【お天気】スキルを馬鹿にされ、追放された公爵令嬢。不毛の砂漠に雨を降らし、美少女メイドと共に甘いスローライフ~干ばつだから助けてくれって言われてももう遅い~

 手早く荷物をまとめ、馬車を貸し切りにしてまずは隣街へと旅立った二人――――。

 馬車は壮麗な石造りの城門をくぐり、見渡す限り広がる麦畑の道をカッポカッポとのどかなペースで進んだ。これで王都ともお別れである。

 自分で選んだ道ではあったが、もう二度と戻れないかもしれないと思うと、胸がキュッと苦しくなり、オディールは思わず後ろを振り返った。

 立派な城壁、多くの馬車が行きかう城門、思い出のたくさん詰まったこの国一番の都市が少しずつ小さくなっていく。オディールはキュッと口を結び、つないでいたミラーナの手をギュッと握った。

 ふと横を見るとミラーナも不安そうな瞳で後ろを眺めている。

 これはまずい……。

 オディールは大きく息をつくとニコッと笑顔を作って聞いた。

「ねぇ、この格好で変じゃないかしら?」

 胸に赤い編みひものついたアイボリーのワンピースと、カーキ色のベストを着たオディールは、少し体をひねりながらミラーナに見せる。

 ミラーナは少し驚き、クスッと笑うといろいろな角度からオディールを眺めた。

「素敵だと思うけど……、ファッションはメイドだった私には分からないわ。それより私こそ変じゃない?」

 亜麻色のワンピースにオリーブ色のケープを羽織っていたミラーナは恥ずかしそうに自分の服装を気にする。

「いやいや、とてもお似合いよ? ミラーナは背が高いからなんでも似合うわ。とっても素敵よ!」

 オディールはミラーナの手を両手で握り、ニコッと微笑んだ。

「そ、そうかしら……?」

「僕は嘘言わないよ」

 オディールは綺麗な碧眼でミラーナをのぞきこむ。

 しばらく見つめあう二人……。

「……。ありがと」

 ミラーナは優しくうなずき、ほほ笑むと、オディールの美しいブロンドをそっとなでた。


        ◇


 不安と期待で胸いっぱいの二人を乗せ、馬車はカッポカッポという和やかなリズムで、一面に広がる麦畑をのんびりと進んで行った。

「オディ、私、こんな景色見るの初めてだわ」

 ミラーナは馬車の窓から果てしなく広がる麦畑を眺め、感慨深そうに言った。孤児院では小さな子の面倒を見て、公爵家ではメイドでずっと働きっぱなし。初めて得た休みが大陸の果てまでの旅なのだ。ミラーナはまだその現実に馴染めないような様子で、澄み通るブラウンの瞳を麦畑に向け、ふぅと息をついた。

 オディールはニコッと笑うと馬車の窓から手を出して、祭詞を唱える。

「【風神よ祝福を】」

 さわやかな風がビュウと吹き抜け、広大な麦畑に次々と美しいウェーブを流していく。

「うわぁ、凄いわ……」

 ミラーナはオディールの【お天気】スキルを初めて見て目を丸くする。

「こんなの序の口よ。本気出したら麦畑なんて吹き飛ばせちゃうよ」

 ドヤ顔のオディール。

「やらなくていいからね?」

 ミラーナは眉をひそめ、オディールの手を取ると、心配そうに言った。

「や、やらないよ! でも、スキルランクは上げておきたいな。旅の中で何があるか分からないからね」

「女二人旅だからねぇ……。私もランク上げようかしら」

「いいねいいね! 土魔法育ててゴーレムとか作ろうよ!」

 オディールはノリノリでミラーナの手を取った。

 魔法にはスキルランクとレベルの二つの育成要素がある。スキルランクは魔法を使うたびに育ち、使える魔法の種類と威力が増えていく。レベルは魔物を倒したりすると上がり、魔力ポイント(MP)の上限が増える。しかし、オディールにはチートの無限魔力があるので、レベルは関係なかった。ミラーナもオディールから魔力を注げばどんどん魔法を連発できるので、今は魔法を使ってランクを上げることが大切だった。

「ゴ、ゴーレム? あのゴツいロボットでしょ? 何だか怖いわ」

「何言ってるのよ! ハムスターみたいな小さくてかわいいの作ればいいわ」

「え? そんなこともできるの?」

「図書館で見た本には書いてあったわよ? 作ろ?」

 オディールはミラーナの瞳をのぞきこみ、小首をかしげる。

「それなら……。やってみようかしら……」

「ついでにモビル・アーツも作ってよ。子供の頃からの夢だったんだ!」

 オディールはニヤッと笑うといたずらっ子の笑みを浮かべる。

「モ、モビル・アーツ? 何それ?」

「あー、高さ十八メートルの人型機動兵器さ。後で設計図書くからヨロシク!」

 オディールはノリノリで夢を語る。アニメで活躍していた巨大なロボット、一度実物大模型を見に行ったこともあったが、やはり歩き回って活躍してくれないと物足りない。土魔法ならそれができるかもしれないと思い立って、オディールはワクワクが止まらなくなった。

「機動兵器……? オディはそんなのが好きなのね……」

 ミラーナは不思議そうにウキウキのオディールを見つめる。

 オディールの持つ無限魔力のチートは本来すさまじいもののはずであったが、貴族社会の中では活躍の場面がなかった。それゆえ、今まで真面目に可能性を模索してこなかったが、これからはこのチートで生きていくしかない。何ができるかいろいろ試してみたくなったオディールは、妄想を次々とふくらませるとニヤッと笑った。
 その時だった。馬車がガタガタと揺れ、いきなり人気(ひとけ)のない細道へと入っていく。

「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ!」

 オディールは慌てて小さな窓を開けて御者(ぎょしゃ)に叫んだ。

「こっちの方が近道なんでさぁ」

 痩せた中年の御者は素っ気なく答え、馬車は悪路をガタガタと揺れながら森の中へと進んで行く。

「近道なんてしなくていいからすぐに戻って!」

 不審に思ったオディールは叫んだ。

「こんな細い道、Uターンなんてできねっす。すぐに終わりますよ」

 御者は(いや)らしい笑みを浮かべ、言うことを聞こうともしない。明らかにおかしい。

 ミラーナはオディールの腕にギュッとしがみつくと、不安げな瞳でオディールを見つめた。

 若い女の二人連れ、それは格好のカモということだろう。出発していきなりの試練にオディールは冷や汗を流しながらギリッと奥歯を鳴らした。

 しかし、治安も整っていない異世界で旅行というのはこういう事である。浮かれていたさっきまでの自分に苛立ちを覚えながらも、ミラーナだけは絶対に守り通すとオディールは心に誓った。

 御者はいきなりドゥドゥ! と叫び、馬を止めると、自分は森の中に走り込んでいく。

 いよいよ異常事態である。いったい何が始まるのか、オディールは窓に張り付いて辺りをうかがった。

 森の奥から出てきたのはゴロつき風の男どもが五、六人。不潔なひげを伸ばし、皮鎧を身に着け、刀で武装している。山賊だ。

 最初から仕組まれていたのだ。カモれそうな客が来たらここで山賊に引き渡す、そういうシステムなのだろう。オディールは人のよさそうな御者の口車にのせられて、安易に頼んでしまった浅はかさを悔やんだ。

