影響だろう。
 あの漫画は面白かったけど、『歌神様』とどういう関係があるんだろう?

「『廃人』って呼ばれる人たちは、『歌神様』の声の中毒性にやられて、数時間、いや、酷い人は数分おきに歌を聞いていないと発狂するらしいわよ」
「う、うへぇ……。ほ、本当かよ?」

 半信半疑な顔で聞いた眼鏡の娘に、お下げの娘は肩を竦めた。

「あくまでも噂らしいけど。でも、実際それで引きこもりになったり、仕事を辞めてしまったりした人もいるみたい」

「へ、へぇ。けど、それだけ人気ってことなんだな。あたしも帰ったら『歌神様』聞こう。スマホ忘れたからなんかにメモろう」
「あ、一つ言い忘れてたけど……」

 眼鏡の娘が自分のメモ帳を取り出したとき、お下げの娘が思い出したように言った。

「『歌神様』は通称よ? ニックネーム。神様みたいな歌い手だから『歌神様』。本当のユーザーネームはスズメだからね? カタカナでスズメ」
「えっ!」

 その言葉に、私は思わず席を立ってお下げの娘を見下ろした。だって、だってそれは――。

「どうし……」
「ごめん、貸してっ!」

 そのままお下げの娘が持っていたスマートフォンに表示されていたのは、『歌神様』の――スズメの投稿動画だった。

「そんな……」

 信じられなかった。
 その、カタカナのユーザーネームも。
 動画ではなく、ペンギンが書かれた静止画も――。
 
 全て、全て私が付けたものだったから――。



 それから間もなくして、眼鏡の友達の様子がおかしくなった。

 授業中はそわそわとスカートのポケットを漁り、休み時間はスマートフォンで音楽ばかり聞いている。
 遊びに誘ってもどこか上の空で、少しでも自分が話す内容がなくなると音楽を聴くようになった。

「ねぇ? 何聞いてるの?」

 明らかにその眼鏡の娘の様子がおかしくて、私は思わず聞いてしまった。「もしかして」と言う不安と、「まさか」と言う希望から出た問いかけに、眼鏡の娘はバツの悪そうな顔をした。

「……『歌神様』」
「……」

――ああ、やっぱり。

 その時、私は「もしかして」と言う気持ちの方が強かったことを実感した。彼女は、どうやら『歌神様』の歌を聞かずにはいられない人間になってしまったのだ。

「べ、別に『廃人』とかそう言うんじゃないからな? 学校やめてもねぇーし、引きこもってもない。ただ、お気に入りってだけで――」

 私の表情をどう勘違いしたのか、眼鏡の娘は弁明するようにそう言う。そう言うのだけれど、彼女の目は何だかもう、私が知っているそれではなくなっているような気がした。

 
「来ないわね」
「……うん」

 お下げの娘が空席を見ながら呟くのを聞いて、独り言だと分かっていたけど返事をしてしまった。
 ついに、眼鏡の娘が学校に来なくなってしまったのだ。
 まだ学校はやめていないけれど、これで二週間以上学校を休んでいる。そろそろ出席日数的にも教師陣の心情的のも限界だろう。

「……私のせいよ」
「――っ。そ、そんなことないよ」

 お下げの娘が悔しそうに震える声でそう言ったので、私も震えてしまう声で否定する。
 眼鏡の娘がなぜ学校に来なくなったのかなんて、そんなことは何度も迎えに行ったのだ。もう、私たちは分かってる。

「私が――『歌神様』なんて教えたから」

 そう、『歌神様』が原因だ。とうとう眼鏡の娘は、一日中『歌神様』の声を聞いていなければならないようになってしまったのだ。

 だから、原因は『歌神様』であって悪いのはお下げの娘じゃない。
 全部、全部『歌神様』が――私がいけないのだ。私が、歌いさえしなければ。

「……私、『歌神様』の動画を削除して貰えないか、サイトの管理人に問い合わせてみるわっ! あのサイトは違法ダウンロードができないようになっているから、あの動画さえ消えたらもうあの歌はどこでも聞けないはずっ。しばらく聞かなければ、あ、あの娘だって……目を、覚ますわよ……」

