『この世界は情報でできている』のであるならば、自分自身を構成している構造も内側から元をたどればここにたどり着くに違いない。

 オディールは深呼吸を繰り返す。

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。
 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

 意識の奥底にどんどんと降りていくオディール。やがて見えてくる海王星のシステム基盤、さらに降りていくと見えてくる金星のシステム、デジタル・ビッグバンに導かれるようにオディールは一段ずつ世界樹の枝を根元に向けて降りていく。

 そして最後に見えてきたのがデジタル・ビッグバン。虹色のデジタルリボンの大爆発だった。やはり、内側から行ってもたどり着けたのだ。

「Hello World……」

 オディールは晴れやかな顔でその鮮やかな情報の大爆発を浴びていく。

 全身で宇宙を感じたオディールはこの刹那、宇宙と一体となる。

 システムの上で動いているだけの情報生命体だったオディールは、この瞬間システムと融合し、新たな神となったのだ。

 両手を見つめ、指を動かしてみる。それはいつもと同じ些細な動作ではあったが、神の目からすると筋肉の繊維一本一本の情報の流れが手に取るようにわかり、全てが新鮮だった。

 知ることは力、全てを知ったオディールはもはや全知全能になる。五十六億七千万年前、デジタル・ビッグバンの光の奔流の中に生み出された命は今、無数の進化の果てにオディールとなり、新たな神を生んだ。

「ふふっ、やるじゃん」

 気づくと少女が目の前に浮いていて、ニヤッと笑う。

 オディールはニコッと笑うとサムアップして応えた。


           ◇


 蜘蛛男を退治した翌朝未明、分娩室にはいよいよ出産の時が近づいていた――――。

「うーん! 痛い! 痛いよぉ!!」

 顔を歪ませ、悲痛な叫びをあげ続けるミラーナの背中を、オディールはずっとさすり続ける。もちろん、神の力を使えば一瞬ですべて解決はするのだが、生命の営みにシステムを使って介入するのは違うと感じていたのだ。

「はい、もう我慢しなくていいからね、次の波で一気にいきんで!」

 助産婦さんは発露してきた赤ちゃんの頭をそっと指でなぞりながら言った。

 ううーーん!

 直後、一気に赤ちゃんが飛び出し、助産婦さんの手の中に収まっていく。

 ほぎゃぁ! ほぎゃぁ!

 分娩室に元気な赤ちゃんの声が響き渡った。

 生まれたばかりの命はこの世界に誕生した喜びをその小さな体で全力で表現し、その圧倒的存在感で部屋を支配する。

 オディールはその煌めく命のエネルギーに胸が熱くなる。この輝かしい生命の輝きが、世界樹の光に加わることだろう。この世界の構造がどのようであれ、連綿と続くこの生命の連鎖こそが尊いものなのだ。

 ハァハァと荒い息をしながら焦点の定まっていない目をしているミラーナを、オディールは力強く抱きしめ、頬ずりをする。

「お疲れ様……」

 いつの間にか流れていた涙が二人の頬を濡らす。

 ミラーナはまだ何も言えず、ただ、オディールの背中をポンポンと叩いた。


       ◇


 二人の病室に へその緒が切られ、綺麗に拭かれた赤ちゃんが運ばれてくる。

「はい、赤ちゃんですよー」

 ミラーナは産まれたばかりの小さな命を、おっかなびっくりそっと腕に抱く。

 赤ちゃんはくちゅくちゅと唇を動かすと目を開き、ぼーっとミラーナを見つめた。

「ママですよぉ」

 ミラーナは幸せそうに話しかける。

「うわぁ、可愛いねぇ……。あれ? 僕のことは何て呼ばせる……の?」

 オディールは自分は『パパ』ではないことに気づき、不安になる。

「オディは『オディ』でいいじゃない。ねぇ?」

 ミラーナは赤ちゃんに頬ずりしながら言う。

「え? そんなぁ……」

 オディールは口をとがらせてしょげる。

「『ママ』はお腹を痛めて産んだ者の称号だわよ。そうよねぇ」

 ミラーナは赤ちゃんに語りかけた。

 その様子をジト目で見ていたオディールはふぅと息をつくと、そっと赤ちゃんの頬をなでる。それはまるで綿あめのようにふんわりと繊細な柔らかさだった。驚いていると、お人形のような小さな可愛らしい手がオディールの人差し指をきゅっとつかんだ。その瞬間、オディールの下腹部がキュゥっと収縮する。オディールの女の本能が赤ちゃんを求めたのだ。

