冒険者たちの陽気な歓談が広がるロビーに、いきなり若い男の怒声が響き渡った。
「お前はクビだって言ってんだろ! この臆病者!」
「そ、それは困りますぅ」
見ると、剣士らしき冒険者が大男にクビを宣告しているようだった。その大男は、雄々しい髭と筋骨隆々とした身体を持ちながら、魔法使いのベストを着ている。この図体で魔法使いらしかった。
「うちはもう少しでBランクパーティになるって大切な時期なんだよ。撤退ばかりしようとする臆病者は邪魔だ!」
「いや、でも、命あっての物種ですよ?」
「だからって冒険者がすぐ撤退してたら商売にならないの! クビ!」
「そ、そんなぁ……、頼みますよぉ……」
「お前、冒険者に向いてねーわ。田舎に帰んな! じゃあな!」
すがろうとする大男を手で払いのけると、剣士はアゴで仲間に出口を指した。
「田舎なんて……」
大男はガックリとひざをつく。
「みろよ、【子リス大魔神】がまたクビになったぜ」「あの図体でなんでああなのかね?」
周りの冒険者連中はそんな大男をあざけり、嗤った。
剣士たち一行は、ぞろぞろと出て行ってしまう。
あぁぁ……。
大男は力なく手を伸ばし、うなだれた。
冒険者はパーティを組まないと難しい。しかし、昨今は貴族たちによる重税からの不景気でなかなか仕事もなく、クビになるのは死活問題だった。
そんな様子をじっと見ていたオディールは、大男ながら小動物のような可愛さにキュンとしてしまう。この手の人はきっと悪いことができないに違いない。
オディールはニヤッと笑うと、テッテッテと大男のところへ行き、うなだれている肩をポンポンと叩いた。
「君いいね、最高! どう? 僕らの護衛しない?」
サムアップしながらウキウキでスカウトするオディール。
へ……?
いきなりの提案に大男はあっけにとられ、涙を浮かべたままオディールを見上げた。
「女二人で旅行してるんだけど物騒でさ、ついてきてくれると助かるんだけど……」
「りょ、旅行の護衛……ですか? ……。こ、恐くなければ……やりますよ?」
「恐くないよ、旅のお供だから楽しいよ!」
ニコッと笑うオディール。
「旅のお供……、何だか面白そうですねぇ」
そう言いながらゆっくりと立ち上がる大男。身長は二メートルほどありそうで、その盛り上がる大胸筋と太い二の腕の迫力にオディールは思わず後ずさる。
「お、おぉ……、い、いいね。いい迫力だ」
「こんななりして魔法使いなんです……」
大男は猫背になって頭をかいた。
「うーん、ちょっと背筋伸ばして腕組んで、キッとにらんで」
「こ、こうですか?」
言われた通りにポーズを取ると、その筋骨隆々な男からは畏怖すら感じさせる威圧感が溢れ、見る者すべてをたじろがせる迫力があった。
お、おぉ……。
その想像以上の圧力に一瞬ひるんだオディールだったが、ニコッと笑うとまるで丸太のような二の腕をパンパンと叩く。
「いいね、いいね! 合格! 君はその顔で僕らの後ろについてきてくれるだけでいいよ」
「えっ? これだけでいいんですか?」
大男は驚き、優しそうに笑う。
「ほらほら、顔崩れてる! キッ!」
オディールは眉をひそめ大男を指さした。
キッ!
そう言いながら大男は慌てて険しい顔に戻る。
「よーし、じゃぁ契約だ!」
オディールはニコッと笑うと大男に右手を差し出した。
大男は嬉しそうにニッコリと笑い、がっしりと握手をする。
「あ、あたたた……」
あまりの握力に手がつぶれそうになったオディールだったが、頼もしい仲間が一人増えたことでその心は喜びに輝いていた。
男の名はヴォルフラム。【風神に選ばれしもの】スキルを持ち、風魔法を使える若く優しき魔法使いだった。
◇
その晩、レストランで食事をしながら作戦会議をする――――。
「で、ど、どこへ旅行するんですか?」
ヴォルフラムはリンゴジュースをちびりちびりと飲みながら、でかい図体を小さくして恐る恐るオディールに聞いた。
その子リスのような仕草にオディールはクスッと笑うと、顔をのぞきこむように聞き返す。
「どこがいいと思う?」
「えっ!? 行先決まってないんですか!?」
「だって、旅行行くの決まったの今日だもんね?」
オディールはミラーナに振る。
「そうなんですよ。いきなりで笑っちゃうの」
ミラーナは肩をすくめた。
ヴォルフラムはポカンと口を開けて無計画な二人の美少女を眺め、首をかしげる。
こんな人たちについていって大丈夫なのかと不安になるヴォルフラムだったが、リンゴジュースをグッと一口飲んで息を落ち着けるとオディールに聞いた。
「はぁ……。それで王都からまずこの街に来たと……。どういうところ行きたいんですか?」
「どういうところがあるの?」
ニコニコしながら聞き返すオディール。
「北の方へ行けばサーモンが美味しい氷の街、南に行けばカジノがあるリゾートの街……」
「東に行けば?」
「東? 東なんて山脈超えたらもう砂漠で何もないですよ」
ヴォルフラムは首を振り、肩をすくめる。
「砂漠……?」
「正確には山を越えたところに自分の生まれた村があって、そこが最後ですね。その先は見渡す限りの荒れ野の砂漠です」
「へぇ、そんなところで生まれたんだ。村の名物って何?」
オディールは肉の一切れをフォークで突き刺すと、パクっと口の中にほおばった。
「いや、本当にド田舎の貧しい村なんで何もないですよ。娯楽も何もないんで子供の頃はドラゴン飛んでるのをボーっと見てたくらい……」
「ド、ドラゴン!? あの巨大な龍みたいな?」
オディールは初めて聞くファンタジーな話に身を乗り出した。
なんとこの世界にはドラゴンがいるらしい。もちろん、国造り神話の中で、はるか昔、初代国王がドラゴンと共に国を創ったという伝説は残っているが、まさか本当に実在していたとは全然知らなかったのだ。伝説では口から吐く炎で見渡す限り焼け野原にしたと伝わっているが、もしかしたら本当にそんなこともできるのかもしれない。
「ドラゴンですよ? 知らないんですか?」
ヴォルフラムはなぜドラゴンなんかに興味があるのかよく分からず、面倒くさそうに返す。
「ドラゴン……」
オディールは手を組んで宙を見上げ、美しい碧眼をキラキラとさせながらまだ見ぬドラゴンを想う。それはまさに思い描いていた、魔法と冒険が交錯する異世界そのものであり、オディールは魂が震え、全身に鳥肌が立った。
「ドラゴンがいるらしいよ! 知ってた!?」
オディールは色めき立ってミラーナに聞く。
「そんなのメイドだった私に聞かないでよ。でも……、いるなら私も見てみたいわ」