 だが、女神からの恵みを受けた自分が敗れるはずはない。女性を苦しめる悪など返り討ちにしてやると、オディールは闘志を燃やし拳を握った。

「女二人で旅行なんてやっぱり無理だったのよ……」

 ミラーナは頭を抱え、恐怖でガタガタと震えている。野蛮な山賊どもの標的となってしまったのは自分の落ち度である。オディールは申し訳なく思い、大きく息をつくとミラーナギュッとハグをした。

「大丈夫だって、僕を信じて……」

 耳元でささやくと、青ざめているミラーナに優しく頬ずりをする。

 ミラーナは大きく息をつくと、大きなブラウンの瞳を涙で濡らしながら聞いた。

「だ、大丈夫って、どうするの?」

「土魔法撃ってみて」

「えっ!? 植木鉢の土を柔らかくする魔法しか使ったことないのよ?」

「それでいいから撃ってみて」

 オディールはニコッと笑ってミラーナの瞳をじっと見つめた。

「わ、分かったわ……」

 馬車の後方からニタニタ笑いながら近づいてくる山賊どもに向かって、ミラーナは腕を伸ばし、目を閉じて呪文を唱える。

 オディールはそんなミラーナの背中に手を当て、思いっきり魔力を流し込んだ。

 ヴゥン!

 空気の震える音が馬車の中に響き、黄金色の魔力の煌めきがミラーナの手のひらから(ほとばし)る。

 直後、ズン! という地鳴りと共に男たちの足元で爆発が起こり、男たちは吹き飛ばされた。

「グハッ!」「ぐわぁぁぁ!」

 もんどりうって転がる男たちの叫び声が森に響く。

 えっ!?

 ミラーナ自身もその威力に驚いてしまいポカンとしている。土を柔らかくする魔法、それがここまでの破壊力を持つとは思わなかったのだ。

「連射よ、連射!」

 行けると思ったオディールは、ここぞとばかりに攻めようと、ミラーナの肩を叩いた。

「わ、分かったわ」

 ミラーナは吹き飛ばされて転がっている男たちめがけ、さらに魔法を放っていく。

 ズン! ズン! と魔法の爆発音が森にこだまする。

 男たちは次々と起こる爆発に逃げ惑い、やがて森の方へ逃げていった。

「や、やったわ!」

 ミラーナは、溢れんばかりの喜びとともにオディールを抱き締めた。

「いけるいける! 僕らは最強だゾ!」

 オディールも思いの外うまく行ったことに興奮し、ミラーナをギュッと抱きしめ返した。緒戦は完勝である。

 ミラーナの柔らかく温かい匂いに包まれながら、オディールは確かな手ごたえを感じていた。

 しかし、これしきの事で山賊が諦めるはずもない。

 オディールは窓を少し開け、森を慎重に観察しつつ、耳をすませた。

 風が木々をそよがせる音に混じり、落ち葉を踏むかすかな足音が聞こえてくる。

「まだいるなぁ……」

 オディールは眉をひそめ、ため息をつくと、ミラーナをしゃがませた。

 なんとか逃げる方法を考えてみたが、山道を二人で走って逃げられるとも思えない。奴らはプロなのだ。罠にかかった獲物をそう簡単に逃がしはしないだろう。

 オディールは足音が聞こえた方向に耳をそばだてて、必死に敵の出方をうかがった。

 こっちが魔法使いだと分かった以上、迂闊に近づいては来ないだろう。だとしたらどうする……?

 タラリと冷汗が流れてきて、ドクンドクンと心臓の音がうるさく聞こえる……。

 チチチチと鳥のさえずりが聞こえた直後だった。パン! という衝撃音が空気を震わせ、窓ガラスが飛び散った。

 きゃぁ!

 ミラーナの悲鳴が響く。矢を撃ち込まれたのだ。

 ガラスの破片がミラーナのほほを無情にも切り裂き、真紅の鮮血がタラリとミラーナの白い肌を染めた。
「あ、あぁ……、ミ、ミラーナ……」

 美しいミラーナの頬を伝う真っ赤な鮮血はオディールの心に鋭い痛みを刻み、手の震えが止まらなくなる。

 カチッ。

 真っ青になって固まるオディールの頭の中で何かのスイッチが入る。ミラーナを穢したものは全力をもって裁かねばならない。オディールは怒りの炎が体全体を覆っていくのを感じた。

 オディールは森に向けてバッと手を伸ばし、美しい金髪(ブロンド)を逆立てながら全身の魔力を最大限に振り絞る。

「ぐぉぉぉぉぉ! 【風神よ、猛り狂い全てを薙ぎ払えぇぇぇ】!!」

 オディールの身体中から緑色の光の微粒子がブワッと噴き出し、馬車はまぶしい光に覆われる。直後、緑の微粒子は一気に天をめがけ吹き上がり、雲を呼んだ。

 辺りに暗雲が立ち込め、一気に暗くなる。

 やがて、空気が震えだし、ゴゴゴゴゴという地鳴りにも似た振動が森に響き渡った。

 直後、真っ黒な一本の巨大な竜巻が暴風をまといながらすっと立ち上がり、ありとあらゆるものを吸い上げ始める。バリバリっと衝撃音を放ちながら木々は抜き取られ、岩も倒木も軒並み巻き上げられていった。森を構成していた全てが激しい音をたてながら次から次へと空に舞う。

 まるでこの世の終わりのような激甚災害が一帯を飲みこみ、安全距離にあるはずの馬車も激しく揺れ、壊れんばかりにギシギシときしんだ。

 ひぃぃぃ!

 ミラーナはその恐ろしい轟音におびえ、耳をふさいでうずくまる。それはまさに地獄絵図だった。

「まだまだぁぁぁ! 風神よ、猛り狂えぇぇぇぇ!」

 オディールは青き炎をその碧眼の奥に揺らめかせながら叫ぶと、次々と竜巻を追加し、徹底的に蹂躙していく。ミラーナを傷つけた者は絶対に許さない、という激しい怒りがオディールの無限魔力のチートを最大限に引き出していったのだ。

 辺り一帯には竜巻の群れが這いまわり、全てを蹂躙しつくしていく。

 馬車の屋根にも枝や小石が降り注ぎ、激しい衝撃音が車内に響いた。

 きゃははは!

 瞳孔の開ききったオディールは、緑に輝く微粒子に包まれながら歓喜の叫びをあげる。

 明らかにやりすぎだったがオディールは力におぼれ、正気を失いかけていた。

 ミラーナはダッと立ち上がると、そんなオディールに抱き着く。

「もういい! もういいのよオディ!」

 オディールはミラーナのふんわりと優しい香りに包まれ、我に返る。

 え……? あれ……?

 オディールは肩で息をしながら辺りを見回し、辺り一帯がはげ山となっていることにハッとして慌ててスキルを解除した。

 猛り狂っていた竜巻たちはひとつずつ、見る間に空高く消えていく。

 戻ってきた静寂。もはや、馬車の周りには何も残っていなかった。 

 オディールは山賊を探してみるが、見渡す限り荒れ地となっており、山賊どころか見渡す限り草一本見つからない。

「これが……【お天気】?」

 オディールはその凄まじさにブルっと震え、自分の手のひらをじっと見つめた。

 ピロローン、ピロローン、ピロローン……。

 脳に響く電子音、淡い光に包まれる二人。

 二人のレベルが凄い勢いで上がっていく。一体何をどれだけ倒してしまったのか?