 しばらくオディールは動けなくなる。命の連鎖に自分も深くかかわっていたい。そう願う気持ちが心の奥からあふれ出してきたのだ。神の力を使えばどんな赤ちゃんだってすぐにでも作れるのだが、そういうのではない、連綿と続く命のバトンを自らの身体で受け渡したいと心から欲したのだ。

「僕にも……産ませて……」

 オディールは思わずわいてきた言葉に、自分でも驚いた。

「え?」

 意外な言葉にミラーナは聞き返す。

 オディールは一瞬戸惑ったが、すぐにまっすぐにミラーナのブラウンの瞳を見つめた。

「僕もママに……なりたい……」

「ふふっ、ママって呼ばれたくなったのかしら?」

「ミラーナが羨ましくなっちゃった。ねぇ、早く仕込んで……」

 オディールは色っぽい目でミラーナを見る。

「し、仕込むって……。今日はダメよ? ちょっと休ませて……」

「分かってるよ。なるべく……早く……ね?」

 オディールはそう言うと、トロンとした目でミラーナの唇に近づいて行く。

 えっ?

 あわてたミラーナだったが、優しく微笑むと目を閉じてオディールを待つ。

 ヴィーン! ヴィーン!

 空中に『非常警報』の赤い文字が浮かび上がった。

「なんだよもぅ!」

 間の悪い呼び出しにオディールはムッとしながら映像をつなぐ。

「お取込みのところすまんのう。日本にサソリが出たらしいんじゃ」

 レヴィアが申し訳なさそうに顔を出す。

「日本? それ、僕関係ないんだけど? それにサソリなんか誰でも退治できるでしょ?」

「それが……女神様は音信不通で、サソリは全長二百キロなんじゃ……。このままじゃ東京は火の海。お主の企業秘密とやらで何とかならんか?」

「に、二百キロ!?」

 オディールは眉をひそめ、指先をくるっと回すと日本の衛星画像を浮かび上がらせる。そこには確かにバカでかい魔物が太平洋から東京上陸を狙っている姿が映っていた。

「誰だよこんなの送り込んだのは! 女神様頼みますよぉ」

 オディールはボヤくと目を閉じて深呼吸を繰り返す。

 やがて脳裏に浮かび上がってくる女神の映像。それはワインを飲みすぎてベッドでひっくり返っている乱れた女神だった。

 ありゃりゃ……。

 オディールは見てはいけないものを見てしまった気分で首を振る。百万年の孤独はオディールにはまだ分からない。きっと筆舌に尽くしがたいものがあるのだろう。

「レヴィちゃん、タニアに頼んで。タニアだったらなんとかできるから」

 こんなのを安請け合いすると、今後すべての仕事が自分に降ってきてしまう。オディールは始祖に押し付けようとする。

「タニア? なんであの子なんじゃ? 今は寝とるぞ?」

 見るとタニアはレヴィアの後ろのソファーで幸せそうに寝ていた。

「くぅ……、やられた……」

 きっと狸寝入りに違いない。

 オディールは観念するとパチッと指を鳴らす。

 直後、大サソリは重低音の断末魔の悲鳴を上げ、そのままゆっくりと太平洋の奥底へ沈んでいく。

「あ、サソリは自滅したみたいだよ。良かったぁ! 後はよろしく!」

 オディールはそう叫ぶとブチッと映像を切った。

 ふぅと大きく息をつくオディール。そして、改めてミラーナの方を向く。

「邪魔が入っちゃったね……」

 ミラーナの髪を優しくなで、瞳を見つめると、オディールは再度ミラーナの唇をうかがった。

 目を閉じるミラーナ……。

「ほぎゃぁ! ほぎゃぁ!」

 今度は赤ちゃんが主張した。

「あらら! どうしたのかしら?」

 ミラーナは慌てて赤ちゃんをあやす。

 オディールはムッとして口を尖らせ、赤ちゃんをにらむ。たが、赤ちゃんは常に正義である。その可愛い姿を見ると自然とほほが緩んでしまう。

 オディールはクスッと笑い、そっと頭をなでた。

「赤ちゃんには勝てないわ」

「ふふっ、ゴメンねぇ」

 ミラーナは幸せそうに微笑む。


 こうして、二人の暮らしに小さな天使が加わり、毎日が幸せな騒がしさで溢れるようになった。

 最終的に二人の間には四人姉妹が生まれ、女ばかりの六人家族となる。

 しばらくのち、とんでもないお転婆四姉妹の活躍が全宇宙に響き渡るのだが、それはまたの機会に……。