 涙目で私に決心を伝えて来るお下げの娘に、私はただ頷いた。

「そうだね……」
「あの歌は……あの歌声は人を狂わせてしまうのよ……きっと、きっとこの世に存在してはいけないモノなんじゃないかって……」
「…………」
「馬鹿みたいって思う? けど、半分以上は本気で思っているの。あれは……人が聞いちゃいけない声だったのよ」
「……馬鹿みたいだなんて思わないよ」

 それは、掛け値なしの本音。
 だってその言葉のおかげで納得させられてしまったから。私が、今まで人前で歌わなかった理由が。
 心のどこかできっと怖れていたんだ。こんなことになるんじゃないかって。きっと分かっていたんだ。こんな事態になるってことを。

「馬鹿は……私だった」

 歌わなければよかった。
 人のためになんて歌わず、私は私のためだけに歌っていればよかったのに。誰からの評価も望まず、自分一人で延々と己惚れていればよかったのに。カラオケボックスから出るべきじゃなかったんだ。

「とにかく、今から管理人に連絡とってみるから」
「うん。もし、無理な時は教えて。私が何とかするから」
「え?」

 不思議そうな顔をしたけれど、すぐにお下げの娘はスマートフォンに何やら一生懸命打ち込み始めた。
 正しい手段で規則に従って投稿したモノだから、きっと部外者の要請で削除することはないと思う。仮に削除されるのならそれでもいい。けれどされないのであれば――私がログインして消せばいい。
 あの投稿動画も、私のユーザー名もアカウントも。
 何もかも、なかったことにしてしまえばいい。もう『歌神様』は消えるべきだ。

「時間かかりそうだから、続きは帰ってからにするわ。結果はちゃんと知らせるから」

 お下げの娘と別れ、私は家に帰った。
 何かを考えるのも面倒で付けたテレビ画面に『歌神様』の文字が躍った瞬間に戦慄した。
 見間違いかと思ってよく見るが、やはりそれは『歌神様』で間違いがなかった。

「どういうこと……?」

 口に出た言葉に答えるように、目の前のキャスターが語り始める。

『えー、無関係の男性に大怪我を負わせた男。その動機は、実に呆れたものでした……今日の午前十一時過ぎに『男性が男に斬り付けられている』と言う通報が警察にあり駆け付けたところ、男性に刃物を持って斬りかかっていた和田城健一容疑者を現行犯逮捕しました。和田城容疑者は容疑を認めており、調べによると『『歌神様』を馬鹿にされた』と言う趣旨の供述を繰り返していて、警察では詳しい経緯を調べています』

 目の前が、真っ暗になった。
 キャスターが何を言っているのか、理解したくもない。吐き気がする。腰が抜けてしまった。

『えー、『歌神様』というのはどうやら今ネットで話題の歌手らしいですね。歌を動画投稿サイトに投稿しているスズメと言うユーザーの愛称で、再生数は四つの動画をあわせて五億を超えています……異常ですね。日本人全員が約三回聞いている計算になりますけど、そんなことがあるんでしょうか?』
『あるんじゃないですか? 実際私も聞いていますが、彼女の歌声は素晴らしい。一種の中毒性がありますね……巷では『信者』と呼ばれる彼女のファンが過激な言動を繰り返していますが、この事件もその一つでしょう。残念ながら現在は投稿がストップしてしまっているようですが、おそらくこうしたファンの過激化も『歌神様』が投稿を敬遠してしまう原因なのではないでしょうか』

 キャスターに話を振られた評論家の男性が、なぜか事件そっちのけで『歌神様』の話をしている。
 何が何だかわからないけれど、私の歌のせいで事件が起こってしまったことは解ってしまった。もう、遅すぎたのかもしれない。

「止めなきゃ……消さなきゃ」

 パソコンを立ち上げて、すぐに『歌手になろう』のサイトを開く。
 トップ画面に出てきた「『歌神様』を呼び戻すスレ」と言うリンクの大きさに、思わずくらっと来てしまう。