 きっと山賊たちも全員殺してしまったに違いない。オディールはもう人殺しだった。

「こ、殺し……ちゃった……」

 オディールはその事実に心臓がキュッと締め付けられる。日本だったら大量殺人犯、重罪人なのだ。

 そんな震えるオディールの隣でミラーナはあっけらかんと言う。

「山賊の証拠があったら報奨金もらえたのに残念だわ……」

「ほ、報奨金!?」

 いきなりお金の話をするミラーナにオディールは驚かされた。

「そうよ? あいつら放っておくとどんどん人を襲って殺すの。オディのおかげで多くの人が助かるのよ。報奨金くらいもらわなくっちゃ」 

「助かる……?」

「あいつらに親を殺された子が孤児院にもいたわ……。でも、孤児院に入れたらいい方、多くはスラム行きなのよ。地獄よ……。オディは貴族様だったからそんなこと知らないでしょうけど」

 ミラーナは孤児院時代を思い出し、悲痛な面持ちでうつむいた。

「そ、そうなんだ……」

 オディールはがく然とした。この世界では山賊殺しは完全なる善行なのだ。()らねば()られる世界において命の意味や価値は日本とは全く違うということなのだろう。

 オディールは目をつぶり、割り切れない気分で軽く首を振った。


       ◇


 ミラーナに馬車の手綱を操ってもらって何とか隣町までやってきた二人は、教会で傷の手当てをした後、冒険者ギルドで護衛を雇うことにした。やはり若い女の子の二人旅は不用心すぎる。襲われるたびにはげ山を造ってはいられないのだ。

「こんにちはぁ……」

 石造りの重厚な建物の木製ドアをギギギーときしませながらゆっくり開け、オディールは中をのぞきこむ。もわっとたばこの煙が漂ってきてオディールは思わず顔をしかめる。

 室内には年季を感じさせる茶色のタペストリーが高い天井から垂れさがり、緩やかに揺れる魔法ランプの光に照らし出されていた。冒険者の寛ぎの空間となるロビーは手前に配され、奥の方にはカウンターが見える。

 ロビーにはダンジョン帰りの若い冒険者たちがたむろっており、ちょっと近づきがたい。二人は目立たないようにそっと歩いてカウンターを目指した。

 カウンターにはブラウンの髪を編み込んで、ピチッとしたシャツにエンジのジャケットを着た受付嬢が背筋を伸ばして座っており、笑顔で迎えてくれる。

「いらっしゃいませ、どういったご用ですか?」

「あー、護衛を一人頼みたいんだよね。二人で旅しててさ、物騒なんだよ」

 オディールは辺りを気にしながらそう伝える。

「護衛……ですか? どういった方がいいですか? 剣の腕が凄いとか……」

「あ、全然弱くていいんだ。気が良くて見た目が厳ついのがいいね。変な奴が絡んでこなくなるようにしたいんだ」

「よ、弱くて……いい? いや、女性二人だったら強い方が……?」

「大丈夫! こう見えて僕ら最強だからさ」

 オディールはニヤッと笑う。

「皆さんそうおっしゃるんですよね……」

 受付嬢は渋い顔で首を振り、ため息をついた。

「本当だって! 僕の一言でこの街くらいドバーッと押し流せちゃうんだから」

「はぁ、それは凄いですね……、で、護衛ですよね……、うーん……」

 受付嬢はオディールの話をさらっと流すと、ファイルを取り出して候補を探し始める。

 本気にされなかったオディールは口をとがらせ、ミラーナを見た。

 ミラーナは苦笑いをしながらポンポンとオディールの背中を叩く。こんな華奢な女の子が『最強だ』と言っても誰も信じてくれないのは仕方ないのだ。
 冒険者たちの陽気な歓談が広がるロビーに、いきなり若い男の怒声が響き渡った。

「お前はクビだって言ってんだろ! この臆病者!」

「そ、それは困りますぅ」

 見ると、剣士らしき冒険者が大男にクビを宣告しているようだった。その大男は、雄々しい髭と筋骨隆々とした身体を持ちながら、魔法使いのベストを着ている。この図体で魔法使いらしかった。

「うちはもう少しでBランクパーティになるって大切な時期なんだよ。撤退ばかりしようとする臆病者は邪魔だ!」

「いや、でも、命あっての物種ですよ?」

「だからって冒険者がすぐ撤退してたら商売にならないの! クビ!」

「そ、そんなぁ……、頼みますよぉ……」

「お前、冒険者に向いてねーわ。田舎に帰んな! じゃあな!」

 すがろうとする大男を手で払いのけると、剣士はアゴで仲間に出口を指した。

「田舎なんて……」

 大男はガックリとひざをつく。

「みろよ、【子リス大魔神】がまたクビになったぜ」「あの図体でなんでああなのかね?」

 周りの冒険者連中はそんな大男をあざけり、嗤った。

 剣士たち一行は、ぞろぞろと出て行ってしまう。

 あぁぁ……。

 大男は力なく手を伸ばし、うなだれた。

 冒険者はパーティを組まないと難しい。しかし、昨今は貴族たちによる重税からの不景気でなかなか仕事もなく、クビになるのは死活問題だった。

 そんな様子をじっと見ていたオディールは、大男ながら小動物のような可愛さにキュンとしてしまう。この手の人はきっと悪いことができないに違いない。

 オディールはニヤッと笑うと、テッテッテと大男のところへ行き、うなだれている肩をポンポンと叩いた。

「君いいね、最高! どう? 僕らの護衛しない?」

 サムアップしながらウキウキでスカウトするオディール。

 へ……?

 いきなりの提案に大男はあっけにとられ、涙を浮かべたままオディールを見上げた。

「女二人で旅行してるんだけど物騒でさ、ついてきてくれると助かるんだけど……」

「りょ、旅行の護衛……ですか? ……。こ、恐くなければ……やりますよ?」

「恐くないよ、旅のお供だから楽しいよ!」

 ニコッと笑うオディール。

「旅のお供……、何だか面白そうですねぇ」

 そう言いながらゆっくりと立ち上がる大男。身長は二メートルほどありそうで、その盛り上がる大胸筋と太い二の腕の迫力にオディールは思わず後ずさる。

「お、おぉ……、い、いいね。いい迫力だ」

「こんななりして魔法使いなんです……」

 大男は猫背になって頭をかいた。

「うーん、ちょっと背筋伸ばして腕組んで、キッとにらんで」

「こ、こうですか?」

 言われた通りにポーズを取ると、その筋骨隆々な男からは畏怖すら感じさせる威圧感が溢れ、見る者すべてをたじろがせる迫力があった。

 お、おぉ……。

 その想像以上の圧力に一瞬ひるんだオディールだったが、ニコッと笑うとまるで丸太のような二の腕をパンパンと叩く。

「いいね、いいね! 合格! 君はその顔で僕らの後ろについてきてくれるだけでいいよ」

「えっ? これだけでいいんですか?」

 大男は驚き、優しそうに笑う。

「ほらほら、顔崩れてる! キッ!」

 オディールは眉をひそめ大男を指さした。

 キッ!