ミラーナも両手を組むと宙を見あげた。やはりファンタジーな生き物にはロマンがある。
「本物なの? 大きい?」
オディールは食いつくようにヴォルフラムに聞いた。
「偽物のドラゴンなんていないですよ。大きさはそうですね……翼の長さが三十メートルくらいですかね?」
オディールは目をキラキラとさせ、見開いたまま固まる。
「三十メートル……。行こう……」
「え?」
「ドラゴンだよ! 見に行くよ!」
「えーー! サーモンとか食べに行きましょうよぉ」
ヴォルフラムは口をとがらせる。子供の頃にさんざん見たドラゴンなんて見たくなかったのだ。
「いいの! ドラゴンが先! どうやって行くの?」
オディールはヴォルフラムの太い腕をぎゅっと握り、決意のみなぎる目で言った。
「わ、分かりましたよぉ。馬車で三日くらいですね。山道きついから覚悟しててくださいよ」
ヴォルフラムは深くため息をつくとリンゴジュースを呷る。
「くふふふ、ドラゴン……」
オディールは両手を組んで瞼を閉ざし、まだ見ぬファンタジー生物を夢見ながら、不気味な笑い声を漏らしていた。
◇
翌日、オディールは市場で食料や日用品などを手当たり次第に買い込んで、公爵家の宝物庫からくすねてきたマジックバッグに詰め込んでいった。
「オディ、ちょっと買いすぎじゃない?」
ミラーナはあきれ顔で言うが、オディールは意に介さない。
「これから何もないド田舎へ行くんだよ? 何が必要になるかわかんないじゃない。あ、毛布とかもいるかもしれないね……」
と、さらに買い物を加速させていく。
ヴォルフラムは惜しげもなく金貨を次々と使っていくオディールに唖然としながらも、言いつけ通り護衛として背筋を伸ばしながら腕を組み、オディールの後ろで目を光らせていた。
珍しいものだらけであっち行ったりこっち行ったり、オディールはキョロキョロしながらせわしなく市場の中を巡っていたが、さすがに疲れ、隅っこでへたり込む。
「あー、疲れちゃった……」
「姐さん、そろそろ馬車の時間ですよ?」
ヴォルフラムはオディールの顔をのぞきこみながら心配する。
「足が棒のようだよ……。ヴォル、運んでって」
オディールは冗談で両手をヴォルフラムの方に伸ばした。
「しょうがないですねぇ」
ヴォルフラムはそんなオディールの脇の下に手を入れて、ヒョイっと高々と持ち上げるとそのまま肩車にした。
うへぇ!
まさかこんなに軽々と持ち上げられると思っていなかったオディールは焦り、慌ててワンピースのすそを押さえる。
「暴れないでくださいね、じゃ、行きましょう」
ヴォルフラムは事も無げにそう言うと、ノッシノッシと馬車乗り場へと歩き出す。
ウヒョー!
歓喜の声を上げるオディール。二メートルはあろうかというヴォルフラムの上からの景色は格別で、まるで巨人になったようだった。
「重く……ないの?」
ミラーナが不思議そうに聞く。
「昔はこうやってよく妹と遊んでいたんですよ」
ヴォルフラムはニコッと笑うと、幸せそうに微笑んだ。
イェーイ!
オディールはヴォルフラムの上で高々と手を突き上げて上機嫌だった。
◇
三日ほど馬車に揺られながら、山脈を越えていく一行。
「ドーラゴン、ドーラゴン、まーってろよー」
オディールは調子っぱずれの歌を口ずさみながら馬車に揺られ、ミラーナとヴォルフラムは顔を見合わせ苦笑する。
晴天続きで暑い日が続いたが、オディールはスキルで雲を出し、日陰の中をのどかに進んで行った。
乗っているだけでは暇なので、ミラーナとヴォルフラムには魔法の練習をしてもらう。馬車の最後尾に座ってもらい、田舎道に魔法をポンポンと放ってもらうのだ。敵を倒すわけではないのでレベルは上がらないがスキルランクは上がっていく。
ヴォルフラムはいくら魔法を放っても尽きないオディールの無限魔力の凄まじさに唖然としていたが、そのおかげで延々と魔法を放ち続けられるので一生懸命練習を繰り返した。
額に汗しながら絶え間なく風魔法を撃ち続けるヴォルフラムの真面目さに、オディールは感心する。このまっすぐで真摯な若者に出会えたことは幸運と言えるだろう。オディールは穏やかな笑みを浮かべ、この素晴らしい出会いに深く感謝した。
最終日になると馬車は峠を越え、下り坂を進んで行く。
みんなが魔法の練習にいい加減疲れ切ったころ、ついにドラゴンの村、オランチャについたのだった。
◇
山脈を越えた開けた平野には畑が広がり、ポツポツと家が建っている。しばらく行くと古びた鐘楼が建つ広場があり、さびれた商店が一軒開いていた。やる気のないおばあさんが店先で座っている。
おばあさんは馬車から降りてくるヴォルフラムを見ると、嬉しそうに声をかける。
「おやヴォル坊! どうしたんじゃ?」
「お久しぶりです。この方たちがドラゴンを見たいんだそうです」
「はぁ? あんなものを見にわざわざ来たんかね? そりゃ、ご苦労なこったな。カッカッカ」
オディールはペコリと頭を下げ、ニコッと笑いながら聞く。
「こんにちは。どの辺りに現れるんですか?」
「さっき、あの辺を飛んでおったよ」
そう言いながら山脈の方を指さした。
「えっ! さっきですか!?」
オディールはミラーナと顔を合わせ、残念そうに肩を落とした。
「まぁ、そのうちにまた通るじゃろう。カッカッカ」
おばあさんは楽しそうに笑った。
ヴォルフラムは小さな肉まんのようなお団子を一つ買って、ほお張りながら聞く。
「村のみんなは元気ですか?」
「んー、もうジジババばかりになってどんどん死んでっちまうからなぁ……。それに最近は雨が降らなくなってのう。ちょっと大変なんじゃ」
おばあさんは沈んだ顔をしてうなだれる。
「え? 干ばつ……ですか?」
ヴォルフラムは青い顔をして答えた。この村の産業は農業しかない。過去、干ばつが襲った時は多くの家が飢え、子供を街へ売ったりして多くの悲劇が生まれていたのだった。
「畑も元気なかったじゃろ?」
「そうですね、確かに……」
ヴォルフラムはそう言いながらオディールを見る。その子リスのようなクリっとした目には哀願の色が浮かんでいた。
「ふふーん、一肌脱いじゃおうか?」
まさに自分のためにあるような格好の舞台に、オディールはドヤ顔で提案する。
「お、お願いします!」
深々と頭を下げるヴォルフラムの姿には、生まれ故郷を救いたいという純粋な想いがこもっていた。
オディールは、軽快な走りで広場を横切り、大きな岩の上にピョンと跳び乗ると、広大な畑が続く大地を見渡した。確かにところどころ黄色くなってしまっていて元気がない。
「よーし、いっちょやってみっか!」
