ノアが目を覚ましたのは、日が落ちてしばらくしてからだった。戻りがあまりにも遅いことを心配したフローレンスに発見され、館長室のソファで応急処置を受けたのだ。
大急ぎで呼び出された医者によれば、症状は完全に魔力切れのそれで、他に異常はないという。
当のノア自身も、倦怠感は感じられるものの、身体が痛むことも、記憶が混濁することもなかったため、念のためギルドから人を呼び、自分の足で帰ることになった。
迎えに来たパイクは、ノアが魔力切れだと聞いて目を丸くしたが、その場で詮索はせず、フローレンスに礼を言って医者に診察代を支払うと、手早くノアを連れ出してくれた。
ギルドに戻る道中でいくらかの説教をされた気がするが、頭がぼんやりとしていたノアは、あまりよく覚えておらず、そのままベッドで深い眠りについた。
「まったく、心配かけやがってよ」
「ごめんなさい」
翌朝、ギルド酒場に起きていくと、ノアはいくつもの心配そうな顔に囲まれた。
「さすがのノアも、疲れがたまってたってところか? 館長どのでも身につけられた魔法で魔力切れとはな」
「違うんだよ、あれは」
万全の状態から、ほとんどすべての魔力を吸い取られたことを話すと、魔導書のことはちょっとした騒ぎになった。
すでにそれを唱えてしまっているフローレンスも一緒に、念のため医者や魔術師からのヒアリングを受けさせられたし、魔導書自体も地下の禁書エリアに移されることになった。
隠し扉の先の部屋は、図書館やレイリアへの貢献度によって、館長権限で解放しても問題ないとされていたエリアだ。ノアやフローレンスが責任を問われることはなかったが、古代魔法の魔導書には見直しが必要であるとの決定が議会でなされ、図書館の蔵書についても、大規模な整理が行われた。
整理にはノアやジェマ、その他の魔術師数人も、ギルドが正式な依頼を受けて参加した。
図書館の大規模整理と、ノアとフローレンスに対する個人的なヒアリングなどがひととおり落ち着いたのは、議会での議論も含めて、ノアが倒れてから三十日が経った頃だった。
「結局、何も身につかなかったのは残念だったよね」
いつもの朝の水汲みの時間に、エミリーが残念そうな顔をする。
ひととおりの事態が落ち着いたあと、ノアは身についたはずの魔法を試そうとした。しかし、どうやってもそれを使うことはできなかった。
フローレンスが身に着けた魔法は目の前で見せてもらったし、自分でもあの時に流れこんできた確かな感触を頼りに、思いつく限りのことを試してみた。すでに効果が出ているのかもと思い、通常の魔法もやってみたが、どれも詠唱速度に変化はなかった。
ばしゃばしゃと冷たい水で顔を洗い、空を仰ぐ。
どんよりと曇った空は、そう簡単に楽はさせないぞとノアに忠告しているようで、ノアは思わず唇をかんだ。
魔導書を利用して魔法を身に着けること自体は、そう珍しいことではないし、誰かにとがめられることでもない。
しかし、あれだけの確信があったにもかかわらず、自分の中に何も残っていないことが、ノアはとても悲しかった。
「基礎を身に着ける勉強も、魔力制御の訓練も続けてるし、一歩ずつやっていくしかないよね」
どうにか笑顔を返すが、ノアの心情は、エミリーに悟られてしまっている気がした。
「そうだ。ノアもフローレンスもばたばたしてたから話すのが遅くなっちゃったんだけど、例の調査の結果が出たよ。昨日で一応、病院も議会も一区切りついたんだよね? 今日、どこかで集まれる?」
エミリーの号令でお昼過ぎにギルド酒場に集まった三人は、パイクやジェマたちギルドの中心メンバーも交えて、バツ印のついた地図を広げた。
地図の印にはよどみが深くなるまでの日数と、ノアには基準がわからなかったが、その深さを表すであろう数値が細かく書き込まれている。
「北東が早いか……となるとやっぱり死の谷ってことか?」
「死の谷に異変が起きているなら、シーヴの方が先に影響を受けるのではありませんか?」
金髪のつんつん頭をかきあげてパイクが眉をひそめ、隣にいたジェマが各都市と死の谷との位置関係を確かめるように地図を指でなぞった。
「これを見てください」
フローレンスが、別の地図を取り出して広げる。
バツ印がついているものより広域の地図で、細かい街道などは描かれていないかわりに、大陸全体の主要都市や危険地域が記されているものだ。
通常の地図と違っていたのは、川のような流れが縦横無尽に、都市にもまたがるような形で描かれていることだった。
「これは魔力流の大まかな位置と流れを示した地図です。かなり古いものなので地形の変わってしまった場所もありますし、わたしたちが持つ知識や技術ではその流れを調査することはできませんが、おおむね合っているのではないかと考えています」
フローレンスの言葉に、機能の一時復旧を聞きつけて戻ってきた数人の図書館職員がうなずく。聞けば、図書館が中心となって、レイリア近辺のみではあるが、魔力の流れが濃いとされている場所の調査を行った結果、地図に記された内容には一定の信ぴょう性があるとの結論に至ったのだという。
「シーヴを通って死の谷へと進んだ魔力流は、このように南に逸れていくとされています」
地図を見ると確かに、死の谷から抜けた流れは、レイリアと、南西にある王都の間を抜けて南へ散っていた。
「北東方面で他に可能性があるとすれば、この流れですね」
シーヴと死の谷を通る流れの少し北に並行して走り、レイリアをかすめて北西の山脈へ抜けていく流れを指さして、フローレンスが皆の顔を見回す。
「絞り込みきれなくて申し訳ないですが、あとはもう一本。この流れです」
南から伸び、弧を描いてレイリアに北東から重なり、南西に戻っていく線を指さして、「つまり」とフローレンスが続ける。
「調査すべきは三か所。北西のナイン山脈、南の湿地帯、それから死の谷ということになります」
集まった皆が、それぞれに難しい顔をしている。
地図に描かれた魔力流は複雑に絡み合っていて、素人目にはどれがどうなっているのかよくわからないほど、たくさんの線が描かれている。
当然、レイリアに関係する流れも十や二十ではきかないほどの数がある。
その中で、仮説とはいえ、北東方面からレイリアに触れている三か所にまで絞り込めたのは、かなりの成果と言っていい。
しかし、それでも三か所だ。パイクががしがしと髪をかきあげて、ばつが悪そうに口を開いた。
「館長さんよ、この地図を見ても俺には細かいところはわからねえが、可能性を三つに洗い出せたってのはすげえことだよ。本当にそう思う」
「それではさっそく、すぐにでも調査隊を」
「しかしだ」
パイクがギルドの面々に視線を配る。仕方ねえから俺から言うぞ。そんな雰囲気だった。
「今のうちの頭数で、ここの守りまで考えるとなると、人は出せても一か所ずつだな。それにしたって、すぐには無理だ」
「そんな……よどみの深さは前よりひどくなっているんです。こちらの地図の数値はパイクさんもおわかりでしょう? この場にいる皆さんには申し上げますが、もはや一刻の猶予もないと考えます。ここで機を逃せば、レイリアはじきに、人の住めない場所になってしまうでしょう」
吐き出したフローレンス本人が、一番つらそうな顔をしていた。ざわついていたギルドメンバーも、押し黙ってしまう。
そこには、レイリア創始者の子孫である、フローレンス・レイリアだからこその重圧があるに違いなかった。
「フローレンスは、どこが一番怪しいと思う?」
ノアはここで口を開いた。まっすぐにフローレンスを見つめ、意見を促す。
「……死の谷か南の湿地帯、かな」
「それはどうして?」
「ナイン山脈は流れの終着点……下流だから。北東と南なら、流れの元を確かめることができるし、ここからさらに絞るのであればこの二か所です」
「……一か所に絞り込むのは、どうしても難しい?」
フローレンスが、悔しそうに首を振る。
わかった、と言ってノアは立ち上がる。それこそ、専門的なことはノアにはわからない。だから、調査をするにあたっての精度で話をしようと思った。
「死の谷に絞って調査をしてみませんか? 僕はシーヴのギルドにいた頃に何度か魔物討伐に行ったことがありますし、特に魔力が吹き溜まりになっている場所だとかもわかります。絞り込めないのなら、より細かく調査ができる方を選んでみるのはどうでしょう? もちろん、湿地帯に詳しい方がいれば、そちらを優先しても構いません」
「ノア、お前さんの話は結局、出たとこ勝負ってことかよ?」
険しい顔をするパイクを真正面から見つめ返して、ノアは「そのとおりです」と言いきった。
「時間があまりないのなら、何もせずに悩んでいる時間が惜しい。時間も人手もないのなら、自分たちで最善だと思える決断をして、全力を尽くすしかありません」