 そう言いながら大男は慌てて険しい顔に戻る。

「よーし、じゃぁ契約だ!」

 オディールはニコッと笑うと大男に右手を差し出した。

 大男は嬉しそうにニッコリと笑い、がっしりと握手をする。

「あ、あたたた……」

 あまりの握力に手がつぶれそうになったオディールだったが、頼もしい仲間が一人増えたことでその心は喜びに輝いていた。

 男の名はヴォルフラム。【風神に選ばれしもの】スキルを持ち、風魔法を使える若く優しき魔法使いだった。


      ◇


 その晩、レストランで食事をしながら作戦会議をする――――。

「で、ど、どこへ旅行するんですか?」

 ヴォルフラムはリンゴジュースをちびりちびりと飲みながら、でかい図体を小さくして恐る恐るオディールに聞いた。

 その子リスのような仕草にオディールはクスッと笑うと、顔をのぞきこむように聞き返す。

「どこがいいと思う?」

「えっ!? 行先決まってないんですか!?」

「だって、旅行行くの決まったの今日だもんね?」

 オディールはミラーナに振る。

「そうなんですよ。いきなりで笑っちゃうの」

 ミラーナは肩をすくめた。

 ヴォルフラムはポカンと口を開けて無計画な二人の美少女を眺め、首をかしげる。

 こんな人たちについていって大丈夫なのかと不安になるヴォルフラムだったが、リンゴジュースをグッと一口飲んで息を落ち着けるとオディールに聞いた。

「はぁ……。それで王都からまずこの街に来たと……。どういうところ行きたいんですか?」

「どういうところがあるの?」

 ニコニコしながら聞き返すオディール。

「北の方へ行けばサーモンが美味しい氷の街、南に行けばカジノがあるリゾートの街……」

「東に行けば?」

「東? 東なんて山脈超えたらもう砂漠で何もないですよ」

 ヴォルフラムは首を振り、肩をすくめる。

「砂漠……?」

「正確には山を越えたところに自分の生まれた村があって、そこが最後ですね。その先は見渡す限りの荒れ野の砂漠です」

「へぇ、そんなところで生まれたんだ。村の名物って何?」

 オディールは肉の一切れをフォークで突き刺すと、パクっと口の中にほおばった。

「いや、本当にド田舎の貧しい村なんで何もないですよ。娯楽も何もないんで子供の頃はドラゴン飛んでるのをボーっと見てたくらい……」

「ド、ドラゴン!? あの巨大な龍みたいな?」

 オディールは初めて聞くファンタジーな話に身を乗り出した。

 なんとこの世界にはドラゴンがいるらしい。もちろん、国造り神話の中で、はるか昔、初代国王がドラゴンと共に国を創ったという伝説は残っているが、まさか本当に実在していたとは全然知らなかったのだ。伝説では口から吐く炎で見渡す限り焼け野原にしたと伝わっているが、もしかしたら本当にそんなこともできるのかもしれない。

「ドラゴンですよ? 知らないんですか?」

 ヴォルフラムはなぜドラゴンなんかに興味があるのかよく分からず、面倒くさそうに返す。

「ドラゴン……」

 オディールは手を組んで宙を見上げ、美しい碧眼をキラキラとさせながらまだ見ぬドラゴンを想う。それはまさに思い描いていた、魔法と冒険が交錯する異世界そのものであり、オディールは魂が震え、全身に鳥肌が立った。

「ドラゴンがいるらしいよ! 知ってた!?」

 オディールは色めき立ってミラーナに聞く。

「そんなのメイドだった私に聞かないでよ。でも……、いるなら私も見てみたいわ」

 ミラーナも両手を組むと宙を見あげた。やはりファンタジーな生き物にはロマンがある。

「本物なの? 大きい?」

 オディールは食いつくようにヴォルフラムに聞いた。

「偽物のドラゴンなんていないですよ。大きさはそうですね……翼の長さが三十メートルくらいですかね?」

 オディールは目をキラキラとさせ、見開いたまま固まる。

「三十メートル……。行こう……」

「え?」

「ドラゴンだよ! 見に行くよ!」

「えーー! サーモンとか食べに行きましょうよぉ」

 ヴォルフラムは口をとがらせる。子供の頃にさんざん見たドラゴンなんて見たくなかったのだ。

「いいの! ドラゴンが先! どうやって行くの?」

 オディールはヴォルフラムの太い腕をぎゅっと握り、決意のみなぎる目で言った。

「わ、分かりましたよぉ。馬車で三日くらいですね。山道きついから覚悟しててくださいよ」

 ヴォルフラムは深くため息をつくとリンゴジュースを(あお)る。

「くふふふ、ドラゴン……」

 オディールは両手を組んで(まぶた)を閉ざし、まだ見ぬファンタジー生物を夢見ながら、不気味な笑い声を漏らしていた。


    ◇


 翌日、オディールは市場で食料や日用品などを手当たり次第に買い込んで、公爵家の宝物庫からくすねてきたマジックバッグに詰め込んでいった。

「オディ、ちょっと買いすぎじゃない?」

 ミラーナはあきれ顔で言うが、オディールは意に介さない。

「これから何もないド田舎へ行くんだよ? 何が必要になるかわかんないじゃない。あ、毛布とかもいるかもしれないね……」

 と、さらに買い物を加速させていく。

 ヴォルフラムは惜しげもなく金貨を次々と使っていくオディールに唖然としながらも、言いつけ通り護衛として背筋を伸ばしながら腕を組み、オディールの後ろで目を光らせていた。

 珍しいものだらけであっち行ったりこっち行ったり、オディールはキョロキョロしながらせわしなく市場の中を巡っていたが、さすがに疲れ、隅っこでへたり込む。

「あー、疲れちゃった……」

「姐さん、そろそろ馬車の時間ですよ?」

 ヴォルフラムはオディールの顔をのぞきこみながら心配する。

「足が棒のようだよ……。ヴォル、運んでって」

 オディールは冗談で両手をヴォルフラムの方に伸ばした。

「しょうがないですねぇ」

 ヴォルフラムはそんなオディールの脇の下に手を入れて、ヒョイっと高々と持ち上げるとそのまま肩車にした。

 うへぇ!

 まさかこんなに軽々と持ち上げられると思っていなかったオディールは焦り、慌ててワンピースのすそを押さえる。

「暴れないでくださいね、じゃ、行きましょう」

 ヴォルフラムは事も無げにそう言うと、ノッシノッシと馬車乗り場へと歩き出す。

 ウヒョー!

 歓喜の声を上げるオディール。二メートルはあろうかというヴォルフラムの上からの景色は格別で、まるで巨人になったようだった。

「重く……ないの?」

 ミラーナが不思議そうに聞く。

「昔はこうやってよく妹と遊んでいたんですよ」

 ヴォルフラムはニコッと笑うと、幸せそうに微笑んだ。

 イェーイ!