「なんで、なんでよぉ」

 どうしてこんなことになってしまったのか。
 私はただ、聞いて欲しかっただけなのに。褒めて貰いたかっただけなのに……。

 不意に込み上げて来た涙を拭いながら、私はそのリンクをクリックする。
 目に飛び込んでくるのは『歌神様』を称える文言に、再臨を望む多くの書き込み。そして、あまりに膨大な「削除されました」と言う赤文字。
 この現実が私一人の手に負えるかどうかは分からない。分からないけど――何が何でも終わらせないといけない。

 コメントを書き込む欄に言葉を書き込み送信する。これで、『歌神様』は今夜で消える。

『もう、終わりにします。私が望んでいたのは、こんなことじゃなかった』

 私のコメントへのレスはすぐに来た。いや、それはレスなんてものじゃなくて、単なる誹謗中傷でしかなかった。

『はいはい。偽物は勝手に終わって』
『騙り乙。おまえは始まってもねぇよ』
『やめろお前ら。本物だったらどうする? ありえないからいいけど』
『消えろ』

「……ふふ。神様だなんだって言われても、声のない私の言葉なんてこんなものか」

 悲しいはずなのに、なぜか救われた気がした。
 私が人間であることを、この罵倒によって表明された気がした。

 改めてログイン画面からログインし、久しぶりに自分のホームへやってくる。すると『新着のコメントがあります(60056904)』なんてとんでもないコメント数に驚いた。けれど不思議と嬉しさはなかった。初めてコメントを貰った時のような嬉しさが、微塵も湧き上がることはなかった。

 結局、そのコメントは見ないことにした。今からじゃ頑張っても全部は見られないし、何より見てしまえば未練が残るかもしれない。

「……懐かしいなぁ」

 一年前に、初めて投稿した『ウンディーネ』のデビュー曲。私の――デビュー曲。削除の項目をクリックする人差し指が震え、力を込めようとしたら涙が溢れ出て来る。

「消したくないなぁ……」

 あっていいものじゃないのに。ない方がずっといいのに。消すって決めたのに……。

「頑張って、投稿したのになぁ」

 上を向いて天井を見上げれば、涙が口の中に入ってきてこういう味だったことを思い出す。きっと私はこの曲を聞くたびに、今日のことを思い出すんだ。涙の味を思い知るんだ。

「……さようなら」

 この日、少なくともこのサイトから四つの投稿動画が消えた――。






「一体どうやったのよ?」
「……何が?」

 翌日。
 学校へ続く通学路の途中で、、お下げの娘が真剣な顔で問いかけてきた。思わず聞き返してしまったけれど、すぐに昨日のことだと分かった。

「とぼけないで『歌神様』のことよ。私が昨日、管理人に問い合わせても「できません」の一点張りだったのに、何故か『歌神様』の全投稿動画が削除されたわ……あんた、何か知ってるんじゃない?」
「……なんでそう思うの?」
「昨日、なんか手がありそうな顔してたじゃない。何したの?」

 何て答えたらいいのかわからない。
 真実を打ち明けることはしたくない。責められるのが怖いという気持ちももちろんあるけれど、純粋に誰にも語らない方がいいと思ったのだ。
 私が『歌神様』であった過去は、きっと誰にも知られるべきではない。

「……お祈り」
「へ?」

 だから、咄嗟に私は空を指さして笑う。

「神様へお祈り。だって『歌神様』だから、必死に神頼みしたら聞いてくれるんじゃないかって……さ」
「……呆れた。そんな方法で自信満々だったの? じゃあ何で、『歌神様』の動画は削除されたのかしら……」

 不思議そうな顔をするお下げの娘をこっそり笑い、私はいつもの通学路を踏みしめる。
 季節は紅葉が見ごろで、通学路の脇にある並木も色付いている。

「ねぇ……今度、紅葉狩りに行こう――三人で」
「……ええ、そうね。『歌神様』もいなくなったから、きっとあの娘もすぐに学校に出て来るわ。そしてきっと、世の中また元通りよ」
「そう、だね。うん、そうだといいね」

 しばらくは荒れるかもしれない。
 けれどきっといつかは落ち着くはずだ。そのために私は『歌神様』をこの世から消したのだから――私は私の歌を諦めたのだから……。


――どこからか聞こえてきた『ウンディーネ』のデビュー曲に、昨日の涙の匂いがした。