「ここの守りや他の依頼はどうすんだ? お前さんが思ってるより、うちは余裕ねえんだぞ」
パイクだって、こんなことを言いたくて言っているわけではない。
それがわかってしまったからこそ、ノアは言葉を飲み込んでしまった。酒場内に一瞬の沈黙が訪れる。
「じゃあ私もノアといっしょに行こうかな。ここの守りとか他の依頼は、皆でなんとかしてよ」
張り詰めた糸を切ったのは、エミリーだった。
「おいおいエミリーさんよ、なんとかしてってのは流石に暴論じゃねえか?」
「あんまり根性論は好きじゃないけどさ、できるところまで分析した結果がこれなんだから。あとはノアが言うとおり、やってみるしかないんじゃない? 他の依頼はどうすんだ? なんてノアにすごむ方がよっぽど暴論でしょ」
「……あっはっは! 根性論は好きじゃないとか言いやがって、気合入れてみろだ? おもしれえじゃねえか」
ばしっと自分の膝をたたいて、パイクが立ち上がる。
「そもそもお前ら、さぼりすぎなんだよ。気が付いたら魔道具の工房だの、図書館の魔力炉だの、古代の魔導書だのって理由つけて消えやがってよ」
「ちょっと、今それは関係ないでしょ!」
「だから今度は、俺もついてくぞ。きっちり仕事してるか監視してやるからな」
パイクは、ふんとおおげさにそっぽを向いてみせてから、にやりと笑って視線を戻す。
「素直じゃないんだから……心配だからついていくって言えばいいのに」
「パイクは照れ屋だもんね」
「うるせえ、ノア! てめえ、それ言っときゃいいと思ってんだろ!」
盛り上がるギルドの面々に対して、フローレンスが不安そうな顔になる。
「あの、ノアにエミリー、パイクさんまで出かけちゃって、ギルドの方は大丈夫なんですか? わたしが言うのもなんですけど……」
「それなら心配いりませんよ」
パイクのかわりに答えたのはジェマだ。落ち着いた笑顔でにっこりとフローレンスに笑いかける。
「うちのギルド長を事務方や後方支援に置いておいても、何の役にも立ちませんから。実質的に依頼のやり取りだとかを回しているのは、他の優秀な皆さんです」
「えええ……俺の立場……」
「ついでに言えば、放っておくとすぐサボって楽しそうな方についていこうとするんです。そんなことをさせないように、私も同行しますのでご安心ください」
「うげ、本気かよ。それこそ、ジェマがいなくて事務方は回るのか?」
「もちろんです。私が教育した優秀な子たちがそろってますから。あなたは知らないでしょうけど」
とどめを刺されてしゅんとなったパイクに、一瞬だけ視線をやってから、フローレンスがジェマに向き直る。
「パイクさんはともかく、ジェマさんが出かけるのは本当に大丈夫なんですよね?」
「フローレンス、その言い方はさすがにパイクがかわいそうかも」
ノアが助け舟を出すが、それをさらりとさえぎって、ジェマが「大丈夫ですよ」と答える。
「依頼を回すのに長けた者は他にもいますからご安心ください。それに、パイクのお目付け役としても、チームバランスを見たときの回復要員としても、私が入る方が調査も進むと思います」
そう言うと、ジェマは酒場の奥から二人の男女を連れて戻ってきた。
「こっちはシャロン、安心して依頼の受付と消化を任せられます。それからこっちはティム。情報収集と伝達、隠密能力に長けているので、異変があればすぐに知らせてくれるでしょう。二人とも、留守をお願いできますか?」
パイクをきりきり働かせてさっさと戻ってきますから、少しの間だけですので。
にっこり微笑むジェマに、二人がうなずく。
「ギルド長はともかく、ジェマさんがいないのは少し不安ですけど、頑張ってみます!」
「どいつもこいつも俺をともかく扱いしやがって。ずいぶんいい教育してんなおい」
「すごんでも無駄ですよ、そういうところをスルーすることもしっかり教育してありますから」
がっくりと肩を落としたパイク以外のほぼ全員が納得して、その場は解散となった。
死の谷が空振りだったときのことも考えると、とにかく時間がない。
明日の朝には出立することに決まり、それぞれが準備のために動き出した。
レイリアから死の谷までは、馬車で一日ちょっとの道のりではあるが、調査も含めれば、少なく見積もっても数日はレイリアを離れることになる。
パイクとジェマはギルドの残務を引き継ぐためにギルドに残り、エミリーは実家に戻って事情を説明してくると駆けていった。
残されたノアは、武器を手に入れるために工房へ向かうことにした。
ノア専用のロッドが仕上がっていれば一番いいが、完成にまだ時間がかかるようであれば、間に合わせでもいいので何かしらのロッドを手に入れておく必要があった。
魔物に遭遇した場合、ノアの役目は魔力譲渡によるサポートが大半ではある。
しかし今回は、通常の数時間以内で完了する魔物討伐とは違う。丸腰のままではさすがに心もとない。
「いらっしゃい、ノア。ちょうどよかった」
工房に入ると、出かける準備をしていたらしいサラが、ぱっと顔をあげて笑顔で出迎えてくれた。
「こんにちは。あれ、これから出かけるところだった? デイビットさんは奥にいる?」
「出かけるつもりっていうか、ノアを呼びにギルドに行くところだったの。だからちょうどよかったってわけ」
「そうだったんだ。っていうことはもしかして、完成したの?」
ばちんとウインクをキメて、サラが工房の奥へ続く扉を開き、入るよう促す。
「正確には完成間近みたいなんだけど。わざわざそっちから来てくれたってことは、もしかして急ぎ?」
「うん、ちょっとギルドの遠征に参加することになって。もし完成していたらうれしいし、まだでもとりあえず持っていけるロッドがあればと思って。もちろん、とりあえずの方にはお金を払うから」
歩きながら、ノアは簡単に事情を説明する。
レイリアそのものの危機が迫っていて、その原因を気合と出たとこ勝負で調査しに行くところなんだ、とはさすがに言えなかった。
レイリアの状況について、公式に発表せざるをえない場合は、議会からというお達しが出ている。そうならないために最善を尽くそうというときに、個人的な感情が多分に含まれた意見を吹聴するのはよろしくないだろう。
「やあやあ、ノアくん。ぼくのあげたプレゼントは使ってくれているかな? そうか、すりきれるほど使ってくれて操作も完璧。新しいものがほしいというわけだね!」
「まだ何も言ってませんよ、こんにちはデイビットさん」
早口で自分の質問に答えと要望をぶつけてきたデイビットを、さらりとスルーしてノアは挨拶した。
自分でも気が付かないうちに、ノアはレイリアにやってきた当初より、人付き合いができるようになっている。
それはパイクのあしらい方であったり、ジェマからの指示への受け答えであったり、ギルドにやってくる依頼者や酒場の客への応対であったり、デイビットのようにわが道を突き進む相手との会話であったりのおかげで、培われてきたものだ。
もちろん、エミリーやフローレンス、サラのような、よき話し相手に恵まれたこともある。
「完成間近だって聞いたんですけど、その様子だともしかしてもう少しかかりそうですか?」
「いいや、ほとんど完成はしているんだけどね。それを君が使えるかがわからなかったものでね」
「ええ……僕専用にカスタマイズしてくれるはずなのに、僕が使えるかわからないって、どうなっちゃったんです?」
そういえば、デイビットとこうして顔をあわせるのは久しぶりだ。
何らかのインスピレーションを得て、ふらふらと去っていく後ろ姿を眺めたのが最後のはずだ。
あれから何の連絡もなく、彼の中のインスピレーションのみにしたがって製作を続けていたのだとすれば、ノア専用のカスタマイズは、一体どこでなされたのだろう。それとも、なされていないままだからこそ、完成間近なる曖昧な表現になっているのだろうか。
急に不安になって、ノアはサラを振り返る。
「あはは、そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だと思うよ。腕だけは、本当に確かなんだから」
「いいからとにかく、ぼくがあげた『星の子供たち』を見せてくれるかな?」
「なんですかそれ」
「訓練用にあげたじゃないか、まさかもうなくしたのかい!?」
「ああ、これですか。そんなロマンチックな名前がついてたんですね」
ノアはするすると三つの球体を魔力で操作してポケットの中から取り出すと、肩のあたりで浮かび上がらせる。魔力切れを起こして意識を失った当日と翌日を除いて、ノアはこの訓練をほとんど休みなくやってきた。今ではそれこそ、手足のように扱うことができるようになっている。
「うんうん。いいね。かわいく回ってる。んふふふふふ」
「ちょっと……どういう風にかわいいかは僕にはわからないですけど、喜んでもらえてよかったです?」
