「柊木さん。その人影は、ただ映り込んだだけだったんですか?」

「ええ、そうですね。諸麦さんの背後にあるドアがすりガラスだったんですが、一瞬、黒い人影のようなものが横切ったように見えたんです」

「ふむ……そうですか……」

 私が説明すると、住職は顎に手を当てて考え込んでいた。

「では、諸麦さん。次はあなたに取り憑いている霊を視ていきたいと思います。よろしいですか?」

「はい……」

 諸麦さんは緊張した様子で返事をすると、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「では、失礼致します」

 住職は諸麦さんの顔をじっと見つめると、瞼を閉じた。そして、そのまま何かを感じ取るように数秒静止する。
 目を開けると今度は両手を合わせて合掌し、諸麦さんの顔の前に右手をかざした。そして、まるで何かを念じるように眉間に皺を寄せた後、スッと手を下ろす。一連の動作を終えると、住職は静かに息を吐いて口を開いた。

「背後に、薄っすらと女性の姿が視えますね。……あなたに取り憑いている霊とみて間違いないでしょう」

「えっ……」

 諸麦さんは目を丸くさせる。
 そして一呼吸置くと、「やっぱり、そうなんですね……」と呟いた。

「なので、今から除霊を行います。ただ……除霊の際、霊の本体に触れることになるので、かなり強い衝撃が来るかと思われます。ですので、心の準備をしておいてください」

 諸麦さんは一瞬怯んだ表情を見せたものの、決意を固めたのか「わかりました」と大きく頷いた。

「では、除霊を始めましょう。お二方は、申し訳ないのですが一旦席を外してください。稀にですが、除霊が成功したタイミングで霊が今度は近くにいる別の人間に取り憑くことがあるんですよ」

「そ、そうなんですね……わかりました」

 私と黒瀬さんは、言われるままに部屋の外へと出る。そして、ピシャリと障子を閉めた。
 諸麦さんが「よろしくお願いします」と言うと、それに応えるように「承知しました」と声が上がる。
 少しの間、沈黙が続いた。その間、私も黒瀬さんも部屋に入ってはいけないと言われたため、何が行われているのかを知る術はない。
「──では、行きますよ」

 住職はそう言うと、お経を唱え始めた。
 そのお経は、十数分ほど続いた。その間も、私と黒瀬さんはひたすら成功を祈ることしかできなかった。
 刹那、ドシン! という音がした。それと同時に、「うぅ……!」という苦しそうな諸麦さんの声も漏れ聞こえる。

「……はい、これで大丈夫ですよ。お二方も、もう部屋に入ってもらって構いません」

 住職の言葉を聞くなり、私は障子を開けて部屋の中に入った。
 諸麦さんのほうを見ると、先程よりも幾分か顔色が良さそうに見えた。だが、その額からは大量の汗が滲んでいる。

「あ……ありがとうございます」

 諸麦さんがお礼を述べると、住職は再び口を開く。

「また異変があったら、いつでもいらっしゃってください」

「はい、わかりました」

「それと……お伝えしたいことがもう一つありまして」

 住職が言うと、諸麦さんは不思議そうに首を傾げた。

「な、なんでしょうか?」

「あなたの交際相手の夢なんですが……恐らくなんですけれど、それは『生霊』の仕業だと思います」

「え……?」

 諸麦さんは困惑した様子だった。
 生霊……? 体から魂のようなものが出て、対象者を攻撃するあれのことだろうか。
 住職曰く、諸麦さんと交際している女性──つまり、鈴音りりさんが誰かから恨みを買っていて、その影響で夢に出てきたのではないか? とのことだ。
 諸麦さんは信じられない、というふうに目をしばたたかせる。

「ど、どうして彼女が……」

「それはわかりませんが……一度、二人でじっくり話し合ってみたほうがいいかもしれませんね」

「……はい、そうします」


 それから、私たちは住職に見送られながらもお寺を後にして、近くのファミレスへと場所を移した。
 ドリンクバーと料理を注文した後、諸麦さんは早速スマホを手に取って操作し始めた。どうやら、恋人に連絡をしているようだ。
 暫くして返信が来たらしく、諸麦さんはそれを見つめながら小さく微笑む。