オディールは自信に満ちた笑顔で、力強くこぶしを握った。
大きく息をつくと、オディールは目をつぶり、雨のイメージを丁寧に紡いでいく。やりすぎたら洪水になってしまうし、局所に降らしても被害が出る。畑全体に広く潤すような雨のイメージを固めていく。
よし……。
オディールは快晴の青空に向けて両手を広げ、神妙な面持ちで祭詞を唱えた。
「【龍神よ、猛き息吹で恵みを降り注げ】」
詠唱と同時にオディールの全身からは青く光る微粒子がブワッと飛び出し、渦を巻きながら大空へと立ち上っていく。
それはまるで青く輝く龍が空へと昇っていくように見えた。
キラキラ光る龍が大空へ吸い込まれていった直後、にわかに掻き曇り、暗雲がもこもこと立ちこめていく。
ポツリポツリと天からの恵みは畑へと降り注ぎ始め、やがてザーっと本格的な雨になる。
久しぶりの雨は乾ききった大地にどんどんと吸い込まれ、ひんやりとした風が雨の香りを運んできた。
眼を凝らすと、畑の中に点在する家々からは次々と人々が飛び出してくる。彼らは雨に打たれながら口々に神への感謝を叫び、大空に手を広げた。雨はまさに生命の源、干天の慈雨はこの上ない恵みだったのだ。
やがて大人も子供もずぶ濡れになりつつ、溢れんばかりの喜びで踊り出す。
オディールはその情景を眺めながら、ほろりと涙が零れ落ちた。お前など要らないとバカにされ、王都を追い出されたオディールの心には自身が予想していた以上に深く、切ない傷痕が刻まれていた。どんなに気丈にふるまったとしても、人から否定されることによる心の傷はごまかしきれない。
しかし、今、目の前で歓喜に包まれる人たちを見て、オディールは全ての呪縛から解放されたのだ。前世でもこんなに人に喜んでもらったことなどなかったのだから。
もちろん、オディールがこんな奇跡を引き起こせたのは、女神から授けられたチートのお陰である。だが、危険をものともせずに王都を後にした彼女の決断が、それを可能にしたのだ。
旅に出て良かった……。
オディールは手の甲で涙をぬぐうと、喜びに舞う人々に両手を広げ、『幸あれ』と願った。
「おぉぉぉ! すごいです!」
ヴォルフラムは感動して駆け寄ってくると、両手を組んでオディールを崇める。天候を操れるとは聞いていたが、ここまで完璧に雨を降らせるとは思っていなかったのだ。ヴォルフラムにはここまでできるオディールはもはや神と映っていた。
オディールは急いで涙をぬぐい取ると、ニヤッと笑ってヴォルフラムを見下ろす。
「ふふーん、どう? 僕ってすごいでしょ?」
少しおどけた調子で腰に手を当てたオディールは、モデルのようにドヤ顔でポーズを取る。
「姐さん! 僕は一生姐さんについていきます!」
ヴォルフラムのまっすぐな熱い言葉がオディールの涙腺を緩ませた。
「や、やだなぁ、ちょっと重いんだけど……」
オディールはさりげなく後ろを向いて溢れてくる涙を隠す。
顛末を知るミラーナは少し涙ぐみながら、そんなオディールを温かいまなざしで見守っていた。
雨雲はオランチャの畑一帯を潤しながら風に流され、徐々に山の方へと消えていく。乾いた大地に降り注いだ雨は、畑の作物を緑色に輝かせ、心なしか元気になったように見えた。
◇
「あれ、何かしら?」
ミラーナが眉をひそめ、山の方を指した。
見ると、巨大な鳥のようなものが稜線を越え、雨の中を優雅に舞い、ゆっくりと羽ばたいている。
「も、もしかして、ドラゴン!?」
オディールは色めき立ち、鳥とは一線を画すその雄大な姿に釘付けになった。
「あぁ、あれがドラゴンですよ……。でも……、何だか様子がおかしいですね」
ヴォルフラムは眉をひそめ、首をひねった。
「うぉぉぉ、すごいすごい! イッツ・ファンタジー!」
興奮に身を任せ、オディールは岩の上でピョンと飛び上がる。
旅客機に匹敵する大きさを誇る幻想的な巨体が、壮大な山脈を背景に翼を大きくはばたかせ優雅に空を舞っている。それは一幅の絵画のような異世界ならではの光景であり、オディールは目を輝かせ、食い入るようにドラゴンを見つめた。
「な、何だかこっちを目指してますよ。こんなこと今までなかったのに……」
ヴォルフラムは青い顔をしながら後ずさる。
「え? こっちにやってくるの? すごいじゃん!」
オディールはのんきにそう言うが、ヴォルフラムは泣きそうになりながら頭を抱える。
「もしかして、雨を降らせたことを怒っているんじゃ? ど、ど、ど、どうしよう……」
「へ? 怒らせちゃった? ど、どうなるの?」
「し、知りませんよ。今までドラゴンを怒らせた人なんて聞いたこともないですから」
オディールはドラゴンを見つめながらアゴをなで、しばらく考えると、ニヤッと笑って聞いた。
「ドラゴンって……、強い?」
「そりゃぁ全ての生き物の頂点ですからね。口から吐く炎、ドラゴンブレスはありとあらゆるものを焼き尽くすと言われてますよ。そんな攻撃されたら僕らなんて一瞬で炭……、ひぃ!」
ヴォルフラムは巨体を丸くしてガクガクと震えた。
「ミラーナ、岩壁よろしく!」
「えっ!? ドラゴン相手に戦うの!?」
「売られたケンカは買わなきゃ!」
オディールはワクワクを押さえきれずに、いたずらっ子の笑みを見せる。
ミラーナとヴォルフラムは眉をひそめ、顔を見合わせた。
そうこうしているうちにもすさまじい速度で迫ってくるドラゴン。漆黒の鱗に包まれた巨体はほのかに黄金色の光をまとい、巨大な牙、鋭い爪を光らせながら泰然と大きな翼をはばたかせ、空を駆けてくる。
「総員戦闘配置につけ!」
オディールはノリノリでこぶしを突き上げるが、ミラーナもヴォルフラムもどうしたらいいか分からずオロオロしている。
「大丈夫だって。ドラゴンって言ったってトカゲの一種でしょ? ガツンと一発ぶちかましてやれば瞬殺だよ。一緒にドラゴンスレイヤーになるぞ! オーッ!」
のんきに勝つ気満々なオディールに、ヴォルフラムは冷汗を垂らしながら説得する。
「いやいやいや、ドラゴンは神の使いですよ? 人間じゃ勝てませんって!」
しかし、オディールは逆に燃えてしまう。
「ふふーん、では僕らが人類史上初のドラゴンスレイヤーだぞ。いいから魔法の用意して!」
二人は渋々、魔法陣の描かれた魔法手袋を取り出すと右手につけた。
見る間に迫ってきたドラゴンは、バサッバサッと大きな翼をはばたかせながら減速し、一旦宙に止まると、真紅の巨大な目でオディール達を睥睨した。
鱗に覆われたティラノサウルスのような恐ろしい顔、巨大な口から覗く牙、この世界の頂点に君臨する王者の圧倒的な迫力が場を支配する。
ギュォォォォーーーー!