「そのイメージはそのままにして、ちょっとこれをつけてみてくれるかな?」
差し出されたのは、小さな赤い石が埋め込まれた金属製の腕輪だった。
「利き手は右だったよね? さあほら、きっとぴったりだ。君のことは何度も観察しにいったからね。腕の太さから何から何まで、お見通しなんだよ。んふふふふ」
「え、こわい。何度も? いつですか? ぜんぜん気づかなかった……これ、つけて大丈夫なやつですよね?」
後ずさるノアの背中を、サラがぐいと押し戻す。
「急いでるんでしょ? 大丈夫だってば。父さんが信じられなくても、私を信じると思って。ね?」
「わかったよ、そういうことなら」
「んふふふふ……そうそう、ぼくでもサラでもどこかの神様でも、信じたいものを信じてくれればいいよ。なんでもいいから早くこれをつけてくれないか」
自分を信じるかどうかは本当にどうでもよさそうに、デイビットが腕輪をノアに押し付ける。
おっかなびっくり、ノアがそれを装着すると、デイビットは満足そうにして、作業台の上に無造作に置かれたパーツを指差した。星、月、剣、盾、鏃、円、正方形。それぞれ違う形をした七つのプレートだ。
「訓練と同じ要領で、あれを操ってみてほしいんだ」
いわれて、ノアは意識をそちらに向ける。
右腕の腕輪にはめこまれた紅魔石が、ノアの魔力に反応して、七つのプレートに魔力を宿らせた。
数こそ訓練用のそれより倍以上あるが、今のノアにとっては問題にならない。
あっという間に七つすべてを掌握し、自身を中心にくるくると旋回させてみせた。
「いいね! かわいい! かわいいよ! んふふふふふ!」
「えっと、ありがとうございます? あの、お願いしていたのはロッドだったんですけど、訓練用の腕輪になっちゃったんですか?」
おそるおそる、ノアはデイビットに尋ねてみる。
魔力の伝導効率が素晴らしいのは間違いないし、それぞれのプレートが手足のように動いてくれる。腕輪も怖いくらいにぴったりのサイズだ。
だが、依頼していたものと出てきたものに差がありすぎて、ノアは困惑していた。
「んふふ。それこそが君の新しいロッド、『七つの死に至る罪』だよ!」
「なんだか物騒な名前ですね……」
「遠い異次元の儀式を記した文献と、君が『星の子供たち』を使いこなすところから閃いてね」
「これが、僕のロッド……その、すみません。どうやって使うんですか?」
七つのプレートを横一列に浮かべて、ノアは視線をデイビットに戻す。
「手元の腕輪から魔力を込めて操作する。ここまではいいよね?」
ノアはこくりとうなずく。操作性だけでいえばかなりのものだし、ノアが持つ膨大な魔力との相性も悪くないように思えた。
「どのプレートからでも、自由に魔法を発動させられるようになっているんだよ。それから、発動手前の魔法を各プレートにとどめておくこともできる」
「とどめておく……ですか?」
ノアの手のひらより少し大きいサイズの、七つのプレートを順番に眺めた。金属らしい光沢はなく、艶消しの加工がしてあるようだ。
それぞれに刻まれた紋様は、この工房や図書館でたびたび見かける、古代のものに似ている。
「例えば、ひとつに炎の魔法、ひとつに治癒魔法、ひとつに補助魔法とかね。すごいだろう?」
「そんなに色々は使えませんけど、確かにすごいです!」
え、なんだそうなの?
ものすごく落ち込んだ様子のデイビットをスルーして、ノアは試しに飲み水を作る簡易的な水魔法を仕込んでみる。折れる前の形見のロッドより、魔力の伝導効率がいいからか、いくらか早く組み上げることができた。
それをプレートのひとつに移動させると、「とどめておく」感覚がどういうことなのか、直観的に理解できた。確かに魔法は組みあがっているのに、それを維持するための魔力さえ流しておけば、自分の手を離していても大丈夫という、不思議な感覚だ。
水の魔法に続いて、小さな炎と風を、それぞれ別のプレートに渡してみる。
三つの魔法をとどめたままでパーツを操作するのも、慣れればなんとかなりそうだ。もしものときに備えて、先に魔法を組んでおくのもいいかもしれない。
それができるのはおそらく、魔力量に自信があるノアならではのやり方で、まさしくノア専用にカスタマイズされた、まったく新しい形のロッドだった。
使い心地は必ず報告するように、と念を押してきたデイビットに礼を言い、ノアは工房を後にした。
焚き火がぱちぱちとくすぶる音を聞きながら、ノアは魔力操作に集中する。
星と月をくるくると回転させ、剣と盾を交わらせ、その隙間に鏃を通す。円と正方形は頭上で待機させるかわりに、炎と水の魔法をとどめてあった。
「何度見ても不思議だよね、それ」
隣で剣の手入れをしていたエミリーが、小さく溜め息をつく。
新しい武器『七つの死に至る罪』は、訓練次第でとてつもない性能を発揮してくれる。ノアはそれを確信していたが、なにしろ時間が足りない。
死の谷に到着するまでの一日ちょっとの間も惜しく、馬車に揺られている間も、こうして野営をしているときも、ほとんど休みなく訓練を続けていた。
今のところ、すべてのプレートを自在に動かしながら、とどめておける魔法は三つ。
馬車の中や仲間の目の前で制御しきれなくなっては困るので、訓練中は小さな火種や飲み水程度に絞っている。魔物にダメージが通る威力の魔法で、同じことができるのかは未知数だ。
念のため、工房にお金を払ってオーソドックスなロッドも一本持ってきてはいるが、ノアはできれば、自分専用のロッドを使いたいと考えていた。
「まだまだ使いこなせてないから、もっと頑張らないと」
もしすべての性能を引き出せたら、七つの魔法をストックしながら、それを好きな角度、位置、タイミングで放つことができるようになるはずだ。
魔法をストックしたプレート自体を狙われることもあるだろうし、すべて思い通りにはいかないとしても、戦術の幅が大幅に広がるのは間違いない。
また、魔法の発動が遅いノアにとって、ストックした魔法を使いつつ、次の手の準備も進めていけるやり方は、自分に合っているように思えた。
デイビットがそこまで考えてこれを作ってくれたのかどうかは、微妙なところではあるが、腕だけは確かと言っていたサラの話に間違いはなかったと、今なら断言できる。
「熱心なのはいいですが、あまり無理はしないでくださいね。明日のお昼前には死の谷です。着いた頃には疲れきっていた、なんてことになっては困りますから」
にっこりと笑うジェマの言葉は、心配半分、釘をさすのが半分といったところだ。
パイクのカリスマ性や、エミリーの明るさと行動力がギルドの原動力になっているのは確かだが、その下で地盤を固めているのは、このジェマであるとノアは気づいていた。
いつでも冷静に判断し、そっと手を添えるような言い回しを選んで、最適に近い形を導き出してくれる。
今回の調査にしても、あやうくノアとエミリーが独断専行する形になりそうだったところを、パイクとジェマが同行する形に落ち着いたのは、ジェマの言葉によるところが大きい。
「何をにやついてんだよ、ノア。ジェマに説教されてそんな顔するなんざ、お前さんまさかそういうあれか?」
「そういうあれってなに!? ただ、やっぱり皆って、いいチームだなって思っただけ」
「おいおい、やめとけ。死の谷ってのはいつでも魔物がごろごろしてるとんでも名所だろ? 派手な戦いになるのがわかってるときにそういう話をするやつは、悪運がそっぽ向くっていうぜ?」
「悪運にも強運にもさんざんそっぽ向かれてきたし、これくらいなら大丈夫でしょ」
「ほお、言うようになったじゃねえか!」
大笑いしてから、パイクが炙った干し肉にかぶりつく。今回は、前回の買い出しとは違って、スープを作ったりする鍋の手持ちはない。
本来であれば、せっかくの少数精鋭なのだから、四人で早馬を飛ばすのが正解だ。
しかし残念ながら、ノアは馬の乗り方を知らない。そのため、できる限り軽装で荷物を少なくしたうえで、馬車を使うことにした。
結果として到着が夜になってしまい、少し手前で野営をして、明日の朝から調査を開始することに決めてある。
「とりあえず、レイリアに流れ込む魔力流が近い北側は、ひととおり確認しておきたいよね。ノアはどのあたりが怪しいと思う?」
エミリーが、死の谷周辺に絞りこんで魔力流を書き加えた地図を、ノアに差し出してくる。
「北側で特によどみが深い吹き溜まりみたいになってたのは、このあたりとこのあたりかな。魔物討伐がメインじゃないから、谷底は迂回して、いったんシーヴ側まで進んでから入った方がいいと思う」
「谷底って、どのあたりのこと?」
パイクとジェマも集まってきて、地図を覗き込む。
