ポジティブ思考に裏切りは効かない

付き合って詐欺事件から少しの日がたち、カラスくんの勉強会も幕を閉じようとしていたある日。私は、最近エンカレの使用時間が減っていることに気付いた。
前までは、学校から帰ってきてすぐにアプリを開き、没頭していた。けれど、今はそんなようなことはない。もちろんエンカレはよく開くけれど、特に最近は、長時間いじって怒られるようなことが何一つ起こらない。

エンカレは、居場所なのに。
エンカレは、居場所じゃなくなったのか。

それより、もうすぐでカラスくんとのお出かけだ。今週の日曜日、あと二日。私は、もう誕生日プレゼントの準備で大忙しだった。が、もう準備万端だ。
カラスくんに渡すプレゼントは、合計三つ。
手紙、お菓子、あとはカラスモチーフのピアス。
私はお金持ちなわけじゃないので大したものは買えないけれど、自分にとって結構高価な買い物だ。お菓子は駄菓子屋で小分けのものを小さなかごにじゃんじゃか入れて、辛そうなものは除いた。カラスくんは辛い物が苦手だからだ。
しかも、駄菓子屋でお菓子を買うのは、とても安かった。あの量でこの値段とは、みたいな。本当に安くて、駄菓子屋とはみんなに良心的なお店なんだと再確認できた。店長であろうおばあさんも、すごく優しかった。

「なつ?日曜だよね、出かけるの」
カラスくんに話しかけられ、私はうなずく。
「そうそう。駅の中に併設されてるカフェでいいんだよね」
「うん。あそこが一番近いでしょ」
「確かに、ここらへんだとそうかもね~」
カラスくんはいつも通り話す。私も、いつも通り話す。明後日がカラスくんの誕生日であることが、楽しみでしょうがない。何で、私が楽しみなんだろう。
「じゃあ、また日曜日に駅のカフェで!」
私はそう言って、手をふりふりとする。
「おっけー。じゃー」
カラスくんと別れてから、私は早足で家に向かった。

「ただいまー…って」
家に帰り、誰もいないと思っていたら。
「お母さん!?はっ、早くない!?」
「おかえり。そうなの、今日早めに仕事が切り上がっちゃって、せっかくなら家にいようと思って」
「へー…。珍しいね」
私は驚いたまま、手を洗うために洗面所に行く。
「お父さんは普通?」
「そう。私も早く終わるなんて思っていなかったから、お父さんもびっくりしたでしょう」
「そっか。なら、せっかくだから話そ」
私は手洗いうがいをしてから、イスにこしかけた。
「今週の日曜日、カラスくんと駅のカフェ行ってくるね」
「いってらっしゃい。カラスくんって、いいかげんちゃんと名前で呼んであげたら?本名じゃないんでしょ、なんでカラスなのかわからないけれど」
「いいの。私にはちゃんと意味があるんだから」
そんな話をしていると、お母さんが急に微笑んだ。ふっ、と言い、柔らかい表情になる。
「…なつ、よかった」
「何が?」
「なつはネットばかりいじっているから。前は、居場所がここしかないって言っていたし。心配してたんだよ」
心配。なんで。そんな。どうして。
「けれど、もう本当の居場所が見つかったんじゃない?」
「え…、でも」
「無理にネットだけが居場所だなんて思わなくていい。きっと、もうすぐわかるよ」
お母さんはそう言った。私にも、あるのかな。
現実の、居場所。
「おはよ!」
「おはよう。随分と早いけど」
「カラスくんとカフェ行くって言ったでしょ!朝早く起きたの!」
カラスくんとのお出かけが、ついに今日となった。私は早起きをして、せかせかと準備を始める。
「いただきます!」
朝ごはんを食べ、服装の最終確認をする。まぁ、最終確認と言ってもいつもの上着をピシッとさせるだけだけれど。
そして、プレゼントが入った袋を持ち、
「行ってきます!」
と言って家を出た。
駅は家から近い。もともと学校から駅が近いため、いつもの景色と変わりない。はず。なのに。
なぜか、気持ちのいい色が広がっている。
前まであったフィルターが外れたような、はっきりとした色。気持ちのいい世界。
私は魔法にかかったような、そんな気分で駅へ向かった。
今日7月23日は、カラスくんの誕生日だ。