 オディールはヴォルフラムの上で高々と手を突き上げて上機嫌だった。

 
      ◇


 三日ほど馬車に揺られながら、山脈を越えていく一行。

「ドーラゴン、ドーラゴン、まーってろよー」

 オディールは調子っぱずれの歌を口ずさみながら馬車に揺られ、ミラーナとヴォルフラムは顔を見合わせ苦笑する。

 晴天続きで暑い日が続いたが、オディールはスキルで雲を出し、日陰の中をのどかに進んで行った。

 乗っているだけでは暇なので、ミラーナとヴォルフラムには魔法の練習をしてもらう。馬車の最後尾に座ってもらい、田舎道に魔法をポンポンと放ってもらうのだ。敵を倒すわけではないのでレベルは上がらないがスキルランクは上がっていく。

 ヴォルフラムはいくら魔法を放っても尽きないオディールの無限魔力の凄まじさに唖然としていたが、そのおかげで延々と魔法を放ち続けられるので一生懸命練習を繰り返した。

 額に汗しながら絶え間なく風魔法を撃ち続けるヴォルフラムの真面目さに、オディールは感心する。このまっすぐで真摯な若者に出会えたことは幸運と言えるだろう。オディールは穏やかな笑みを浮かべ、この素晴らしい出会いに深く感謝した。


 最終日になると馬車は峠を越え、下り坂を進んで行く。

 みんなが魔法の練習にいい加減疲れ切ったころ、ついにドラゴンの村、オランチャについたのだった。


      ◇


 山脈を越えた開けた平野には畑が広がり、ポツポツと家が建っている。しばらく行くと古びた鐘楼が建つ広場があり、さびれた商店が一軒開いていた。やる気のないおばあさんが店先で座っている。

 おばあさんは馬車から降りてくるヴォルフラムを見ると、嬉しそうに声をかける。

「おやヴォル坊! どうしたんじゃ?」

「お久しぶりです。この方たちがドラゴンを見たいんだそうです」

「はぁ? あんなものを見にわざわざ来たんかね? そりゃ、ご苦労なこったな。カッカッカ」

 オディールはペコリと頭を下げ、ニコッと笑いながら聞く。

「こんにちは。どの辺りに現れるんですか?」

「さっき、あの辺を飛んでおったよ」

 そう言いながら山脈の方を指さした。

「えっ! さっきですか!?」

 オディールはミラーナと顔を合わせ、残念そうに肩を落とした。

「まぁ、そのうちにまた通るじゃろう。カッカッカ」

 おばあさんは楽しそうに笑った。

 ヴォルフラムは小さな肉まんのようなお団子を一つ買って、ほお張りながら聞く。

「村のみんなは元気ですか?」

「んー、もうジジババばかりになってどんどん死んでっちまうからなぁ……。それに最近は雨が降らなくなってのう。ちょっと大変なんじゃ」

 おばあさんは沈んだ顔をしてうなだれる。

「え? 干ばつ……ですか?」

 ヴォルフラムは青い顔をして答えた。この村の産業は農業しかない。過去、干ばつが襲った時は多くの家が飢え、子供を街へ売ったりして多くの悲劇が生まれていたのだった。

「畑も元気なかったじゃろ?」

「そうですね、確かに……」

 ヴォルフラムはそう言いながらオディールを見る。その子リスのようなクリっとした目には哀願の色が浮かんでいた。

「ふふーん、一肌脱いじゃおうか?」

 まさに自分のためにあるような格好の舞台に、オディールはドヤ顔で提案する。

「お、お願いします!」

 深々と頭を下げるヴォルフラムの姿には、生まれ故郷を救いたいという純粋な想いがこもっていた。
 オディールは、軽快な走りで広場を横切り、大きな岩の上にピョンと跳び乗ると、広大な畑が続く大地を見渡した。確かにところどころ黄色くなってしまっていて元気がない。

「よーし、いっちょやってみっか!」

 オディールは自信に満ちた笑顔で、力強くこぶしを握った。

 大きく息をつくと、オディールは目をつぶり、雨のイメージを丁寧に紡いでいく。やりすぎたら洪水になってしまうし、局所に降らしても被害が出る。畑全体に広く潤すような雨のイメージを固めていく。

 よし……。

 オディールは快晴の青空に向けて両手を広げ、神妙な面持ちで祭詞を唱えた。

「【龍神よ、猛き息吹で恵みを降り注げ】」

 詠唱と同時にオディールの全身からは青く光る微粒子がブワッと飛び出し、渦を巻きながら大空へと立ち上っていく。

 それはまるで青く輝く龍が空へと昇っていくように見えた。

 キラキラ光る龍が大空へ吸い込まれていった直後、にわかに()き曇り、暗雲がもこもこと立ちこめていく。

 ポツリポツリと天からの恵みは畑へと降り注ぎ始め、やがてザーっと本格的な雨になる。

 久しぶりの雨は乾ききった大地にどんどんと吸い込まれ、ひんやりとした風が雨の香りを運んできた。

 眼を凝らすと、畑の中に点在する家々からは次々と人々が飛び出してくる。彼らは雨に打たれながら口々に神への感謝を叫び、大空に手を広げた。雨はまさに生命の源、干天(かんてん)慈雨(じう)はこの上ない恵みだったのだ。

 やがて大人も子供もずぶ濡れになりつつ、溢れんばかりの喜びで踊り出す。

 オディールはその情景を眺めながら、ほろりと涙が零れ落ちた。お前など要らないとバカにされ、王都を追い出されたオディールの心には自身が予想していた以上に深く、切ない傷痕が刻まれていた。どんなに気丈にふるまったとしても、人から否定されることによる心の傷はごまかしきれない。

 しかし、今、目の前で歓喜に包まれる人たちを見て、オディールは全ての呪縛から解放されたのだ。前世でもこんなに人に喜んでもらったことなどなかったのだから。

 もちろん、オディールがこんな奇跡を引き起こせたのは、女神から授けられたチートのお陰である。だが、危険をものともせずに王都を後にした彼女の決断が、それを可能にしたのだ。

 旅に出て良かった……。

 オディールは手の甲で涙をぬぐうと、喜びに舞う人々に両手を広げ、『幸あれ』と願った。

「おぉぉぉ! すごいです!」

 ヴォルフラムは感動して駆け寄ってくると、両手を組んでオディールを崇める。天候を操れるとは聞いていたが、ここまで完璧に雨を降らせるとは思っていなかったのだ。ヴォルフラムにはここまでできるオディールはもはや神と映っていた。

 オディールは急いで涙をぬぐい取ると、ニヤッと笑ってヴォルフラムを見下ろす。

「ふふーん、どう? 僕ってすごいでしょ?」

 少しおどけた調子で腰に手を当てたオディールは、モデルのようにドヤ顔でポーズを取る。

「姐さん! 僕は一生姐さんについていきます!」

 ヴォルフラムのまっすぐな熱い言葉がオディールの涙腺を緩ませた。

「や、やだなぁ、ちょっと重いんだけど……」

 オディールはさりげなく後ろを向いて溢れてくる涙を隠す。

 顛末(てんまつ)を知るミラーナは少し涙ぐみながら、そんなオディールを温かいまなざしで見守っていた。

 雨雲はオランチャの畑一帯を潤しながら風に流され、徐々に山の方へと消えていく。乾いた大地に降り注いだ雨は、畑の作物を緑色に輝かせ、心なしか元気になったように見えた。


        ◇


「あれ、何かしら?」

 ミラーナが眉をひそめ、山の方を指した。

 見ると、巨大な鳥のようなものが稜線を越え、雨の中を優雅に舞い、ゆっくりと羽ばたいている。

「も、もしかして、ドラゴン!?」

 オディールは色めき立ち、鳥とは一線を画すその雄大な姿に釘付けになった。

「あぁ、あれがドラゴンですよ……。でも……、何だか様子がおかしいですね」

 ヴォルフラムは眉をひそめ、首をひねった。

「うぉぉぉ、すごいすごい! イッツ・ファンタジー!」

 興奮に身を任せ、オディールは岩の上でピョンと飛び上がる。

 旅客機に匹敵する大きさを誇る幻想的な巨体が、壮大な山脈を背景に翼を大きくはばたかせ優雅に空を舞っている。それは一幅の絵画のような異世界ならではの光景であり、オディールは目を輝かせ、食い入るようにドラゴンを見つめた。