「レイリア側から入って一番近くのこのあたりと、北側ならここ、それと東側のこのあたりも。よどみが深くて、強い魔物がたくさんいる場所を、シーヴでは谷底って呼んでたんだ。近づいた他の魔物を襲うようなやつもいたはずだよ」
「はっ、魔物どもにもランキングがあるってわけか。どこも世知辛いもんだな」
「この北側の谷底は、場合によっては調べなくてはいけないかもしれませんね」
ジェマが、すうと目を細める。
「できれば近づきたくないけど……そうですね」
ノアとしても、谷底には悪い思い出しかない。
シーヴギルドで討伐に向かったときも、かなりの苦戦を強いられていた。谷底は一度の討伐で一か所までという、暗黙のルールができていたほどだ。
ましてや今回のメンバーは、精鋭ではあるが四人だけだ。慎重に近づかなければならない。
「建前は調査ってことになってるが、正直そんなに悠長なことは言ってられねえかもな。それなりの覚悟はしておいた方がいい。ま、お前さんを魔物の真ん前に放り出したりはしねえよ。いつものとおり、がっつりサポートしてくれればいいさ」
ノアの表情から弱気な気配を感じ取ったのか、パイクがばしばしと肩を叩いてくれた。
「この四人ならきっと大丈夫だよ」
エミリーも、負けじと反対側の肩をたたいてくる。
「そうですね。今となっては、ノアくんも含めたこの四人が、レイリアギルドのエースですからね」
ジェマまでいっしょになって、ノアの髪をわしわしとかき混ぜるようにした。
「ちょ、三人とも悪乗りしすぎだって!」
どんな難しい局面でも、このメンバーならきっと乗り越えられる。そんな安心感と信頼感が、四人には芽生えつつあった。
しかし翌日、ノアたちは予想以上のものを目にすることになる。
「なにあれ……あんなの、無理に決まってる……」
死の谷の北側に位置する崖の上。じりじりと照りつける日差しを背中に受けながら、ノアたち四人はうつ伏せになって魔物から身を隠し、件の谷底を見下ろしていた。
青ざめた顔のエミリーが凝視する先に、ノアも目をこらす。
よどんだ魔力が渦を巻き、地上に吹きあがっていた。その中心には巨大な槍が突き立てられており、それが周囲のよどみを集めて、地下に流し込んでいる。
「あそこからよどみを吸い込んで、レイリアに流れ込む魔力流に無理やり渡していたのですね……なんということを」
ジェマが唇を噛む。巨大な槍が作り出す渦の周囲には、よどみから力を得ようと集まった無数の魔物がうごめいている。
一体一体がかなり強化されているようで、見たことのある魔物が数倍の大きさになっていたり、より凶悪などす黒い色に染まっていたり、通常ではありえないほどの魔力をほとばしらせていたりする。
「残念だが、ありゃあ刺さってからしばらく経ってるな。それこそ、レイリアがおかしくなり始めた頃から、あそこにぶっ刺さってるんだろうよ。冗談じゃねえな、まったく」
「あんな場所があるなんて知らなかった……」
ノアは、何度もきていた死の谷なのにと、今更ながら悔しがる。
槍が刺さっていたのは、ノアがシーヴギルドにいた頃に知っていたどの谷底とも違う場所だった。
ちょうど何年か前から、死の谷の魔物討伐の難易度がやけに下がったという噂は聞いていた。
当時は、自分たちが強くなったからだとジャックやバーバラが豪語していて、実際のところそれは、ノアの魔力を借りて強化されていた部分もあるのだが、皆がそれを信じていた。
しかし、真相はまったく別のところにあった。
何者かによって突き立てられたあの槍によって、魔力のよどみが強制的に変化し、ギルドが討伐を行っていたポイントに強い魔物が生まれにくくなっていたのだ。
その裏でひっそりと、そして着実に、レイリアにも影響を与えながらよどみは深くなっていた。
ノアたちが見下ろす先にいる魔物たちが、もしいっせいにシーヴになだれこめば、シーヴは無事では済まないだろう。
同じように、あの魔物たちがレイリアに襲い掛かったらと思うと、ノアはぞっとした。
「あれをそのままにはしておけません。私たちがどうにかするしかなさそうですね」
氷のような視線を谷底に送りながら、ジェマがぽつりと言う。
「最低でも、あの槍は引っこ抜いて、ぶち壊しておかねえとな」
ぐるんと肩を回して、パイクも鼻息を荒くする。
「よどんだ魔力の流れからしたら、あそこに集まった魔物たちはきっと、シーヴよりレイリアを目指しちゃう。私たちが、やるしかないよね」
自分に言い聞かせるように、エミリーも拳を握る。
「怖いか、ノア?」
ただ一人、押し黙っていたノアに、パイクが声をかけてくる。
「僕は……」
正直に言えば、怖い。
この四人ならなんとかなる。昨晩は確かにそう思っていたのに、こんなことになっているなんて。失敗は許されず、相手は未知の力を持った強力な魔物たちだ。ノアの心のざわめきは、簡単には消えてくれなかった。
「大丈夫……とはいえないけど、私たちならきっとできるよ」
「ノアくんは、レイリアにきてからも成長を続けています。私が保証しますよ」
「だそうだ。ひとついいとこ見せてやろうや。なに、無理そうなら俺が全員かかえて逃げきってやるからよ。あっはっは!」
三人の言葉が染みる。ノアは、自分の中に暖かい何かが流れこんでくるような感覚を覚えて、立ち上がった。
「そうだね、やれるだけやってみよう。それに……」
大きな衝撃と破裂音がして、地面に突き刺さった槍の柄から、よどんだ魔力の塊が空中に吐き出された。ひりつくようなプレッシャーが膨れ上がっていく。
空中でゆっくりと形を変えていったそれは、やがて翼を広げた巨大な竜となって、ノアたちを底の見えない暗い瞳でにらみつけた。
「僕たちが隠れてるの、ばれちゃったみたいだし」
ノアが言い終わるか否かのタイミングで、四人は駆け出していた。
パイクが斧と盾を構えて突進し、エミリーがそれに続く。
ジェマとノアは二人の後方に控え、ジェマは補助魔法を、ノアは魔力の譲渡を開始する。
「きますっ!」
空を蹴り上げて上空へと昇った竜が、旋回して突っ込んでくる。
ノアは、身体が熱くなるほどの大量の魔力を三人に送り込む。ノアの魔力に呼応して、三人の身体がきらきらと光を帯びる。以前とはくらべものにならないほどの魔力量だ。
パイクとエミリーが斬撃を飛ばして、滑空してくる竜を迎撃した。
鋭い斬撃が竜の両翼をもぎとり、バランスを崩した竜は崖に激突して落ちていく。
「とんでもねえ力が湧いてきやがる!」
「まだくる! 油断しないでっ!」
大笑いするパイクに、エミリーが叫ぶ。
竜の姿を維持できなくなったのか、真っ黒な魔力の塊が崖から這い上がり、咆哮をあげた。
耳をつんざくような高音に、四人は顔をしかめる。びりびりと全身を突き刺す衝撃波は、踏ん張っていても飛ばされそうだ。
ぱん、ともがれたはずの翼が再び生え、ぬらりとした尾と竜の頭が現れる。
最後に、先ほどよりひとまわり太い腕と脚がずるりと形作られ、漆黒の竜が四人の前に姿を現す。
「盾ぇっ!」
ジェマが叫び、とっさにパイクが両手で盾を構える。
くるりと後ろを向いた竜の尾が、パイクを盾ごとくの字にまげて、はねとばした。
「パイク! ジェマ、お願い!」
跳ね飛ばされたパイクをジェマが追い、かわりにエミリーが前に出る。
竜の前足に斬撃を集中させ、目にも止まらぬ連撃で、片足を斬りとばす。
「ノア、もっと魔力!」
「わかった、集める!」
ノアは、エミリーへ魔力を集中させながら、巨大な氷塊を作り出し、竜の頭めがけて投げつけた。ここまでの間にストックしていた氷魔法二つ分を重ねた、ノアが今できる中で、もっとも威力の高い大技だ。
片足を失い、側頭部に氷塊をぶつけられた竜が、バランスを崩して頭を下げる。
「はああああっ!」
タイミングよく飛び込んだエミリーの刀身には、吹き荒れる暴風が宿っていた。
真上から振り下ろした一撃が、竜の首をごとりと地面に落とす。
「やった!」
「……パイクは!?」
竜が動かなくなったのを確かめてから、ノアが振り返ると、ジェマがパイクに治癒魔法を当てているところだった。
パイクはぎりぎりのところでマッスルボムを発動させて、後ろに跳んでいたらしい。軽傷とは言えないが、戦線を離脱するほどではなさそうだ。ノアは急いで、ジェマに渡す魔力も数倍に増やす。
みるみるうちに回復したパイクが、立ち上がってにやりと笑うが、すぐにその顔がこわばった。
「くそ……まだだ! お前ら、後ろだ!」
ノアが慌てて振り返ると、地面に落ちた竜の頭を取り込んだどす黒い魔力の塊が、うねうねと空中でうごめいていた。
エミリーがノアの隣まで下がり、呼吸を整えて構える。
「首を落としたのに……竜っていうより、魔力の塊の魔物ってこと?」
「魔力の集合体なら、必ず核があるはずだよ……まさか!?」
突き刺さった巨大な槍。あれ自体がこの魔物の核だとしたら?