腹をえぐるような重低音の咆哮を放つとドラゴンは、ズン! と地響きを響かせながら広場に着陸した。
ミラーナもヴォルフラムもその大いなる神の使いに圧倒されて言葉を失い、震えながら立ちすくんでしまう。
ただ、オディールだけはキラキラと目を輝かせ、興奮に駆られてこぶしを振り、夢にまで見た異世界の象徴にくぎ付けとなっていた。
「雨を降らせたのはお主らか?」
ドラゴンは巨大な真紅の瞳をギョロリと動かし、重低音の声を響かせる。
「そうだよ! まずかった?」
オディールはひるむこともなく、ニコニコしながら答えた。
「我の住処が水浸しなんだが? 人間の分際で勝手に天気を変えるとは何事じゃ! クワッ!」
ドラゴンは口から衝撃波を放ち、三人はあっさりと風圧で吹き飛ばされる。
うわっ! きゃぁ! グフッ!
岩から転げ落ちたオディールは挑戦的な視線でドラゴンをにらむと、ワンピースの土ぼこりを払いながら立ち上がり、ドラゴンを指さして吠えた。
「何よ! 偉そうに! 濡らしたのは悪かったけど、日照りに苦しんでる村に雨降らすくらいで文句言われる筋合いないんだけど?」
「姐さん、マズいって!」
ヴォルフラムは慌ててオディールの腕をつかんだが、オディールはそれを振り払い、逆に叫ぶ。
「二人とも! 準備して!」
「何じゃ? お主ら我に楯突こうというのか? ん?」
「そうよ? 先に手を出したのはあんた。お仕置きしてやるんだから!」
オディールはグッとこぶしを突き出すと言い放った。
「お仕置き……? 人間ごときが生意気な! 勝てるとでも思っとるのか?」
「僕の方が強いもん! 勝ったらいうこと聞いてもらうからね?」
オディールは腰に手を当て、ドヤ顔でまだ発達中の胸を大きく張った。
ドラゴンはオディールの不敵な挑発にその真紅の瞳を怒りで細め、身体を震わせながら、のどをグルルルと雷鳴のように響かせる。
「痴れ者が……。消し炭にしてやるわ!」
ドラゴンは天高く仰ぐと巨大な口を開け、大きく息を吸った。
「あわわわわ……。来ますよぉ!」
真っ青になって後ずさるヴォルフラム。
「ミラーナ! 岩壁!」
オディールはミラーナの背中をパンパンと叩き、ミラーナは慌てて呪文を詠唱する。
直後、地面がボコボコボコっと湧き上がり、巨大な岩の壁が地面からそびえ立った。
同時にドラゴンは巨大な口をパカッと開き、オディール達めがけて口から一億度を超える超高温のプラズマの眩しいジェットを放つ。まるでジェットエンジンのような轟音が村中に響き渡り、プラズマはオレンジ色に光り輝きながら岩壁を襲った。
ひぃぃぃ! きゃぁ!
岩壁は超高温に晒されて徐々に赤く光を放ち始め、角から溶け落ちていく。
周りをすっかり超高温のプラズマに囲まれ、ヴォルフラムもミラーナも頭を抱えてうずくまった。
しかし、オディールだけはアドレナリンが全開となって、きゃははは! と、ハイテンションの笑い声を響かせる。
「見せてあげるわ、女神に愛された者の力を!」
ドラゴンの上空に向けて手のひらを掲げたオディールは祭詞を叫んだ。
「【龍神よ、凍てつく息吹で氷のつぶてを降り注げ】」
一瞬空に閃光が瞬き、直後、スイカのような巨大な雹がものすごい速度で降ってきてドラゴンの脳天を直撃し、グシャァ! と衝撃音をたてながら砕け散った。
グハッ!
何が起きたか分からないドラゴンは空を見上げたが、バラバラとさらに雹は降り注いで鱗や翼に直撃し、重く鋭い衝撃音が辺りに響き渡った。
「な、なんじゃこりゃぁ!?」
最初のうちは耐えていたドラゴンだったが、雹はどんどん数も増え、サイズも巨大化していくので、たまらず逃げようとする。
「こ、小癪な! 痛てっ! 痛いっ! グワァァ!」
しかし、ドラゴンは雹を踏んでしまって転倒、そこにさらに膨大な量の雹が落ちてきて、あっという間に雹の山に埋もれていく。
「トカゲなど冷やしてしまえば動けまい。くふふふふ」
オディールは岩壁の脇からひょこっと顔を出し、徐々に高くなっていく雪山を見ながら嬉しそうに笑った。
しかし、雪山はもこっと盛り上がると、亀裂が入り、ガラガラと雪崩を起こす。
「くっ! 雪じゃダメか……。作戦変更! ヴォル、行くゾ!」
オディールは丸くなって震えているヴォルフラムの背中を叩いた。
「嫌ですよぉ! 僕は恐い事やらないって言ったじゃないですかぁ!」
ヴォルフラムは涙声で返す。
「何言ってんの! あいつの横暴を許したらもう二度と干ばつを救えないって事だよ? 村はもう救えないよ?」
「えっ!?」
ヴォルフラムは慌てて顔を上げ、指で涙をぬぐった。
「ヴォルは村を救いたいんだろ? 手伝ってよ」
オディールはニコッと笑ってヴォルフラムに手を差し伸べる。
しばらくうつむいていたヴォルフラムだったが、ゆっくりとうなずくとオディールの手を取った。
「へ? ゆ、雪が……」
ヴォルフラムは恐る恐る岩壁の脇から前をのぞき、巨大な雪山に呆然としている。
「早く、早く! 来ちゃうぞ! 風刃用意!」
オディールはヴォルフラムのデカいお尻をパンパンと叩いて気合を入れた。
直後、雪山はまるで息を吹き込まれたかのようにふくらむと、中のドラゴンがみなぎる闘志で力任せにグルンと回り、強靭なシッポを振り回して雹を辺りに吹き飛ばす。
ギュォォォォーーーー!
怒りで瞳を真っ赤に光り輝かせながら、ドラゴンは天に向かって腹をえぐるような重低音の咆哮を放つ。
「小童どもがーー! もう許さん!!」
怒りで我を忘れたドラゴンは強靭な後ろ足で駆け、突っ込んでくる。その巨大な重機のような身体で、鋼鉄のようなシッポでオディール達をミンチに挽き潰すつもりに違いない。
「ひ、ひぃぃぃ! 来ますよぉぉぉ!」
「足だ! 足に全力で風刃!」
オディールは叫び、ヴォルフラムは慌てて呪文を詠唱した。
直後、ヴォルフラムの身体が緑色に輝き、巨大な風の刃、風刃がまばゆい光を放ちながら宙を舞う。
行っけーー!
オディールの叫び声が響き、無限の魔力を帯びた風刃は思いっきりドラゴンの脛に着弾し、強靭な漆黒の鱗を弾き飛ばした。
グハァ!