「あ、おはよ。早いね、俺さっき来たばっかだけど」
「おはよ!待たせたと思った~…」
私はカラスくんにそう言って、イスに座った。
「ご注文お決まりでしたらどうぞ」
「じゃあ、もう頼んじゃう?いいよ、カラスくんから」
「俺からでいいの?うーん」
カラスくんはメニューを見ながら唸っている。実は私はもう決まっている。
「…決まったわ。俺ブラックで」
「は!?あんなに散々迷ってたのに、ブラック!?」
「朝はブラック飲まないと始まんない体質なんで」
カラスくんは確かにブラックを飲みそうな感じだけど、せっかくこんなお店来たのにブラックはもったいなくない?と思いながら、私も注文する。
「私はカラスくんと違って、ちゃんと決めてあるんだからね。私は、レモンハニーシェイクのホイップあり、レモンチョコチップ多めの+20円ではちみつソース追加でお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
毎年夏限定で登場するレモンハニーシェイクは、必ず飲む。なので、毎年言うことを覚えてしまった。
「呪文かよ…」
カラスくんがボソッと言った言葉は、しっかり私の耳に届いていた。
飲み物を注文して、少し喋った後、私は決心する。
「カラスくん!」
「はい」
「7月23日のお誕生日、おめでとう!」
プレゼントを渡そうと思った、その時だった。
「…俺の誕生日、昨日だけど?」
カラスくんが、「え?」という顔をしている。いや、私のほうがもっと驚いているはずだ。
昨日、ってことは、7月22日が誕生日ってこと?
「…もー!!!この裏切りカラスめー!!なんなの、私もまんまと引っかかったんだけど!はぁ!?詐欺師!詐欺師カラス!」
「いや、詐欺師って…」
私はテーブルに突っ伏して、「うぅぅ…」と言う。
「でも、もうプレゼント買っちゃったしあげるよ」
「まじ?ありがと。何入ってんのかなー」
カラスくんは、私が用意したプレゼントをガサゴソと見る。
「…あ!これ俺が好きなお菓子じゃん!めっちゃいっぱい入ってる!なにこれ、天国かよ!」
これも好き、これ初めて見る、これ美味しそう、というように、カラスくんは私のプレゼントに興味津々だ。
「え、なにこれ、手紙入ってんだけど。これは後で見ればいいや」
「ひっど!ひどくない?それは!」
私はそんな風に言うけれど、決して嫌な気持ちではなかった。

