今日からショートカット

 彼女の面接があった翌朝のこと。
 更衣室の前で吉岡店長に呼び止められた。
「おい。ちょっと待たんかい」

 彼女をパートに採用するという話に違いない。
 思わず私、聞こえないふりをして通り過ぎてしまった。

「こら。知らんふりすんな」
 吉岡店長が声を荒げた。
 私は立ち止まり、言葉だけで謝る。
「すみません」
 吉岡店長は苛々と用件を伝えた。
「ええか、来週から新人さん来るから、よう教えたってや」
「はい」
 ああ、やっぱり。あの彼女、来週から出勤するのか。
「その子、接客が得意なんやて。やる気だしてるからな、そば離れんと大事に育てたってや」
「はい」
 私は自分の足もとだけを見つめている。
「さっきから下ばっかり見てるけど、俺の話は聞いてんか」
 私は下を向いたまま返事をした。
「はい」
 吉岡店長は「ちっ」と舌打ちをした。
「浜田君は気がきつうてあかんわ」
 きついぐらいの性格でなければ、自分勝手な吉岡店長の下では働けないけど。
「おい、分かってんな。新人、苛めんなよ」
 さすがに言い返した。新人に限らず、ひとを苛めた覚えはないのだから。
「そんなこと、私はしません」
 しかし、吉岡店長は「こんだけや」と言い捨て、さっさと事務所の方へ歩いていった。
 その後ろ姿を私は黙って見送った。

 初出勤の日。
 早々に、私は彼女のマイペースぶりに圧倒されたのだ。
 彼女は事務所での朝礼に参加した。

「えっと。最初に新人さん、紹介するわ」
 吉岡店長がにやにやしながら皆に彼女を紹介した。
「林莉乃さんや。みんな、仲良うしたってな。さ、莉乃ちゃんも皆に挨拶しいや」
「莉乃、恥ずかしい」と両手で頬をおさえる彼女。
 吉岡店長は相好を崩した。
「なんも恥ずかしないやん」
 そんな二人に、その場にいた皆はぼう然としている。

 彼女は「うふ」と品をつくりながら自己紹介を始めた。
「林莉乃です。千葉出身の二十歳なんだけど、好きな男性のタイプは優しくて面白いひと」

 吹き出しそうになった。
 初出勤した新人が朝礼で自己紹介をするとき、聞かれもしないのに、自分から好きな男性のタイプを言うなんて。
 しかし、吉岡店長はデレデレしている。
「みんな、頼んだで。この子を『莉乃ちゃん』って呼んだってや」

 早速、私は彼女に仕事を教えることにした。
「では、林さん。始めましょうか」
 彼女はむっとした。
「私を『莉乃ちゃん』って呼んでください。さっき店長さんが言いましたけど」
 仕事に来ているという自覚が、この子にはないのだ。このお店に遊びに来たような感覚でいるのでは。
 しかし、ホール係は足りていない。早く仕事を覚えてもらわねば。
 それなのに、彼女は我儘を言って私を困らせた。

 手洗いの掃除を言い付けたら、彼女はさっと顔色を変えた。 
「無理です。こんなに狭いところ、莉乃は苦手なの」
 そう言う彼女自身も、この店のお手洗いを普通に使っているのだが。
 つとめて穏やかに彼女に言った。
「そうだったの。でも、慣れたら平気だからね」

 玉葱の皮むきを教えたら半泣きになった。
「玉葱は苦手。剥いたら涙が出てきてお化粧が落ちてしまうもの」
「大丈夫。玉葱剥いてそこまで泣くことはないし」
 私がそう答えると、彼女は急に怖い顔になって言い返してきた。
「玉葱剥いたあとでお化粧直しの休憩くれたら、莉乃も我慢してあげようかな」
 怒りを堪えて、私は彼女に言い渡した。
「頑張って下さい。初めは出来る範囲で良いから」
 彼女はしぶしぶ包丁を手に取り、私に聞こえるように嫌味を言うのだった。
「来たばかりの新人、こき使うなんて。ネットで拡散するわよ」

 彼女の我儘に、こうして私は振り回されている。
 彼女の教育係となった私の日々は、予想した以上に怒りと驚きの連続となった。
 愛ちゃんが「嵐の予感がします」と言ったが、全くその通りだと私は思うのだ。彼女の勤務ぶりはまさに嵐のようとしか言いようがない。
 おかげで、私の勤勉で穏やかな日々は木っ端みじんに砕け散った。

 それなのに、男性従業員は彼女を見ると嬉しそうに目を輝かせた。
『頑張りや、莉乃ちゃん』と声をかけるのだった。
 男性客も食事をしながら、彼女の姿をずっと目で追っている。レジにいる私に常連の男性客が聞いてきた。
「えらい別嬪さんやな、あの子。まだ若いみたいやけど、幾つぐらいなんやろ」
 適当に返事をしながら、私はひしひしと感じた。
 吉岡店長をはじめとして、男はほんとに美人に弱いのだと。