ドラゴンはたまらずその巨大な身体を地面に叩きつけ、地震のような激しい衝撃が辺りを襲う。
「ヴォル! グッジョブ! とどめだ、食らえ!」
オディールは嬉しそうに碧眼をキラリと光らせると、全身全霊の魔力を腹の底から絞り出し、両手を天に掲げながら祭詞を叫んだ。
「【雷神よ、裁きをあの身に降り注げ!】」
オディールの身体から放たれた黄金の微粒子たちは、まばゆい輝きを放ちながら軽い螺旋を描きつつ一気に天に上っていく。
次の瞬間、激烈な光の奔流が天と地を飲みこんだ――――。
耳をつんざく轟音、まるで無数の打ち上げ花火が一斉に爆発したような爆音の嵐が辺りを襲う。
空から降り注ぐ煌めく稲妻の一斉射撃がドラゴンの翼を頭を胴体を次々と貫き、鱗を吹き飛ばし、翼を焼く。大自然の猛威を一方的に浴びせかける攻撃、それはもはや無慈悲な公開処刑であった。
ウギャァァァ!
ドラゴンは断末魔の叫びをあげると、ビクンビクンと痙攣し、やがて力なく大地に身を投げ出した。
ボロボロになったドラゴンの身体からはいくつもの煙の筋が立ち上り、辺りに焦げ臭いにおいが立ち込める。
直後、ボン! という爆発が起こって、ドラゴンは爆煙の中に沈んだ。
「やったか!?」
ニヤリと笑うオディール。
ヴォルフラムは青い顔をしてワンピースの袖をつかみ、ブルっと震えた。
「姐さん、それ禁句ですって」
柔らかな風が少しずつ爆煙をおいやり、薄くなっていく煙……。
固唾を飲んで見守る一行。
ところが、煙が晴れるとドラゴンの巨体はなくなっていた。その代わり、金髪おかっぱの少女が横たわっている。
オディールは何が起きたのかよく分からず、ミラーナとヴォルフラムと顔を見合わせる。
「何あれ?」
しかし、なぜ少女が倒れているのか誰も分からなかった。
恐る恐る近づいてみると、女子中学生のような少女がグレーの近未来的なジャケットを着て、静かに眠っているかのように倒れていた。
ミラーナは彼女をそっと抱き起こすと、ペチペチとほほを叩いた。
う、うぅぅ……。
うめき声をあげる少女。白い雪のような肌に整った目鼻立ち。まだ幼いながらすでにその美しさは人々を引きつける力を持っていた。
「ねぇ、大丈夫?」
ミラーナは優しくほほをなで、美しい金髪がサラサラと流れる。
うぅぅ……。
少女は薄っすらと瞼を開け、ハッとすると、三人を見回した。
「おっといけない……。お邪魔しましたぁ……」
慌ててバッと起き上がった少女はそう言って逃げようとする。
「ちょいと待ちな」
オディールは鋭い目つきで少女を睨むと、少女の襟元をガシッとつかんで制止した。
「な、なんじゃ?」
少女は冷汗を浮かべ、目を泳がせながら必死に言葉を絞り出した。
「お前、ドラゴンだろ?」
オディールは少女を強引に引き寄せると、可愛い顔をのぞきこみながら嬉しそうに言った。
「な、何を言うんじゃ、こんな可愛い女の子つまえてドラゴンだなんて……」
女の子は必死にごまかそうとするが、その澄み通った真紅の瞳はさっきのドラゴンと同じ色であり、バレバレだった。
「勝ったら言うこと聞いてもらうって話だったよなぁ? え?」
オディールはドヤ顔で女の子のプニプニのほっぺたをツンツンとつつく。
「くぅ……、ぬかったのじゃ」
女の子はベソをかいてうつむいた。
◇
ドラゴンの名はレヴィア。千年近く前、女神により異世界から連れてこられた超常生物だった。当初は伝説にも登場するくらい存在感があったが、ここ数百年は隠居して山でスローライフを満喫していたらしい。普段は少女姿で暮らし、どこかへ外出する時はドラゴンの姿になって飛んで行くということだった。
「さて、罰ゲーム・ターイム!」
オディールは上機嫌に右手を突き上げる。
「な、何をやらす気じゃ? エッチぃのはダメじゃぞ?」
レヴィアはびくびくしながら上目遣いでオディールを見る。
オディールはポンとレヴィアの肩を叩き、嬉しそうにレヴィアの瞳をのぞきこんだ。
「ふふーん、君には仲間になってもらうゾ!」
へ?
レヴィアは真意をはかりかね、言葉を失った。今、自分は彼らを全力で殺そうとしていたのだ。そんな自分をなぜ、仲間になどしようとするのか? そもそもなぜ、この可愛らしい少女は強大な力を秘めているのか? レヴィアはオディールのキラキラと光る碧眼に心を奪われつつ困惑する。
ミラーナとヴォルフラムも顔を見合わせ、一体何が始まるのか小首をかしげた。
「な、仲間……? お主らは何のパーティなんじゃ?」
レヴィアは眉間にしわを寄せながら三人を見回し、怪訝そうに聞く。
「僕らは世界中を旅行する旅行パーティ。楽しいことをする仲間なんだ」
オディールはそう言ってミラーナとヴォルフラムを引き寄せ、腰に手を回しながら嬉しそうに笑った。
「はぁ……?」
「何? その反応……。まぁいいや。じゃ、ちょっと僕らを乗せてひとっ飛び、大陸の果てまで飛んでよ!」
オディールは無邪気に依頼する。
「大陸の果てって……、どこ行くつもりじゃ」
「うーんと、この先って何があるの?」
オディールは広大な麦畑の向こうを指さす。
「延々と砂漠じゃよ。ずーっと砂漠」
「砂漠の向こうは?」
「んーーーー、何があったかのう? 最後は森があって海じゃったような……」
「おぉ! 海! じゃ、海までひとっ飛びヨロシク!」
オディールは上機嫌にポンポンとレヴィアの肩を叩いた。
「う、海まで……本気か……?」
レヴィアは渋い顔をする。何も考えて無さそうなこのお気楽少女の言うことなど聞いていたら、大変な目に遭いそうである。
「本気も本気、レヴィアならひとっ飛びでしょ?」
レヴィアは大きなため息をつくと、ミラーナとヴォルフラムの方を見る。
「お主らはそれでええのか?」
「私、海見たことないの。見てみたいわ!」
ミラーナは、嬉しそうに両手を組みながら上機嫌に答える。
ヴォルフラムはやや困惑気味に、小首をかしげながら『二人にお任せ』という感じで二人の方を手のひらで指した。
レヴィアは目をつぶって腕を組む。
ドラゴンを圧倒した奇妙なパーティ、その目的は観光だと言う。この能天気な小娘が癪に障るが、無茶な冒険をするわけでもなし、暇つぶしにはいいかもしれない。思えば数百年、ずっと孤独を満喫してきたがさすがにそろそろ飽きてきていたというのもある。
レヴィアは片目を開いてオディールの碧い瞳を見つめた。
それに、自分を圧倒したこの小娘の恐るべき力。その気になれば世界征服すら可能であろうその脅威的な力を使って、彼女がこれから何をするのかも気になった。
「まぁ、ええじゃろ。しばらくつきあってやろう」
レヴィアはニヤッと笑うとオディールに右手を差し出す。
「ふふっ、よろしくね!」
オディールは満面に笑みを浮かべ、ギュッと握手をした。
こうして一行は思いがけず伝説の生き物、ドラゴンを仲間に加えることに成功する。空を飛べる仲間を得たことは、旅を大いに楽にしてくれるに違いない。
オディールは楽しい予感に心が舞い上がり、ピョンと跳び上がると叫んだ。
「イェーイ! 歓迎のダーンス!」
喜びに身を任せて、手を思い切り振り上げ、振り下ろし、下手ながらも幸せを全身で表現するダンスを披露する。
きゃははは!
