ポジティブ思考に裏切りは効かない

私の居場所は、ずっとここにある。

『もう少しで親友の男子が誕生日です。男子が喜ぶようなプレゼント知ってたら教えてください。』

これくらいの文章なら、もう1桁の秒数で打てる。そうなったのはいつからか、もうわからないほどになった。この「励まし系」アプリを使って。
私の居場所であり、また相談相手と言ってもいいこのアプリは、今世間で大流行している。
その名も、「エンカレ」。
エンカレとは、英語で「エンカレッジ(励ます)」を略したものだ。通称、励まし系アプリ。

エンカレでは主に、「励ます側」と「励まされる側」に立場が分かれている。
私の場合、励まされる側だ。逆に、励ます側になる人は極めて少ないと思う。
エンカレは、「こんな事があったから励ましてほしい」というものに対し、だいじょうぶだよ、とか、次がんばろうとか、そういう返事が返ってくるだけではない。励まされる側が考える悩みや質問に対し、励ます側が答えて、解決への導きを(さぐ)ってくれることもある。

今私がした質問も、すぐに返事がくることはあたりまえだ。大量に返事がくる代わりに、まれに全く参考にならないようなコメントもある。それをどう捉えるかは、私「励まされる側」にかかっている。

シュポっという音とともに、返事が返ってくる。
『うちは前手紙あげた』
『がんばれ!!』
『あのゲームのシリーズ新作出たからそれ欲しい』
『とりま花送っとこ』
『気持ちが一番だから、それが伝わる手紙がいいと思う』

「手紙…か…」
私は一人つぶやきながら、画面をスクロールしていった。
『手紙と、あとなんか腕時計でもつけておけばそれっぽくね?』
『それ父の日じゃん』
私にとって腕時計は高いイメージしかない。しかも、なんかしっくりこない。地味なわけじゃないとしても、あの子はそういう感じじゃないというか。
まぁ、みんながちょっとズレてるだけか。でも、そんなので迷ってる私もなぁ。
そんな「ポジティブ」と「ネガティブ」が共存する私の体は、今真剣に悩んでいる。

「手紙は確定にするか。あとはなんか物だよね…」
私は追加で、
『手紙と、あと物をあげたいんですけど、なにかアイデアある方ぜひ教えていただけると助かります。』
と打ち込んだ。一瞬で返事がどっさりと来る。
『高価なものじゃない方がいいのならば、花あげるのもアリ』
『お菓子大量に買っていくのも、けっこう楽しくない?』
『駄菓子屋で子供の頃に夢見てた大人買い』
「お菓子…あ、ポテチ好きって言ってたかも。あと、なんだっけ…」
たしかあの子は、それこそ駄菓子屋で売っているような、一口で食べられる系のものが好きと言っていたような気がする。
お菓子でもいいかもしれない。私が生きてきた17年間では、きっとお菓子がきらいな人には会っていないはずだ。
「あとで聞いてみればいいや」
私はそう言って、スマホ画面を閉じた。立ち上がり、ふとカーテンを開けて窓の外を見る。
7月中旬。かすかに聞こえる蝉の声が、どこからともなく、そこらじゅうにちらばっている。姿は見えないのに、この存在感は偉大すぎる。夏の象徴。夏に欠かせないものの1つ。
今聞こえるだけでも少しのうんざりを覚えるのに、きっとなくなったら、夏という感じは大いに薄れる。でも、蝉はそんなつもりで鳴いているわけではないのに、私たち人間は、夏の大切なものと勝手に見ている。それに蝉が気づいたら、蝉はどうなるのだろうか。気を遣ってくれるのか。その気遣いは、存在感はそのまま残しつつ、うんざりさせないように少し控えめに鳴く、といったところだろうか。
「…どーでもよ」
まぁ、何かに集中する時は静かにしてほしいという少しの期待はなかったことにしよう。
蝉の鳴き声しか聞こえない今は、何かを考えざるを得なくなる。朝にしては、太陽がカンカンと照りつけている。やはり、夏ということがあるからだろう。