「す……じゃなくて、彼女さん大丈夫そうですか?」

 うっかり「鈴音さん」と口走りそうになり、私は慌てて口をつぐむ。
 危ない、危ない。鈴音さんは人気VTuberで知名度もあるし、どこにファンが潜んでいるかわからない。だから、常に細心の注意を払わなければ。
 私が密かに胸を撫で下ろしていると、諸麦さんはこちらを見てニッコリと笑った。

「はい、問題ないそうです。ここ数日間は、何故かあの変な夢も見ていないらしいですし」

「そうですか、良かったです」

 ほっと一安心すると、今度は黒瀬さんが口を開いた。

「あの……諸麦さんがお付き合いされている方についてなのですが、少しお話を伺わせてもらってもいいですか?」

 すると、諸麦さんの顔色が変わった。そして、眉間に皺を寄せると怪しむような視線を向ける。

「どういう意味ですか?……まさか、俺と彼女の関係に何か文句があるとか……?」

「ち、違いますよ! そんなわけないじゃないですか!」

 黒瀬さんは必死になって弁解すると、「実は……」と続ける。

「ひょっとしたらなんですけど……諸麦さんの彼女に取り憑いている生霊の正体は、Miraiさんなんじゃないでしょうか?」

 そう言って、黒瀬さんは諸麦さんの目をじっと見つめる。

 諸麦さんの口からは、「えっ……」という言葉が漏れていた。

「な、何を根拠に……?」

「根拠、というほどのものではないのですが……あくまで、私の憶測です。確か、MiraiさんのSNSアカウントが更新されたのは彼女さんが奇妙な夢を見始めたのと同時期でしたよね?」

「そういえば、そうですね……」

「しかも、諸麦さんの家の郵便ポストには、差出人不明の手紙が投函されていた。そして封筒の中には、何故かネットで拾ったと思しき彼女さんの顔をプリントアウトしたものが入っていたんですよね?」

 そこまで聞いて、ようやく諸麦さんは合点がいったようで静かに頷いた。
 黒瀬さんは、そんな彼の様子を見ながら話を続ける。

「もし、Miraiさんが何かの拍子に諸麦さんと彼女さんが付き合っていることを知ってしまったとしたら……無意識に生霊を飛ばして危害を加えているのにも納得がいきます」

 黒瀬さんは淡々と言葉を述べていく。その声は冷静そのものだったが、微かに震えを帯びていた。
 きっと、自分の考えが当たっていたら……という不安に押し潰されそうな気持ちなのだろう。

 鈴音りり──彼女は、Vtuber事務所『さくらいろステーション』に所属するタレントの一人だ。
 最初は人気がなかったものの、持ち前の明るさや努力家な性格が視聴者に認められて、今ではチャンネル登録者数120万人を突破する躍進を遂げた。
 きっと、Miraiはそんな彼女と諸麦さんが交際していると知って嫉妬心が芽生えたのだろう。だから、ストーカー行為に及んだのだ。
 だが、ここで一つ疑問が生じる。
 どうして、諸麦さんと鈴音さんが交際していることを知っているのか……ということだ。
 普通に考えてみれば、それはあり得ないことだ。諸麦さんと鈴音さんが交際を始めたことは、まだ誰にも知られていないはずなのだから。
 しかし、よく考えるとおかしな点はまだある。
 Miraiは鈴音さんに直接的な嫌がらせはしていない。わざわざ生霊を飛ばしているくらいだから、恐らく彼女の家を知らないのだろう。
 それなのに、なぜ諸麦さんの家は特定できたのか? 考えられる理由としては、鈴音さんが誰かに住所を喋ってしまったというケースだ。
 だが、鈴音さんの性格を考えると、その可能性は限りなく低い。私は頭を抱えて思考を巡らせた。
 しかし、いくら考えたところでこれ以上は何も思い浮かばなかった。