楽しそうに笑うオディール。それは不格好でも見る者に楽しさが伝わってくるダンスだった。
「姐さん、楽しそうですねぇ……」
ヴォルフラムは嬉しそうにそう言うと、オディールの真似をして踊り始める。
「なんじゃ、そりゃぁ」
呆れるレヴィアに、オディールは背後から両手を取った。
「ほらほら、レヴィちゃんも踊った踊った!」
オディールはレヴィアの手を右右、左左、と伸ばさせると、くるりと回した。
「うわぁぁ」
「はい、自分で踊って!」
オディールは、そう言うとヴォルフラムの後ろについて踊る。
「しょうがないのう……。歓迎の舞じゃなかったんかい……」
レヴィアはそう言いながらも楽しそうにオディールに続いた。
「じゃあ、私も……」
ミラーナもレヴィアに続く。
こうして一行は盆踊りのように輪になって思い思いに楽しく踊りながら、仲間を得た喜びをかみしめ、まだ見ぬ大陸の果てを思い描いたのだった。
◇
「お主ら、しっかりつかまっとけよ!」
ドラゴン姿に戻ったレヴィアは三人を後頭部に乗せ、巨大な翼を雄大に広げてグンと天高くそびえたてた。その、翼の骨と広大な皮膜は、コウモリにも似た生々しい生き物の造形を感じさせるが、長さは十数メートル。まるで巨大な帆船のようであった。
その巨大な翼をバサッバサッとはばたかせると、レヴィアは太い後ろ足でグンと地面を蹴る。
うわぁ! きゃぁ! うぉぉ!
ものすごい加速で思わず振り落とされそうになる三人。
まるで嵐を巻き起こすかのように力強く羽ばたくドラゴンは、あっという間に高く舞い上がる。
チラッと下を見て、唖然としている商店のおばあちゃんを見つけたオディールは、大きく手を振り、嬉しそうに叫んだ。
「いってきまーす! きゃははは!」
風をつかみ、力強く、空高く駆け上がるドラゴン。村の建物は見る間に小さくなって、手のひらサイズのジオラマ模型のようになっていく。
「すごい! すごーい!」
はしゃぐオディールだったが、横を見るとミラーナもヴォルフラムも鱗のトゲにしがみついて、目をギュッとつぶって耐えている。
「なーにやってんの! ほら見て、いい景色だよ!」
オディールはミラーナの背中をポンポンと叩いた。
恐る恐る目を開けたミラーナは、一日がかりで超えてきた山脈がもう遥か下にに見えるのに驚き、唖然とする。
さらに、山脈の向こう、ずっと奥には、傾いてきた太陽のオレンジ色の光を浴びながら円形の構造物が小さく見えた。
「えっ? あれって……何かしら……?」
ミラーナが不思議そうに聞く。
「おぉ、王都だね。まだ見えるんだ。ちっちゃいねぇ。きゃははは!」
オディールは笑い飛ばした。
「王都ってあんなに小さいの!?」
驚きに息を呑むミラーナ。生まれてこの方ずっと王都の中にいて、王都が世界の全てだったミラーナにとって、その光景は一瞬で世界観をひっくり返されるほどの衝撃だった。
口をポカンとあけて呆然としているミラーナの手を、オディールはギュッと握り、ブラウンの瞳をのぞきこむ。
「これが世界だよ。来て良かったでしょ?」
風に乱れる美しい黒髪を片手でなだめつつ、圧倒されるミラーナは静かに首を振る。
「これが……、世界なのね……。ありがとう、オディ」
ミラーナは世界の壮大さに心を打たれ、オディールの手を強く握り返した。
日が落ちてきてオレンジ色に輝き始めた砂漠の上を、レヴィアは気持ちよさそうに軽やかに飛び、大陸の奥へ奥へと進んでいく。
延々と続く草一つ生えていない砂漠、それは生き物の姿一つ見えない不気味な死の領域だった。大地を引き裂いたような岩の山脈を越え、渓谷を越え、東へ東へと飛んでいく一行。
やがて、オディールは広大な砂漠の大地にポッコリと盛り上がる奇妙な岩山を見つけた。まるでオーストラリアのエアーズロックのような不思議な形をしているその岩山は、夕日に照らされて赤く輝いていた。
「うわぁ……、何あれ……?」
オディールはその奇妙な造形にくぎ付けとなった。まるで誰かが作ったかのように広大な砂漠にそこだけ盛り上がっているのだ。
「ただの岩山じゃろ」
レヴィアは重低音の声を響かせ、通り過ぎようとする。
「ねぇ! 降りて! 降りて!」
オディールはせがんだ。何か岩山に呼ばれたような気がしたのだ。
「へ? 海行くんじゃなかったんか?」
「いいから降りて!」
オディールは漆黒の鱗をバンバン叩く。
「砂漠の岩山に何があるんじゃ……。しょうがないのう……」
レヴィアは面倒くさそうにため息をつくと、首をもたげ、翼を斜め前に出し、急遽着陸態勢に入った。
◇
岩山をゆったりと旋回しながら高度を落とし、ふもとの荒れ地に着陸したレヴィア――――。
オディールはピョンと飛び降りて、岩山を見上げた。
夕日に照らされて赤く輝く岩山の高さは三百メートルくらい、幅は数キロはあるだろうか、断崖絶壁に囲まれて、登るとしたら骨が折れそうである。
「うわぁ、すごい岩山ねぇ……」
ミラーナも降りてきて岩山を見上げた。
「すごいよね。なんて山なんだろう。知ってる?」
オディールは金髪娘に戻ったレヴィアに聞いてみるが、レヴィアは、肩をすくめ首を振った。
「知らん。ここは周囲数百キロ砂漠しかないから、まだ誰も見たことない山かもな。せっかくだから名前を付けてみたらどうじゃ?」
「名前かぁ……赤い岩だからレッドロック……、いや、ダサいな……」
腕を組み、首をひねるオディール。
ヴォルフラムが岩山を不思議そうに見上げながら、つぶやく。
「赤ならロッソ……という言い方もありますねぇ」
「ロッソ……、いい響きね……」
ミラーナはにこやかにうなずいた。
「ロッソかぁ……、うん、いいかも。こいつはロッソだ! ヴォル、ナイス!」
オディールは嬉しそうにヴォルフラムの背中をパンパンと叩く。
えへへへ……。
ヴォルフラムは猫背で照れ笑いをしながら頭をかいた。
◇
砂漠の地平線に大きな真っ赤な夕日が沈み込み、その輝きを受けたロッソはまるで燃え上がるかのように真紅に煌めく。みんなは息をのんで、その揺らぎゆく色彩の美しさに見入っていた。
夕暮れの茜色から群青色へと続くグラデーションを背景に赤い輝きを放つロッソは、大自然の巨大なキャンバス上の繊細で感動的なアートとして心を打つ。