「…なんか、かしこまってるやつ出てきた」
「開けてみて開けてみて!」
「…これ、カラスのピアス?」
カラスくんは、私が用意したプレゼントの中で一番自信があるものに気付いた。
「…ありがと。なんか、大切な物すぎてずっと飾ってたいわ」
「喜んでもらえてよかった~!せっかくなんだから付けてよー」
「はいはい、じゃあ付けますね」
慣れた手付きで、カラスくんはピアスを付ける。今見ると、カラスくんの指って本当に細いなぁ、と思う。
「…どう?カラスが付けたカラスのピアス」
「すっごい!!めちゃめちゃ似合ってるよっ、カラスくん!!」
「それはありがとう」
カラスくんが付けたピアスが、黒色に光る。その綺麗さに、思わず私は拍手をしてしまった。
そんな私を見て、カラスくんは柔らかい笑みを浮かべた。
カラスくんとのお出かけがもうすぐ終わろうとしていた時、ふとカラスくんが言った。
「そういえばなつ、まだエンカレやってんの?」
「うん。当たり前じゃん、私の居場所なんだし」
へぇ、と、カラスくんは少し複雑な表情になって言った。
「俺さぁ、この間スマホでニュース見てたら出てきたのがあってさ、これ見て」
目の前に差し出されたスマホを見ると、思わぬことが書かれていたのだ。
「…大人気励まし系アプリ『エンカレ』 、励ます側AI疑惑 開発者認め『最初はみんなが利用してくれるか心配だった』」
私は声に出して記事を読んでいく。
流行し始めてきた頃に、思うように会話が成立しないことに対しての問い合わせが何件か来ていたこと。
大流行してしまった頃には、もう同じ「励ます側」の人に会って会話をすることが一つもなかったため、これはおかしいと問い合わせやクレームが絶えなかったこと。
アプリを「励まされる側」の立場として使用しているユーザーは山ほどいるのに対し、「励ます側」のユーザーがほとんどいなかった現実を見た開発者が、さらにAI導入を試みたこと。
「だれも使用してくれないんじゃないかと、心配になりすぎていた」と開発者がAI使用疑惑を認めたこと。
エンカレの「励ます側」は、人間じゃないAIだったのだ。
私への返事は、高性能AIのものだった。
エンカレは、誰かの居場所になる、たった一つのコミュニティ。
けれどそれは、もうチリとなってどこかへ消えた。どこからか見える所ではない、遠い所に。
こんな現実を、知りたくなかった。

「…こんなの、最初から…」
無ければよかったのに。その言葉は、出そうとして出せるような簡単なものじゃなかった。

私のたくさんの出来事をともに救ってくれた大事な居場所に、そんな言葉を吐き捨てられるわけ、そんなわけない。

私の声は震えたまま、何も言葉を発せない。涙すらも出ない。エンカレという名の励まし系アプリは、こんなに声を押し殺している私のポケットのスマホに、静かにたたずんでいた。
私は、自分の居場所からこんなにあっけなく別れを告げられるなんて思っていなかった。

ふと、カラスくんの手が私の肩に触れる。
「…あたしが言うのもどうかって感じだけど…」
カラスくんは、そのまま続ける。
「あたしが、なつの居場所になるよ」
カラスくんは、私がこれまでカラスくんと喋ってきて一番優しい言葉をくれた。それと同時に、カラスくんがずっと隠してきた本当の姿を、私は気付くことになる。
「…え?カラスくん、『あたし』って、言った?」
私は、きょとんとした顔でカラスくんに問いかける。
「…え、うそ、あたし…あはははははは!あは、あたし言った?うはは、あははは!」
カラスくんは、今まで聞いたことのないようなとても高い声で笑った。
まるで、女の子のような声で。
「かっこよく決まると思ったのにぃ、ばれちゃったよ」
「え?カラスくん?ふざけてるの?女子の真似?」
私は、エンカレのAI疑惑なんかよりも、今はカラスくんの方が気になってしまっている。
カラスくんは、目黒リオンくんなのに。
「女子の真似っていうか、あたしほんとは女子だもん」
カラスくんがぽとりと何事もないように発言したその言葉は、最大の裏切りと言えるだろう。
「な、なんで、お、男の子なんじゃ、」
「あー、じゃあ説明するね。ばれた時、もうこれは修正効かないなって思ったから笑っちゃった。落ち着いて聞いてよ?」
落ち着いて聞いてよって、落ち着いて聞ける人がこの世のどこにいるのか知りたいよ、カラスくん。
カラスくんの表情が少し曇っていた。その理由はどうしてなのか。
「あたしさ、ほんとに普通の女子なんだよ。だけどあたしの普通っていうのは、ほんとに普通なの。なんでもだよ?勉強も運動も、顔も髪型も性格も。食べればそれなりにちゃんと太るし、髪の毛だってちゃんと朝セットしなきゃ昼間おかしいことになる。全部当たり前なんだよね、普通過ぎてつまんないの。自分が。目黒リオンが」
「だって、カラスくんはすごい優しくて…」
「それはカラスくんでしょ!?あたしがなつに振り向いてほしくて作った、仮の自分でしょ!?あたし自身を見たって、カラスくんが幻滅するだけだよ…」