「…現実(リアル)でも、居場所があったらいいのに」
どうしても、そう考える、そう考えてしまうじぶんがいる。あの子が。あの子といる時が。

本当の居場所なんじゃないかと、思う時がある。

「…わかんないな。なんで、」
「なつ!!」
バンっという音とともに、お母さんが部屋に入ってくる。言葉が(さえぎ)られたせいか、今まで考えていたことが全てふっ飛んでしまった。
「今日はもう学校でしょう。急いで準備しなさい。しかも、こんな暗い部屋でスマホなんていじってたら、ますます目が悪くなるよ」
「…ごめん。電気、起きてからつけてなかったや」
「いくら夏で外が明るいとしても、電気はちゃんとつけるようにしてね。学校の用意はしてあるの?」
「うん。ぱぱっと朝ごはん食べて行かないと。ありがとね」
私はそれだけ言い残して、リビングへと向かった。



爆速で朝ごはんを食べたせいか、なんだか運動したくない、という感じがする。高校まで歩きなので、ほぼ毎日私はイヤホンで音楽を聴きながら登校している。
ふと天を仰ぐ。ずっと見ていられそうなほど綺麗な青空が広がっている。目線を前にすれば、入道雲らしき雲がもくもくと空に描かれている。
今流れている曲は、ポップな感じの、弾けるような曲だ。まるで入道雲のようで、自然と笑みがこぼれた。

そんなこんなしているうちに、学校についた。下駄箱で上履きに履き替え、「2ーB」と書かれた札がたれている教室へ足を運ぶ。「あ、色見(しきみ)さんおはよー」
クラスメイトの女子に挨拶をされる。私は、
「おはよう」
とだけ返し、自分の席にすわる。準備を終えて、今日もまた話しかける。
「おはよう。今日は暑いから、涼しい所に行った方がいいよ。なんせ、まさるはたくさん運動するんだし」
彼は聞いているのかわからない。
「今日は朝から相談事がたくさんあって、めちゃめちゃエンカレ使っちゃったんだ。それで怒られちゃった」
私は、まさるに続けて話そうとした。すると、もう一人、来たのがわかった。
「あ、カラスくん!おはよう!」
「カラスくんじゃなくて、リオンですけど。目黒(めぐろ)リオン。てか、なんで俺にはカラスで、いつも電柱にとまってる鳩にはまさるなわけ?」

この子は、もう少しで誕生日の親友の男子、カラスくんである。
「まさるはまさるだよ?で、カラスくんはカラスくんでしょ?」
「ちがう。鳩に人間っぽい名前つけて、人間の俺には鳥のカラスの名前つけてるから。なんでなの?」
「それはカラスくんの持ち物が黒っぽいものだらけだからだよ」
「まあ…そう言われれば納得できるかも…」
カラスくんはなんだかんだ優しい人で、こんな私の高校に入ってからの友達第一号だ。こんな風に喋ることがほとんどなので、
クラスメイトに何を言われてもどうだっていい。
私の居場所は、エンカレだから。

「カラスくん、もう少しで誕生日だよね?」
「あぁ、そうだ。なんか忘れてたわ」
「だから、誕生日プレゼントあげるために、今用意してるよ」
「え?まじ?ありがと。せっかくだし、どっかお茶しに行くか」
「行こ行こ!」
そんな事があり、カラスくんの誕生日である7月23日に、二人でカフェに行くことになった。まだもう少しあるので、私は学校から帰った後も、またエンカレで誕生日プレゼントの案を募集した。
何件もコメントが来ており、上の方から順に見ていく。
『手紙とあとファッション系の何か』
「ファッション…カラスくん好きかな」
色々と考えていると、なんだか疲れてきてしまった。画面を閉じて、ふぅ、とため息をつく。