周囲数百キロ、誰もいない砂漠のステージで毎日繰り広げられていたショーは、今、オディールたちを迎えて初めて観客を得たのだった。
うわぁ……。
オディールは思わずため息をつき、ミラーナの手をそっと握る。
くだらない貴族社会でずっと窮屈な思いをして硬直していた心が少しずつほぐれていく感覚にオディールは身をゆだねた。知らないうちに頬を涙が伝っていく。
オディールは流れる涙をぬぐいもせず、ただ静かに刻々と表情が変わっていくロッソを眺めていた。
この先、何があるか分からないが、心揺るがす旅に人生の本質が埋まっているに違いない。
オディールは涙をぬぐうとミラーナの手をギュッと握って、嬉しそうにミラーナを見た。
ミラーナは一瞬キョトンとしたが、優しい笑顔でほほ笑み、ゆっくりとうなずいた。
◇
「よーし! 今日はここでキャンプだゾ!」
太陽が沈み、宵の明星が輝き始める中、オディールが腕を突き上げる。
「え? ど、どこで寝るの?」
ミラーナは、不安そうに聞く。
「これから簡単な小屋を建てよう。岩壁でね」
そう言うと、オディールはマジックバッグからひもを出し、コンパスの要領でガリガリガリっと地面に十畳くらいの広さの円を描いた。
「ミラーナ、この円に沿って岩壁を生やしてみて」
いきなりミラーナに無茶振りするオディール。
「えっ? 岩壁で小屋作るの!? そんなのやったことなんてないわよ」
しり込みするミラーナだったが、オディールはいたずらっ子の笑みを浮かべながら言う。
「野宿より小屋があった方がいいと……思うよ?」
えぇ……?。
ミラーナは眉をひそめるとため息をつき、渋々地面に描かれた線をたどってみる。
「えーっと……、これ、どうやって……ええーー……」
どうやって円弧の岩壁を出したらいいのかピンとこないミラーナは両手で口を覆い、うつむいた。
「失敗したっていいんだよ。ほら、やるよ!」
オディールは無責任にミラーナの背中を叩く。
ミラーナはジト目でオディールをにらんだが、確かに野宿よりは小屋が欲しいのはその通りだった。
大きく息をつき、精神を集中して岩壁のイメージを固めていくミラーナ。
夜の風がそよぎ始め、ミラーナの黒髪をさらさらと乱した。
「分かったわよ。じゃ、練習だと思って一気に行くわよ!」
ミラーナは円の中心に立つと、手をのばして呪文をぶつぶつと唱え始める。
直後、ぼうっと黄色い光がミラーナを包み、地面も円形に光り始めた。
「いいね、いいね! いくよっ!」
オディールはニヤッと笑うと、キラキラと黄金色に輝く光の微粒子をまといながら、ミラーナの背中に当てた手のひらから魔力を一気に注ぐ。
ミラーナは一瞬、眼がくらむほどの光を放った。その刹那、地面はまるで生き物のように円形に膨らんだと思うと、瞬く間に円筒状の岩壁が湧き出て天高くせり上がっていく。
地響きが響き渡り、土ぼこりをたてながら円筒の岩の壁は夕暮れ空めがけて伸び、やがて高さは十メートルはあろうかという壮観な構造物となった。
「やったぁ!」
期待を遙かに超えた成果にオディールは、心からの歓喜に手を振り上げ、軽やかに跳びはねる。
御影石のように白地に黒い粒を散らした高級感のある岩は、夕暮れの空を精巧に円形に切り取り、一つの立派な構造物として完全に機能していた。それどころかこれまで目にしたどんな建造物よりも、気高く美しい存在に見えたのだ。
ミラーナのこの力を使えばアパートでも橋でもスタジアムでも何でも作れてしまうのではないか? オディールは岩壁の無限の可能性に気が付き、ワクワクが止まらなくなってくる。
「ミラーナすごい! すごぉぉい!」
ミラーナの背中に抱き着くオディール。
はぁはぁと肩で息をついていたミラーナは苦笑いを浮かべると、しがみついているオディールの金髪をなでる。
「こんなので良かったかしら?」
「いやもう最高! これなら街でも作れるよ!」
「ま、街? 街よりもまず寝床が要るわよ?」
目をキラキラするオディールを見ながらミラーナは苦笑した。
「いやまぁ、そうなんだけど……。何にしてもミラーナはすごいんだ!」
オディールはギュッとミラーナを抱きしめ、柔らかく優しい匂いに包まれながらミラーナの持つ無限の可能性に思わずブルっと身震いをした。
◇
円筒だけじゃ建物にならない。二人は壁から階段のステップを土魔法で生やしながら螺旋階段のように上の方へと登っていく。
「じゃあ、この辺で二階の床を作ろう!」
オディールはミラーナに指示して床を作っていく。土魔法を駆使し、壁から梁を生やして向かい側へとつなげていくのだ。やがて、多少凸凹しているものの二階が出来上がる。
「こんなのでいいのかしら……?」
「大丈夫だって!」
不安がるミラーナに、オディールはピョンピョンと床を飛び回って見せた。
太い御影石でできた梁は人間の体重くらいではビクともしなかったのだ。オディールは改めて土魔法の有用さに感服する。
三階も作り、最後に円すい形の屋根を形作り、あっという間に家が完成してしまった。その形はまるでクレヨンだった。
土魔法で出入り口を開けて外に出ると、レヴィアが感心しながら声をかけてくる。
「いやぁ、お主ら凄いのう……」
いまだかつて土魔法で建物を建てた人なんて聞いたことが無かったのだ。それだけミラーナには才能があったし、オディールのチート魔力は異常だった。
「ふふーん、僕もミラーナも凄いんだゾ!」
オディールはミラーナの腕にしがみつくとドヤ顔を見せる。
「うんうんお主ら、息が合っていてよかったぞ。ちなみにお主らはどういう関係なんじゃ? 付き合っとるのか? ん?」
レヴィアは真紅の瞳を光らせ、嬉しそうに二人の顔を交互に見た。
「つ、つ、つ、付き合うだなんて……僕ら女同士……だよ?」
「性別なんてどうでもええじゃろ、心の問題じゃ」
「ただの友達ですよ、ねっ、オディ?」
ミラーナは屈託のない笑顔で言った。
「えっ? あ、う、うん……」
オディールはうなずきながらも、『ただの友達』という言葉に心の奥底にチクリととげが刺さったような痛みを感じ、うつむく。