ノアの考えを察してエミリーが飛び出すが、それより先に、竜が崩れたような魔力の塊は動き出していた。
どす黒い魔力の塊が槍の元へ戻っていく。それを追いかけるように、エミリーが風の斬撃を飛ばすが、一歩遅い。
槍を守るように絡みついた魔力の塊によって斬撃は弾かれ、かわりに耳障りな、威嚇するような咆哮が槍から発せられた。
「遅かった! ってなにあれ……周りの魔物を、食べてる!?」
追いついてきたパイクとジェマを加えて四人は槍を見下ろし、それぞれに表情を歪めた。
槍に戻った魔力の塊が、魔力のよどみに引き寄せられて集まった魔物たちをまとめて飲み込んでいたのだ。
ノアたちが削り取ったいくらかの魔力を補填し、それ以上の禍々しさに膨れ上がっていく。
慌てて逃げ出した一部の魔物を除いて、ほとんどの魔物を喰らいつくした魔力の塊は、再び竜に姿を変え、槍を守るようにしてノアたちを睨みつけた。
「どうやら完全に怒らせたな。ま、考えようによっちゃ、相手すんのが一匹だけになったってとこか?」
パイクの表情には、言葉ほどの余裕はなさそうだった。
ノアは皆を自分の魔力で守るイメージで、大量の魔力を注ぎ込む。
同時に氷魔法の構築も進めていくが、こちらはなかなか上手くいかない。発動の遅い自分の魔法がもどかしい。
相手は竜の形をしているとはいえ、よどんだ魔力の塊だ。単純に剣や斧でも斬りつけても効果は薄い。なんらかの魔力を乗せて攻撃する必要がある。
渡した魔力のおかげで、パイクとエミリーの斬撃は一定の効果を発揮しているが、もっとも効果が高いはずなのは、魔力そのもので構築した魔法による攻撃のはずだ。
倒すにしても逃げるにしても、自分がもう少し魔術師としてもちゃんと役に立てていたらと思うと、歯がゆくて仕方ない。
「深追いはやめておきませんか。四人で戦うには、あれはあまりにも危険です。おそらく、槍から距離をとれば追ってはこないはずです」
ジェマが補助魔法を次々とかけながら、厳しい声色で言う。
「でも、あれをどうにかしないとレイリアは駄目になっちゃうんでしょ? 時間が経ったらもっと強くなって、手がつけられなくなっちゃうんじゃない? それなら……ここで!」
「ばかやろう! 一人で出るんじゃねえっ!」
果敢に前に出ていくエミリーを、パイクが追う。
ノアも二人の背中を追いかけるが、アタッカー二人の速度にはついていけず、距離が開いてしまう。
竜が翼を広げて空へ舞い上がった。頭を大きくのけぞらせると、開いた口にどす黒い魔力が集まっていく。
「だめだ、よけて! ブレスがくる!」
早すぎる。ノアは竜と戦う場に居合わせたこともあるが、ブレスを吐くにはもっと長い溜めがいるはずだ。
パイクが、立ちすくんでしまったエミリーの前に出て、盾を構えて立ち塞がった。
竜がのけぞらせた頭を、はずみをつけてゆるりと前に出す。
スローモーションのような動きから、真っ黒な帯が吐き出される。
ノアは必死で、少しでもダメージを軽減できるようにと魔力をパイクとエミリーに流し込む。
組みかけの氷魔法を投げつけるが、ブレスにかすっただけでかき消えてしまう。
パイクがあげた雄たけびとエミリーの悲鳴が、ノアの頭の中でぶつかり、ブレスが発する爆音にかき消されていく。
前衛二人を飲み込んだブレスが、そのまま地面を削ってノアに迫ってくる。
視界が明滅する。振動と衝撃で鼓膜が破れそうだ。横っ飛びにかわす。竜が少しでも首をかしげれば終わりだったが、幸いにもブレスは、ノアの真横を駆け抜けていった。
しかし、当然ながら無傷で済むわけはない。衝撃と爆発に囲まれ、木の葉のようになすがままに揺さぶられ、飛ばされ、叩きつけられ、全身を強く打った。
パイクとエミリーは間違いなく飲み込まれた。ノアの後ろにいたジェマも、ブレスを受けたかもしれない。
力の入らない身体をどうにか起こして、ふらふらと立ち上がった。
パイクとエミリーが、うつ伏せになって倒れているのが見えた。
ノアの魔力譲渡で数段階強化された補助魔法を重ねがけしていたおかげか、パイクの盾さばきのおかげか、かろうじて息はあるようだ。
しかし、ダメージは決して浅くない。盾を構えていたパイクの両腕はあらぬ方向に曲がっているし、エミリーもブレスによる傷を全身に受けて、気を失っている。
振り向いて、ジェマを探す。
ジェマはブレスの直撃は避けたらしかったが、ノアと同じく衝撃に吹き飛ばされ、全身を強打したらしい。手にした杖に寄りかかってどうにか立ち、自身に治癒の魔法をかけている。その表情は苦悶に歪み、とても余裕があるようには見えなかった。
翼を広げて、ゆっくりと竜が降りてくる。
大技のブレスを吐ききった直後だからか、勢いをつけて襲いかかってはこなかったが、その視線はパイクとエミリーを捉え、すうと細められている。
もはや四人とも、まともに戦える状態ではない。逃げるタイミングも失してしまった。
――全滅。
ノアの頭をよぎった文字列が、鼓動を急かす。冷たい汗が背をつたった。
レイリアにきて、自分は変われたと思っていた。
能力を自覚して成長を実感したし、自分だけの新しい武器も手に入れた。仲間にも恵まれ、心の底から笑うこともできた。
今までとは違う、新しい世界が開けたと思っていた。
「ああ……!」
地上に降り立った竜が、パイクとエミリーに近づいていく。動けと必死に命令するが、重たくなった身体は言うことを聞いてくれない。
竜が鋭い爪をむき出しにして、前足を振り上げる。狙いはエミリーだ。
ノアの全身が焼けるように熱くなる。自分の人生を変えてくれた幼馴染が、今まさにその命を散らそうとしている。
どうすればいい? 何ができる?