「な、何だかこっちを目指してますよ。こんなこと今までなかったのに……」

 ヴォルフラムは青い顔をしながら後ずさる。

「え? こっちにやってくるの? すごいじゃん!」

 オディールはのんきにそう言うが、ヴォルフラムは泣きそうになりながら頭を抱える。

「もしかして、雨を降らせたことを怒っているんじゃ? ど、ど、ど、どうしよう……」

「へ? 怒らせちゃった? ど、どうなるの?」

「し、知りませんよ。今までドラゴンを怒らせた人なんて聞いたこともないですから」

 オディールはドラゴンを見つめながらアゴをなで、しばらく考えると、ニヤッと笑って聞いた。

「ドラゴンって……、強い?」

「そりゃぁ全ての生き物の頂点ですからね。口から吐く炎、ドラゴンブレスはありとあらゆるものを焼き尽くすと言われてますよ。そんな攻撃されたら僕らなんて一瞬で炭……、ひぃ!」

 ヴォルフラムは巨体を丸くしてガクガクと震えた。

「ミラーナ、岩壁(ロックウォール)よろしく!」

「えっ!? ドラゴン相手に戦うの!?」

「売られたケンカは買わなきゃ!」

 オディールはワクワクを押さえきれずに、いたずらっ子の笑みを見せる。

 ミラーナとヴォルフラムは眉をひそめ、顔を見合わせた。

 そうこうしているうちにもすさまじい速度で迫ってくるドラゴン。漆黒の鱗に包まれた巨体はほのかに黄金色の光をまとい、巨大な牙、鋭い爪を光らせながら泰然と大きな翼をはばたかせ、空を駆けてくる。

「総員戦闘配置につけ!」

 オディールはノリノリでこぶしを突き上げるが、ミラーナもヴォルフラムもどうしたらいいか分からずオロオロしている。

「大丈夫だって。ドラゴンって言ったってトカゲの一種でしょ? ガツンと一発ぶちかましてやれば瞬殺だよ。一緒にドラゴンスレイヤーになるぞ! オーッ!」

 のんきに勝つ気満々なオディールに、ヴォルフラムは冷汗を垂らしながら説得する。

「いやいやいや、ドラゴンは神の使いですよ? 人間じゃ勝てませんって!」

 しかし、オディールは逆に燃えてしまう。

「ふふーん、では僕らが人類史上初のドラゴンスレイヤーだぞ。いいから魔法の用意して!」

 二人は渋々、魔法陣の描かれた魔法手袋を取り出すと右手につけた。
 見る間に迫ってきたドラゴンは、バサッバサッと大きな翼をはばたかせながら減速し、一旦宙に止まると、真紅の巨大な目でオディール達を睥睨(へいげい)した。

 鱗に覆われたティラノサウルスのような恐ろしい顔、巨大な口から覗く牙、この世界の頂点に君臨する王者の圧倒的な迫力が場を支配する。

 ギュォォォォーーーー!

 腹をえぐるような重低音の咆哮を放つとドラゴンは、ズン! と地響きを響かせながら広場に着陸した。

 ミラーナもヴォルフラムもその大いなる神の使いに圧倒されて言葉を失い、震えながら立ちすくんでしまう。

 ただ、オディールだけはキラキラと目を輝かせ、興奮に駆られてこぶしを振り、夢にまで見た異世界の象徴にくぎ付けとなっていた。

「雨を降らせたのはお主らか?」

 ドラゴンは巨大な真紅の瞳をギョロリと動かし、重低音の声を響かせる。

「そうだよ! まずかった?」

 オディールはひるむこともなく、ニコニコしながら答えた。

「我の住処が水浸しなんだが? 人間の分際で勝手に天気を変えるとは何事じゃ! クワッ!」

 ドラゴンは口から衝撃波を放ち、三人はあっさりと風圧で吹き飛ばされる。

 うわっ! きゃぁ! グフッ!

 岩から転げ落ちたオディールは挑戦的な視線でドラゴンをにらむと、ワンピースの土ぼこりを払いながら立ち上がり、ドラゴンを指さして吠えた。

「何よ! 偉そうに! 濡らしたのは悪かったけど、日照りに苦しんでる村に雨降らすくらいで文句言われる筋合いないんだけど?」

「姐さん、マズいって!」

 ヴォルフラムは慌ててオディールの腕をつかんだが、オディールはそれを振り払い、逆に叫ぶ。

「二人とも! 準備して!」

「何じゃ? お主ら我に楯突(たてつ)こうというのか? ん?」

「そうよ? 先に手を出したのはあんた。お仕置きしてやるんだから!」

 オディールはグッとこぶしを突き出すと言い放った。

「お仕置き……? 人間ごときが生意気な! 勝てるとでも思っとるのか?」

「僕の方が強いもん! 勝ったらいうこと聞いてもらうからね?」

 オディールは腰に手を当て、ドヤ顔でまだ発達中の胸を大きく張った。

 ドラゴンはオディールの不敵な挑発にその真紅の瞳を怒りで細め、身体を震わせながら、のどをグルルルと雷鳴のように響かせる。

()れ者が……。消し炭にしてやるわ!」

 ドラゴンは天高く仰ぐと巨大な口を開け、大きく息を吸った。

「あわわわわ……。来ますよぉ!」

 真っ青になって後ずさるヴォルフラム。

「ミラーナ! 岩壁(ロックウォール)!」

 オディールはミラーナの背中をパンパンと叩き、ミラーナは慌てて呪文を詠唱する。

 直後、地面がボコボコボコっと湧き上がり、巨大な岩の壁が地面からそびえ立った。

 同時にドラゴンは巨大な口をパカッと開き、オディール達めがけて口から一億度を超える超高温のプラズマの(まぶ)しいジェットを放つ。まるでジェットエンジンのような轟音が村中に響き渡り、プラズマはオレンジ色に光り輝きながら岩壁を襲った。

 ひぃぃぃ! きゃぁ!

 岩壁は超高温に晒されて徐々に赤く光を放ち始め、角から溶け落ちていく。

 周りをすっかり超高温のプラズマに囲まれ、ヴォルフラムもミラーナも頭を抱えてうずくまった。

 しかし、オディールだけはアドレナリンが全開となって、きゃははは! と、ハイテンションの笑い声を響かせる。

「見せてあげるわ、女神に愛された者の力を!」

 ドラゴンの上空に向けて手のひらを掲げたオディールは祭詞を叫んだ。

「【龍神よ、凍てつく息吹で氷のつぶてを降り注げ】」

 一瞬空に閃光が瞬き、直後、スイカのような巨大な(ひょう)がものすごい速度で降ってきてドラゴンの脳天を直撃し、グシャァ! と衝撃音をたてながら砕け散った。

 グハッ!

