「ふ……ぐうう……えぐ……くうっ!」
 ノアとエミリーの前で、光り輝く魔力炉にしがみついて、ひょろりとした男がむせび泣いている。銀縁の眼鏡が魔力炉にカツカツと当たって痛そうに見えるが、それを気にした様子もない。
 工房の中心に据え付けられた中型の魔力炉は、ノアやエミリーの背丈ほどもある。
 それを長い両腕で抱えこみ、しがみついて頬ずりをしながら、男はひたすらに涙を流していた。
「よくきた……よおく帰ってきたね……ぼくのかわいい魔力炉ちゃん……ふぐうっ……もう二度と……君を離しはしない……!」
「うわあ……さすがに引くわ」
「ちょっとエミリー、失礼でしょ。そんな顔しちゃ駄目だよ」
 魔力炉がかつてない輝きを取り戻し、工房が歓喜に包まれたそのあと、最初こそ手をたたいて喜んでいたエミリーだったが、工房の主である男……魔力炉にしがみつき、むせび泣くデイビットが炉に頬ずりを始めたあたりで、完全に情緒がリセットされてしまったらしい。
 デイビットは、背丈だけならパイクと同じくらいの高身長だが、線が細く、どこか蜘蛛を思わせる手足の長さをしていた。
 オールバックになでつけたロマンスグレーの髪と、きらりと光る銀縁の眼鏡の奥に光る鋭い眼光は、黙って立っていれば知的な雰囲気に見えたことだろう。
 ギルドからの依頼でやってきたのだというぎりぎりの理性で、ノアにしか聞こえない声に抑えてはいたが、エミリーは完全に引いていた。
「自分の父親ながら、似たくないよねあれには」
 デイビットの娘で、工房の職人でもあるサラが、父親を止めるのはもうあきらめているのか、ため息まじりにぼやく。
 サラも、デイビットと同じロマンスグレーの髪をしているが、デイビットとはあまり似ていない。
 作業用のシャツとパンツ姿だが、デイビットのような不健康さはなく、活発な印象を受ける。高い位置でゆるりとお団子にまとめた髪と、くりくりと大きな瞳がそう見せているのかもしれなかった。
「喜んでもらえたのは嬉しいけど、もしかしてちょっとやりすぎちゃったのかな」
「うわあ……ノアはノアでぜんっぜん自覚が足りないみたい。よく見て? わけわかんないくらい光ってるよね? あんなの見たことないよ? 逆にどうなの? ノアが知ってる魔力炉って全部あんな感じ? 無自覚に全部あんな感じにしてきちゃったの? なんかいろんな常識が覆され続けて疲れちゃった。早くお金もらって帰りたい」
「エミリー!? なんか怖いよ!?」
 ギルドから来たことを伝え、懐疑的な顔をされながら案内された工房で、ノアがやったことといえば、両手をかざして魔力炉にするりと魔力を流し込む程度の感覚だった。
「お前さんの能力は、こうなるといいなってイメージが大事だと思うぜ。いっしょに戦うメンバーの魔法を見て、こうなるんだろうな、こうなったらすごいなってのを無意識に想像してたろ? 他で能力を試すなら、その感じを忘れないことだな」
 パイクから受けていたアドバイスを思い出して、それを実践しただけだ。
 魔力炉が光を取り戻し、職人たちが次々と精巧な魔道具を仕上げ、レイリアに活気が溢れる……目を閉じて、そんな光景を思い浮かべた。
 目を閉じて集中していた時間は、そう長くはなかったはずなのだが、エミリーに肩をぐいぐいと揺さぶられてあわてて目を開けると、すでに異変は始まっていた。
 炉の中心部に微細な振動とともに生まれた小さな光は、うねりをあげて魔力炉全体に広がり、工房をこうこうと照らすまばゆい光体となった。
 そもそも、この魔力炉への魔力補充の難易度が上がっていた原因は、炉が据え付けタイプだったからだ。一度設置してしまえば、そう簡単には動かせないようになっているうえに、よどんだ魔力を自動的に吸い上げてしまう。そのせいで、球体に少しばかりの魔力を注いだところで、すぐに駄目になってしまうのだ。
 ノアは、それをものともしない大量かつ濃密な魔力を、あっという間に注ぎ込んだことになる。
「この完璧な輝き……艶めかしいフォルム……つるつるのお肌……まぶしすぎて……ああ……何も見えなくなっていく……!」
「え、サラちゃん……あれって大丈夫なの?」
「やばいね、止めなくちゃ。エミリーちゃん、ノアさんも手伝って!」
 両目を見開いて、強い光を放ち続ける炉に顔をくっつけるデイビットを、三人がかりで引きはがす。ひょろりとした身体からは想像もできない力強さのデイビットを、三人は本気で体重をかけて、ようやく剥がすことができた。
「大丈夫ですか!?」
「感動するのはわかるけど、嬉しさのあまり近づきすぎて失明しちゃいましたとかやめてよね! 危うく体験したことない後味の悪さを味わわされるとこだったわよ!」
「どうもありがとう。ええと、君たちは……なんだったかな? ぼくはこれからしばらく忙しくなる予定なんだ、今すぐ出ていってくれるかい?」
「なるほど……行きましょ、ノア」
「え、本当に出ていくの?」
「うん。ギルドに報告。成功報酬を踏み倒すつもりみたいだから、次は議会で会いましょうね。よくて差し押さえ、悪くて追加で強制労働ってとこかしら。この工房は誰かが有意義に使ってくれるでしょ」
 くるりと背を向けて、きびきびと歩いていくエミリー。
 慌てたのはデイビットではなくサラだ。
「待って待って! お父さんの馬鹿! エミリーってば、そんなに怒らないでよ!」
 工房内の金庫を開け、中からお金の入った布袋を持ってくると、サラがそれをエミリーに手渡す。
「怒るよ。そりゃあうちも何度か失敗してるし、やる前によくない顔をされるのは仕方なかったかもしれないけどさ。終わった後も話にならない、勝手に失明しそうになる、どうにか引きはがしたらさっさと出ていけだよ?」
「ごめんって。うちのお父さん、腕は確かなんだけどそれ以外が破綻してるからね。それより……報酬ってそれじゃ足りないよね? とりあえず動くようにっていう依頼だったのに、想像以上だったっていうか」
「ああ、いいのいいの。ギルドの方は契約終わってる話だし、これで大丈夫。でももし、個人的に報酬足りないかもって思ってくれるなら、ノアの話を聞いてあげてくれないかな?」
 申し訳なさそうにするサラからノアに視線を移して、エミリーがばちんとウインクした。