気を失っているエミリーに魔力を投げつけたところで、何の意味もない。両腕が使えないパイクにしても、同じことだ。
ノアよりはるか後ろにいるジェマの治癒魔法が、パイクとエミリーの二人に届くとも思えない。
魔法だ。ノアの魔法が届きさえすれば。無我夢中で、魔力の塊を炎に変えようとするが、全身の痛みで集中できず、手のひらに生まれた小さな火種が、儚げに揺れるだけだ。
遅すぎる。弱すぎる。涙があふれてくる。もう、今にも、黒光りする爪が、大事な仲間を引き裂こうとしているのに。
駄目だ。これでは駄目だ。もっと早く。もっと強く。大切な人を守る力が欲しい。
「ああああああああああああああ!」
カチリと、ノアの中で何かが噛み合う音がした。
図書館で唱えた魔導書の映像が、頭の中で鮮明に映し出される。
反射的に、開かれたページに浮かび上がった文字をなぞる。
「『永続詠唱加速(絶)』……?」
口にした瞬間、ノアの中でその瞬間を待っていた古代魔法が、正しく発動した。
まだ火種程度だった炎魔法が、燃え盛る火球に姿を変えて、ロッドの一部である星のパーツに宿る。
ノアが夢中で発射したそれは、まさに前足を振り下ろす寸前だった竜を、大きく後ろへ弾き飛ばした。
「テラフレア……」
ノアは、先に投げつけたファイヤーボールとは桁違いの上位魔法の名を、ぽつりと口にする。
もともと、扱える魔法の種類自体が少ないわけではない。発動までの時間が圧倒的に遅いため、ほとんど使う機会がなかっただけだ。
迷いなく発せられたノアの言葉に呼応するように、星、月、剣、盾、鏃、円、正方形すべてのプレートが、一瞬で燃え盛る炎を宿す。
「テラフレアを、七つ同時に!? ノアくん、あなたは……」
後ろにいるジェマが、驚きの声を漏らした。
「いっけえええええええええええええ!」
一撃で魔物を群れごと焼き尽くせる威力の炎を、悲鳴をあげる竜に次々とぶつけていく。
七つのプレートを、円を描くように回転させてテラフレアを連射する。
熟練の魔術師でも発動までに時間を要するはずの上位魔法を、こともなげに連射するノアに、ジェマが息をのんだ。
「ジェマさん、大丈夫ですか? できれば、二人の回復をお願いします」
「え……あ……これは……!」
連射を続けながら、ノアはジェマに、これまでよりさらに質の高い魔力を大量に譲渡する。
流れ込んできたでたらめな量の魔力に、ジェマが困惑の表情を見せるが、すぐに切り替えて自身への治癒を済ませ、パイクとエミリーのところへ駆けていく。
その間もノアは、竜の形を保てなくなっているよどんだ魔力の塊へ向けて、灼熱の炎を連射し続ける。
「助かったぜ。ありがとよ、ジェマ。しかしこいつは……」
「ノア……!?」
譲渡された魔力によって数倍の効果を発揮した治癒魔法で、パイクとエミリーが起き上がる。
三人の前に堂々と立って魔法を放ち続けるノアに、理解が追いついていないようだ。
「パイク、エミリー。悪いけど手伝ってくれる?」
「お、おう……?」
振り向いてにっこりと笑顔を見せると、ノアは巨大な槍を指さした。
柄のところに、真っ黒な宝石がはめ込まれている。
「あれが核だと思うんだけど、魔法を止めるとすぐに魔力が集まってきちゃうみたいで」
炎、氷、風、雷、土、光、水。
七つのプレートに七つの属性の上位魔法を立て続けに練り上げ、核を守ろうとする魔力を散らしながら、ノアが言う。
「後ろから援護するから、二人であれを壊してきてもらえると助かるんだけど、お願いできる?」
ノアは両手を差し出し、目に見えるほどの魔力を前衛二人に流し込む。
「あっはっは! 援護っつうレベルじゃねえけどな! よおし、好き勝手やってくれたあのくそ槍、ぶっ壊してやるか!」
「うん、任せて!」
ジェマの補助魔法も重ね掛けをやりなおして、完全に立て直した四人がそれぞれに飛び出す。
むき出しになった核をどうにか守ろうと、槍が怪しい光を放つが、ノアの連続魔法を受け続けたことで、もうほとんど魔力は残っていなかった。
パイクとエミリーが、斧と剣を構えて突っ込む。
「今度こそ終わりにしてやる!」
「はああああっ!」
二人の斬撃が、核を粉々に砕き、槍が断末魔の悲鳴をあげる。
「ありがとう! 二人とも下がって!」
ノアは、核が破壊されても手を緩めなかった。よどんだ魔力を集め、核を形成して魔物化させたのは、元をたどれば巨大な槍のせいだ。本体が残っている限り、安心はできない。
七つのプレートにそれぞれためたテラフレアを、一つにまとめる。
ノアの右手の腕輪についた紅魔石が、集束した高密度の上位魔法に反応してまばゆいばかりの光を放つ。
「くらえええええええええええ!」
パイクとエミリーが飛びのいたのを合図に、ノアは漆黒の槍めがけて、渾身の魔法を放り投げる。
灼熱の炎が縦横無尽に暴れまわった後には、焼き尽くされた土のみが残され、槍も、その場のよどんだ魔力もかき消えていた。
「いや、まあなんだ……すげえなお前さん」
パイクが金髪のつんつん頭をがしがしとかきあげて、呆れたようにつぶやく。
「私はブレスで気を失っちゃってたけど……何があったの?」
「僕も夢中だったけど、前に読んだ詠唱加速の魔法が発動してくれたみたいなんだよね」
「魔力切れでノアが倒れちゃったときの?」
目をぱちくりさせるエミリーに、ノアはうなずく。
「あの竜の爪が、エミリーに届くぎりぎりのところで、ノアくんの全身が光に包まれたんです」とジェマが付け加える。
「そうだったんだ……ありがとう。命の恩人だね、ノア」
「いいってことよ。愛の力の前には、どれだけよどんだ魔力も無力なのさ」
「パイク、それもしかして僕の真似? 本気で怒るよ?」
隠れるようにして恥ずかしい台詞を口走ったパイクを、ノアはじろりとにらみつける。
「悪かったって。よせよせ、プレートこっちに向けるんじゃねえよ。しかしなあ。見事に跡形もねえな。できれば、槍は証拠と調査に持ち帰りたかったんだが……」
「え! ご、ごめんなさい」
「いいってことよ。あんだけのラブを見せつけられた上に、俺もついでに命を救われてるわけだからな」
「どうしてもそういう方向にもっていきたいわけ? 命がけでかばってくれて、せっかく見直してたのに」
パイクがおどけ、エミリーが顔を赤くし、ジェマがくすくすと笑う。
ほっとしたノアも、緊迫した空気からようやく解放されて、声をあげて笑った。
誰があの槍をここに突き立てたのか、という謎は残ったが、レイリアを蝕んでいた原因を、誰一人欠けることなく取り除くことができた。
一つの区切りがついた安心と喜びが、実感となって広がっていく。四人の間に弛緩した空気が流れた、そのときだった。
「ギルド長! ジェマさん!」
叫んだのは、レイリアギルドのメンバーの一人、ティムだった。
早馬に乗って死の谷を単騎で駆けてきたのだろう。全身にいくつかの傷を負っている。
「ティム! 一人できやがるとは……何があった!?」
馬から転げるようにして四人の元にたどり着いたティムを、パイクが抱きかかえる。ジェマが冷静に治癒魔法の準備を始め、エミリーが持ってきていた水筒を手渡した。
「大変なんです……すぐに王都に向かってください!」
死の谷から王都へ向かうには、レイリアに戻る途中の道で、南へ進路を変える必要がある。
ひとまず死の谷を抜け出し、馬車まで戻ったノアたちは、飲まず食わずで走ってきたというティムと、彼の乗ってきた馬をケアしながら詳しい話を聞くことにした。
ノアたちが乗ってきた馬車は、昨晩のうちに周辺の魔物を一掃したうえ、ジェマ特製の簡易結界魔法で守ってあった。もちろん、ノアが魔力をたっぷり譲渡した強化版だ。仕込みに時間がかかるので魔物との戦闘中に使ったりはできないが、こういうときには頼もしい。
「皆さんが出ていった昨日の夕方、王都が魔物の襲撃にあっているって緊急の依頼があったんです」
王都からの依頼は、基本的には使者がやってきてギルドに直接伝えられる。
しかし緊急の場合は、訓練された鳥を使い、書状として主要な都市に要請されるのだ。
各都市に返信用の鳥がいるわけではなく、王都からの鳥もすぐに飛び立ってしまうので、実質的には命令のようなものだ。
「五大都市でもねえうちにまで、緊急の依頼だあ?」
ノアは、シーヴギルド在籍中に緊急依頼を受けたことはないが、それがどういうことかはわかっていた。
王都が頼りにするのは基本的に五大都市までで、それ以上の人手が必要な場合は、あらかじめ五大都市宛の依頼にその旨を記載し、五大都市それぞれが周辺の都市に声をかけるようになっている。
それを飛び越えて依頼がくるのは、まさしく緊急事態に他ならない。持てる限りの鳥を各都市に放ち、一人でも多くの戦力をかき集めたい、それほどの危機だということになる。
「かなりの規模の群れで、王都の騎士たちも苦戦しているって話です」
「前に魔物が溢れてから十年以上が経っているとはいえ、まだ兆候はなかったはずでしょう。一体どうして……」
「まさか、死の谷のあれが、無理やり魔力の流れを変えたせい?」
ジェマが眉をひそめ、エミリーが仮説を立てる。
大陸中でよどんだ魔力が少しずつ溜まっていく以上、それは定期的に溢れて、大規模な魔物の襲撃となる。
そのような襲撃は、十五年に一度あるかないかの間隔で発生するが、各都市周辺の魔物が増えたり、あきらかに魔力のよどみが深い場所が増えたりといった前兆もあり、予測しやすいもののはずだった。
「原因をあれこれやるのは後だ。レイリアとしてはどう動いてんだ? まさか、俺たちの戻りを待たせてあるってんじゃねえよな?」
「シャロンさんがまとめてくれて、出れる面子は先に出てます」
王都からの依頼に、人を出さない選択肢はない。しかもそれが緊急依頼となれば、一刻を争う。出遅れることがあれば、この大陸における都市としての信頼を失いかねない。シャロンは、ジェマが留守中の右腕としての役目をしっかり果たしてくれているようだ。
「悪くねえが……俺たちが間に合うかは微妙なところだな」