 何が起きたか分からないドラゴンは空を見上げたが、バラバラとさらに(ひょう)は降り注いで鱗や翼に直撃し、重く鋭い衝撃音が辺りに響き渡った。

「な、なんじゃこりゃぁ!?」

 最初のうちは耐えていたドラゴンだったが、雹はどんどん数も増え、サイズも巨大化していくので、たまらず逃げようとする。

「こ、小癪な! 痛てっ! 痛いっ! グワァァ!」

 しかし、ドラゴンは雹を踏んでしまって転倒、そこにさらに膨大な量の雹が落ちてきて、あっという間に雹の山に埋もれていく。

「トカゲなど冷やしてしまえば動けまい。くふふふふ」

 オディールは岩壁の脇からひょこっと顔を出し、徐々に高くなっていく雪山を見ながら嬉しそうに笑った。

 しかし、雪山はもこっと盛り上がると、亀裂が入り、ガラガラと雪崩を起こす。

「くっ! 雪じゃダメか……。作戦変更! ヴォル、行くゾ!」

 オディールは丸くなって震えているヴォルフラムの背中を叩いた。

「嫌ですよぉ! 僕は恐い事やらないって言ったじゃないですかぁ!」

 ヴォルフラムは涙声で返す。

「何言ってんの! あいつの横暴を許したらもう二度と干ばつを救えないって事だよ? 村はもう救えないよ?」

「えっ!?」

 ヴォルフラムは慌てて顔を上げ、指で涙をぬぐった。

「ヴォルは村を救いたいんだろ? 手伝ってよ」

 オディールはニコッと笑ってヴォルフラムに手を差し伸べる。

 しばらくうつむいていたヴォルフラムだったが、ゆっくりとうなずくとオディールの手を取った。
「へ? ゆ、雪が……」

 ヴォルフラムは恐る恐る岩壁の脇から前をのぞき、巨大な雪山に呆然としている。

「早く、早く! 来ちゃうぞ! 風刃(ウィンドカッター)用意!」

 オディールはヴォルフラムのデカいお尻をパンパンと叩いて気合を入れた。

 直後、雪山はまるで息を吹き込まれたかのようにふくらむと、中のドラゴンがみなぎる闘志で力任せにグルンと回り、強靭なシッポを振り回して雹を辺りに吹き飛ばす。

 ギュォォォォーーーー!

 怒りで瞳を真っ赤に光り輝かせながら、ドラゴンは天に向かって腹をえぐるような重低音の咆哮を放つ。

小童(こわっぱ)どもがーー! もう許さん!!」

 怒りで我を忘れたドラゴンは強靭な後ろ足で駆け、突っ込んでくる。その巨大な重機のような身体で、鋼鉄のようなシッポでオディール達をミンチに()き潰すつもりに違いない。

「ひ、ひぃぃぃ! 来ますよぉぉぉ!」

「足だ! 足に全力で風刃(ウィンドカッター)!」

 オディールは叫び、ヴォルフラムは慌てて呪文を詠唱した。

 直後、ヴォルフラムの身体が緑色に輝き、巨大な風の刃、風刃(ウィンドカッター)がまばゆい光を放ちながら宙を舞う。

 行っけーー!

 オディールの叫び声が響き、無限の魔力を帯びた風刃(ウィンドカッター)は思いっきりドラゴンの(すね)に着弾し、強靭な漆黒の鱗を弾き飛ばした。

 グハァ!

 ドラゴンはたまらずその巨大な身体を地面に叩きつけ、地震のような激しい衝撃が辺りを襲う。

「ヴォル! グッジョブ! とどめだ、食らえ!」

 オディールは嬉しそうに碧眼をキラリと光らせると、全身全霊の魔力を腹の底から絞り出し、両手を天に掲げながら祭詞を叫んだ。

「【雷神よ、裁きをあの身に降り注げ!】」

 オディールの身体から放たれた黄金の微粒子たちは、まばゆい輝きを放ちながら軽い螺旋を描きつつ一気に天に上っていく。

 次の瞬間、激烈な光の奔流が天と地を飲みこんだ――――。

 耳をつんざく轟音、まるで無数の打ち上げ花火が一斉に爆発したような爆音の嵐が辺りを襲う。

 空から降り注ぐ煌めく稲妻の一斉射撃がドラゴンの翼を頭を胴体を次々と貫き、鱗を吹き飛ばし、翼を焼く。大自然の猛威を一方的に浴びせかける攻撃、それはもはや無慈悲な公開処刑であった。

 ウギャァァァ!

 ドラゴンは断末魔の叫びをあげると、ビクンビクンと痙攣(けいれん)し、やがて力なく大地に身を投げ出した。

 ボロボロになったドラゴンの身体からはいくつもの煙の筋が立ち上り、辺りに焦げ臭いにおいが立ち込める。

 直後、ボン! という爆発が起こって、ドラゴンは爆煙の中に沈んだ。

「やったか!?」

 ニヤリと笑うオディール。

 ヴォルフラムは青い顔をしてワンピースの袖をつかみ、ブルっと震えた。

「姐さん、それ禁句ですって」

 柔らかな風が少しずつ爆煙をおいやり、薄くなっていく煙……。

 固唾を飲んで見守る一行。

 ところが、煙が晴れるとドラゴンの巨体はなくなっていた。その代わり、金髪おかっぱの少女が横たわっている。

 オディールは何が起きたのかよく分からず、ミラーナとヴォルフラムと顔を見合わせる。

「何あれ?」

 しかし、なぜ少女が倒れているのか誰も分からなかった。

 恐る恐る近づいてみると、女子中学生のような少女がグレーの近未来的なジャケットを着て、静かに眠っているかのように倒れていた。

 ミラーナは彼女をそっと抱き起こすと、ペチペチとほほを叩いた。

 う、うぅぅ……。

 うめき声をあげる少女。白い雪のような肌に整った目鼻立ち。まだ幼いながらすでにその美しさは人々を引きつける力を持っていた。

「ねぇ、大丈夫?」

 ミラーナは優しくほほをなで、美しい金髪がサラサラと流れる。

 うぅぅ……。

 少女は薄っすらと(まぶた)を開け、ハッとすると、三人を見回した。

「おっといけない……。お邪魔しましたぁ……」

 慌ててバッと起き上がった少女はそう言って逃げようとする。

「ちょいと待ちな」

 オディールは鋭い目つきで少女を睨むと、少女の襟元(えりもと)をガシッとつかんで制止した。

「な、なんじゃ?」

 少女は冷汗を浮かべ、目を泳がせながら必死に言葉を絞り出した。

「お前、ドラゴンだろ?」

 オディールは少女を強引に引き寄せると、可愛い顔をのぞきこみながら嬉しそうに言った。

「な、何を言うんじゃ、こんな可愛い女の子つまえてドラゴンだなんて……」

 女の子は必死にごまかそうとするが、その澄み通った真紅の瞳はさっきのドラゴンと同じ色であり、バレバレだった。

「勝ったら言うこと聞いてもらうって話だったよなぁ? え?」

 オディールはドヤ顔で女の子のプニプニのほっぺたをツンツンとつつく。

「くぅ……、ぬかったのじゃ」

 女の子はベソをかいてうつむいた。


       ◇


 ドラゴンの名はレヴィア。千年近く前、女神により異世界から連れてこられた超常生物だった。当初は伝説にも登場するくらい存在感があったが、ここ数百年は隠居して山でスローライフを満喫していたらしい。普段は少女姿で暮らし、どこかへ外出する時はドラゴンの姿になって飛んで行くということだった。

「さて、罰ゲーム・ターイム!」

 オディールは上機嫌に右手を突き上げる。

「な、何をやらす気じゃ? エッチぃのはダメじゃぞ?」

 レヴィアはびくびくしながら上目遣いでオディールを見る。

 オディールはポンとレヴィアの肩を叩き、嬉しそうにレヴィアの瞳をのぞきこんだ。

「ふふーん、君には仲間になってもらうゾ!」

 へ?