夏は苦手な方だ。暑い。蒸してる。うんざりする。なのにたくさん行事があって、みんなが嫌にならないで長年続いているのが不思議だ。
「…あっつ。アイス食べたいな」
私は家を出て、近くのコンビニへ行く。
「いらっしゃいませー」
店に入った瞬間、ものすごく涼しい空気がぶわっと私を包み込んだ。思わず頬が緩みそうになる。
私は迷わずアイスコーナーに直行し、どんなものがあるかしっかり見る。だいたいのものは見えるようなところに置いてあるが、そんなものに埋もれて奥深くに眠っているアイスもしっかりチェックする。ひんやりとする手なんか無視だ。
「どれにしよう…」
一応、3つ候補は決めた。コンビニオリジナルの乳酸菌入りホワイトアイスにするか。ここはあえて幼少期に戻ったようにソーダ味のアイスバーにするか。それとも疲れた体に必要なオレンジシャーベットにするか。
究極の選択の時。私じゃ決められない時の必須方法は。
「どーれーにしよーうかなてーんのかーみーさーまーのいうとおり!」
これに賭けるしかない!!
人差し指が止まった方を見ると、
「オレンジシャーベット、だ!」
私はオレンジシャーベットを手に取り、レジへ向かった。
ピッ、と音を鳴らし、金額を言われる。けれど、レジの脇に置いてある一口サイズのお菓子がどうも気になり、結局それも買ってしまった。
コンビニのエアコンで免疫はついたものの、きっと外は暑い。アイスも私も溶けてしまう前に、早く帰ろう。私は会計を済ませ、早歩きで家へと向かった。

「ただいま」
誰もいない家に独り言を発し、手洗いうがいをして、自分の部屋へ行く。
ビニール袋からオレンジシャーベットと店員さんが付けてくれた木のアイススプーンを取り出し、意味もなくカーテンを開ける。
青い空が見える。このアパートに住んで一番よかったと感じるものは、この景色だ。
海が見えるとかの絶景とはほど遠いけれど、なんだかふと、見たくなる。私の部屋があるのは最上階の5階だ。
住宅地。公園。さっき行ったコンビニ。高い建物が少ないからこそ、この景色は見える。
目の前にある、空。
何回見ても飽きない。これはこの家の特権だ。私の特権だ。
オレンジシャーベットのふたを開け、アイススプーンで一口分すくう。シャリ、と音を立てて、オレンジ色の微細氷が煌めく。
口に入れると、すっと溶ける。その間だけでも、オレンジの元気な力強いパンチが口の中を占領して、また一口ほしくなる。
ベットに置きっぱなしのスマホ。つけたままの扇風機。この部屋に舞い踊る、蒸し暑い空気。
こんな生活が、こんなあたりまえが、なぜか今日は、愛おしく感じた。
そんなことを思いながら、なぜか買った一口サイズのお菓子のフィルムを優しくはがした。
「カラスくん!」
「はいなんでしょうか」
「オシャレやファッションは、好きですか!?」
「…は?」
オレンジシャーベットを食べて満足感いっぱいになった次の日。私は、学校に行ってすぐ、カラスくんにこう質問した。
カラスくんは少し戸惑いながらも、
「…どちらかと言えば、好き、かな。何考えてるのかわかんないけど」
と言った。昨日私は、カラスくんの誕生日プレゼントを調べているとき、ふと目に入ったものがあったのだ。それは、
カラスの飛んでいる姿が用いられた、小さめのピアスである。
我ながらとてもいい誕生日プレゼントだと思う。しかも、カラスくんの返答があり、ますます自信がわく。
「てかさぁ、最近のなつ、なんかポジティブだよね。ネガティブな時が少ないっていうか…」
急にカラスくんが言う。私は、
「そうかな?…確かにそうなのかもしれない、と思うような思わないような…?」
と首をかしげる。
自分ではあまり感じないのでわからない。けれど、カラスくんがそう言うのであれば、きっとそうなのだ。なんでなのだろうか。理由は。原因は。
「いいことじゃん。よくわからんけど」
カラスくんがそう言うので、私は少し微笑んだ。そして、小さな声で、
「いつか、居場所もできるといいんだけどな…」
と言った。
「何?ごめん、聞こえなかった」
「ううん。なんでもないよ。次の授業の準備しなきゃ!」
「ほんとだ」
私は密かに、聞こえていなかった事にほっとしていた。