カラスくんが、苦しそうな顔をして言う。
「あたしは、普通すぎて自分に自信がなかった。なつに、このまま普通の自分で話しかけに行くのが、なんか怖くて。だから、あたしは決めたんだよ。せめてなつといる時は、カラスくんとして生きようって」
「クラスのみんなは、そのことを知ってるの…?」
「みんな共犯。あたしが女の子だってばれないように、みんな必死で隠してくれてた。みんなが優しかったから、カラスくんでいられたけど、もうなつが思うあたしはいない。相当な厚さの着ぐるみ着てたって思わない?」
カラスくんは、もういないんだよ。そう言っているようなカラスくんの瞳から、どうしても目を逸らせない。
「…ごめんね、なつ。もう、こんな裏切り者に関わらなくていいよ。じゃあね」
「またね」という言葉がないことに、私は胸が締め付けられるような感じがした。
そして私は、全身全霊で叫んだ。こんな私の見る大嫌いな現実(リアル)を、全てぶち壊すように。
ポジティブ思考が、行動を追い越していくように。
「…っリオンちゃん!!!」
「…もういいよ、なつ」
「私と、友達になってよ!!!リオンちゃんが(・・・・・・)、私はいいんだよ!!!」
リオンちゃんが、驚いたような顔をしてこちらを見ている。そして、複雑な顔になり、ゆっくりと口を開く。
「…あたしは、なつのことを散々裏切った、嫌なやつだよ?」
「それはカラスくんだよ!リオンちゃんと、私は友達になりたい!」
リオンちゃんと、友達になりたい。私は、ただまっすぐにそう思っている。

『ねぇ、あんた大丈夫?』
カラスくんのことを知ったのは、入学式の三日後くらいだった。何もない所で一人でつまずいた私を、カラスくんは色んな意味で心配してくれた。それから運のいいことに一年二年共に同じクラスで、仲良くなっていった。
私はエンカレが居場所だった。なので、エンカレを始めてからは、現実に友達が一人もいなかった。
もう友達の作り方を忘れていた時に、君が来た。
カラスくんといる時は、なんだか現実が好きだった。エンカレのように、カラスくんとの時間は現実に没頭できた。
思い返せば、私はカラスくんと出会った時から、現実に興味を持ったのだと思う。
きっと、カラスくんと出会った瞬間から、もう私の居場所はできあがっていたのかもしれない。
カラスくんのことだけじゃなくて、現実を見ようとできるくらいの心のゆとりがあったということは、私が今の居場所に満足していたから。
エンカレじゃなくて、現実を覗いてみようとしていたから。
それはもうとっくに、現実が好きになっていたからだ。

カラスくんとして私の前に現れてくれたリオンちゃんがいたから、いつの間にか、「エンカレ」よりも「現実」の方が好きになれていたんだ。

「リオンちゃん、カラスくんなんて、もういいから」
「え…」
「私と、お友達になってください」
友達の作り方って、こんなんだったっけ。でも、そんなのどうでもいい。
から破りなのが、私たちの生き方だ。
さっき発した言葉に、付け加えたい言葉がある。あわよくば、でいいから。
「それから、私の居場所になってください」
自分でも思えるほど情けない言葉だけれど、リオンちゃんなら、受け止めてくれる。
大好きなカラスくんには裏切られたけれど。
リオンちゃんと共に、また一つから、積み上げていったら。
私たちの世界と私たちの現実が、造れるのかも。
そんなポジティブ思考に、私は今包まれている。
今、このひと時だけかもしれない。だけど。
「…うん。あたしも、なつと友達になりたい」
今のこのポジティブ思考(わたし)に、裏切りなんて効かない。
そんなことを思った、高校二年生のとある夏の日。

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