自分はずっとミラーナと一緒に居たいのに、彼女にとって自分はただの友人でしかないという過酷な現実。その切ないギャップが、オディールの心に寂しさを深く刻んでいた。
群青色に染まる夕暮れ空の下、ロッソを背景に美しくそそり立つ白亜のクレヨンの家を見上げながら、オディールは口をキュッと結んだ。
◇
「あー、風呂入りたいな、露天風呂!」
オディールはもやもやを吹き飛ばしたくて、風呂を造ろうと提案する。
「ふ、風呂……?」
ミラーナはオディールが何を言い出したのか困惑していた。
「こういう絶景を見ながら入る風呂って言うのは、ほんと最高なんだよ! ね、レヴィア?」
オディールはレヴィアに振るが、レヴィアは渋い顔で返す。
「そりゃあ露天風呂は最高じゃが、そろそろ晩飯にせんか? 酒が飲みたいんじゃが……」
「今すぐちゃっちゃと作るからちょっと手伝ってよ。ディナーは終わってから!」
オディールは口をとがらせると、タッタッタと少し走り、地面にまた丸い円を描いた。
「ミラーナ、ミラーナ! もう一回岩壁お願い!」
ピョンピョン跳びながら手招きをするオディールに、ミラーナはやれやれという感じで肩をすくめた。
ミラーナに浴槽を作ってもらうと、オディールはクレヨンの家まで戻ってきて三階に駆け上がった。
「ハーイ! みんな! 雨降らすから家に入って!」
窓用に開けた穴からそう叫んで、オディールは夕暮れ空に向かって両腕を高く掲げる。
「え? 雨?」「マジですか……」
浴槽に雨で注水するという、トンデモ発想にみんな渋い顔をして家へと駆けこんでいく。
「【龍神よ、天の恵みをかの地に降らせたまえ】」
祭詞が部屋に響き、キラキラと光の微粒子に囲まれるオディール。
直後、ぶわっと湧き上がってきた暗雲から雨がパラパラと降り始める。
サラサラと降る雨は一面の乾ききった大地に久しぶりの湿り気をもたらした。大地にしみ込んでいく雨が、新鮮な雨の香りを広げていく。しかし、浴槽に溜まるほどの水の量ではなかった。
「こんなんじゃ風呂にはならんぞ。ディナーにして酒でも飲むか? クハハハ」
笑いながらレヴィアはオディールの背中をパンパンとはたいた。
「ちょっと、邪魔! あっち行ってて!」
オディールはレヴィアをドンと押しやると、奥歯をギリッと食いしばり、腹の奥底に全ての魔力を集結させる。
くぉぉぉぉぉ!
碧眼が鮮やかに輝き、金髪が逆立っていく。
黄金色に煌めく微粒子がオディールを包み込み、まぶしく輝いた刹那、再度バッと両腕を空に掲げる。
「【龍神よ、猛り狂え! 滴の猛威をここに!】」
明らかにヤバそうな祭詞が部屋に響いた。
直後、ビュウと不穏な風が吹き荒れ、ドッシャーッと滝のような集中豪雨が襲ってくる。
「あわわ……。なんちゅうことを……」
レヴィアは渋い顔をして、窓から降り込んでくる雨から避けるように奥に逃げた。
荒れ狂う風が吹きすさび、雨が容赦なく降り込んでくる中、オディールはびしょ濡れになりながら歓喜の声を上げる。
「きゃははは! 猛り狂え! ヒャッハー!」
初めて使う全力の雨スキル。それは想像を超えた威力で砂漠をあっという間に水で覆いつくしていく。
ヴォルフラムは激しく打ちつけてくる雨音に頭を抱えて丸くなり、ミラーナは雨の降り込まない隅っこでレヴィアと顔を見合わせて肩をすくめた。
◇
雨が上がると、オディールはレヴィアを連れて浴槽に行った。幸い、家の周りは少し高台だったため水は引いていたが、周囲は水びたしであり、ゴツゴツとした荒れ地も今は見渡す限り水面が広がっている。
十畳くらいの大きさはあろうかという浴槽には、なみなみと水がたたえられており、オディールは大満足。
「ほら、風呂になっただろ?」
ドヤ顔でレヴィアに声をかけるオディール。
「はいはい、じゃが水風呂じゃぞ?」
「そこでレヴィちゃんの出番! 一億度で一気にやっちゃって!」
オディールはノリノリでレヴィアの肩を叩いた。
「マジか!? 我はボイラー代わりかい!」
「いいじゃん、ドラゴン温泉。レヴィちゃんも入りたいでしょ?」
レヴィアはドラゴンとしての尊厳にかかわるようなことは避けたかったが、確かに露天風呂は気持ちよさそうだ。その魅力には逆らい難い。
「今日だけじゃぞ!」
レヴィアは、ボン! と爆発してドラゴン化し、カパッと巨大な口を開いた。
果たしてドラゴンブレスをくらった風呂は、ボコボコと派手に沸騰し、かなり蒸発してしまうことにはなったが、無事に風呂らしくなる。
「さすがレヴィアちゃん! サンキュー!」
オディールは嬉しそうにドラゴンの後ろ足のごつい鱗をペチペチと叩いた。
◇
ただ、お湯が熱過ぎたため、とても入れない。一行は先にディナーを取ることにした。
ミラーナは壁から石の板を生やしてテーブルにし、床から円筒を生やして椅子にする。
オディールはマジックバッグから魔法のランプを取り出すと壁にかけ、パンやドライフルーツ、ハム、チーズを出し、食器を並べた。
「なんじゃ、これっぽっちかい?」
レヴィアはハムを横からつまみ食いしながら不満をこぼす。
オディールはムッとしながらレヴィアの手をパシッとはたいた。
「人間はこのくらいでお腹いっぱいなんですー!」
「ふん! しょうがないな……」
レヴィアは指先で宙をツーっと裂き、できた空間の切れ目に両手を突っ込んだ。
「こんくらい用意せんかい!」
レヴィアは嬉しそうに十キロはありそうな巨大な肉隗を取り出し、バン! とテーブルに叩きつけた。まるで屠殺したばかりのような新鮮な肉塊からは鮮血が流れ出し、ポタポタとテーブルからしたたる。
「へ?」「うわっ」「ひぃ!」
唖然とする三人。
「そしてこうじゃ!」
レヴィアは大きく息を吸って可愛いほっぺたをプクッとふくらませると、真紅の瞳をギラッと輝かせながらいきなり口から火を吹きだした。まるで火炎放射器のように、青紫に輝く超高温のプラズマジェットを直接肉塊に吹き当てる。肉塊はバチバチ! と激しい音を立てて脂を吹きだし、燃え上がる。
「おぉ……」
肉が焼けるあまりにも美味しそうな香りに誘われ、オディールは思わず唾を飲み込んだ。