「今日はお弁当作ってないから食堂かなぁ」
私は独り言をつぶやき、食堂に行こうとした。すると、後ろから声がした。
「なつ?」
「カラスくん!どうかしたの?」
「いや…」
カラスくんは、なぜか言いづらそうな顔をしている。
「…突然ごめん。ちょっと、付き合ってほしい」
「…へ?」
え?それは、まさか?
いやいや、私人生初なんだけど…!!そうだよね、それって…
「カラスくん、それって…」
「うん。俺も食堂行くから、一緒に聞いてほしいんだ」
来たよね、これ!?!?完全に、来たよねぇ!!
私は、ドキドキしながら食堂へ向かった。
「俺頭悪いじゃん?でね、今日から勉強教えてほしいの」
「勉強なんてっ、いくらでも教えます!私もそんなにいいわけじゃないけど!」
「ありがと。まじごめん…」
食堂で、私はチキン南蛮定食、カラスくんはみそラーメン定食を頼み、さっそく要件を言われた。
私は、
「いいの?初日にこんなことで…」
と言った。だって、ねぇ。
「逆に申し訳ないくらいだわ」
カラスくんはそう言うけれど、私はこういうのは音痴なため、普通なのかわからない。
私は「いくらでもできることはサポートするよ」と言いながら、チキン南蛮よりだいぶごはんの方が多く含んでしまったと思われる口の中を後悔した。きっと、後悔の原因はそれだ。たぶん。後悔なのかすらも、なぜか微妙だけど。
カラスくんによると、なぜか最近、数学の問題が苦手になってきてしまったらしい。元々苦手ではあったものの、最近の授業は特に、なんだそうだ。
私もあまり勉強が得意なわけではないが、エンカレで勉強を得意になる方法を教えてもらってから、少しづつついていけている。カラスくんのことは応援したいし、先程関係が縮まったわけだし、応援しないわけがない。せめて誕生日までは、カラスくんが苦手を克服しているといいな、と思った。
というわけで、毎日放課後に図書室で少し勉強をすることになった。私は胸の高鳴りを抑えきれないまま、放課後を待った。

「…あ、なつ来た」
なんとカラスくんの方が先に来ていたらしい。私は、
「もちろん、来るなんて当たり前でしょ!だって、その…」
と言って、勇気を出す。いざとなって口に出すのは、なんだか恥ずかしい。
「…付き合ってる?わけ?だし?」
「…いや、待て待て待て待て待て待て待て待て」
カラスくんが、全力というか、もうこれ以上ないくらいのスピードで止める。
「え、ちょっと待って?俺、付き合うなんて一言も言ってないよね?」
「え、え?だって、今日食堂行く時、付き合ってって言ったよね?」
カラスくんが、ザ・やっちまったという顔をして、崩れ落ちる。
「…やっぱ、なつポジティブだよ。もーまじで…」
「なになに、だってカラスくんが言ったじゃん。ポジティブってなんで…」
「付き合ってってのは、勉強に付き合ってほしい、ってことだよ!」
「ベンキョウニ、ツキアッテホシイ…」
ただいま色見なつ、読み込み中です。と言わんばかりのカタコト具合だったと思う。そして私は、ようやく理解する。
「…あー!!!!!えーー!?!?うぉゎわわわわわわっ!?!?」
「なんかごめん…」
「いや、カラスくんが悪いなんてわけじゃないよ!」
自分が意味のわからない言葉を発していたことに気付き、私も崩れ落ちる。
「私の勘違いでした…あーもうなんでポジティブ思考はこうなのかなぁ、ネガティブの方が変じゃないのかなぁ、いやでもネガティブだって疲れるのになんでそんなこともわかんないんだろ私ってほんとにダメな人間だな、あーあ…」
「いやネガティブ出てるって」
カラスくんに声をかけられ、ネガティブから脱出する。

付き合っていなかったとしても、これは大切なことだ、ということに気が付いた。なんで、今まで(かたく)なにエンカレのことしか大切でないようなことを思っていたんだろう。これだって、エンカレに並ぶような、立派なものなのに。
あぁ、なんか、ここにずっといたい。
エンカレが家だとしたら、これはボロい秘密基地っぽい感じだ。それでも、楽しい方は。
「…カラスくん」
「なに」
「…カラスくんが大切なのは、変わりないよ」
勘違いから、大切なものへと気が付いた。そんなおかしな出来事が、私を明るい未来へ連れ出そうとしてくれていた。