「そうですね。この馬車を引いているのは買い出し用の子たちよりは元気ですが、全速力で駆けつけられるほどの力はありません」
「ティム一人じゃ、馬四頭引き連れてってわけにもいかなかったろうしな」
これ以上ないタイミングで報告を受けることはできたが、ここから馬車で王都を目指しても、丸一日かかる。
「とはいえ、行くしかねえか。ティム、お前も乗ってけ。馬を休ませたらすぐ出発だ」
「ちょっと待って」
ノアの言葉に、全員の視線が集まる。
王都の状況は芳しくない。レイリアから人を出してはいるものの、大規模な魔物の討伐となればやはり、パイクやジェマが指揮系統としての主力であることは間違いない。馬車ではここから一日遅れの到着で、王都からの緊急依頼達成に支障をきたすだけでなく、レイリアギルドの仲間たちの身も危ぶまれる。
何か手はないかと、会話を聞きながら考えていたノアは、あることを思いついたのだった。
「試したいことがあるんだ」
「わかった! 馬車を引く馬に魔力をぶん投げて、ジェマの補助魔法も使って加速しようってんだろ!」
「それも考えたんだけど、違うよ」
補助魔法で馬たちの力や速度を強化することも、おそらくできなくはない。
しかし馬は、補助魔法で強化された身体を扱うことに慣れてはいない。
馬たちの身体を壊してしまいかねない上に、暴走する恐れもある。強化された馬が引く馬車に乗って、移動すること自体が危険を伴う。
「皆、僕を信じてくれる?」
「もちろんノアのことは信じてるけど、どうするの?」
エミリーにありがとうとお礼を言って、ノアは『七つの死に至る罪』を取り出した。
円、正方形、盾をパイク、ジェマ、エミリーの足元にふわりと並べる。
「これに乗って」
「はあ?」
きょとんとする三人の前で、ノアは自分の足元に月を浮かべてひょいとその上に乗ってみせた。
「まさかとは思いますけど」
「はい、これに乗って飛んでいくのはどうかなって」
「あっはっは! さすがに厳しくねえか? 空中に浮かぶ魔法でまともな速度が出るのかよ? しかもこいつじゃ、片足が乗るかどうかってとこだぞ?」
「それも考えてたんだ。とりあえず足元はこれで大丈夫じゃない?」
プレートを中心にして、両足を乗せてふんばることができる程度まで、魔力で作った足場を広げてみせる。続いて、星、鏃、剣を三人の顔の前に浮かべてみせた。
「念のため、これに掴まって」
「確かにこれならなんとか。あ、でもプレートは七つですよね。もしこれが飛べたとして、ノアくんはどうするんですか?」
ジェマが心配そうに聞いてくる。これにも、ノアは笑顔で答えた。
「僕にはこれがあるから」
本体である腕輪を右腕からするりと外して、しっかりと握ると、ノアはふわりと浮き上がった。
「あんまり時間もないと思うので簡単に説明というか、実際に試してみるね」
言うが早いか、ノアは急加速して上空に飛び出した。
普段、プレートを操って浮かべて飛ばしているのも、魔力の操作と制御だけだ。浮遊の魔法などは使っていない。それなら、普段より重量のあるプレートだと思えば、操れるのではないか。
ノアの考えは的中し、空中に浮かぶ魔法を使わずとも、高速での飛行を可能としたのだった。
「ノア、私のもお願い!」
ぎゅっと星に掴まってエミリーが叫ぶ。
ノアは高速で飛び回りながら、エミリーのプレートを同じように操作して上空へ引き上げる。各プレートに流した魔力と、エミリー自身に譲渡した魔力を繋げて、手足が離れにくいように少しだけ工夫もした。
「こんなことができるなんて!」
「さっき倒した竜が魔力の塊に戻ったとき、そのまますごい速さで槍のところに戻ったりしてたでしょ? それでもしかしてって思ったんだ」
空中を飛び回る二人を見て、おっかなびっくりプレートに掴まり、足を乗せたパイクとジェマも、続けて空中へ浮き上がらせる。
今のノアは能力を完全に掌握し、詠唱加速の古代魔法まで会得している。
よりスムーズに、効率よく魔力制御ができるようになったことにより、四人分の体重が乗ったプレートでも、いとも簡単に操作してみせた。
ひとしきり飛び回ったあと、口をあんぐりと開けて驚くティムの元へ降り立つと、ノアはいったん魔力の制御を解いた。
「ティムさん。申し訳ないんですけど馬車をお願いしてもいいですか? 街道ぞいなら、行きがけに魔物はほとんど倒してきたので、まっすぐレイリアまで帰れるはずです」
「あ、ああ……それはかまわないけど、そのまま王都までいけるのか?」
「はい。試しにやってみた感じ、四人くらいなら大丈夫だと思います」
はっきり言いきると、驚きに呆れが混じった視線を返される。
「もうノアくんが何をしても驚かないつもりだったのに、ここにきてまだ驚かされるなんて」
ジェマがため息まじりに言い、飛びまわるのをいたく気に入ったパイクが、「馬も要らなくなっちまうとはな、もう難しいこと考えんのはやめだ!」と笑い転げる。
エミリーはエミリーで「ねえ、これってどれくらいの速度が出せるの?」とわくわくした顔になっていて、頼もしいことこのうえない。
「少なくともこの馬車とか、馬よりは速く行けると思うよ」
紅魔石がきらめく腕輪をくるりと手のひらで一回転させ、再び空中に浮かび上がると、ノアは三人にプレートに乗るよう促した。
「ギルドの皆も王都も心配だし、全速力で行くからね。落ちにくいようにはするつもりだけど、しっかりつかまって!」
ノアを先頭に、ゆっくりと上昇した四人は、手を振って見送るティムをあっという間に置き去りにした。
「何度言ったらわかるのだ、守りに徹してくだされ! 何のための塀と堀だとお思いか!」
背中に響くわずらわしい声を無視して、ジャックはチームを率いて突進した。
魔物たちが迫ってきているのは、主に西側の塀だ。五大都市を中心に、等間隔で守りにつくよう言い渡されているが、じりじりと近づいてくる魔物たちをちまちまと削っていくのは、ストレスが溜まって仕方なかった。
それにこれでは、目立った手柄もあげにくい。シーヴギルドの活躍にかげりが見えつつある今、他と同じことをしていたのでは駄目だ。
幸い、小言と嫌味ばかりの忌々しいギルド長は、別件でここには来られない。ここであのくそやろう抜きで手柄を立てれば、黙らせることもできるはずだ。
「騎士連中は怖気づいちまってる。そんなに縮こまって守りたきゃてめえらでやっとけってんだよ。あの程度、つぶしちまった方が早いに決まってんだろうが! バーバラ、準備しろ!」
騎士の言葉を無視して、固く閉じてあった門を開け放つと、ジャックは後衛の魔術師部隊に命令して突進し、手近な魔物に槍を突き出す。
突けば貫き、薙ぎ払えば紙切れのようにちぎれ飛ぶ魔物たちを追い回す。久しぶりの爽快感に、ジャックは笑った。
やはりそうだ。数こそ多いが、大した相手ではない。
後衛のバーバラたちが放った魔法が前方に着弾し、いくつもの断末魔が響く。
魔物の討伐はこうでなくては駄目だ。狩るものと狩られるものは、はっきりしていなくてはならない。
「突撃だ! 怖気づいて塀に張り付いてやがる他のギルドや騎士どもに、目にものみせてやれ!」
ジャックを先頭に突出したシーヴギルドが、魔物の群れを右に左に切り裂いてその数を減らしていく。
塀の上に集まった各都市ギルドのメンバーや騎士たちが、歓声をあげている。
「手のひら返して騒いでやがる……ははは! ははははははは!」
ジャックは、ここしばらくの鬱憤を晴らすように、容赦なく槍を振り回しておおいに暴れまわった。
しかし、快進撃はそう長くは続かない。
「なんだこいつら、急に硬くなりやがった!」
突進を続けるにつれて、一振りでちぎれ飛んでいたはずの魔物たちが、槍を受け止めるようになってきたのだ。
バーバラたちが放つ魔法も、一撃では致命傷を与えられず、反対に爆風や煙で前衛の視界を遮り、その連携の粗さを露呈し始めた。
「後ろは何やってる、ちゃんと狙ってんのか!?」
「ジャックさん、やばいですよ! 囲まれちまってる!」
「んだと!? てめえら、何してやがった!」
「そんな、あんたがどんどん前に突っ込めって言うからじゃないですか……!」
バーバラたちの魔法が途切れ、場が一瞬静かになる。
「だから戻れと言ったのだ!」
「守りに穴をあけて何をやっているのです!」
塀の上から聞こえていたのは歓声ではなく、注意喚起と叱咤の叫びだった。
それを塗りつぶすように、魔物たちの咆哮が四方からとどろく。名前も知らない隣の男が叫んだとおり、囲まれているのか。
「ふざけんじゃねえっ!」
渾身の力で突き出した槍が、牙の並ぶ口を開けて迫っていた魔物の喉元を貫く。
「俺は五大都市シーヴギルドのエース、ジャック様だ!」
とびかかってきた魔物を薙ぎ払い、ジャックは吼えた。
「こんなとこで、雑魚どもに囲まれてる場合じゃねえんだよ!」
ジャックの雄たけびに呼応するように、先ほどよりもたくさんの魔物の咆哮が、びりびりと空気を揺らす。
何もかもが上手くいかない苛立ちからか、いつからか思うように動かなくなった自分の身体に対する焦燥からか、それとも魔物たちに無意識に気圧されたのか。じわりと槍を握る両手に汗がにじんだ。
「くそが……全部ぶち抜いて、余裕の凱旋キメるはずじゃなかったのかよ」
突き出した槍を、がっしりと大型の魔物に掴まれ、思わずあっと声が漏れる。
味方は孤立して魔物に囲まれ、突撃したせいで王都の守りには穴が空いた。そして、なんでもできると思っていた自分の槍が、あっけなく止められてしまった。
「こんなわけねえっ! ここで格の違いを見せつけられなきゃ、俺たちは……!」
聞こえてくるのは味方の悲鳴と、魔物の咆哮ばかりだ。勝利を確信した雄叫びも、称賛の声もない。
ぐいぐいと槍を引き抜こうとするが、目の前の魔物がそれを許さない。丸太のような両腕でがっしりと槍を掴まえ、口角をつりあげている。
他の魔物も迫ってくる。
槍を手放すか? 手放してどうする?