 レヴィアは真意をはかりかね、言葉を失った。今、自分は彼らを全力で殺そうとしていたのだ。そんな自分をなぜ、仲間になどしようとするのか? そもそもなぜ、この可愛らしい少女は強大な力を秘めているのか? レヴィアはオディールのキラキラと光る碧眼に心を奪われつつ困惑する。

 ミラーナとヴォルフラムも顔を見合わせ、一体何が始まるのか小首をかしげた。
「な、仲間……? お主らは何のパーティなんじゃ?」

 レヴィアは眉間にしわを寄せながら三人を見回し、怪訝(けげん)そうに聞く。

「僕らは世界中を旅行する旅行パーティ。楽しいことをする仲間なんだ」

 オディールはそう言ってミラーナとヴォルフラムを引き寄せ、腰に手を回しながら嬉しそうに笑った。

「はぁ……?」

「何? その反応……。まぁいいや。じゃ、ちょっと僕らを乗せてひとっ飛び、大陸の果てまで飛んでよ!」

 オディールは無邪気に依頼する。

「大陸の果てって……、どこ行くつもりじゃ」

「うーんと、この先って何があるの?」

 オディールは広大な麦畑の向こうを指さす。

「延々と砂漠じゃよ。ずーっと砂漠」

「砂漠の向こうは?」

「んーーーー、何があったかのう? 最後は森があって海じゃったような……」

「おぉ! 海! じゃ、海までひとっ飛びヨロシク!」

 オディールは上機嫌にポンポンとレヴィアの肩を叩いた。

「う、海まで……本気か……?」

 レヴィアは渋い顔をする。何も考えて無さそうなこのお気楽少女の言うことなど聞いていたら、大変な目に遭いそうである。

「本気も本気、レヴィアならひとっ飛びでしょ?」

 レヴィアは大きなため息をつくと、ミラーナとヴォルフラムの方を見る。

「お主らはそれでええのか?」

「私、海見たことないの。見てみたいわ!」

 ミラーナは、嬉しそうに両手を組みながら上機嫌に答える。

 ヴォルフラムはやや困惑気味に、小首をかしげながら『二人にお任せ』という感じで二人の方を手のひらで指した。

 レヴィアは目をつぶって腕を組む。

 ドラゴンを圧倒した奇妙なパーティ、その目的は観光だと言う。この能天気な小娘が(しゃく)に障るが、無茶な冒険をするわけでもなし、暇つぶしにはいいかもしれない。思えば数百年、ずっと孤独を満喫してきたがさすがにそろそろ飽きてきていたというのもある。

 レヴィアは片目を開いてオディールの碧い瞳を見つめた。

 それに、自分を圧倒したこの小娘の恐るべき力。その気になれば世界征服すら可能であろうその脅威的な力を使って、彼女がこれから何をするのかも気になった。

「まぁ、ええじゃろ。しばらくつきあってやろう」

 レヴィアはニヤッと笑うとオディールに右手を差し出す。

「ふふっ、よろしくね!」

 オディールは満面に笑みを浮かべ、ギュッと握手をした。

 こうして一行は思いがけず伝説の生き物、ドラゴンを仲間に加えることに成功する。空を飛べる仲間を得たことは、旅を大いに楽にしてくれるに違いない。

 オディールは楽しい予感に心が舞い上がり、ピョンと跳び上がると叫んだ。

「イェーイ! 歓迎のダーンス!」

 喜びに身を任せて、手を思い切り振り上げ、振り下ろし、下手ながらも幸せを全身で表現するダンスを披露する。

 きゃははは!

 楽しそうに笑うオディール。それは不格好でも見る者に楽しさが伝わってくるダンスだった。

「姐さん、楽しそうですねぇ……」

 ヴォルフラムは嬉しそうにそう言うと、オディールの真似をして踊り始める。

「なんじゃ、そりゃぁ」

 呆れるレヴィアに、オディールは背後から両手を取った。

「ほらほら、レヴィちゃんも踊った踊った!」

 オディールはレヴィアの手を右右、左左、と伸ばさせると、くるりと回した。

「うわぁぁ」

「はい、自分で踊って!」

 オディールは、そう言うとヴォルフラムの後ろについて踊る。

「しょうがないのう……。歓迎の舞じゃなかったんかい……」

 レヴィアはそう言いながらも楽しそうにオディールに続いた。

「じゃあ、私も……」

 ミラーナもレヴィアに続く。

 こうして一行は盆踊りのように輪になって思い思いに楽しく踊りながら、仲間を得た喜びをかみしめ、まだ見ぬ大陸の果てを思い描いたのだった。


       ◇


「お主ら、しっかりつかまっとけよ!」

 ドラゴン姿に戻ったレヴィアは三人を後頭部に乗せ、巨大な翼を雄大に広げてグンと天高くそびえたてた。その、翼の骨と広大な皮膜は、コウモリにも似た生々しい生き物の造形を感じさせるが、長さは十数メートル。まるで巨大な帆船のようであった。

 その巨大な翼をバサッバサッとはばたかせると、レヴィアは太い後ろ足でグンと地面を蹴る。

 うわぁ! きゃぁ! うぉぉ!

 ものすごい加速で思わず振り落とされそうになる三人。

 まるで嵐を巻き起こすかのように力強く羽ばたくドラゴンは、あっという間に高く舞い上がる。

 チラッと下を見て、唖然としている商店のおばあちゃんを見つけたオディールは、大きく手を振り、嬉しそうに叫んだ。

「いってきまーす! きゃははは!」

 風をつかみ、力強く、空高く駆け上がるドラゴン。村の建物は見る間に小さくなって、手のひらサイズのジオラマ模型のようになっていく。

「すごい! すごーい!」

 はしゃぐオディールだったが、横を見るとミラーナもヴォルフラムも鱗のトゲにしがみついて、目をギュッとつぶって耐えている。

「なーにやってんの! ほら見て、いい景色だよ!」

 オディールはミラーナの背中をポンポンと叩いた。

 恐る恐る目を開けたミラーナは、一日がかりで超えてきた山脈がもう遥か下にに見えるのに驚き、唖然とする。

 さらに、山脈の向こう、ずっと奥には、傾いてきた太陽のオレンジ色の光を浴びながら円形の構造物が小さく見えた。

「えっ? あれって……何かしら……?」

 ミラーナが不思議そうに聞く。

「おぉ、王都だね。まだ見えるんだ。ちっちゃいねぇ。きゃははは!」

 オディールは笑い飛ばした。

「王都ってあんなに小さいの!?」

 驚きに息を呑むミラーナ。生まれてこの方ずっと王都の中にいて、王都が世界の全てだったミラーナにとって、その光景は一瞬で世界観をひっくり返されるほどの衝撃だった。

 口をポカンとあけて呆然としているミラーナの手を、オディールはギュッと握り、ブラウンの瞳をのぞきこむ。

「これが世界だよ。来て良かったでしょ?」

 風に乱れる美しい黒髪を片手でなだめつつ、圧倒されるミラーナは静かに首を振る。

「これが……、世界なのね……。ありがとう、オディ」

 ミラーナは世界の壮大さに心を打たれ、オディールの手を強く握り返した。