男はドヤ顔で話し始める。

「結城くん、この世は科学だよ。科学で説明できないことなどない。魔法なんてものは本来ある訳ないのだ」

 その通りである。オディールも、異世界転生して最初のうちはなぜ魔法なんてあるのかと、困惑していたことを思い出す。

「いやでも……、魔法はみんな使ってるから……」

「思考停止かよ! やれやれ、しょうがないな。スキルの科学的説明なんて簡単な話さ。この世界は情報でできている。祭詞というコマンドに反応して雨になるコードを走らせればいい。行数にしてたった数行だ。ワシでもすぐ書ける」

 当たり前のように『プログラミングコードで雨を降らせる』と言う男に、オディールは言葉を失う。ここが仮想現実空間なら、確かにそうだろう。この世界がコンピューター上で作られたモノなら科学的合理性を持ちながら何でもアリなのだ。だがそうなると、この自分の身体自体もミラーナもゲームのキャラクター同然ということになってしまう。

 オディールは自分の両手を見つめた。微細なしわや指紋、そしてその下の複雑な血管が指を動かすたびに躍動する。これらすべてがコンピューターの合成像だとはとても思えない。

 そんなオディールをニヤニヤしながら眺めていた男は、思いがけないことを言う。

「この世界は海王星の中にあるコンピューターサーバ群でリアルタイムに運用されている。仲間になるなら実際に見せてやろう」

 えっ……?

 オディールは言葉に詰まる。地球上に広がる海、山、街の広大な世界、そこに暮らす膨大な数の人間を創出するコンピューターサーバーを実際に見せてくれるというのだ。それは圧倒的なスケールの、まるでSFの世界から抜け出したような存在に違いない。

 本当にそれが実在し、彼がそれにアクセスできるならば、ミラーナを癒すことも現実味を帯びてくる。

 仮想現実であろうと何であろうと、今はミラーナを救うことが何よりも優先である。オディールはつい男の提案に惹かれてしまう。

「仲間になったら……、何をするんですか?」

 オディールは不安に満ちた声で尋ねた。

「世界征服をしろ。全ての国を打倒し、大陸の全人類を統べるのだ。ワシは表舞台には出れんからな」

 男はオディールを指さすと、とんでもない事を言い出す。

 そもそも公にはできないというのはどういう事だろうか? 男の立場にきな臭さを感じる。

「表舞台に出られない……?」

「そりゃそうさ。ワシはハッカー。システム管理者側からしたら異分子だからな」

 男は肩をすくめて自虐的に言った。

 オディールはこの男の目論みが読めてきた。要は女神公認のチート持ちの自分を傀儡(かいらい)にして、影から操って好き勝手やりたいのだ。

「それは……。女神様の敵に……なるって事ですよね?」

「女神? あいつは横暴な独裁者だ! 元から敵なんだよ! あの娘を治したいんだろ!?」

 突如、男は怒りだす。やはりそこが男の痛いところらしい。女神と男の関係はよく分からないが、女神の恩寵を受けたオディールには女神を裏切ることはできない。

 オディールはふぅとため息をつくと、毅然とした態度で返す。

「もちろん治したいですが、やっぱり女神様に頼みに行きます」

 ミラーナの治療を優先したいと思う部分はあるが、本当に治してくれるかも分からないのだ。

「いうこと聞かん奴だな……。愚かな……。まぁいい。それなら別の使い方がある……。ぐぉぉぉぉ!」

 男は突如悲痛なうめきをあげ始めると、下半身が見る間に膨らみ、ズボンが弾けるように吹き飛んだ。

 ぬはぁぁぁ!

 変容を続ける中年男は、何か巨大な恐ろしい存在へと姿を変えていく。太くて黒々とした棘の生えた脚が次々と生えてきて、洞窟の岩肌を砕きながら成長し、その姿を完成させていく。

 ひっ、ひぃぃぃ!

 その恐ろしい異形にオディールは圧倒され、パニックに(おちい)って逃げ出した。

 しかし、姿を変え終えた男は、その大きな体格に反して驚くほどの速さを見せる。岩肌のでっぱりを次々と粉砕しながら、重機のような重厚な音を立て、オディールに猛然と迫った。

「どこへ行こうというのかね? ウヒヒヒヒ」

 それは巨大な蜘蛛だった。男は上半身だけ人間のままに、下半身は巨大な蜘蛛へと変身したのだった。

 いやぁぁぁぁ!

 必死に逃げるオディールだったが、凸凹だらけの洞窟ではうまく走れない。どんどん迫る蜘蛛男……。

 きゃぁ!

 ついにくぼみに足をとられてオディールは無様に転がってしまった。

「ひっひっひ。つーかまえた!」

 あっという間に追いつかれ、触肢(しょくし)に絡め取られてしまう。

「ぐわぁぁぁ! 止めろ! 何するんだよ!」

 必死にもがくオディール。しかし、凄まじい力でつかまれ、どうすることもできなかった。

「何するって、お前を喰うんだよ。お前を喰って楽しんだ後、お前そっくりの人形を送り込んでやるのさ」

 男はカメレオンのように長い舌を伸ばすと、恐怖に歪むオディールのほほをペロリと舐めた。