いったん退がる? 囲まれているのに?
こんなはずはない。こんなはずはない。こんなはずがあってたまるか。
「う、うわ」
「あれはなんだ!?」
ジャックの口からこぼれかけた悲鳴をかき消したのは、誰かが空を指さす声だった。
つられて、空を見上げる。
吐き気がするほど真っ青に塗りつけられた空を、ものすごいスピードで何かが飛んでいく。
何かではない。人だ。しかも、間違いなく見知った顔が混じっている。灰色の髪に、灰色のローブ。あれは、まさか。
「ノア……だと……?」
金色の瞳に宿る光は強く、ジャックが知る怯えた色のそれではなかった。
「テラ……フレア!」
見知った顔がこちらを見向きもせず叫ぶと、魔物の群れに無数の火の玉が降り注ぐ。
そこかしこに上がった火柱が、有無を言わさず魔物たちを飲み込んでいく。
ありえない数の、ありえない威力の、ありえない速さの魔法だ。
「包囲が崩れた! いったん退こう!」
誰かが叫び、味方が駆け出す。つられて足を動かしたジャックの視線は、空に固定されていた。
ありえない。そんなはずはない。どうしてあんなやつが。渦を巻く負の感情が、どくどくと鼓動を早めていく。
空から見下ろした王都は、想像していたより悪い状況だった。西側の壁に迫る魔物たちはこれまで見たことがないほど多く、真っ白な壁を黒く塗りつぶそうとしているように見えた。
前回、魔物が溢れたのは十年以上前で、ノアはまだ幼く、戦いの場にはいなかった。
王都のみならず主要な各都市が襲われ、両親が命と引き換えにシーヴを守った戦いだ。
それに比べれば、王都しか襲われていない今回の襲撃は、規模としてはまだ小さいのかもしれない。
しかし、前もって十分な準備をしてこられなかったことで、王都はまさしく危機に瀕していた。
明らかに前に出過ぎて魔物に囲まれていた一団を援護して、ノアたちはそのまま塀のところまで飛んでいく。
まずは状況を確認して、レイリアの皆と合流する必要があった。守りを固めるにしろ、攻めに出るにしろ、勝手を知った仲間たちといっしょがいいに決まっている。
「シャロン! 待たせたな!」
手足が外れにくいようにプレートから流していた魔力を力技で引きちぎり、パイクが塀に飛び降りる。
「本当にギルド長たちだ……どうやって空を!?」
遠目から気づいてはいたようだが、先行して守りについていたシャロンたちが目を瞬かせる。
「死の谷からですよね? どんなに早くても到着は明日だと思っていたのに、早すぎませんか……何がどうなっているのか」
混乱するシャロンたちを見て、パイクとエミリーがいたずらっぽく笑った。
ノアは、流石に少し気だるさを覚えて、状況把握を三人に任せて軽く深呼吸した。魔力にはまだまだ十分な余裕があるが、プレートを操る集中力を休めておきたかった。
「ノアくんの秘密兵器で飛んできたんです」
「秘密兵器って? いや、それにしたって」
「何言ってもわけわかんねえよな。俺もわかんねえから気にすんな!」
「とにかく、ここをなんとかしちゃいましょ! 上からざっくりとは見てきたけど、各ギルドごとに固まって、担当を決めて守ってる感じだよね?」
エミリーの言葉にシャロンがうなずく。
緊急依頼で集まったばかりの各都市間で、細かな連携をとるのは難しい。下手にカバーしあうより、担当範囲を決めてそれぞれに守る形は、この場での最善策のように思えた。
「はい。担当範囲の取り決めだとかは王都の騎士様がやってくれましたが、基本的には各都市で動いています」
エミリーがうなずき、ノアを見る。
それだけでノアは、言いたいことがわかってしまった。
今の布陣は、確かに緊急時の対応としては悪くない。しかし、各都市の実力がそのまま戦力になってしまうため、穴が多すぎるのだ。
ここに降りる途中で援護した一団のところがもっとも危ういが、そこだけではない。
おそらく五大都市と思われる面々はまだいいが、その隙間を埋める、レイリアのような中堅都市の担当箇所が押し込まれかけているのが、上からいくつか見えた。
かといって、持ち堪えているところにも余裕があるわけではない。そこからの援軍は期待できないということだ。
「皆を助けようってことだよね?」
ノアは空を見上げる。
この急ごしらえの布陣で、危ういところを助けて回れるのは、空を飛べる自分たちだけだろう。
「お、いいな! だいぶ慣れてきたからな。そろそろ両手を離して斧も振れんじゃねえかと思ってたとこだ」
パイクがにやりと笑い、ジェマもしっかりと杖を握りしめる。
「皆にもありったけを渡すから、このあたりをお願いします!」
飛び回って遊撃隊をやるのはいいが、その間にレイリアの皆が倒れたりしては本末転倒だ。ノアは二十人のギルドメンバー全員に、大量の魔力を譲渡する。
ジェマにも同じように魔力を渡し、強化された補助魔法も二十人にかけてもらった。
「すごい……前にご一緒したときより、さらに力がみなぎってくるようです! これなら、まわりのカバーもできそうです」
シャロンが確かめるように腕を回す。他のメンバーも士気を高めているようだった。
「無理はすんな。後からくるやつらほど強そうだったからな。もうすぐ、そいつらがここまでくるだろうよ。つまり、これからが本番ってことだな」
パイクがゆるみかけた皆の気を引き締め、「おら、行くぞ!」とプレートに足を乗せた。
「ノア、ごめんね。ありがとう」
こっそりとエミリーが耳打ちしてくる。
ノアは驚いて「何も謝ることしてないでしょ」と笑ってみせるが、エミリーの真剣な表情は変わらなかった。
「さっき、一人で深呼吸してたよね? 疲れてるはずなのに、これからさらに負担をかけようとしてる」
「……それなら本当に、謝ることじゃないよ」
本心だった。
役立たずだ、お荷物だと言われ続けてきた数年間に比べて、レイリアにきてからの数ヶ月は、ノアにとってとても充実している。
信頼しあい、助け合いながら、人の役に立てる。
少しくらい辛くても、隣に並ぶ顔を見れば不思議と力が湧いてくる。
それは、ノアが幼い頃に思い描いた、ギルドの在り方そのものだった。
王都を守る戦いで、自分たちにしかできない仕事をやろうとしている。
感謝こそすれ、謝られるなんてもっての他だ。
「ありがとう、エミリー」
満面の笑顔で応えたノアの心に、嘘はひとつもない。
「よし、行こう! 王都も皆も、絶対に守ってみせる!」